復活
閉ざされた空間で、私は目の前を塞いだ土の塊を叩いた。握りこんだ拳に軽い痛みが走り、じわりと血が滲むのを感じる。後ろには私達が降りて来た際に使った階段がある。これを上がっていけば、外に出ることも出来るだろう。上層の魔獣達はほぼ、きつねによって掃討されているし、迷宮は基本的に魔獣達を倒しても時間と共に再出現するけれど、それでもそう数はいない筈。大した戦闘も無いだろう。
きつねは、目の前の土の壁を作る前に言った。フィニア達を連れて逃げろと。
この私に、仲間を置いて逃げろと言ったのだ。そんなこと、出来る筈がない。湧き上がる憤りに、私は歯噛みする。信頼されていないと思った訳じゃないし、私の実力を侮っていると思った訳でもない。そんなことよりもっと―――足手まといだと思われた事が、胸に深く突き刺さったのだ。
私がきつねと共にあの魔王の娘に立ち向かえば、レイラ達は何も分からないままに戦う破目になり、その迷いごとあの魔力剣に断ち切られ、死ぬだろう。そして、私も同様……手も足も出せずに死ぬ。
だからきつねはあの瞬間に判断したのだ。私達が死なない様にする為には、私達を戦わせてはいけないと。故に自分が残って、私達が逃げられる様にした。追ってこれないように、土の壁を作った。
自分が死ぬことは、一切考慮せず。
「……クソッ……これじゃドランさんの二の舞だ……お前がいなくなったら、私達はどうすればいいというんだ……きつね!!」
武器も無い今の私には、何も出来ない。吸血鬼となり、新たに固有スキルを手に入れた様だが、その使い道も分からない。父の時と、死んだ時……二度も私のことを救ってくれたというのに、私はきつねに何も出来ないのか? 何も成長していないじゃないか……何が強くなるだ、笑わせる……!!
ギリ、と噛みしめた歯から音が鳴る。悔しくて悔しくて、仕方がない。私はまた、きつねを独りにしてしまった。
「……きつねさん」
「! ……フィニア」
「ねぇ……きつねさんはなんで一緒に逃げなかったの? どうして、命を張ってまで私達のことを逃がそうとしたのかな」
フィニアが、何か悲しそうな表情でそう言う。
彼女はきつねと最も長い付き合いのパートナーだ。彼女ときつねは、私達全員が認める程の信頼で結ばれている。だから、2人は良いコンビだと思うし、隣に居るべき掛け替えの無い存在なんだろうと思う。
でも、きつね曰く今のフィニアは記憶を失っている。きつねと出会う前の、生まれる前のまっさらな状態に戻っている。だから、きつねに全面の信頼を置いて笑いかけていたあのフィニアは、今はいない。きつねが好きだと言って可愛らしく、向日葵の様に笑っていたあのフィニアは、今はいないのだ。
しかし、それでも、私はフィニアにそんなこと言って欲しくは無かった。
他でもない、誰よりもお前が分かっていた筈だ。お前が最も、きつねを分かっていた筈だ。なのに、そんなことを言わないでくれ、お前がいなくなってしまったら――きつねは今度こそ、孤独になってしまうんだぞ。
「さぁ? 知らないけど、逃げろっていうんだから逃げればいいんじゃないの? 彼が死んだら、私も好きに何処か行くし」
レイラがそう言う。
ふざけるな、きつねを好きになったお前は何処へ行った。お前は変わった、必死にもがいて、悩んで、泣いて、怒って、そして喜んで、人間らしい感情と向き合いながら、お前は必死に変わってみせたじゃないか。どうしてそうなる。どうして忘れられる。
レイラ、お前が一番理解している筈だ。きつねが、私達を自分以上に大切に想っていたことを、お前が一番理解している筈だろう。他でもない、きつねを自分以上に大切に想っていたお前が、そんなことを言わないでくれ。
