一日の終わり
私は奴隷、の筈だった。
私は幼い頃に奴隷商に売り飛ばされ、そして私を買ってくれる人を待つだけの存在だった。なのに、今は何故か外に居て、奴隷に課せられる首輪も外されていた。何故だろう? 私は奴隷の筈だったのに、これからもずっと奴隷でいる筈だったのに、どうして私はいつの間にか自由になったんだろう。
自由になっても、私は1人で生きていく事が出来ない。いつの間にか着ていた綺麗な服、いつの間にか持っていた高そうな剣、ボサボサだった髪は綺麗に梳かされていて、節々が痛かった身体も力が漲っていた。
奴隷だった時にはなかった充足感……幸せなことの筈なのに、私はなんでこんなに幸せなのかが分からず、困惑してしまう。幸せなのが、怖い。
私は奴隷。主の言うことを聞き、殴られ、蹴られ、食事も与えられないのが当然で、死ぬまで虐げられる脆弱な存在。気に入られなければ捨てられ、捨てられれば野垂れ死ぬしか道はない様な、そんな弱く、汚い存在。その筈、その筈なのに、なんでだろう。
怖い。私は、今の状況が信じられない。どうすればいいのか、分からない。
私は今、きつねと名乗った人と一緒にいる。この人は、この状況がちゃんと分かっているみたいだった。私の首輪を外し、そして付け直そうともしなかった人。多分、この人が私を買った人……だけど、この人は私を家族だと言う。奴隷ではなく、家族なんだよ、と。
怖がらなくても良い、自分は君の味方だという言葉は、何故だか抵抗なく信じられた。なんでだろう? この人は、なんとなく信じても良い人だという感覚があった。安心する匂い、安心する声、頭を撫でてくるこの人の手の温かさを、私は何処かで知っている。
でも、この人が私に向ける笑顔には、寂しげな影を感じた。見た目は薄気味悪い笑みなのに、なんでか不気味だとは思わなかった。寧ろ、どうしてこんなに悲しそうなのだろうとさえ思った。
「……」
周囲に居る人は、きつねという人を除いても4人。その全員が、初対面の筈なのに怖くはない。不機嫌そうな顔の白髪の女の人……普段なら怖いな、と思うのに、なんでだろう……違和感を感じてならない。
まるで、そうじゃないと思ってしまう感覚。この光景が、なんだか変な光景だと思えた。こうあるべきだという光景と、食い違っている様な、そんな違和感。
おかしい。私はここにいる人達を知らない筈なのに――
「きつね……様」
どちらにせよ、今の私が頼れるのはきっとあのきつねという人だけ。なら、捨てられない様に振る舞わないと死んでしまうのは確実……だから、名前に様を付けよう。
でも、そう思って口に出したその名前は―――なんとなく馴染み深い感覚を覚えた。
◇ ◇ ◇
生まれた瞬間が曖昧なのは、きっと気のせいではないと思う。
私は思想種の妖精、とある女の子の片想いの恋心から生まれた妖精。少し特殊なのは、異世界の想いから生まれたってこと。きつねさんって人は、なんでだか私を見てもそんなに驚いてはいなかった。というより、もう知っているとばかりに私に笑いかけてくるくらいだ。
まるで、目覚めた私におはようと言ってくるかのように、私がいるのが当然だと思わせる態度を取る。
私はきつねさんが好きだ。一目見た瞬間に分かった、この人があの女の子の好きな人なのだと。だから、私がきつねさんを好きになってしまうのは当然のこと……だって、私自身がきつねさんへの恋心で出来ているのだから。
きつねさんは、異世界の人。私の中に、異世界に居た頃の記憶は少しばかり存在しているから、きつねさんがどんな生活を送っていたのか、それも少しは知っている。
だから、今のきつねさんを見る限り……私はついさっき生まれた訳ではないのだと思う。きっと、生まれたのはずっと前の話だ。それこそ、きつねさんがこの世界に順応し、戦う術を得てしまう位の時間は過ぎてしまっている。
さっき生み出した黒い瘴気や、両眼の色が違うこと、黒い棒の様な武器を持っていること、きつねさんはきっと既にこの世界で何度も戦いを生き抜いてきた後なんだと思う。
私は大切なことを忘れている。それはきっと、きつねさんとの思い出……私はきっときつねさんと初めて出会ってから今日まで、一緒に戦ってきたんだと思う。私はそういう存在だから、知らなくても分かる。
その戦いの日々を、何気ない会話を、大切な思い出を、私は忘れてしまっている。
だから、きつねさんはあんなにも悲しげな顔をするんだと思う。笑顔を浮かべながら、瞳に浮かんだ寂寥の想い……きつねさんにあんな表情をさせたのは、私だ。
「きつねさん……」
「ん?」
「元気出してね。よくは分からないけど……絶対、取り戻すから」
「……うん、そうだね。ありがとう、フィニアちゃん」
私の言葉に、きつねさんはそう言って私の頭を指先で撫でた。優しい力加減が伝わって来て、私のことを大切にしてくれていることが分かる。
ああ、なんとなく確信出来る。
