相部屋相手の異質さ
「まずは自己紹介をしよう。僕の名前はきつね、よろしくね」
「……私の名前はフラン・エリュシアよ」
部屋に入った後、桔音と中等部主席の少女――フランはそれぞれ自己紹介から始めた。
寮の部屋が一緒だったということもあって、とりあえずは現状をどうするのかの話し合いが必要なのだ。幸いにして、両者とも制服の受け取りは済んでいる。今日これ以降で何か用件があるという訳でもないので、時間は有り余っている。
桔音としてはこの後レイラ達と合流しても良いかなと考えていたのだが、こうなっては仕方ない。それに入学式が始まる前に、それぞれ寮の部屋で大人しくしていること、そして相部屋の人とはなるべく仲良くね、と言っておいたので、大した問題は起こらないだろう。屍音と獣人であるルルは違う意味で心配が残るが、あまり過保護なのも良くない。
それに、同級生ならまだしも同室のパートナーが女子で、更に中等部――年下であるというのだから、年上である桔音がこの問題を放り出していくのは少々大人げないというものだろう。桔音にも年上としての威厳というか、プライドのプの字くらいはあるのだ。
「それでフランちゃん、まずは重大な問題を解決しないといけないよね?」
「ええ、それは理解してるわ」
桔音とフランは部屋のレイアウトを見る。窓際に寄せられ、壁中央に設置された窓を挟む様に置かれた勉強机が2つ、そしてベッドも2つ置かれており、その向かいの壁がクローゼットとなっていた。開いてみれば、仕切りがあり、2人で使えるように分けられている。机の上には高等部と中等部の教材がそれぞれ置かれてあり、空の大きな本棚もある。
2人で使うには十分過ぎる広さの部屋で、もう2人程増えたとしても窮屈には感じないだろう。
それを確認した桔音とフランは再度お互いの顔を見合わせた。
「―――どっちがどっちのベッドを使う?」
「愚かね、私が窓側を使うわ。決定よ」
「仕方ないなぁ」
2人とも、問題に対する意識の向け方が少しだけずれていた。
本来なら女子と男子で同じ部屋になる事は一切無いのだが、何故か同室になってしまった桔音とフラン。普通の男女であればその展開に不満を抱き、事務や学園側に訴え出るものなのだが、この2人はそんなことはまったく頭にないらしい。
どちらがどちらのベッドを使うか、そんなことが彼らにとって最も重大な問題だったようだ。無論普通の貞操観念を持っている桔音としては、フランの反応が普通ではないことに気が付いている。まぁ桔音としても彼女を襲うつもりは毛頭ないし、中学生なりたての少女を歯牙に掛けたいと思う程、欲に塗れてはいないつもりだ。
だが、彼女の反応からして彼女にはまともな貞操観念は存在していないと予想出来る。余程の箱入り娘として育てられたのか、そもそも桔音を男として見ていないのか、はたまた自分を女として見ていないのか―――いずれにせよ、彼女は男と同衾するということに対する抵抗はないらしい。
「ねぇフランちゃん、今更だけど僕と同室でも良いの?」
だから、一応、気が付いていないのかもしれないという可能性も考えて聞いてみた。
すると、彼女は桔音の問いに対してきょとんとした表情を浮かべた後、首を傾げた。ウェーブした碧銀の髪を揺らしながら彼女は言う。
「貴方は部屋に置物があったとして、それに気を遣うの?」
「ああ成程分かった。さては僕のこと舐めてるな?」
「舐めてないわ、汚いもの」
「言葉の綾だよ」
「ええ、分かっているわ」
結論、彼女は桔音をそもそも人間として見ていなかった。眉目秀麗な容姿に、気品のある佇まい、服装もかなり小奇麗なもの。確実に貴族の生まれだろう。つまり、彼女も周囲にいた貴族同様平民に対してとても見下した価値観を持っているのだ。だから桔音に対してこのような態度が取れるし、年齢を気にせず尊大な態度を貫けるのだろう。
桔音はそれを理解して、彼女に対する認識を品行方正な秀才少女からクソ生意気な貴族娘に改めた。しかも皮肉に皮肉で返してくる所が更に憎たらしい。これは天然なのか、それとも普通に返して来ているのか、気になる所ではある。
「……これならレイラちゃんの方がまだ新入生代表っぽいよねぇ」
「レイラ? それはあのレイラ・ヴァーミリオン先輩のこと?」
「おいなんで先輩付けた今」
桔音がフランとレイラを比べて溜め息を吐いたその瞬間、彼の呟きに耳聡く食いついて来たフラン。しかもレイラ『先輩』ときたものだ。あの魔族娘は何時何処でこの貴族の尊敬を得る様になったのだろうか。
桔音は同じ平民姿だったレイラが自分と違って先輩扱いされることに不満を申し立てる。フランが何だかキラキラした瞳で桔音を見てくることが、更に苛立ちを増加させた。
