終わり
お人形遊びから始まって、屍音ちゃんの猛攻が始まった。
最初にこの空間で気がついた事は、まず一部スキルが封じられているということだ。スキル封じとは、凪君のスキルにも似てはいるけれど、この場合彼女が発動を認識出来るモノに限るらしい。その証拠に、既に発動していた『鬼神』は発動したままであるし、『不気味体質』も発動が可能だった。
つまり、彼女の目に見える形で発動するタイプのスキルは発動不可ということだ。ソレは、瘴気が展開出来ないことを示している。アレは目に見える形で発動するタイプのスキルだからね。それに、どうやら魔眼の方も発動出来ないようだ。今は『鬼神』のおかげで目は蒼いんだけど、魔眼も瞳の色が変わるからね、発動は出来ないらしい。
おそらくだけど、通常状態のままこの空間に入った場合は『鬼神』の発動も出来なかったと思う。今発動しっぱなしってことは、この空間内に入った瞬間から、新たにスキルの『発動』は出来ないということなんだろう。
時間もあまり多くは使えない。この『鬼神』状態は、長く使えば使う程後々の反動が痛いんだ。それに、忘れがちだけどこの状態になったら自動的に『臨死体験』も発動している。今はまだ『鬼神』の方を対象に耐性値を上げてるから、正直屍音ちゃんの攻撃は一切効かないんだけど、早い所決着を付けないと、僕自身が自滅する事になる。
「アハハ、此処は私のせかーい、だからぁ……おにーさんは、『立っちゃダメ』」
「ッ!?」
「うふふ、えらいえらい……ちゃんとお座り出来たねぇ?」
屍音ちゃんが僕に立ってはいけないと言った瞬間、足からガクンと力が抜けた。傷付いた様子も無く、感覚が無くなった訳でもない。ただ、力を入れようとしても足に力が入らなかった。なんてこった、此処では彼女の言葉通りの事象が起こるってことか?
こりゃ不味いな、なんていう気狂いバグ魔族だ……レイラちゃんより性質が悪いぞ。空間系の固有スキルを持ってる女は皆こうなのか。巫女といい屍音ちゃんといい、厄介な。
屍音ちゃんは僕の目の前まで歩み寄って来ると、座ったことで彼女の腰ほどまでに頭の位置を下げている僕の顔を覗きこむ。腰を折って上半身を倒すように僕の目の前に顔を持ってくると、僕の顔に両手を添えた。
危ないとばかりに僕は両手で屍音ちゃんの身体を突き飛ばそうとする。しかし、僕が動き出すよりも速く、彼女の口が言葉を紡いだ。
「おにーさんはお人形さん……だから勝手に『手を動かしちゃダメ』」
「な……ッ……くっ……!」
今度は両腕も動かなくなった。肩から下がまるでぶら下がっただけのように動かない。どうしたものかな……ピンチにも程がある。
僕の心情が分かったのか、彼女は楽しそうに嗜虐的な笑みを浮かべる。とても楽しそうだ。くそぅ、何をどうしたらいいんだ。
「いーコト思い付いた! ねぇねぇおにーさん、これからおにーさんの身体をちょーっとずつ、ゆっくりゆぅっくり傷つけて行くから、おにーさんは命乞いしたくなったら言ってね? まぁ聞いてあげるかは別だけどね?」
「あ、じゃあすいませんでした。僕が悪かったよ……だから命だけは助けてくれない?」
「命乞いが早いよおにーさん……でもダーメ☆ 許してあげなーい」
やっぱり駄目か、命乞いも意味がなさそうだ。殺すとか言ったものの、この子本当に規格外だ。格が違うとかそういうことじゃない……格を比べちゃいけない相手だ。しかも、これでまだ伸び代があるっていうんだから笑えない。
すると、彼女は人差し指をピンと立たせて、ソレを僕の肩から胸のあたりまでつぅーっと滑らせた。
一拍後、彼女がなぞった部分が鋭い刃で切られた様に斬れた。ぷつっと溢れた血によって皮膚が破れ、真っ直ぐな線の傷が生まれた。そして大量に血が噴き出す。痛みは感じないけれど……どういうことだ? 僕の耐性値を貫いてきた……!? まさか、ステータスも関係ないのか? この空間内では……!
彼女が斬ろうとしたのなら、ソレは斬られるし、耐性値も関係ない? 本当にこの世界では彼女の想ったことが起こるってことなのか?