きっと、前の私はきつねさんのことが大好きだったんだろうなぁ。だって、なんでだか分からないけれど……今の私でさえ、きつねさんの優しさに胸がいっぱいになっているんだから。
大丈夫、待ってて私。絶対、貴女ときつねさんの絆を……取り戻してみせるから。
◇ ◇ ◇
さてさて、馬車で走りながらもルークスハイド王国へと向かう僕達。
現在は夜になり、馬車を止めて休憩中だ。フィニアちゃんは最初から火魔法を使えたからね、火焔魔法になった後だけど、フィニアちゃんに焚火の為の火をお願いして、僕達は火を囲う様に地面に座っている。
といっても、瘴気の家を作って、中央に焚火用の穴を作り、その中に薪を放り込んで火を付けたんだけどね。まぁ家の中央に一種のキャンプファイヤー的なモノを作った感じだね。天井がある家にしても、火の灯りで家の中はかなり明るくなっている。一応空気の通り道になる隙間は開けてあるから、薪が尽きない限りは燃え続けるだろうし、酸欠になることも無い筈だ。
とはいえ、瘴気って本当に便利だよね。家にもなるし、その家だってドラゴンでもない以上破れない強度だしね。この世界でもかなり安全な場所だよコレ。
「はぁ……はぁ……♡ もうダメ……我慢出来ないよぉ……♡」
「うん、まぁ分かってたけど面倒臭いな」
ただ、その安全な場所の中に1匹野獣が入り込んでるけどね。
レイラちゃんが発情モードに入った。瘴気の家の中のせいか、レイラちゃんの身体から噴き出した瘴気は、彼女の身体を包み込むことなく霧散しているのだけどね。別の人の瘴気のある場所に、他人の瘴気は存在出来ない。反発してしまうからね。
だからレイラちゃんの生み出した瘴気は、出した瞬間に反発反応によって霧散する。
結果的に、レイラちゃんは真っ赤な瞳を爛々と輝かせ、これ以上なく発情している姿を晒している。
「まぁとりあえず……確保、だね」
「ぁハはは……―――♪ ―――♡♪♡」
最初に出会った頃の様に、言葉にならない楽しげな声をあげると、彼女は僕に襲い掛かってきた。理性が飛んでいる。
本当ならSランクの魔族として覚醒した肉体を持っている以上、力に振り回されて理性が飛ぶような事はない筈なんだけど……精神がAランク時代に戻ってしまったから、余計強大な力に心が付いていけないんだろうね。
「元に戻るまではコレが続いていくんだろうなぁ……」
「うぐぐぐ…………!!」
瘴気で作った檻でレイラちゃんを確保。すると、彼女は檻をガリガリと噛み始めた。うんまぁライオンを閉じ込めた檻の様な感じで、なんとなく妙な気分。
この家は全方位僕の瘴気で出来ているんだし、正直僕のフィールドとも言って良い場所なんだから、この家の中において僕に勝てるわけないよね。ぶっちゃけ、やろうと思えば全方位から数千本の棘で刺し貫くことだって可能だぜ。僕も巻き添えだけど、その場合僕の身体は耐性値故に貫かれないから問題なし。
あれ? これ今までの敵この中に連れ込んで戦えば良かったんじゃね? ていうか閉じ込めて圧し潰しつつ瘴気変換すれば勝てたんじゃね? 今更気付いちゃったよ畜生め。
あーでも、どいつもこいつも僕の耐性値を余裕で抜いてくる奴らばっかりだったし、あんまり意味ないかなぁ……良い案だと思ったのに。うん、でも次から出来そう奴はそうしよう。
「はぁ、レイラちゃんはとりあえずこのままで。皆寝るよー」
「この子、食欲旺盛だね」
「そういう問題じゃないよね」
「性欲盛ん?」
「うん、両方兼ね備えちゃってるから」
神奈ちゃんは本当に戦闘でないと天然だな……面白いっちゃ面白いけれど、面倒っちゃ面倒臭い子だ。
とりあえず寝なさい。全くもう、明日も早いのよ? 僕だって夜型だけどあんまり夜更かし出来ないんだからね! この世界は外でまともに睡眠時間を確保出来るほど甘くはないのよ! 次の瞬間屍音ちゃんが襲撃仕掛けて来てもおかしくないのよ!? だから早く寝なさい!
「ほら寝なさい」
という気持ちを全て込めた寝なさいを言った。有無を言わさないのが分かったのか、皆寝る姿勢になる。一応床はふかふかにしておいたから、寝心地は悪くない筈だ。まぁレイラちゃんには悪いけれど、魔獣の死体を数体檻の中に放り込んでおいたから、それで我慢して貰おう。ルークスハイド王国に付いたら、山賊とか盗賊とかの討伐依頼でも受けて、レイラちゃんに食べさせてあげるからさ。
まぁ、人間を餌にしようと思っている僕も僕で、価値観が狂っている気がしないでもないけれど……ぶっちゃけさ、この世界Sランクに足踏み入れた奴って何かしら狂ってるから問題ないでしょ。
メアリーちゃんとか屍音ちゃんとか明らか狂ってるもん。
「はぁ……おやすみー」
「おやすみー」
とまぁそんな感じで、僕達は眠りについた。なんとなく、レイラちゃん達の記憶云々関係なく、嫌な予感がしたけれど……僕の運命力はいつもこんな感じだし、もう気にしようとも思えなかった。
もうね、屍音ちゃんでもなんでも来いよ。そんな程度じゃ僕はもう驚かないからさ。
このハードモードな異世界生活に慣れて来た自分になんとなく、僕は苦笑してしまうのだった。