「愚かね。私は入学式の時からレイラ先輩に憧れてるわ」
「それついさっきじゃん!」
「煩いわね……あの堂々とした立ち居振る舞いと圧倒的な強者の覇気、そして何より何百人という人間を一瞬で魅了する魅力……つい尊敬してしまうのは仕方の無い事よ、この愚か者」
レイラの美点というか尊敬出来る点をつらつらと述べる彼女に、桔音は若干引いている。前のめりになって置物に熱弁するフランちゃんは、大層おかしな人間に見えたことだろう、なんて妙な第三者視点を内心で呟く桔音。
フランは更にレイラのことを熱弁していく。ちょいちょい桔音の事を分かっていないわね、とばかりに愚か者扱いし、このにわかファンめと言葉の節々から伝わってきた。つい先程の入学式でちょっと前に立っただけなのに、これだけ語れるというのも凄まじいファン魂だろう。
桔音は長々と語り続けるフランの様子を、自分のベッドに座りながらBGMにする。『魔法袋』から本を取り出して、話半分に読み出したのだ。文字を覚えた桔音は既に本を読める。ペラペラと本を読み出し、異世界に関する記述を頭に入れていく。最近は勉強ばかりだったので、こういった本を読むのは久しぶりだ。参考書じゃないからか、ストーリー感覚で読める。
『ねぇきつねちゃん、この子放っておいて良いの?』
「(レイラちゃんの魅力なんて、今更言われなくても分かってるし……)」
『なるほどねー……ふひひひっ♪ 私の魅力は?』
「(分かってるよ、可愛い可愛い)」
『ふひひひひ♪ きつねちゃんのえっちー♪』
フランの熱弁も終盤にさしかかったあたりで、桔音はノエルとそんな会話をする。ノエルは自分を褒められたことでその手を振り回し、照れ隠しとばかりに桔音の頭を叩いた。
しかし、桔音は以前と違ってその攻撃に対して全く痛みを感じず、またダメージも無かった。どうやら耐性値等の力が身体へと還元されたことにより、魂の強度も強化されたらしい。幽霊の霊的攻撃もそれほど効果を発揮しないようだ。
これはある意味良い発見だったと思う桔音。もしかしたら、ステラの神葬武装も防ぐことが出来るかもしれないなとすら思った。ただ、だとしてもメアリーの神葬武装は防ぐことが出来ないだろうなと苦笑する。
まぁ、戦わないのが一番良いのだろうが、防御力が高い事に越したことは無い。
「……それで、そのレイラ先輩がどうかしたのかしら?」
「あ、終わった? あーうん、レイラちゃんとはかなり親しい間柄なん――」
「紹介しなさい」
「……君ね、もっと頼み方ってものが」
「紹介してください」
「……敬語だから良いって訳じゃ」
「紹介してください」
「うんごめん土下座までしないで、凄く悪い事している気分になる」
桔音とレイラが親しい間柄だと知った瞬間に手のひらを返してくるフランの図々しさと、レイラに会う為ならば土下座も厭わないファン魂、そして年下の女の子に土下座されたことによる凄まじい罪悪感が桔音を襲った。
とりあえず頭を上げさせて、機会があればレイラを紹介すると約束を交わした。そして紹介した時彼女のレイラに対する理想像がぶっ壊されないかな、と少々不安になる桔音。約束を交わして中々嬉しそうに顔を綻ばせたフランは、しばらくしてまたキリッと凛々しい空気を纏う。
口を閉ざした彼女は、教材を紐解いて教科書等の書籍を本棚へと仕舞った。そして自分の机の傍に置いてあった巨大な鞄から、大量の服を取り出したかと思うと、クローゼットへと仕舞っていく。その服の量は、最早自分の分のスペースでは到底足りず、許可を取ることなく桔音のスペースへと仕舞いこんでいた。それを指摘する桔音ではないが、本当に桔音に対して置物程度の認識しかないという事実に、ちょっとだけ肩を落とした。
まぁ、凛々しいながらも幼さを残す美少女に置物扱いされた所で、かつて虐めに遭っていた桔音からすれば大したことのない仕打ちだ。それに、桔音は学ランとTシャツ以外に私服は一切持っていない。強いて言えば今回貰った制服くらいだ。
「ああ……そういえば貴方、きつねとか言ったわね」
「うん、そうだよ」
「冒険者にも最近Sランクに入ってきた『きつね』とかいうのが居たわね」
「うん、そのきつねだよ」
「……嘘おっしゃい、自分を大きく見せるにしても度が過ぎてるわ。冗談ならもっと小粋なものを用意するのね」
信じて貰えないかぁ、とぼやきながら、桔音は肩をすくめた。そして、そういえばレイラちゃん達はどうしているかなぁと思考に耽る。
すると、驚くべきことにフランが桔音の目も気にせず着替え出したので、桔音は気を利かせて部屋を出たのだった。