「……あれあれ? 痛くないの? おっかしーなぁ、結構ふかぁーく抉ったつもりなんだけどなぁ?」
「まぁね、男の子はホラ、根性で色々我慢する生き物だから」
「ふーん……じゃあ、おにーさんは『ちょっとの傷でも激痛を感じないとダメ』」
「ッ……ぐ、ぅぅ……!!?」
屍音ちゃんが不満気に唇を尖らせた後、思い付いた様にそう言った瞬間、僕は全身に走る猛烈な激痛を感じた。肩から胸を深く抉ったと言っていたのが良く分かる……肩から先が外れそうだ。流石に大声をあげることは無かったけれど、正直今まで感じた痛み以上の激痛だ。痛覚まで思いのままかこの野郎。
この空間内に在る物全て、彼女の思いのままってことか……僕の身体の痛覚もそうだけど、肉体強度、行動、全てを操作出来る訳だ。唯一操れないものと言えば、僕の『初心渡り』が干渉出来ないのと同様に、心といったところか。
すると、屍音ちゃんが僕の身体に次々と指を這わせた。手の甲から肘、腿を一回り、お腹から鳩尾までと、次々と僕の身体に切り傷が生まれていった。その度に、僕は激痛に表情を歪ませた。
「ぐ、ぅ、ぅぅぅぅぅうううぅぅ……!! ギ、ィ……!」
歯を食い縛って、僕は痛みに耐える。正直、全身痛くて動けたとしても動けないわコレ。痛すぎる。超痛い。
「アハハハッ! 痛い? 痛い?」
倒れる僕の背中を、彼女はドスッと足で踏み付けて来た。瞬間、メキメキと身体が軋む音が聞こえる。骨が悲鳴をあげている。そしてバキっと何本か骨が折れた音がした。
くっそ、コレ本当にまずいぞ……『初心渡り』で治そうとしてるんだけど、全く言うことを聞いてくれない。発動しない。多分、傷が消える瞬間が見えるから発動しないんだろう。その証拠に、骨の方は体内で見えないからか『初心渡り』で治すことが出来た。発動の鍵は彼女に知覚されるかどうかで間違いないらしい。
激痛の中で僕は思考する。
どうやらこの世界では彼女の認識が全て。相手の防御力が高いと分かれば、ソレを貫くことが出来るし、視認出来れば相手の肉体に干渉することも出来る。スキルも彼女が発動の瞬間を認識することが出来れば、発動すること自体封じられる……相手の五感にまで干渉出来るとなれば、脅威としか言いようがない。
「あれ? 骨折ったんだけどなぁ……治ってる? あれれ? おにーさんダメだよぉー? 治しちゃ」
「ぐ……ぅ……!」
「あ、そっか! おにーさんの意識があるから無駄な足掻きをするんだよね! じゃあじゃあ――おにーさんの意識を失くせば良いんだ」
不味い、と思った瞬間には遅かった。
「ガッ……ァ……!?」
「アハハッ☆」
彼女の拳が握られ、即座に僕の後頭部を打った。地面と挟まれ逃げられない衝撃が、僕の意識を大きく揺さぶる。視界がぐらりと一回転したかと思えば、真っ赤に染まっていき、そして上下も左右も分からなくなった状態の中、更に後頭部を彼女の拳が打ったらしい……僕の意識は、闇へと沈んで行った。
◇ ◇ ◇
この世界に来てから、いや生まれてから今日まで……およそ3度目の感覚だ。
深い海の底へと沈んでいく感覚。死へと近づいて行く感覚……いや、今回はどうやら死へと近づきつつも浮き沈みしている。これが生死の狭間を彷徨う感覚ってことなのかもしれない。
もしかしたら、『臨死体験』が発動して急速な回復を齎しているのかもしれない。でも耐性値の治癒は傷の修復であって、回帰ではない。失った血は戻って来ないし、僕は違うけど痛みも完全に消えるには少し時間が掛かる。
大量に出血していたし、致死量の出血になっていたら流石の耐性値でも死は免れないだろう。また少しだけ海の底へと沈んだ。死へと近づいて行く感覚が、はっきりと分かる。
妙に冷静だ。この深海に沈む感覚とは裏腹に、周囲は真っ黒で不気味さを放っている。自分の身体がはっきり見えている以上、暗いわけではないのだろうが、凄まじく深く広い、死の空間。正直、気が狂いそうだ。
―――どうしようかなぁ……
