農家のおじさんが食べてそうなスナック菓子
階段から現れたドランを見て、女の魔族は素直に思った。雑魚だな、と。
確かにある程度の強さを持った人間ではあるだろうが、それでも自分に届く程のモノとは思えなかった。
確かに、構え方も、その威圧感も、纏っている空気も、全部熟練の代物であり、1人の人間が今出来る最高まで高めた技術と実力が見えた。努力して努力して、努力し続けた先に手に入れた結果なのだとは思う。
しかし、それでも尚届かない領域はある。Sランクという領域は、魔族や魔獣で考えれば国をも揺るがす天災であり、冒険者で考えれば延々語り継がれる伝説となる存在。そこは凡人の領域ではなく、努力で入れる領域でもなく、生まれ持った理不尽な才能によって開かれる領域なのだ。
魔族でも人間でも同じだ。生まれ持った才能には個体差がある。SランクとAランクの差は、天才と凡人の差でもある。凡人程度の才能が極限の努力で辿りつける最高の領域がAランクであり、天才と呼ばれる究極の領域がSランク。実にシンプルで分かりやすい。
女の魔族にとって、ドランはその領域的に考えて凡人でしかない。話に聞いていた桔音と一緒に居るのなら、それなりに強い者ではないかと思っていたのだが……期待外れだった。
「おおぉぉぉおおおおおッッ!!」
「……」
薙ぎ払う様に斬りかかってきたドランの剣を、彼女はその手で――正確にはその5本の指で受け止めた。全身全霊の力を込めて斬りかかったドランだというのに、その剣が簡単に受け止められてしまった事実が、更に彼我の実力差を明確にした。
ほんの数ミリですらも相手をその場から動かせないなど、どれほどの実力差があれば起こりうるのだろうか。それこそ、きっと大人と子供並の差があると言っても過言ではないだろう。思わず、ドランは歯噛みする。
「ッ……ご……!?」
「……これじゃ消化試合も良い所ね」
魔族はドランの身体を受け止めた刃ごと持ち上げると、その腹を殴った。ドランのお腹にずぶぶとめり込んだその拳は、ミシミシと音を立ててドランの身体を吹き飛ばす。
地面をバウンドする様に跳ねながら吹き飛んで行くドランは、剣を落として壁に衝突し、その動きを止めた。
これで終わり、と魔族の女は思う。手加減したとはいえ、Aランク冒険者程度に耐えられる威力では無かった。雑魚と判断したドランに対して、寧ろ力を込め過ぎたと言って良い。これで立ち上がるなど、それこそ天才の領域に足を踏み入れていない限りは不可能だった。
しかし―――
「ぐ……痛ぅ……!」
「なに……?」
ドランは立ち上がった。しかも、今のは確実に臓器をいくつか破壊した筈の手応えだったのにも関わらず、だ。魔族の女は怪訝な表情で眉を潜め、吐血もしていない様子のドランに疑問を抱く。
しかし、その疑問は直ぐに解決した。ドランの纏っている漆黒の外套になんの傷もなかったのだ。そう、それは桔音が念の為にとパーティ全員に着せた瘴気の外套、『瘴気の黒套』である。
ドランは、Sランクの桔音の防御力を反映した外套のおかげで、魔族の拳に耐えることが出来たのだ。無論、桔音の防御力を反映しているからといって、桔音の目の届かない範囲に居る以上その防御力は大幅に下がってしまうのだが、それでも魔族の女が全力で殴らない以上ドランに確実な負傷を負わせることは出来ない防御力を誇っている。
「成程、それが話に聞くきつねの力ってわけか……」
「はぁ……はぁ……」
「でも、無傷って訳じゃないのね」
立ち上がるドランは、負傷は無くともダメージはしっかり喰らっていた。身体へ浸透した衝撃は、致命傷にはならずとも鈍い痛みを齎す程にはダメージとなっている。
しかも、ドランは剣を落としてしまっている……流石に次も同じ攻撃を受けてしまえば気絶は免れないだろう。
だがしかし、ドランは気絶するつもりなどない。この場でドランが自分に許すのは、生きて桔音の下へ辿り着くか、此処で死ぬかだ。気絶などという生温い結果など、ドラン自身が許さない。
故に―――
「……き、かねぇな……もっと殺す気で来いよ年増女、そんな弱々しい拳……老いぼれに手をあげるなんて、流石に俺にゃあ出来ねぇぞ?」
「……言うのね、立つのもやっとなくせに」
「悪いが俺はしぶといんだ、押し通らせて貰うぜ……」
ドランはふらふらと歩きながら、落とした剣を拾い上げる。そして、強い意志を瞳に宿して大きく息を吐きながら魔族を見据えた。
構えろ
前を見ろ
立ち塞がる邪魔は、全て排除して桔音の下へと辿り着く。
それがドランに出来るたった1つの――
―――信頼の応え方だ。
「行くぞ」
「来れば?」
ドランは地面を蹴る。
己の人生全てを掛けて来た冒険者の能力を最大限に発揮して、魔族の女の懐へと飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
一方その頃、フィニアもまた側近の魔族と対峙していた。
相手は細身の男であり、運動の出来るような身体というよりは、部屋に籠ってずっと本でも読んでいそうな身体をしている。研究者の様な白衣を着て、隈のある不健康に眠たそうな瞳がフィニアを観察している。
フィニアはそんな魔族であっても、フィニアに負けず劣らずの魔力を感じた故に、警戒は緩めない。明らかに魔導師タイプの魔族だが……どういう魔族なのかを見極めない限り、下手に手を出すことは出来ない。
とはいえ、相手の魔族もまたそうだ。フィニアの実力を見定めている以上、今は下手に手を出せない。
