勝負
勝負です。
「よし、このまま帰ろう」
「うわー相変わらず卑怯だね! 感心するよきつねさん!」
レイラちゃんがギルドの裏にある訓練場へと姿を消したので、正直このまま素直に行かなくても良いんじゃないかと思い直して帰ろうと思った。レイラちゃんは美少女だし、可愛いし、おっぱいの感触を伝えてくれた子だけど、勝負したら僕がやられる事は確実なんだからいいんじゃないかな。戦って負けるのも、不戦敗で負けるのもどっちも一緒でしょ。
すると、リーシェちゃん達が凄くひんやりする視線を送って来るのに気が付いた。なんだよ、別に良いじゃないか逃げても。
「きつね、今の言葉はどういう意味だ?」
「私も気になりますね、きつね様?」
「わ、私も……教えて欲しいです……」
リーシェちゃん、ミアちゃん、そしてルルちゃんがそう言ってくる。
どういう意味だって言われても、そのままの意味だよ。帰るんだ、依頼は達成したしね、もう一回蜘蛛と戦ったから正直疲れた。なんでこの上蜘蛛より格上の相手と戦わなくちゃいけないんだ。
「どういうって......帰るんだよ」
「そこじゃない、一つ前だ」
一つ前……ああ、付き合って下さいって奴か。話を逸らそうとしたわけだけど、レイラちゃんには通用しなかったな。僕の一世一代の告白を一刀両断してくれた訳だよね、話を聞かない子だってことを忘れてたよ。方向音痴な部分が強かったからなぁ。
「付き合ってくれっていうのは、話を逸らそうとしたんだよ。このままだと勝負になりそうだったから。無駄だったけどね」
「……なるほどな」
「そうなんですか」
「よ、良かったです」
仏頂面なリーシェちゃん、営業スマイルなミアちゃん、そして心から安堵した様子のルルちゃん。一番素直なのは誰? と言われたらルルちゃんだね、猫可愛がりたくなる愛くるしさを持ってるよこの子。
とはいえ、三人とも僕の告白がそんなに気に触ったの? やっぱり僕って結構モテるんじゃない?
「だが、勝負にはいかないと駄目だぞきつね」
「え」
「父様との勝負を勝手に決めたのは誰だったか……本当なら一週間の猶予があった筈なんだがなー……」
「うわ、それ引っ張って来るの?」
リーシェちゃんは元々騎士だったから、勝負から逃げるというのはあまり好ましく思わないのかもしれない。かといってこの言い方はあんまりだと思うけどね。死ぬよ? 僕死んじゃうよ?
ミアちゃんに助けを求める視線を送ってみたら、変わらない営業スマイルで返された。駄目だ、この人は助けてくれない。
最後の光としてルルちゃんを見たら、首を傾げられた。駄目だこの子、アイコンタクトが通用しない子だ。とりあえず頭を撫でておいた。
「♪」
とはいえ、この場から逃げられる方法が何処かにないものかな。フィニアちゃんは僕の肩でうつ伏せに寝っ転がって我関せずを貫いているし、他の冒険者達もミアちゃんの笑顔に顔を背けている。
僕に逃げ場はないらしい。
「……分かったよ、行けばいいんだろ」
溜め息を一つ入れて、そう言う。正直、噂は噂でしかなく、レイラちゃんの期待に添えることなんて一つも無い、なのにこんな目に遭うなんてなんたる理不尽。なんだか僕苛々してきちゃったよ。
苦労人って漫画とかで主人公が良く持っている属性だけどさ、僕は苦労したくないんだよ。面倒事をわざわざ持って来ないで欲しい。というか僕の話がグランディール王国まで届いているとか、どっから漏れたんだよ。
ぶつぶつと文句を垂れながら、僕は裏手にある訓練場へとやってきた。そこには待っていると言って去って行ったレイラちゃんがちゃんといた。迷ってあらぬ方向にダッシュしてればよかったのに。
「あ、やっと来たねきつね君!」
「うんまぁ、逃げられなかったからね」
「あははっ、逃げようとしてたの? 駄目だよ、女の子の誘いを無視しちゃ」
「痛い目を見るのが分かってて誘いに乗るのは一部の変態だけだよ。僕は真面目で健全な青少年だからね」
「そうは見えないけどなぁ」
レイラちゃんは快活に笑ってそう言う。元気で天真爛漫、そんな言葉が似合う様な彼女は、チャームポイントの八重歯を見せながらケラケラ笑う。
そして会話が一区切り付いたところで、腰に付いていた2本の小剣を抜いた。小剣というよりは大振りなナイフのようなサイズではあるが、軽いが故に両手で器用に振りまわすレイラちゃんの姿を見れば、余程愛用している武器なのだろうということはすぐに分かった。
「この武器はね、私の好きな人が使ってた武器を真似したんだ。最初は1本だったんだけど、私には2本の方が性に合ってるみたいでね」
「へぇ、至極どうでもいいね」
「きつね君の武器は?」
「僕は武器なんて持ってないよ。使えないからね」
そう言うと、目を丸くしたレイラちゃんがナイフを腰に戻した。少しつまらなそうな表情をしているが、それと同じ位興味の湧いたような眼をしている。
「武器、ないの?」
「森で一回使ったけど、折れて使い物にならないからね」
『赤い夜』に一撃喰らわせたぐらいしか有用に使えなかったあの折れたナイフだけど、今も一応部屋に置いてある。元の世界の品だし、お守り代わりに取ってあるんだよね。
それにしても、へぇ、なるほど、とかなんとか呟いているレイラちゃんを見ると、本当に嫌な予感しかしないから止めて欲しい。
少し思案していた彼女は、やけに嬉しそうな表情で顔をあげた。
「じゃあ私も武器は使わない! 素手でやり合おうよ!」
そう言って、彼女は拳を構えた。シャドーで数発拳を空に打ったけど、拳の速度が速すぎて見えない。しかも空気を切る鋭い音が聞こえてくる。何あの殺人パンチ。もしかしたら彼女はナイフよりも素手での戦闘の方が得意だったりするのかな?
