家族から異性へ
ルルちゃん回です。屍音の狂気で雰囲気が暗くなってしまったので、ルルちゃんが癒してくれました。
ルークスハイド王国を出発してから約三日が経った。
休憩を挟みつつ瘴気の船は進み続け、桔音達は目的地であるクレデール王国の国境線へと辿り着こうとしている。ルークスハイド王国の領土が広いこともあったが、クレデール王国の領土に辿り着くまでに別の国の領土も挟んでいるのでそれなりに時間が掛かった。
ようやく辿り着いたクレデール王国への国境線。この国境を超えればクレデール王国の領土に入る故に、後は点々とクレデール王国領に点在する街を移動しながら王都へと辿り着けばいい。おそらく、日を跨がない内に辿り着くことが出来るだろう。
だが、桔音はそんな順調な旅の中で……クレデール王国に近づくにつれ、なんだか不穏な空気を肌で感じ取っていた。ピリピリと何か嫌な気配がする。感想としては、「ああまたか」というものなのだが、またもや面倒な存在が目の前に現れる気がしてならない。
桔音の運命力を考えれば、面倒事が起こらないという方が可能性としては奇跡的な程なのだが、それでも面倒が起こると最初から感じ取れるというのは、中々憂鬱になるというものだ。
今度は何がくるんだ? と思いながら、出来る限りの想像をしてみる桔音。
可能性としては、魔族は除外されるだろう。最も厄介な魔王と屍音はどうにか始末しているわけで、それ以外の魔族が出てこようがそれほど脅威ではない。
ならば、使徒達の組織の内の誰かがいるか、はたまた最強ちゃん並とは言わないが、追随する実力を持った何者かがいる、かだ。今までの例を考えれば、命の危機を齎す脅威的な存在が訪れるのが通例だ。だから桔音は、どうせ自分の耐性値を貫いてくる様なバグ敵が現れるのだろうと思う。
しかし、今回はそうではなかった。
クレデール王国の国境線、そこを超えてクレデール王国の領土へと入った桔音達を迎えたのは、脅威的な存在でもなければ、桔音に命の危機を齎す様な存在でもなかった。
草原を抜け、林を抜け、辿り着いたのはクレデール王国領の国境線に存在する村。
だがそこに村と呼べるものは存在していなかった。地面には焼けた様な跡と共に黒い炭となった何かが放置され、建物は全て燃え尽きたか破壊された酷い有様、腐った様な臭いと共に空気を淀ませているのは、死体の数々だった。しかも、死体は人間のものか、魔族のものなのか、種族すら分からなくなった白骨死体ばかり。おそらく腐った肉が土も腐らせたのだろう。
剣で刺殺された者も居れば、四肢を切り取られている者もいる。首を切り落とされた者や、一瞬で焼き殺されたのか炭化した者、死に方はそれぞれ違うものの……全員共通して、『誰かに』殺されていた。
様子を見る限り、この惨状になってから少なくとも1年から3年程の時間が経っている。なのに放置されているということは、クレデール王国領の端に存在している小さな村故か……それとも国王がわざと干渉していないのか、だ。
瘴気の船を村の入り口で停めて、村へと下り立った桔音。死体の腐敗が酷くて、正直淀んだ空気だが……ともかく桔音は此処で起こったことを確認するべく、生存者がいないかどうかを確認することにした。瘴気を展開して、この村全域で空間把握をする。すると、生存者は誰もいない事が分かった。
「何があったんだろう……この村で―――」
桔音がそう呟いた次の瞬間だった……桔音の横を、小さな影が通った。視線を向けると、そこにはルルがいた。船から下りて来た様だ。臭いに敏感な彼女のことだ、この腐敗臭を感じて下りて来たのだろう。
しかし、様子がおかしい。顔が青褪め、言葉が出ないという表情をしていた。開いた口がぱくぱくと動き、言葉が何も出て来ない様だった。怪訝に思った桔音は、ルルの肩に手を置いて話し掛ける。
「ルルちゃん?」
「ッ!?」
すると、びくんと身体を振るわせて、カタカタと身体を震わせながらルルは桔音の方へとゆっくり視線を移動させた。瞳が恐怖に揺れているのが分かり、血の気が引いているのかルルの身体は冷たかった。
「き、きつね……さ、ま……!」
「……大丈夫、怖くないよ。僕が付いてる」
