人間を止める
人間を止めるという言葉の意味として、受け取れる解釈は様々だ。
まず単純に、人間という『種』を逸脱し、全く別の何かへと変貌を遂げること。
人間という種の中では限界があると感じ、獣人、魔族といった全く別の『種』へと身体を変貌させることで、人間を超えた力を手に入れる。それがこの場合最も分かりやすい人間の止め方だろう。
例を挙げれば、リーシェがそうだ。彼女の場合はやむを得ない事情ではあったが、人間から吸血鬼という種族へとその肉体を変質させ、圧倒的な能力値、及び使えない筈だった魔眼等のスキルを手に入れることが出来た。
結果論ではあるが、彼女は人間を止めてより強くなったといえよう。
次に、人間の身でありながら人間を逸脱した力を得ること。
人間という種族でありながら、その身に宿る力は全く人間とは呼べない代物。圧倒的な天賦の才を持ち、それを研鑽することで会得する事が出来る人外の力だ。Sランクと呼ばれる冒険者達は、おおよそそういった力を大小違うが持っている。
桔音であれば圧倒的な耐性値であるし、かつての屍音であれば世界を塗り変える様な固有スキルがそうだ。とはいっても、鍛え抜いた剣技そのものがそれに匹敵する場合だってあるし、特殊な武器をそれに相当させる場合だってある。
その身に宿る神秘であろうが、後付けの武装であろうが、磨き抜いた技術であろうが、それ自体で人間を超越することは―――十分、人を止めているといえる。
だからこそ、人外――人を外れた者と呼ばれているのだから。
桔音は、人間だ。人間として生まれたからこそ、人間として生きてきたからこそ、元の世界に戻る為に人間でなくなる訳にはいかない。どれほど化け物染みた力を手に入れたとしても、彼は人間のまま元の世界に帰る。
故に、桔音が考えている人間を止めるという言葉の真意は、どちらかと言えば後者だ。
人ならざる力を以って、人を逸脱する。
「……本当、見失ってたよねぇ」
呟く桔音、彼の足下には―――大量の死体があった。全てが魔獣の物で、しかし全く外傷がない。ただ彼らの口から例外なく溢れ出ている大量の血が、彼らが死んでいることを示していた。桔音は彼らの心臓だけを瘴気で潰したのだ。生物である以上、その生物としての核が存在する。ソレを破壊してしまえば、無駄に瘴気化せずとも殺すことが出来る。
桔音はそうして、大量の魔獣を……おそらく数十体はいる魔獣を殺していた。
「何も僕が勝つ必要なんてない、殺してやる必要も、攻撃する必要も、一切ないじゃないか」
桔音は呟く。もう空も暗くなってきた中で、そう呟く。
人間を止める、その言葉の意味は―――結局の所桔音が一番初めに言っていたことの実現だ。攻めず、護り、耐え、生き延びる。それだけが、桔音がこの世界でするべきことだった筈なのだ。それを、思い出した。
故に桔音は、勝利を放棄する。
故に桔音は、力を放棄する。
故に桔音は、ただひたすらに自分自身を護れる力を欲した。
そして出した結論は―――一次的な攻撃力を捨てることだった。
桔音の筋力は、名前を授けるという行為によってその伸び代をほとんど失っている。故に、彼自身が持つ攻撃力は殆どない。
だが桔音は考える。筋力値が下がってしまったことで、自分自身が得たモノとはなんなのか。
名前を授ける、たったそれだけのことで自分自身の能力値を大きく削られるなど馬鹿げている。名前を付けることで得られる筈の何かがある筈なのだ。そうでなければ、釣り合いが取れない。失うモノの大きさに対して、得るモノが少なすぎる。
そして桔音は理解する。
失ったからこそ伸びたモノがある。ソレが、"耐性値"だと。
筋力値を失って、桔音の耐性値は爆発的に伸びた。伸び続けて、現在においては最早他の能力値を大きく上回ったものとなっている。見た通り、桁違いの能力値差だ。
桔音は考え直して、この能力値差はおかしいと考えた。いくら適性があって伸び代があったとしても、これ程他の能力値と差が生まれてしまうのはいくらなんでも変だった。
そして一つの結論を出す。
「失った筋力値の伸び代分、耐性値の伸び代が伸びた……ってね」
桔音は、自分自身で言った戦闘法『防御によって死なない戦いをする』ということを、自分自身の攻撃力を代償に実現出来ていたということだ。
ならば、その他の能力値を捨てたらどうなるか―――その分、耐性値は上がるのではないか?