「私はナイフよりも素手の方が得意なの!」
当たりみたい。Cランクといえば一線級の冒険者、武器が無いと戦えませんじゃ話にならないってことかな。僕も拳で戦えた方が良いのかな? この後レイラちゃんに弟子入りでもしようかな。訓練を装って色んなところに触れられるんじゃない? 見た目は良いしね、見た目は。
「ねぇレイラちゃん」
「何かなきつね君!」
「この勝負、僕に何の得も無いんだけど」
とはいえ、この勝負には僕に何の得も無い。下手すれば痛い目見るだけで、大きな損だ、勝負をする代わりに何か求めても罰は当たらないと思うんだよね。
すると、レイラちゃんは視線を動かしながら考え始め、やがて一つの結論を出した。
「じゃあこの勝負できつね君が勝ったら、何でも一ついうことを聞いてあげる!」
レイラちゃんの言葉が頭の中で何度も反響する。何でも、言うことを、聞いてくれる。この美少女が、何でも言うことを聞いてくれる? 青春真っ只中の青少年である僕だと知って、それを言っているのかな?
やる気が出て来た。
僕は首を回し、腕を伸ばす。手首や足首をぷらぷらと揺らして慣らし、一つ深呼吸を入れた。そして、スキル『威圧』を発動する。単体ではそれほど僕を大きく見せてはくれないけれど、それでも奥の手は取っておかないとね『不気味体質』はあくまで敵と戦う時のスキルだから。
すると、レイラちゃんは僕の威圧を感じ取ったのか、口端を少し吊り上げた。拳と手の平を合わせて、パキパキと音を慣らす。その瞳は、好戦的というよりは獲物を見る獣の眼をしており、今にも僕の下へ踏み込んできそうなオーラがある。
「少しはやる気になってくれたみたいだね」
「まぁね、何でも言うことを聞いてくれるっていうのは魅力的だ」
「ちなみに私が勝ったらきつね君が何でも言うこと聞いてくれるの?」
「そんな訳ないじゃないか、僕は勝負をしてあげる、代わりに勝ったら何でも言うことを聞いて貰える、利害は一致してるじゃない」
えー、と頬を膨らませるレイラちゃん。不機嫌な顔も可愛いけど、此処は譲れない。大体、君みたいな天真爛漫な子に何でも言うこと聞くなんて言った日には何されるか分からない。結構残酷なことを笑顔でやって来る気がしてならないよ。
でも、勝負が成立したことは嬉しいのか、レイラちゃんは再度好戦的な表情に戻る。楽しそうな顔は、今の僕にとっては可愛いという印象より先に、警戒の感情を生じさせた。
「じゃ、行くよっ!」
その言葉と同時、レイラちゃんは僕の目の前に踏み込んでいた。
ーーー速すぎる!?
僕の顔を打ちあげるべく、下から抉るように迫る拳を、どうにか身体を後ろに逸らすことで躱す。
避けられるとは思ってなかったのか、レイラちゃんは驚いた表情を浮かべたけど、そのまま空中で身体を回転させ、横から回し蹴りを叩きこんできた。今度は躱せない......!