私は密かにお前が眩しく見えていた。魔族というしがらみの中で、好きになってしまったきつねに対する想いを貫こうとするお前が、とても凄い奴だと思っていたんだ。種族も、しがらみも、立場も、過去も関係ない―――好きになったから一緒にいる。そんな何よりも自由なお前に、私はほんの少し憧れさえ覚えた。
お前がきつねを大切に想う気持ちを裏切ったら――きつねは今度こそ、誰かを大切に想えなくなるんだぞ。
「……」
ふと、視線をルルへと向ける。彼女もまた、桔音に出会う前の状態に記憶が戻っている。少しだけ知っている、あの臆病だったルルだ。戦うことも、人間も、何もかもが怖くて、奴隷として生きるしかないと思っていた頃の、ルルだ。
それでも、お前は少しずつきつねに歩み寄った。奴隷としてではなく家族として、ほんの少しずつ、一歩ずつ、近づいた。ソレは紛れもない、勇気だった。
戦って、傷付いて、その度に強くなって、お前はきつねを悲しませたくないと言った。信頼しているから、大切だから、お前はきつねが涙を流すことを良しとしなかった。失うことの悲しみを知っているから、引き剥がされることの意味を知っているから、お前はきつねの傍に居続けたんだ。
笑顔が苦手なのか、控えめに笑うお前を、桔音はまるで妹の様に可愛がっていた。お前のことを迷惑だなんて思ったことは一度だってなかっただろうし、寧ろたった1人の家族の様に思っていた筈だ。
以前のお前なら、こんな状況になった時点でもっと必死になった筈だ。きつねの下へどうにかして辿り着こうとした筈だ。自分の身体が壊れようと、命が尽きようと、それでもきつねを悲しませたり、死なせたりするよりマシだと、独り善がりと分かっている偽善を、胸を張って貫いた筈だ。
なのに、お前は怯えるだけなのか……? こうなっても動けないのか……? お前はまた、何か言われないと動けない、奴隷に戻ろうというのか……!
お前が桔音の家族をやめて奴隷に戻ってしまったら、それこそ――桔音は悲しむんだぞ。
「どうしてだ……どうして忘れられる……」
「?」
首を傾げるフィニアを見て、私は止まらぬ感情を吐き出していた。
「違うだろう……もっと、お前たちは……そうじゃないだろう!?」
いきなり大声を上げた私に、フィニアはびっくりした様な顔を浮かべ、レイラは眉を潜め、ルルはびくっと肩を振るわせた。三者三様、でもそれはかつてのお前達とは違う反応。そうじゃない、お前たちはそうじゃない。
今のお前たちの中に、かつてのお前達の心があるというのなら―――届かせてやる。
言葉は届く。私の信じるお前達は、きつねの大切であるお前達なら、相当な問題児であるお前達なら、此処まで言われれば黙ってはいられないだろう。起きろ、お前達はそうじゃないだろう!
「お前達はそうじゃない! お前達はきつねが大切だった筈だ! 好きだった筈だ! 失いたくなかった筈だ! 信じていた筈だ! 想っていた筈だ! ソレが今はどうだ、とんだ腑抜けじゃないか……何が家族だ、何がパートナーだ、何が恋人だ! 今のお前達にそんな大役が背負えると思ってるのか? 出来る筈がない、それがどれ程の想いで成り立つ立場なのか分かる筈もない!」
吐き捨てた感情は、止まらない。私は必死だった、自分で自分を制御出来なかった。彼女達がこんな状態でいるのが、許せなかった。きつねが死に掛けてるんだぞ、そんな甘っちょろいこと言っていられるか。
認めない。きつねを大切に想わなくなったお前達なんて、私が全てぶち壊してやる。これから先、私達はもっと生きる。生きて、色んなことを経験する。その中に、お前達がいないなんてあり得ない。だから目を覚まさせてやる。
私の言葉を、心に打ちつけろ―――!
