勇者のお話
十三章始まりです。
魔王を倒したからか、僕達に対して新たな敵となるような存在は現れていなかった。このカイルアネラ王国へと、大きく言えば人間の大陸に帰ってきてから、およそ半月経っていることから、大分平和な時間が訪れたと言って良いだろう。
そして、これだけの時間があれば僕がドランさんの死から立ち直るまで、十分心の整理を付けられた。瘴気変換法を使って、海のプランクトンや魔獣達を瘴気変換し続けることでステータスもなんとか元通りに戻してあるし、今は動けずにいた期間で大分鈍ってしまった身体を鍛えつつ、過ごしている。素振りや武器の扱いの練習をして、きちんと戦える様にしておかないとね。
依頼を受けはしていないけれど、どうやらカイルアネラ王国の人達の様子から、僕を無視する人はそういないだろうし、ギルドで依頼を受けることも出来るだろう。まぁ僕のギルド口座も使える様になったようだから、中に入っていたお金を考えても働く必要はない。
食材も補充し、宿にも泊まっている。とりあえず、今の僕達は暫しの休息を取ることが出来ていた。
現在僕は宿のお風呂に入っている。朝風呂という奴である。しかも露天風呂。
海に近い国だからかこの国ではお風呂が何処の宿にも常備されていて、更に露天風呂があるという豪勢っぷりだ。朝風呂だけではなく、何度も入って楽しむべきだろう。
といっても、僕は宿に取る時まだ動けない状態だったし、どんな宿を取るのかはフィニアちゃん達に任せていたから仕方ないんだけど……この宿の露天風呂は混浴だったりする。なんでこの宿を取ったのかリーシェちゃんに聞いた所、港から最も近い場所にあったからだそうだ。うん、まぁ仕方ないよね。
『はふー……良い湯だねぇ~……ふひひ~……♪』
「いや、君幽霊だろうが」
『こういうのは気分だよ』
契約上、ノエルちゃんが必然的に一緒に入ることになるのだけれど、彼女はなんと服を脱ぐことが出来るらしい。服や霊体の身体は、全て彼女の魂によって構成されているので、彼女が構成し直せば服無しの肉体のみを構成する事が出来る様だ。
但し容姿や肉体に関してはノエルちゃん自身のモノ以外は無理らしい。違う容姿でいる感覚が分からないからとのこと。同じ理由でスリーサイズを誤魔化すことも出来ないらしい。巨乳がどんな感覚か分からない、とかそういう理由なんだそうだ。
だから彼女は今バスタオルに包まれて入るけれど、裸だ。裸、なのだけど、お湯に浸かっている……というかお湯に透けているから見えない。半透明だから、普通の人よりも湯気による効果が凄く効果的に発揮されている。
そういえば以前レイラちゃんが乗り込んできたこともあったなぁ……あの時はレイラちゃんのことを今ほど大事に思ってなかったし、身体を凝視したりはしなかったんだよね。
「……まぁ、いいか」
ちゃぷ、とお湯に顎が付く位沈んで、僕は大きく息を吐く。お風呂は長く入っていると精神的な疲労になって、回復することはないとか聞いたことがあるけれど……このじんわりと染み渡る感覚は、やっぱり良いね。僕としては程度を考えれば良い休息になると思うな。
ああ、そうそう。他の皆だけど……ここの宿のお風呂は、僕が今いる露天風呂こそ混浴だけど、ちゃんと屋内のお風呂は男女別に分かれている。僕がお風呂に入るって言ったら付いて来たレイラちゃんやフィニアちゃん、ルルちゃんの3人は多分屋内のお風呂に入っているんだと思う。
リーシェちゃんはこの半月で完全に肉体が吸血鬼に馴染んだらしく、完全に夜型になっちゃったんだよね。つまり、今もまだ寝ている。
「こっちの世界じゃ獣人専用のお風呂なんてあるんだねぇ……まぁ尻尾とか耳とかの毛がお湯に入る訳だし、当然かもしれないけど……」
『幽霊専用のお風呂も作って欲しいよねー』
「地獄にはありそうだよね、血とかマグマ的な奴」
『それはいらないかなぁ』
ノエルちゃんがちょいちょい話し掛けてくるけれど、僕は簡単に返した。適当な反応という訳ではないけれど、寛いでるから空返事みたいになっちゃっているだけだ。
「―――!」
「………♪」
すると、なにやら屋内が騒がしくなってきた。聞き覚えのある声が聞こえてくる。これは……成程、レイラちゃんか。瘴気の空間把握で、レイラちゃんがこっちに来ようとしているのが分かった。傍に小さな人影があることから、どうやらフィニアちゃんとルルちゃんが止めているらしい。まぁあの2人は高い実力を持っているけれど、この辺は常識的だからね。ボケとガチの境界はしっかりしているということだろう。
まぁそのまま止めておいて貰おう。僕はもう少し寛いでいく。レイラちゃんは強いしステータスも僕の次に高いけれど、ルルちゃんとフィニアちゃんも負けてはいない。2人掛かりならレイラちゃんも強行突破は出来ない筈だ。
「ちょ……力強い!」
「う……うふふふ……! あ、愛は勝つんだよ……♡」
前言撤回、レイラちゃんはどうやら僕の想像を超えてくるらしい。フィニアちゃんに髪の毛を引っ張られ、ルルちゃんを腰に巻き付けているけれど、レイラちゃんはそれでも露天風呂に強行突破してきた。見ると、瘴気を使って自分を押している。成程……あれなら自分の筋力は2倍、2人掛かりでも対抗出来るわけだ。
普段はちょっと馬鹿なくせに、こういうときは無駄な知恵を絞るなぁ。恋する女の子は可愛くなるとは言うけれど、それと同時に結構強かになるよね。
「あ♪ きつねくーん♪」
振り返ると、入り口でこっちに手を振って来るレイラちゃんがいた。フィニアちゃんとルルちゃんは、仕方がないとばかりに諦めたようだ。というか、ルルちゃんに関しては首を傾げている。どうやらレイラちゃんを止める理由は分かっていないようだ。
奴隷だったから夜伽とかの知識はあったのに、こういうのは疎いんだね……不思議だ。お風呂はオッケーなの?