おそらく、屍音ちゃんは僕の身体を好き勝手に傷付けるだろう。そして、最終的には殺す筈だ。死ぬわけにはいかないけれど、此処からどうするべきか正直策も思い付かない。そもそもこの空間で何が出来る? スキルが発動出来る訳じゃないだろうし、これは僕の感覚で感じている幻覚の様なものでしかない。
死に近づくに連れて、僕はなんとなく死という感覚が理解する。この感覚が死なんだと、おそらく他人に死ぬという感覚を説明出来るくらいには、死を理解した様な気もする。
『死ん……ダメ―――よ……きつ――ちゃ……!』
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。ノエルちゃんの声だ。そうか、彼女はもう死んでいたもんね。それに霊体だからか僕の魂に干渉出来るのかもしれない。
例えるのなら水面の方から、ノエルちゃんの声が響く。途切れ途切れだけれど、僕を呼んでいた。
「全く……喧しいぞ、幽霊」
呟いて、いや呟けたかは分からないけれど、そう言って僕は水面を目指す。泳ぐ、という訳ではないけれど、とりあえずもがいてみることにした。全然水面に近づく事は出来ないけれど、それでも死に近づいて行くよりはマシだ。
死ぬわけにはいかない。死んでも、死ぬわけにはいかないんだよ。
「!」
すると、何故だか死に近づいた訳でもないのに、背後に背筋が凍る様な感覚が走る。これは、紛れも無く死の感覚だった。向こうから近付いて来ている? そんな馬鹿な、そんなことがあってたまるか。
必死にもがく。少しだけ水面に近づいた。まだ水面は遠いけれど……でもまだ死ぬわけにはいかない、もっと、もっと上へ……!
『うふふふふっ☆ 人間さん人間さん―――遊ぼう?』
すると、そんな声が聞こえた。僕のポケットに入れていたあの狂気の妖精の声……何故今君が此処で出てくるんだ。水面に近づいたからか、彼女の声がはっきり聞こえてくる。同時にノエルちゃんの声もはっきり聞こえてくるけれど、妖精の方はヤケに確信めいた何かを感じさせる声音だ。
また水面に近づいた。
『ほらほら人間さん? 私がキノコで朝が細々と輝いてるよ?』
何言ってるか分からない。でも、妖精の声がはっきり聞こえてくる。また水面に近づく。後少し手を伸ばせば……届く!
『きつねちゃん……こっちだよ! 死んじゃダメ!』
ノエルちゃんの声に、僕の意識が浮上していく。そして視界が真っ暗闇から、現実世界へと戻っていく。首に苦しさを感じつつ、僕は重い瞼を開く。
すると、視界が真っ白になっていき―――目が覚めたらすぐそこに屍音ちゃんがいた。
僕が眼を覚ましたことに気が付いていない。
足がふらふらと地面に付かないが、それでもいい。僕はポケットの中に居る妖精を掴んだ。どうやら目を覚ましているのか、見えないけど僕の手をガブッと噛んできた。その上で、僕は賭けに出る。屍音ちゃんの顔に向かって、狂気の妖精を投げつけた。
「な―――ゲホッ……!?」
青白くなった顔から見てとれるように、屍音ちゃんは大分弱っているらしい。咄嗟のことに驚愕して、僕の首から手を放しながら狂気の妖精を顔面で受け止めた。
瞬間、僕は『初心渡り』を使って身体を治し、そして転がっている『死神の手』を見つけてソレを掴み取る。どうやらまだ『鬼神』は発動してくれている。
「は、ぁ、ぁぁぁああああああああ゛あ゛!!!」
痛みの残る身体を、咆哮で奮い立たせる。そして僕は『初神』を発動し、屍音ちゃんに向かって地面を蹴り、彼女の胸の中央へと――突き立てた。
「あっ……!?」
「もういっちょぉぉぉぉお!!!」
そのまま屍音ちゃんを蹴り倒し、地面へと倒す。突き立てた白い刃は地面へと突き刺さり、屍音ちゃんの身体を縫い付けた。
そして――
「終わりだ……っ……屍音ちゃん」
「………あははっ☆ うっせーよ……ばー、か……」
どこか満足気な顔の屍音ちゃんがそう言って意識を失い、戦いは終わった。
次回、色々と説明