「―――ぅぐっ……!?」
その勢いは凄まじく、僕の身体は宙に浮いた。そして蹴り抜かれる足の向かう方向へと吹き飛ばされた。
倒れはしなかったけれど、その場から2mも強制的に移動させられた事実が、彼女を格上だと思い知らせてくれる。僕と同じ位の身長ではあるけれど、ステータスはきっと僕よりもずっと上だろう。
それに、まだまだ手加減している節がある。僕はもう全力なんだけどなぁ。
ステータスを見ると差が歴然になってしまうから見ない、けどこれだけで既にステータスに10倍は差があるんじゃないかと確信出来るね。
そんなことを考えていると、気づけば彼女の手が僕の顔を掴んでいた。全く動きが見えない。予備動作すら察知出来ない程の速度、
これがーーー第一線級か......!
「う――――にゃあっ!!」
「あ……ぐぅ……!」
頭を後ろへと押され、バランスを取る為に下げようとした足を、レイラちゃんの足が蹴り払ってくる、完全に身体が空中に投げだされた僕の頭を、彼女は地面へと叩き付けた。ぐらっと揺らぐ意識、気絶せずに済んだのは痛みを無効にしてる『痛覚無効Lv2』のおかげだろう。
顔を掴む手が離れていく。レイラちゃんの僕を見下ろす顔が見えた。
「これでも気絶しないんだ、普通ならこれで終わりなんだけど、やっぱり面白いね、きつね君!」
「頑丈なのが僕の取り柄なんでね」
立ち上がる僕を、彼女は攻撃してこない。余裕の表れか、それとも何か手札があるのか、警戒は緩められない。
「それじゃ、どんどん行くよっ!」
「……!」
レイラちゃんが消える。いや、消えたように見える程速い。でも動かなければまたさっきの二の舞だ。
僕はその場からバックステップし、元居た場所から大きく距離を取った。すると、タイミング良くその場所にレイラちゃんが拳を振り抜いた状態で姿を現す。
本心から驚愕した様子で僕を見る彼女の顔は、少しだけやり返せたと思う。でも、ここから何か出来るかといえば別に何か出来るわけではない、が。
攻撃しないと何もならない、か。
「今度は……こっちから行こうかな」
「お?」
今度は僕から仕掛ける。その場から地面を蹴って、レイラちゃんの下へと突撃する。耐性に定評のある僕だけど、敏捷の能力値も耐性以外では大きく上がっている。筋力の低さからそこまで速度が出せるわけではないけど、それでも多少は動きやすい。
レイラちゃんは僕を迎え撃つつもりらしく、その場から逃げない。そして、すぐにお互いの拳が届く距離になり、その瞬間、
レイラちゃんの拳が僕の頬を捉えた。
鈍い音と一緒に、僕の頭が揺れる。
でも、痛みはないから耐えられる。
「っ!?」
「ぅぐっ――――あああ!!」
「なっ……!」
拳を受けて尚、僕の身体は前へと進む。痛みで身体を支える足が揺らぐことはない、痛みを感じないのだから、前へ進む足から力が抜けることはない。
そのまま前へ進みながら、僕はレイラちゃんの服を掴んだ。そして、そのまま彼女の拳の力を利用しながら、彼女の身体を引っ張り上げた。
どれだけステータスが上だろうが、体重や身長が変わる訳ではない、ならば女の子一人、持ち上げられない訳が無い!
「お―――っりゃあ!!」
そのまま倒れる覚悟で彼女を投げる。所謂、一本背負い。
「あはっ!」
でも、彼女は投げられる直前、僕の背中の上で転がった。背負い投げの途中で投げる相手の重さが無くなる。それによって、僕は勢い余ってうつ伏せに地面に倒れてしまう。
レイラちゃんが地面に着地する音が聞こえ、すぐに身体を転がし仰向けになる。
けど、起き上がる前に彼女は僕のマウントを取ってきた。硬直した僕の顔の横に彼女の右手が置かれ、もう一方の手は僕の首を掴んだ。動作の一つ一つが速すぎる......!
まるで僕が押し倒された様な体勢ではあるが、これは確実に僕の命が取られた状態。彼女がナイフを抜いていたら、僕の首は此処で身体とおさらばしていただろう。
「僕の負け……か」
体の力を抜き、そう呟いて勝負の終わりを認める僕。でも、そこで終わりでは無かった。
「はっ……はぁ……ん……」
僕の首を掴む彼女の顔が、僕の目の前まで降りてくる。その表情はなんだか高揚していて、瞳は先程とは違って理性が飛んでいるような野生的な感情を浮かべている。頬は赤く染まり、息遣いもなんだか色っぽい。
「え、と……レイラちゃん?」
「うふ……うふふふ………」
ぺろりと舌舐めずりをする彼女、一体何が起こったというのか、困惑する僕をよそに彼女は僕の首から手を離し、その手を僕の頬を撫でるように移動させた。
瞬間、なんだか背筋に悪寒が走り、目を見開いたまま蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
そして、彼女の赤く高揚した表情が更に近づいて、
「んむっ!?」
僕の唇を彼女の唇が塞いできた。
一体彼女に何が起こった? 続きは次回。