尋常ではない様子に、桔音はルルを抱き締める。ルルの様子は、奴隷商から彼女を購入したあの日よりも絶望に満ちていて、その身に秘めたステータスが嘘であるかのように弱々しく、触れれば壊れてしまいそうだった。
故に、桔音はルルの頭を撫でながら震える背中をぽんぽんと叩いて落ちつかせる。何があったのかは分からないが、炭化した者や比較的綺麗な白骨死体を見ると、彼らは獣人であることが分かる。耳や尻尾があったからだ。ならば、他のもおそらく獣人なのだろう。
ルルとしては、獣人の死体が大量に転がっているこの惨状が同じ獣人として恐ろしかったのかもしれない。
もしくは―――と桔音は1つの可能性を考え、眉を潜める。
「……うっ……ぅぅぅ……!」
桔音に抱き締められたルルは、その両手を桔音の背中に回して、ぎゅっと力強く桔音を抱き締めながら泣いた。唸るような声を上げ、桔音の胸に顔を埋めながら静かに泣いた。じんわりと桔音の胸を濡らす涙が桔音の考えを裏付けている様で、やっぱりそうなのか……と桔音は表情を曇らせる。
そして、桔音はその可能性を涙を流すルルに言った。確信はない。けれどルルが流した涙の理由、獣人の村の惨状、ルルの今の立ち位置を作り出した過去、ソレを考えれば此処は――
「……此処が、君の生まれた村なんだね……ルルちゃん」
―――ルルが生まれた村である可能性があった。
桔音の言葉に、ルルが涙を流しながら頷いた。
言葉はなくとも、その頷きだけで桔音はルルの想いを受け止めた。桔音は故郷へと帰ろうとしている異世界人……しかし、ルルはその故郷すらも失っていた。最早彼女の故郷には、彼女を知っている者も、彼女のただいまを受け止めてくれる者も、存在していない。帰るべき家ですら、壊れて風化してしまった。
幼い頃に失った故郷への、物心付いて間もない頃に奪われた光への、家族と過ごした幸せがあった筈の場所への、大切だったものが壊された想いが溢れて、ルルに涙を流させた。
もう泣かないと決めていたのに、桔音の腕の中でさめざめと泣くルル。
仕方ない、と桔音は思う。ルルにとっては、母親も父親も、優しく大好きだと思える大きな存在だったのだろう。母親に何も思わない桔音には理解し難いものがあるが、そういうものなのだとは分かるのだ。
まして、ルルは未だ生まれて12年……物心が付いた頃からでいえばおよそ7、8年しか経っていないのだ。桔音と家族となったからといって、本来の家族と決別するには……まだまだ幼い。しかも、今の彼女には桔音との思い出も思い出せないのだ。家族を失ったという事実は、今の彼女にはまだ記憶に新しいこと。
家族を恋しく思う彼女にとって、故郷に戻ってきたという想いと、帰る場所がなくなっていたという現実は、あまりにも辛い。
「うぁぁ……! っ……ひっ……!」
「……大丈夫、大丈夫……」
止め処なく溢れる涙を受け止めながら、桔音はルルの身体を抱き締め続けた。泣きやむまで、ずっと、大丈夫だと、自分が一緒にいると、何度も言い聞かせながら。
◇ ◇ ◇
「……もう……大丈夫です……きつね様」
「そう、無理はしないようにね」
泣きやんだルルは、桔音にそう言って離れた。桔音はルルを抱き締めていた腕を放し、彼女の頭をぽんぽんと撫でながら立ち上がる。びしょびしょに濡れた学ランを、『初心渡り』で乾いた状態に戻しつつ、『死神の手』を握る。そして発動させたのは、『初神』。
どうするつもりなのか、と目を赤くしながら鼻をすんと鳴らすルルが首を傾げるが、桔音はふと微笑みながらルルの頭をぽんと撫でて、足を進める。
手近の死体に近づいて、その死体に白く輝く時間回帰の太刀を突き刺した。
すると、白骨死体は見る見る内に時間が回帰していき――そして元の綺麗な肉体へと戻った。服も一緒に貫いた故に、ボロボロになった服もしっかり綺麗な状態へと戻っている。死体が生き返る訳ではないけれど、せめて桔音はルルの故郷の人達を元の綺麗な状態に戻してあげることにしたのだ。
ソレを理解したルルは、桔音に近づいてこつんと桔音の胸に額を付けた。そして今度は悲しみではなく、温かい感情が胸を満たしたのを表すように、一筋の涙を流した。ふと緩んだ口端が笑みを作り出し、涙に濡れた瞳は桔音の優しさを受けて柔らかく揺れた。
「ありがとうございます……きつね様……」
