俺の自慢なんだ
時が止まる時間は、かつて魔王と戦った時とは違って少しだけ延び、その時間を約8秒にまで伸ばしていた。時は止まり、桔音以外の存在は全て干渉し得ない世界が出来上がる。桔音はその世界の中で漆黒の棒を振り回し、周囲に迫って来ていたSランク魔族達へ『武神』を叩きこむ。吸血鬼にも、ゴルトにも、変態にも、魔法使い魔族にも、例外なくその破壊の鉄槌を叩き込み、桔音は大きく後ろへと後退する。
逃げる為に桔音はさっさと魔族達の隙間を縫って、レイラ達の方へと駆けた。ドラン達の下へと辿り着いた桔音は、即座に時間停止を解く。止めたままではドラン達も動けないからだ。時を止めた世界で動いていられるのは桔音のみ、それは桔音のパーティであろうと同じ事だ。
決定的な隙を作り、そしてドラン達との合流を果たした桔音は、桔音が目の前に現れた事に驚くレイラ達を即座に瘴気で抱え上げ、そのまま逃げるべく足に力を込めた。
瞬間、背後の方で『武神』による連続した攻撃の衝撃波が轟き、屍音を除いたSランク魔族達を一気に吹き飛ばして行く。土煙が舞い上がり、そして地面に亀裂が走る。吹き飛んで行く地面は周囲に雷が轟く様な音を放っていた。
最早桔音達の場所からは、もう屍音達の姿も見えない。しかし、それでも桔音は気にも留めない。何故なら、彼女達と戦う気はもうなく、彼女達が見えずともその場から逃げれば良い。寧ろ、向こうからも桔音達が見えないという状況は好都合だった。
しかし、桔音にとって予想外だったのは、時間停止という事象を起こしたにも関わらず、
―――屍音には通用しなかったことだ。
「きつね君!!」
「―――ッ……ぐ、ふっ……!?」
「アハハハッ! おにーさんの負けー」
そこに、屍音はいた。最初からそこに居たかのように、桔音の背後にぴったりくっついて来ていた。時間を停止して、まさしく転移の如く移動したというのに、屍音は消えた桔音の背後に移動してきたのだ。まさしく、"転移の如く"移動して。
桔音はその転移の如き追跡を目の前に、すぐ思い立った。魔王という存在が、転移という力を持っていたことを。そして屍音はその魔王の娘、その力を受け継いでいたとしてもおかしくは無い。
こいつは、転移を使えるのか―――?
だが、そんな疑問を桔音はまともに思考する事は出来なかった。何故なら、彼の背後から屍音はその手で桔音の身体を貫いていたのだから。しかも、桔音の心臓を掴み取っていた。
桔音の心臓は桔音の胸を突き破って外の空気へと晒され、屍音の小さな手が掴んでいる。噴出するように桔音の心臓は血を流しながら、尚も鼓動する。
「こ、の……!」
「うわおっ!」
桔音はブンッと漆黒の棒を振り回し、屍音を振り払った。大げさに驚いて離れた屍音の腕がずるりと桔音の身体から引き抜かれ、同時に心臓を持っていかれた。大きく空いた風穴が桔音の胸にぽっかりと存在し、そこに心臓は無い。
明らかに致命傷、桔音でなければ死んでしまう傷。コレは流石の桔音も、大きな隙を見せざるを得なかった。
勢い良く吐血し、膝を着く。胸を押さえながら、桔音は呻き声をあげた。
「ゥぐ……ぅぅゥゥ……!!」
「きつね君!」
「きつねさん!」
早く治さねばと、桔音は『初心渡り』を発動させようとするも、思考がぼやけて上手くスキルを展開する事が出来なかった。完全な致命傷、桔音の『痛覚無効』がなければショックで即死していた程の一撃だ。何より出血が激しい、思考が上手く紡げない。
死に瀕したことで桔音の『臨死体験』が自動で発動し、その耐性値が屍音の攻撃力の倍へと向上するも、致命傷を治すには凄まじい自己治癒能力を持ってしても数分掛かる。その間は、完全に桔音は無防備となってしまう。
そしてその間を放っておくほど、屍音という少女は甘くも無ければ優しくも無い。狂った彼女の精神ならば、今の桔音を必ず狙い打ちにする筈だ。
「アハハハハ!! これでオシマイだよ、おにーさん!」
飛び掛かって来る屍音、レイラ達はそれを迎え撃つ為、桔音を護る為に動き出そうとするが―――桔音に気を取られたのが命取り。少し目を逸らしたその隙に、フレーネと呼ばれた女の魔族がレイラ達を襲ったのだ。