◇ ◇ ◇
「ふへへへへ……! あぁんレイラお姉さまぁ……! 私と愛を育みましょうよぉ……♡」
「もー面倒臭いなぁこの子……♪」
一方その頃噂のレイラは、自分の部屋に入って出会った同室のパートナーに襲われていた。部屋に入った瞬間、レイラの姿を確認した同室の彼女は、瞳の色を変えてレイラに襲い掛かって来たのだ。そして何度も口にするのは、レイラお姉さまという言葉と愛をはぐくみましょうという言葉だ。
何故かは分からないのだが、彼女はレイラに一目惚れしたらしく、その恋を実らせるべく超ド直球な手段に出始めたのだ。
つまり"既成事実"を作ろう、である。
「私を滅茶苦茶にします? 私受けでも良いんですけど、出来ればレイラお姉さまの乱れる姿を存分に独占したいといいますか、私の与える快楽にレイラお姉さまが淫らに乱れる姿を想像しただけでもうイっちゃいそうでぇ……えへ、えへ、えへへへ……♡ その美しい白く輝く髪も……宝石の様に赤く妖しく輝く瞳も……その白い肌、活力に漲っている笑顔、声、匂い、視線……全部私の物にしたい……! あぁ、あぁ、レイラお姉さまぁ……私のこの身体は隅から隅まで貴女のモノです……! 私は貴女が望めばこの溢れる愛を貴女だけに注ぎます……貴女の為に尽くし、貴女の幸せを願い、貴女の為だけに私の全部を差し上げます……だから……ぁ……私に貴女の全てをくださぁい……♡ その肌に触れさせて下さい、その首に口づけをさせて下さい、その声をもっと聞かせて下さい、その髪を梳かせて下さい、その唇を私の唇で塞がせて下さい、その瞳で私だけを見て下さい、その手で私だけに触れて下さい、貴女の指先から髪の1本1本に至るまで……私だけのものです……ぅ……♡ はぁ……はぁ……んんっ……すっごぉい……レイラお姉さまの匂いぃぃぃ……! 脳みそまでとろけちゃいますぅぅ……♡ んはぁ……♡」
「うわぁ……すっごい気持ち悪いね……♪」
少し前までの自分を全く覚えていないレイラだからこそ言えることであった。
どうやらレイラの相部屋相手は百合でガールズラブでレズらしい。いや、それだけならまだ良い。それらの性癖や趣味嗜好は人それぞれであるし、寧ろ本人同士の承認があるのなら肯定されても良い愛の形だ。
しかし、この少女はかなり独占欲が強いらしい。とんでもない肉食系百合少女だった。ある意味、昔のレイラにちょっと似ている。この場合食欲ではなく、純粋な性欲魔人だが。
「どうしよう……きつね君の所に行こうかなぁ……でも大人しくしててって言われたし……この子の相手をするの絶対面倒臭いよ……♪」
「お姉さまぁ……こんな、こんなの……これも愛の形なんですか……ぁあんっ……濡れちゃいますぅ……♡」
レイラはとりあえずこの少女を瘴気で拘束してベッドに放り投げたのだが、少女はその状態のままびくんびくんと身体を跳ねさせている。息も荒く、紅潮したいやらしい表情を浮かべ、レイラを熱い視線でじっと見つめていた。
実際の所、レイラに彼女の言っていることは全く分からない。子供の作り方を教えて貰ったこともあるレイラであるが、今はその記憶が無いのだ。つまり、レイラにはこの肉食少女の言っている愛の形――つまり性交に関する知識は全くない。言われても全く分からない。
だからレイラは彼女に対して、関わると絶対に面倒臭いという感想こそ抱いたが、特に引いたりはしていないのだ。これからどう時間を潰そうかなぁ、程度の認識でしかない。
「……はぁ、この子食べちゃおうかなぁ……♪」
「食べる!? えへへへ……やぁっとその気になってくれたんですねレイラお姉さまぁ……! さぁ、さぁさぁさぁ! 早く私を食べて下さい……もうこの際私が受けでもいいですからぁ……! はぁはぁ……!」
「……うん♪ 面倒臭いし、きつね君の所にいこ♪」
「あっ何処に行くんですか!? きつね君って誰ですか!? 男!? 男なんですか!! 待って下さい! 駄目! 駄目です! 男なんて!! あんな汚らわしいゴブリンにも劣る下等な存在の下へ行くなんて!! ああっ! 駄目です!! レイラお姉さまぁぁぁぁあああああ――――」
ぱたり、扉を閉めてレイラは部屋を出る。半狂乱でレイラを引き留めようともがいていた彼女は、正直レイラも内心怖かった。あの必死の形相と本気で瘴気の拘束を引き千切ってきそうな迫力は、何とも言えない脅威を感じさせた。
レイラにはそれが何か分からないが、それが貞操の危機という奴であることに気がつく事は無かった。
「……さ、きつね君の所にいこう♪ どこかなぁ~♡」
周囲の新入生達の視線を浴びながら、レイラは廊下を歩きだした。