「良いよ、僕と君は家族だ……大事な家族が泣いてたら、僕はその涙を止めるために全力を尽くすだけだよ」
「……ずるいです、きつね様」
「なんで!?」
ルルは桔音の顔を見ず、桔音の胸に顔を隠しながらずるいと言った。そのことに桔音は困惑したが、すぐ後にふふとルルの笑い声が聞こえて来たので、特に怒っているわけではないと分かった。
桔音からは見えなかったが、俯いていたルルの頬は少しだけ紅潮していた。嬉しそうに微笑み、胸を満たす温もりにとくんと心臓が鼓動したのが分かった。
ルルの身体は今、中学生程の年齢まで成長している。
小学校低学年程度の肉体年齢のまま生活していた頃は、桔音の事を家族として親愛の情を深めていたルルであったが、肉体と精神は密接に関係しているという事実がある以上、幼い肉体であった彼女が男を意識しなかったというのはある意味当然のことであった。
男性を必要としていない成長段階の肉体は、特に性別を意識したりしない。故に優しくして貰ったり、凄いと思っただけでソレを好きだと思いこみ、恋愛だと思ってしまう場合が多々ある。父親と結婚する、という発言をしたりするのもおそらくはそのせいだろう。幼い自分に最も優しくしてくれる男性は、何を隠そうその子の父親なのだから。
故にルルもそうだ。桔音と家族となった時から、彼女には桔音が兄の様に見えていた。家族として大切で、護るべき大切な絆なのだと。
しかし、今の彼女は中学生程度の肉体年齢にまで成長し、所謂獣人の第二次性徴を終えた肉体なのだ。それはつまり男性を意識し出す思春期に入ったということであり、それに連なって成長した精神を得た彼女は、最も近くにいる男性である桔音を意識し出すのだ。
簡単にまとめると、購入された当初であれば、桔音と共にお風呂に入ったり一緒に寝たりすることも容易に出来たのだが、今の彼女は恥じらいと共にそれを遠慮しだしたということだ。思春期ルルである。
そんなルルに、最早家族以上の好感度を会得している桔音がこんな優しさを見せたらどうなるか。
「きつね様」
「ん?」
「大好きです」
「? そっか、僕もルルちゃんが好きだよ」
にっこり笑って告げたルルの言葉に、桔音は首を傾げながらもそう返した。いつも通り、家族としてという認識のままでいる桔音に、ルルはふふふと笑う。
桔音との記憶は未だ封印されたままだ。だが、ルルはその記憶を取り戻したいと心の底から思った。その記憶は、きっと自分にとって絶対に必要なものだと思うから。桔音との絆は、全て抱えて歩きたいと思えたから。
肉体的にも精神的にも成長したルルは、家族と過ごした故郷を訪れて、その惨状に絶望し、新たに結んだ絆に救われ、その優しさに恋をした。
しかし、勘違いしている桔音にルルははっきりと明確に想いを伝えはしない。レイラという、好きだ好きだと普段から素直に気持ちを言葉にする存在を見ているからか、想いを素直に言葉にすることはそれほど恥ずかしいとは思っていない。
だが、自分はまだ桔音にとって家族で、護るべき対象でしかない。幼い自分ではあるものの、それはしっかり理解していた。
だから、ルルはその気持ちを胸の中に収めておくことにした。少なくとも、桔音との思い出を全て取り戻すまでは。
「(大好きです、きつね様――)」
心の中で同じことを呟き、ルルは桔音の手を握った。
「ん? どうしたの?」
「なんでもないです」
手を握られて桔音がルルの方を見るも、ルルはそれをはぐらかした。今までなんでも素直に伝えていた幼いルルはもういない。彼女は成長し、桔音にウソを吐くことをし始めた。それは悪く、騙そうとする嘘ではなく、気持ちを隠しながらも表情や行動には嘘を吐かない――嘘ならざる"ウソ"。
今はまだ桔音にとってルルは家族……ならソレはそれで良い。
家族なら、手を繋ぐことも、一緒に寝ることも、抱き締めたり、頭を撫でて貰うことも、おかしいことじゃないのだから。
「(今はこのままで良いです……貴方が私を家族に置くのなら――私はそれを利用して精一杯甘えちゃいます)」
そう思いながら、ルルは首を傾げる桔音に今まで見せたこともないような、小悪魔チックでほんのり大人な色気を醸し出した、しかしそれでもとびきり可愛らしい笑顔を浮かべたのだった。
思春期ルルちゃん。