当然の結論だった。
しかし、桔音は考え直し、それをしなかった。そんなことをしてしまっては、桔音は護るだけで肝心の逃げる能力を失ってしまう。そんな愚かなことをするくらいなら、もっと有意義な力の得方をするだろう。
『それで、きつねちゃんはどうするつもりなの? こんなに魔獣を殺して』
「うん。色々と考えた所で結局さ、僕の力って人間の範疇から大きく逸脱しないんだよね」
『どういうこと? きつねちゃんの力は正直人間とは十分思えないよ?』
「それは人間の範疇で他と大きく差があるからだよ。考えてもみてよ―――」
―――ステータスなんて代物の数値に縛られている時点で、人間の範疇じゃないか。
桔音はそう言って、薄ら笑いを浮かべた。その言葉と笑みに、ノエルは悪寒を感じる。それはかつて桔音と敵対関係にあった時点でも感じた、幽霊としての恐怖の感じ方。魂レベルで感じる、人間には到底耐え得ることの出来ない恐怖だった。
ステータスの中に表示された、数字の羅列。ソレが今の人間達が持つ強さの指標で、ステータスという枠組みの中の強さだ。
桔音は元々ステータスの無い世界から来た。そもそもステータスが全く変動しない肉体などあり得ない。何故『鬼神』の副作用で長い期間ずっと運動をしていなかった桔音の能力値は一切下がらなかったのか、何故普通ではあり得ない頑丈さが、耐性値という能力値の数字が向上しただけでこれほどまでに高まるのか、
"普通"では――『あり得ない』のに
ステータスはまやかしだ。人間が作り出した強さの限界、枠組みなのだ。桔音はそれに気がついた。切っ掛けは幾つかあった、大魔法使いのステータスを覗いた時、ルルの『星火燎原』発動時のステータスを覗いた時、そして最強ちゃんの規格外な強さだ。
大魔法使いのステータスを覗いた時、桔音は内心で驚いていた。何故なら、彼女のステータスには"能力値がなかった"からだ。スキルも見えず、名前だけが見えた。ステータスなんてものは一切見えなかった。
ルルのステータスを覗いた時、今にして思えば?という表示はおかしいと思えた。数値が確定しない状態で、あんなにも動きまわる事など出来はしないだろう。何故なら、?という表示は裏を返すと、0でもあり、数百万でもあるということなのだから。
そして最強ちゃんの規格外な強さ。アレは最早ステータスの範疇を超えていた様にも思えた。桔音の攻撃力は……というか『武神』の攻撃力は、魔王であっても命を失ってしまうような威力を誇るモノだ。それを拳で破壊し、あまつさえ桔音が動けなくなるほどのダメージを桔音に与えた。
つまり、『武神』の威力を打ち消して尚あまりある攻撃力の拳だったということだ。そんな拳が、ステータスを逸脱したものでなくてなんだというのか。
「言ってみれば、ステータスなんて常識をかなぐり捨てて……出来ることが出来ている、ってのが最強ちゃんやアシュリーちゃんの強みだと思うんだよね。ルルちゃんは、一時的とはいえその領域に達したってことなんだろうけど……それはつまり、スキルでそれが出来るってことだ」
『ふーん……すてーたすが何なのかはまぁ、なんとなく分かるけど、つまりきつねちゃんは何をするつもりなの?』
「あはは、勿体ぶるつもりはなかったんだけどね……うん、だから僕はスキルでステータスをぶっ壊そうと思うんだよ」
スキルでステータスをぶっ壊す、使うスキルは勿論『初心渡り』である。