「うあっ……!?」
「きつ――!」
「ッ!?」
レイラやフィニアはフレーネの蹴りによって大きく吹き飛ばされ、その事態に意識に空白が訪れたルルが、続く二撃目の拳で同様に吹き飛ばされた。
桔音は朦朧とする瞳で飛び掛かって来る屍音を見る。苦悶の表情でなんとか抵抗しようと漆黒の棒を振るうが、何のスキルも付与されていないただの棒では、なんの抵抗にもならない。まして、桔音は満身創痍だ。抵抗するだけの力も備わっていない。
ジクジクと心臓が再生され、なんとか命を繋ぎとめている桔音だが、全快にはまだ時間が掛かる。この上で更に攻撃を喰らえば、死は免れない―――!
「グ……!」
そして、すぐ目の前まで踏みこんだ屍音が、
「アハハッ!」
狂気の笑みを浮かべながら、
「―――……!」
その拳を叩き落した。
◇ ◇ ◇
視界の中に小さくきつねの姿が見えた時、正直ほっとした。まだ俺は戦っていて、劣勢の状況で苦戦していたというのに、死んでしまうかもしれない最中だというのに、俺はきつねの姿を見てほっとしたんだ。
なんでか、なんて言われても分からない。ただ、俺はきつねの姿が見えた時、なんとなくこう思った。最期を迎える前に、きつねを一目見れて良かったと。殴られた部分は、ずきずきと鈍い痛みを訴え、身体の動きを鈍くする。剣なんてもう振れない位腕に力は入らない。
それでも、いきなり城が消え、俺と奴との戦いは中断された。好都合だったのか、それとも不幸だったのか、それは分からないが……それでも俺達にとっては最悪の事態に陥っている事は分かった。魔王が倒され、いきなり変な娘が現れた上に、今まで俺達を邪魔していたSランクの魔族達がきつねを4対1で襲い始めたんだ。如何にきつねが強いと言っても、あの数の差は分が悪いだろう。
だが、助けに行こうにも身体が動かない。より強力な力で抑えつけられ、見ていることしか出来なかった。
でも、きつねはやっぱり強い奴だ。あの状況でも、なんとかしちまえる程、知的で、強かで、強い。自分の力の使い方を良く分かっている。アイツは自分は弱いというし、戦闘的な才能を自分にあるとは思っていないようだが、俺はそうじゃないと思っている。
アイツは弱さを知っている。異世界人と言っていたし、度々聞く過去の話からすれば、きっとあいつも最初は弱かったんだろう。それこそ、Fランク冒険者にもなれない程、弱々しい存在だった筈だ。だからこそ、アイツは弱さを知っていて、その弱さが強さに変わる。
力を手に入れたきつねは、きっとその弱さを知っている故の強かさを持っている。その力を自分の為に振るえる意志がある。自分を犠牲にして自分も含めた全てを救ってみせる実力がある。
でも、アイツはまだガキだ。
追い詰められれば負けてしまうし、どうしようもない時簡単に死んでしまうガキだ。なまじアイツは仲間よりも強くなっちまったから、仲間に頼ろうとしない側面がある。最も難しい難関は自分1人で背負って、俺達にはもう少し簡単な問題に当たらせる。気遣っているようで、対等ではない。アイツは仲間に対する距離を、無意識下で量りあぐねている。
アイツがピンチの時、俺達に手を伸ばしてくれないっていうのは、やっぱり辛いものがあるんだ。
ああ、でも……そうだな。俺が最期に教えてやれることといえば……それ位か。
「アハハハハ!! これでオシマイだよ、おにーさん!」
魔王の娘、か。大層な肩書きを持ってるな、あの娘っ子……きつねといると、化け物ばっかり出て来ていやになる。
でも、おかげで全員の意識が――俺から外れた。レイラ達が蹴り飛ばされたのは、あいつらが敵から目を逸らしていたからだ。良い教訓になっただろう……でも、きつねは致命傷で動けなくなっていた。あの状態で追撃を喰らえば、きつねは死んじまうだろう。
それは、少しばかり許容出来ねぇな。なんせ……アイツは俺の仲間なんだから。こんな俺の生涯で、最初で最後の仲間なんだ。俺の命を張るだけの、価値がある―――!
