出発と悔恨の餞別
屍音が生きている。
フィニア達の記憶は中途半端な状態。
屍音の仲間である魔族達は行方不明。
様々な問題は残ったものの、桔音達は新たな一歩を踏み出す為の準備が整った。一区切り付いたとも言えるこの状況で、やるべきことは多い。フィニア達の記憶を取り戻すこともそうだが、屍音の処遇やその仲間の所在を突き止めることもしなければならない。危険はなるべく排除するのが桔音のやり方だ。
しかし、そのどれもが今すぐに出来ることではなかった。魔族達の居場所を知ることも、フィニア達の記憶を取り戻すことも、出来ない。
ならば、だ。桔音はこんな瑣末な――いやまぁ瑣末な問題ではないけれど――問題に足を止めてはいられない。先に進むことこそ、桔音の生き様で、生きる世界を求める意志の強さとなる。
「教育国家、『クレデール』に向かおうと思う」
宿に帰って来てから、桔音はルルとリーシェにアリシアから聞いた話を伝えていた。これからの方針と、行動の決定事項を伝えてから、行動を開始しようとしているのだ。桔音としては、フィニアやレイラ、ルル達への違和感は一端放置しておくことにして、出来ることから始めることが最善だと思っている。
教育国家『クレデール』
歴史上、多くの英傑を輩出している国家の1つでもあり、冒険者ギルドもそれなりに大きい国だ。
ルークスハイド王国は冒険者に対するシステムがかなり整っているが故に、アリス・ルークスハイドを初めとして、多くの高ランク冒険者達を輩出しているが、クレデール王国は違う。この国では冒険者というよりも騎士や魔法使い達の方が高い実力を誇っているのだ。
何故なら、騎士道や魔法を幼い頃から教えている国だ。冒険者よりも騎士や魔法使いとなる道が大きく開かれている国で、わざわざ冒険者になろうと思う子供もそういない。もっと言えば、子供が小さい頃より騎士や魔法使い達が周囲にいることになるのだから、格好良い騎士達を見て育てばそれは憧れの1つや2つも抱くというものである。
だが、だからといって平和かつクリーンな国というわけでもない。
この国は騎士が多いが、その分貴族と呼ばれる存在も多く存在している。騎士が多いということは、騎士が使える場所も多いということに他ならないのだ。まぁ、実力の高い者は大体国王お抱えの王宮騎士として雇われるので、多くの貴族達の屋敷に仕える騎士達は大体中堅クラスの実力者達になるのだが、騎士達の実力が伸びて行くのは何処かに仕えてからというのが普通なので、あまり不都合はない。
王族お抱えの騎士よりも有能に育ち、後に英雄と呼ばれた騎士も歴史上には数多く存在するのだ。結局、最初に何処に仕えたかではなく、騎士として強い意志を持ちながら鍛錬を重ねた者が強くなるのだろう。
そして、そんな騎士達と同様に、魔法使いとして大成する者もいる。魔法適性の高い者はそれだけ魔法使いとして有能なのだから、当然といえる。
しかし、貴族が存在すると同様に、平民も存在するのが国というものだ。
そして、何処の世界にも上下関係を重んじる馬鹿は存在する。自分の方が優秀、平民は自分達に頭を下げているべき、それが貴族の在り方として広く浸透しているのも事実だ。優しく善良な貴族もいることにはいるが、やはり汚い貴族というのは多く存在する。これがこの国のクリーンではない一面だ。
「クレデールか……私の居たミニエラとは違って、教育国家の他に騎士道国家とも呼ばれている国だな……一度行ってみたいとも思ってたんだ」
「きつね様が行くのなら、異論はありません」
桔音の言葉に、リーシェもルルもそう言って肯定した。
全員の肯定も取れた所で、桔音はささっと荷物を纏める。アイリスに貰った『魔法袋』はやはり便利で、荷物をこの中にぱぱっと入れてしまえば荷造り完了なのだから良い。部屋の中を軽く掃除して綺麗にしてから、桔音は『死神の手』を手に持つと、瘴気で縛り上げた屍音を瘴気で持ち上げ、そのまま運ぶ。
「歩かせろー! 私を物みたいに運ぶなー!」
「うるさいよ屍音ちゃん。今の君は罪人で、僕にとっては邪魔な荷物でしかないんだ、大人しくしなさい」
「私にこんなことして良いと思ってるの!? 死ねー! おにーさんなんか死ねー! 出来るだけ残酷かつ悲惨な形で塵屑の様に汚い姿で死ねー!」
「大分詳細に言うな小娘」
ぎゃーぎゃーとうるさい屍音に、桔音はさらりと一蹴した。魔王の娘もこうなっては形無しという奴だろう。アレほどまでに狂い、アレほどまでに厄介だった魔王の娘、正直こうなるとは思えなかったものの、やはり彼女の狂気はあの強さあってこその圧倒的力押しだ。
力を失ってしまえばある程度抑制も利くし、あまり無茶苦茶が出来ないのだから、桔音としても都合が良い。
「じゃ、行こうか」
桔音は部屋をそのまま出て行き、屍音はじたばたと足掻きながらも瘴気で運ばれていった。その後ろからレイラ達も続き、宿をチェックアウト。
そのまま、桔音達はルークスハイド王国を発つ為、外門へと向かった。
◇ ◇ ◇
外門へと辿り着いた桔音達を待っていたのは、第1王女――オリヴィア・ルークスハイドだった。
「オリヴィアちゃん……? どうかしたの?」
桔音は少しだけ驚きつつ、オリヴィアに視線を向けた。