桔音は、ステータスの数字ではなく――ステータスという概念そのものに時間回帰を使うつもりなのだ。桔音は自分にステータスが無かった時代を知っている。知っているなら、戻せる。ステータスを打ち壊し、数字に囚われない強さを手に入れるつもりだ。
しかしこれは賭けでもある。
ステータスという概念を回帰し、存在しない状態に戻したとして、それは桔音の思っていた通りの強さを与えない可能性がある。その概念に包まれていた力そのものも、存在しなかったことになるかもしれないからだ。
そうなると、桔音は最早強さどころか弱さしか残らない存在となるだろう。そして、ステータスが消えてしまった以上それは戻すことが出来ない。
人間を超えた強さか、強さを放棄した弱さか、そのどちらかを手に入れることになる賭け。
それに勝って初めて、桔音はアシュリーや最強ちゃんと同等の領域へと入ることが出来るのだ。まぁ、攻撃力は恐らく皆無となるだろうが。
『本当にやるの?』
「ま、スキルは残るだろうから……最悪戦闘手段が無くなることはないでしょ」
『……そっか、まぁよわっちくなったら私が護ってあげるよ! ふひひひっ……♪』
ノエルの言葉にありがとうと返し、桔音は更に現れた魔獣を殺した。現在桔音のステータスはおよそ元の倍程に向上している。ステータスを壊す前に、出来るだけ内包する力を向上させておこうと考えての行動だ。
そして、周囲に魔獣がいなくなったことを瘴気の空間把握で確認し―――桔音はソレを始めた。
―――『初心渡り』発動
自分自身の中にあるステータスという概念を対象に、桔音は自分自身の数字の枠組みの時間を回帰させる。存在が存在しなかった時点まで巻き戻っていく――中に内包した数字化された力には触れることなく、それを押しこめていた枠組みを消失させていく。
そして、その枠組みに抑え込まれていた力は、桔音の身体全体へと溢れ出て行き……そして肉体の筋繊維の1本1本に、神経の隅々に、身体の奥底から肌の表面までソレが馴染み、沁み込んでいく。
まるで檻の中から解放された鳥の様に、自由自在に飛び回ることが出来る青空を手に入れた様に、その力は歓喜の叫びをあげながら桔音の身体の中を駆け巡った。
「ぐっ……ぅ……う……ぐぅぅぅ………!!」
だが、桔音はその力の暴走とも言える体内の蹂躙に、苦悶の声をあげる。人間としての力、桔音は『鬼神』というスキルでその可能性の限界まで引き出した経験がある。あの力ですら、ステータスの枠組みに抑え込まれていた力、それが一気に溢れだしたのだ――桔音の肉体が、弾け飛んでもおかしくはなかった。
しかし桔音は耐える。最強の領域が甘くは無いことくらい、分かり切っている。これ位やってのけなければ、元の世界に帰れないのだ。帰る前に、殺されてしまうのだ。
課せられた運命とやらが―――桔音の敵だった。
そんなものに負けるのは、桔音の命が許せない。黒と赤の虹彩異色が変化していく。赤かったレイラの瞳が、元の黒さを取り戻して行く。人間としての力が、魔族の一部を浸食し、人間という力で塗りつぶして行く。血を吐き出し、弾け飛びそうな身体を抑え込む。
立っていられない程の激痛が走りながらも、桔音は『初心渡り』を発動し続けた。
そして―――
『ッ―――!? きつねちゃん!!』
ノエルの呼び掛けと共に、桔音の『初心渡り』が発動を終える。ソレは成功したのか? それとも失敗だったのか? それすら分からない。
何故なら、桔音はまるで意識を何者かに持って行かれた様に……倒れたのだから。
そして桔音は意識を失う直前に聞いた、聞き覚えの無い声を。
―――本当に面白いねぇ、君は。