「な、なにを……」
「もっと足掻け! もっと必死になれ! 忘れたのなら私が何度だって思い出させてやる! お前達はきつねが好きだった! 私が見てて引くほど好きだった! 寧ろどんだけだと言っても良い程に愛しまくっていた! フィニアは唯一無二のパートナーだった! ルルはたった1人の家族だった! レイラは四六時中べったりな位好き好きオーラ全開だった! 散々私に迷惑掛けて、突っ込ませて、苦労掛けさせた挙句忘れただと!? ふざけるのも大概にしろ!!」
途中から愚痴っぽくなってしまっていたが、関係無い。そんなことも含めて、私はこのパーティが好きなんだ。
だから、戻って来い。へんな自称聖母の女の力なんて、お前達の心の前では屁でもない。跳ねのけて取り戻せ。それ位出来るだろう、いつもお前達はそうだったんだ。私の声なんて跳ねのけて、いつだって無茶苦茶やって意志を貫いて来たんだ。
きつねに似たのか、とても傍迷惑で、他人の迷惑なんて全く省みなかったけれど、それでも当然の様にやって来た筈だ。時には支え合いながら―――だから今日は私がお前達を支えよう。
「戻って来い!」
―――きつねが好きなんだろう?
「帰って来い!」
―――大切なんだろう?
「取り戻してみせろ!!」
―――失いたくないんだろう?
なら、この声を聞け。自分の心に薪をくべろ、嫉妬でも怒りでもなんでもいい、とにかく感情を爆発させろ。信頼を取り戻せ、自分の意志を立て直せ、自分の芯を見据えろ、正しく目の前にある光景を見ろ。私の眼を見て、私の言葉を聞け。何度でも問いかけよう――
良いのか、失っても――
良いのか、死んでも――
良いのか、立ち向かわなくても!
後悔しないか? 絶望しないか? 涙は流さないか? 自分を恨まないか? 死にたくならないか? 立ち直れるか? 許せるか? 憎まないか? 悲しまないか? 怒りは感じないか?
無理だろう。そんなこと、私でも分かるぞ――だって、私がそうなんだから。お前達もそうであるはずだ、ドランさんを失った時に思い知った筈だ。仲間を失うということが、どれほどの喪失感なのかを。
そして想像も出来ない筈だ。リーダーであるきつねを失うことが、どれほどの喪失なのか。
だから、私が引っ張って連れて行く。お前達が後悔しない道が、私には見えている。先見など必要ない、私の生きて来た人生とお前達と過ごした日々が教えてくれている。
「いつも通り、無茶苦茶を通せ。後のことは良いさ、全部私が支えてやる」
仲間を死なせない、なんて想いは確かに伝わったぞきつね。
でも、悪いが私はお前の言葉には従わない。私はお前の仲間だ。だから、私はお前の言葉ではなく、お前の『意志』に従う。
一緒にいるさ。お前を独りにするなと、私の心が熱く叫んでいるぞ。
「さぁどうする……私はきつねの下へ行くぞ、逃げたいのなら勝手に逃げろ。私はきつねの所へ行く、仲間だからな。でも、最後にこれだけは言っておくぞ馬鹿共。もし私が一番最初にきつねの下へ辿り着いたら――」
私は足に力を込めて、地面を蹴る。捨て台詞はおそらく、こいつらにとって最も効果的だろうこの言葉だ。嘘も方便、仲間の為なら私は一時的にきつねに片想いだってしてやる。
「―――その時は私が一番きつねのことを想っているということになる。つまり、私が一番きつねのことが好きだということだな」
爆弾発言を吐き捨てて、階段を駆け上がっていく。先程魔王の娘が降りて来た大穴からなら、きつねの下へと辿りつける筈だ。
そう思って階段を上り終えた瞬間だった。
階段の下の方から、ずどーん! という凄まじい音が聞こえた。同時に背中を叩く熱い風……そして漂ってくる何かが燃えた様な焦げくさい匂い。更に階段が明るく照らされる程の光が、階下から放たれていた。
そして、困惑しながら硬直する私に、階下から反響する様な声が届いた。
『あーあー……好き勝手言ってくれたけど、リーシェちゃん。きつねさんのパートナー、私だからね!』
『私いっちばーん♪ ってことは私が一番きつね君を愛してるってことだよね♡ うふふうふふふ♡』
『すいませんリーシェ様……眼が覚めました』
いつもの、馬鹿達の声だ。自然と、ふとした笑みを浮かべてしまう。
「はぁ……やれやれだ」
首を大げさに振って、私は階段をまた下りて行った。