彼女はニヒルに笑いながら、勝気で強い意志の籠った瞳で桔音の視線を受け止める。王族だからといって変装するわけでもなく、いつも通り綺麗な金髪をさらりと流し、キラキラと太陽の光を受けて反射する黄金の王冠が頭で煌めいている。アリシアに勝るとも劣らない風格と王の覇気は、アリシアにアリス・ルークスハイドの魂が宿っていなかった場合、彼女こそが女王としてこの国を統治していたのだろうと確信させる。
オリヴィアはその背に大袋を背負っており、すらりと長い脚を動かして桔音に近づいてきた。姉御肌である彼女は、王としては異様に親しみやすく、女としては男勝り故に付き合い易い性格をしていると言える。
「よぉきつね、お前がこのルークスハイド王国から旅立つとか聞いたから――餞別に来たぜ」
「おや、それはありがたいね。見送りなんて初めてだよ」
「ま、私はあまりお前と絡んでなかったからな。最後くらいは話をしとこうと思っただけだよ……ほら、私影薄かったじゃん?」
「涙目になって言わなくても……いやいや、オリヴィアちゃんも結構印象的だったって」
オリヴィアは自分の影の薄さを気にして登場したらしい。なんとも悲しい登場理由だ。涙目で乾いた笑いを漏らすオリヴィアに、桔音は軽く励ましの言葉を送った。
その言葉を聞いたオリヴィアは気を取り直して、桔音に持っていた大袋を渡した。中には簡単な食糧に加え、お金と数冊の書籍が入っており、更には封筒が数枚あった。これはなんだろうと思い、桔音はオリヴィアの顔を見る。
オリヴィアはその視線に気づくと苦笑しながら説明した。
「ま、その餞別は私と妹達からだ。食糧と金はそこの魔王の娘? を無力化した報酬ってことで……本はアイリスが図書室で見つけた異世界に関する記述のあった書籍だとさ。で、封筒だが……まぁクレデール王国の城を訪ねることがあればってことで紹介状で1つ、あとは2人からの手紙が入った封筒が2つだな……ま、私からは直接伝えるからない。手紙を書くのは苦手なんだ」
「成程……つくづく至れり尽くせりで嬉しい限りだねぇ」
桔音はオリヴィア達からの餞別を聞いて、色々と世話になるなぁと感謝の気持ちを抱いた。少々世話になり過ぎかもしれないと思ったが、桔音は桔音で色々と国の為になる様な事をいっぱいしてきているので、まぁお互い様かなと考え直した。
貰えるものならと桔音はその大袋を受け取り、とりあえずは『魔法袋』に収納した。手紙や書籍に関しては後々読むことにしたようだ。
そして、オリヴィアへと視線を向ける。すると、オリヴィアは桔音に対して湿っぽいのは苦手だとばかりに笑みを浮かべた。それほど絡んだ覚えもない両者ではあるが、ある意味桔音と最も近いのはオリヴィアなのだろう。考え方は違えど、目的とその為に取る手段の判断がしっかりと見据えることが出来る人間故に、両者は少しだけ似ている。
「んー、なんと言えば良いかな……そうだな、まずは感謝してる、と言っておくよ。アリシアもアイリスも、お前が来てから随分変わった。可愛い妹が成長して、超可愛くなっちゃったぞ?」
「あはは、期待に添えた様で良かったよ」
オリヴィアのシスコン発言に、桔音は軽く笑う。
すると、笑っていたオリヴィアは自嘲した様な表情を浮かべて続けた。
「実際、私はアリシアが生まれるまでは王位継承権第1位だったからな……アリシアのとんでもない鬼才を目の当たりにするまでは、必死に私がこの国を背負っていくんだって躍起になってたんだ。けど、今じゃこの有様だ……王位継承権を失った私は、正直国のお荷物と言っても良い。居ても居なくても大差ない……本当なら他の国との政略結婚とかに使われて、とっくの昔にこの国から他国に嫁入りしててもおかしくはないんだ」
「でもそれはアリシアちゃんが許さないでしょ?」
「ああ、あの子は私に来た政略結婚の申し込みを全部切ったよ。んで、そのことを問い詰めた私に、こんな政略結婚などしなくとも、この国は衰退させないと言い切った。末恐ろしい子だよ、妹ながらにあの才能は凄まじいとしか言えない……だから私はあの子の味方で、あの子が困った時に支えてあげられるお姉ちゃんでいようと決めたんだ」
オリヴィア・ルークスハイド。第1王女にして、女王となれなかった存在。アリシアという存在を見たことがあれば、彼女はアリシアの劣化版としか見られない。ルークスハイド王国内では違うだろうが、他国からはただの王位継承争いから落ちた王女にしか映らない。
ソレを護ったのがアリシアであり、ソレを支えようと決めたのがオリヴィア。女王になれなかったことに悔いはないけれど、それを決意したオリヴィアとしては、今回桔音によって救われたモノは決してオリヴィアにはどうにも出来ないことだったことが、少しだけ悔しくもある。
桔音がいなければ救われなかったアリシア。桔音がいなければ図書室に籠り切りだっただろうアイリス。両者を良い方向へ成長出来るよう導いたのは桔音であり、オリヴィアではない
「だから、お前には感謝してるよ。ありがとうきつね―――妹達が世話になったな」
その悔しさを呑みこんで、オリヴィアはただただ桔音を讃えた。大した奴だと、認める様に。
「……どういたしまして」
「伝えたかったのはそれだけだ―――あぁでも、妹達が欲しいっていうなら……お姉ちゃん容赦しないからな」
「あはは、心に留めとくよ……」
桔音はその気持ちを汲んで短く返したものの、いつもの調子に戻ったオリヴィアに、台無しだと苦笑する。
結局、オリヴィアは第1王女である以前に、シスコンの頼れるお姉ちゃんなのだった。