俺は、地面を蹴った。
「―――」
ずぶり、と身体を何かが押し貫く感覚が、やけに鮮明に感じられた。勿論、激痛が走り、叫び声を上げたくなった。
でも、なんでだろうな―――凄く、気持ちが晴れやかだ。目の前で、俺の身体を貫いた張本人である魔王の娘が少し驚いた顔をしている。ハハ、良い気味だ……魔王の娘を驚かせたってんだから、あの世でミシェルにも自慢できらぁな。
でも、まだやることが残ってる。伝える事が残ってる。
「げほっ……ッ゛……ドラン、さん……!」
「カハッ、ハハ……よう、きつね……調子はどうだ?」
吐血しながら、俺はいつかのきつねの様にそう言った。どこかで見た様な薄ら笑いを浮かべて、俺は言う。
「……なァ、きつね……俺は、大人としてお前に伝えなきゃ、ならない……仲間として、な」
「……」
「ッ……お前は、もっと仲間を頼れ……! ソレが出来りゃ、お前は……もっと強くなる……暴れろよ、この世界で……!」
きつねは驚いた様な顔をしているが、それでもいいさ。今は、俺の言葉を聞いてくれればそれで良い。きつねなら、俺の言葉を胸に刻んでくれるだろう。そんで、いつか……俺の言葉を思い出してくれりゃいい。
俺が伝えたい事は、あと1つ―――こんな俺と、
「こんな俺と…………仲間になってくれて、ありがとよ――きつね」
ありがとう。泣きたくなる位、お前には感謝してるよ。お前に会えて良かった。復讐に囚われていた俺が、お前に出会えた奇跡と運命……最高の気分だ。だから此処で死んでも、何の悔いも無い。お前の為に死ねる事が、最期の最後に俺は……大切な仲間を護る事が出来た事が、誇らしい。
「ドランさ――」
声を掛けてくるきつねの声を無視して、俺は魔王の娘の顔を見る。不機嫌な顔で俺を見上げてくる魔王の娘に、俺は何処かで見た様な薄ら笑いを浮かべながら言う。
「良いか、良く聞けクソガキ……俺の仲間は、きつねはな―――」
俺の自慢なんだ。
「―――この世界で、大暴れする男だ。お前なんて、足下にも及ばねぇよ」
きつねという男の、仲間になれたことは。
そして、その言葉を聞いた魔王の娘は、すっと目を細めて冷たい視線を送って来る。こりゃ怒りを買ったかもな。だが、全く怖くない。魔王の娘ってだけで多くの人間が恐れるだろうに、こんなに落ち付いていられんのはなんでかね。
すると……血の流し過ぎかな。意識が掠れて来た。
「知らねーよ、ゴミが」
そして、そんな冷たく汚い言葉遣いの暴言と共に、俺の身体から中身を潰す様な感触と共に腕が引き抜かれ―――俺の意識は暗闇に沈んで行った。