「はぁ……」
溜め息を吐いて、僕は露天風呂特有の壮観な景色を見て思う。
―――僕はどうやら、早々寛いではいられないらしい。
仲間がいるから騒がしい。この喧騒が今の僕が幸福である証拠だ……さて、それじゃあレイラちゃん達を瘴気で捕獲して……僕はさっさと出るとしよう。
◇ ◇ ◇
騒ぐレイラちゃんを置いてお風呂から出て、部屋に戻ってきた僕を待っていたのは、目覚めたばかりといった様子のリーシェちゃんだった。寝癖で髪が逆立っていたりして、茫然としている表情は、まだ眠たそうだ。
とはいえ、そろそろ起きて貰おう。彼女も一応、心は人間と言っているようだし、生活リズムに関しては仕方がないけれど、せめてお昼前には起きて貰わないとね。
「リーシェちゃん、起きて」
「んー……ああ……分かってる、ちょっと顔を洗ってくる……」
ベッドから出て来たリーシェちゃんは、のそのそと部屋から出て行った。顔を洗えば大分眠気も覚めるだろうし、まぁ日差しには気を付けて貰おう。消滅とまではいかないようだけれど、廊下で倒れられても困るし。
「さて……」
僕はベッドに腰掛けて、立て掛けておいた『死神の手』を手に取った。簡単に布で磨いて、くるりと回す。うん、歪みも無い様だし、大丈夫そうだね。
そこから『死神』から『初神』まで一通り付与してみる。問題なく刃が出てきて、振るえばちゃんと効果を発揮してくれた。流石に『武神』に関してはやってないけどね。
うん、もうばっちり全快だ。寿命が縮む力を使っている訳だから、後々に響きそうだけど……まぁ大丈夫だろう。きっとなんとかなる筈だ。
『ふぃー、良い湯だったねー……』
「まぁ、確かにね」
一緒にお風呂から出てきたノエルちゃんが、いつもの服装になってほかほかと満足気な顔をしている。お湯に浸かっている感覚がないのに、なんというか自由気ままな子だ。
すると、部屋の扉をノックする者がいた。レイラちゃん達はまだお風呂だろうし、リーシェちゃんが帰って来るには早すぎる。
ということは……一体誰だろう?
「はいはーい…………は?」
「……えーと……おはよ、きーちゃん」
「……」
「……」
マジで誰だよこいつ。
えーと、容姿は魔王……というか高柳神奈なんだけれど、魔王ならば此処でこんなことは言わないだろうし、生きていたとしてもこんなやすやすと姿を見せてくる筈はない。
てことは、この子はまさか……魔王じゃなく、高柳神奈なのか?
「ごめん、ちょっと待って……これは私のキャラじゃない、もっかいやらせて?」
「いやだよ、状況説明をしろこの野郎」
「私は男じゃないよ」
「そういう問題じゃないよ」
なんなんだ、この状況。誰か僕にこの状況の説明をお願い。何? 魔王じゃなくて、高柳神奈で合ってるの? それなら初代勇者がなんでこんな所にいるの? おかしいな、初代勇者って死んだ筈だと思ったんだけど。
「あーとりあえず……初代勇者、高柳神奈で合ってる?」
「あ、うんそれそれ。私勇者……じゃなくて、高柳神奈で合ってるよ。魔王が死んで、なんやかんやで私が復活しちゃった感じ……私も良く分かってないからその辺は深く聞かないで」
「……まぁいいけど」
どうやら初代勇者高柳神奈で合っているらしい。なんやかんやあって勇者復活ってなんだよって思うけれど、本人も分かっていないようだし、聞いても仕方ないか……とりあえずはそうだね。わざわざ暗黒大陸から此処まで来たってことは、それなりに疲れてるだろうし、話を聞こうかな。
「入りなよ、お茶くらいは出すよ」
「うん、お邪魔します」
なんか調子狂うなぁ……普通こういうのってもう少し警戒すると思うんだけど。まぁ伝説通りならこの子の実力があれば大抵の輩は倒せるんだろうけどさ、僕だって魔王と対等以上に戦っていたんだし、もう少し女の子として危機感を持っていても良いと思うんだけどなぁ……なんか話に聞いていたのと違う。
もう少し厳格でクールで風紀委員長的な子を想像していたんだけど、やっぱり噂には尾鰭がつくものだね。まぁ、厳しいよりはこういうちょっと抜けている様な子の方が付き合いやすいけれど。
だから遠回しな指摘みたいな感じで聞いてみる。
「良いの? そんな警戒しなくて」
すると、部屋に足を踏み入れた彼女は少しきょとんとした後、クスリと笑ってこう言った。
「大丈夫だよ―――日本人は謙虚で優しいからね」
なんとなく……ああ、成程ねと思ってしまう僕だった。
魔王が死んだので、勇者編といった所ですかね。