「流石に話に聞くきつねのお仲間って奴だねぇ、しかも思想種ときたもんだ……実に研究し甲斐のある対象だよ」
「んー、研究熱心なのは良いけど、人気投票じゃ圏外になりそうだね! 貴方!」
「言っている意味は分からないけれど、失礼なことを言われているのは分かったよ」
嫌味な笑みを浮かべている魔族に対して、フィニアはいつも通り悪態を吐いた。ちなみに、これに関してはしっかり悪意が込められている。桔音とこの魔族とじゃ、扱いの差が違うのも仕方がない事だ。好感度に大きな差があり過ぎる。
とはいえ、そんな悪態をさらりと流す程度の器量は持っているようで、少しだけ苛立ちを覚えたようだがそう言って魔族は流す。
「僕の名前はヤール・エドモンド……魔法の研究を趣味としているよ。最近のテーマは思想種の妖精が何故自然種の妖精と比べて強い力を持っているのか、だね。是非とも、僕の研究に協力してくれたまえ」
「へぇ、農家のおじさんが食べてそうなスナック菓子みたいな名前だね」
カー○ではないが、ヤールはフィニアの言葉にやれやれと首を振った。そして嫌味な笑みを浮かべながらフィニアの悪態に対して嫌味を返す。
「名前も名乗れないか、教育がなってないねぇ」
「私は生まれて3ヵ月ちょい、今教育の途中なんだ。自己教育だけどね!」
「それは良い事を聞いた、生まれたての思想種など―――僕好みに調教すれば研究者としての楽しみも倍増だ」
バチバチと火花が散る。フィニアとヤールの瞳には、相手に対する敵意と研究心しか宿っていない。
そして、2人共同時に魔力を練り上げた。魔法を発動したタイミングは同時、だが発動した魔法は全く別の代物だった。そしてソレは、ぶつかることなく最初の攻防の勝敗を決める。
「『妖精の聖歌』」
「捕らえよ、『大地縛』」
フィニアが真っ白な炎を幾つも生み出すと同時、ヤールは地面から伸びる地面の拘束具を作り出したのだ。
それはフィニアの真下から伸び、フィニアの足を絡め取る。フィニアは咄嗟に地面に対して白い焔をぶつけ、破壊した。すぐさま上空へと飛び上がり、拘束から逃れた。結果的に、白い焔は消えてしまい、ヤールもフィニアを捕らえそこなった訳だが……今のは完全にヤールが上手だった。
上手く躱す事が出来たが、下手を打てばあのままフィニアは捕まってしまい、後はヤールの好き放題攻撃されていたかもしれない。そう考えると、今の攻防だけでヤールがフィニアよりも魔法の扱いにおいて、上回っている事が分かる。
フィニアの頬を、冷や汗が流れた。
「……詠唱、破棄」
「詠唱破棄が思想種の妖精だけの技だと思ったのかい? 確かに君達のように魔法名を唱えるだけという風にはいかないけれど、そこに極限まで近づける事は出来るんだよ……魔法はイメージや現象の理解がモノを言うからね……呪文は、その補助器具でしかない」
「……ふーん」
「炎がどうやって燃えているのか知っているかい? 風がどういう時に吹くのか知っているかい? それを知っているかどうかで魔法はその効果を増減させる……皆無知だからねぇ。僕から言わせれば、他の魔法使いなんて皆時代遅れって奴さ」
ヤールの言葉に、フィニアは少しだけ魔法に関して学習する。同時に、成程と納得した。
フィニアは生まれた時より、魔法の使い方とその呪文を知っていた。しかし、何故その魔法がそんな現象を起こすのか、なんて全く意識していなかったのだ。フィニアにとって魔法は、なんとなく使えたモノなのだから。
だがしかし、ヤールの言葉が真実だというのなら、とフィニアは少しだけ記憶を遡ってみる。フィニアには桔音が異世界に居た頃の記憶が多少ある。その中で、桔音は様々な本を読んでいたし、授業もしっかり受けていた。その中に、科学に関する知識もしっかりあった。
「……『妖精の聖歌』」
「また同じ魔法かい―――……なに?」
フィニアは、炎の色温度についての知識を引き出し―――今度はもっと熱くと魔法を発動させた。すると、今度の炎は白ではなく……青白いな炎となっていた。綺麗なその青い色が生み出された結果……その空間の温度が一気に灼熱となる。
それもそうだろう、たった1つの小さな青白い焔ではあるが……フィニアの知識に沿って生み出されたその青は、炎の色で言えば最も温度の高い色なのだから。
その温度は、太陽の温度をも超えていた。
ヤールの表情が変わる。先程とは全く違う、まさしく炎と呼ばれるべき現象が起こっていた。今までの魔法は、炎の形をした魔力の塊であったのだ。熱も持っていたけれど、その熱も炎としては最低限の低さだった。
しかし今の青白い焔に関してはそうではない。空間を一気に灼熱に変える程の温度、しかもその現象をフィニアが理解している故に、魔力変換効率に関しては今までの『妖精の聖歌』に比べて段違いに上がっている。寧ろ、消費魔力は今の方が少ないくらいだ。
とはいえ、青い焔の温度は16000K。巨大恒星の大気の温度と同等の熱ということになる。本来なら、発動した瞬間この空間に生物が存在していられる筈がないのだ。
だが、1人の魔法使いが恒星と同じエネルギーを生み出すなど不可能。それに、燃えているのだって可燃性の気体ではなく魔力―――実際には生み出された魔法も炎ではないのだ。厳密には、炎の性質を持った魔力である。
故に、フィニアが生み出したのは炎の性質を持った魔力であるだけで、実際に16000Kの温度を持っている訳ではない。青白いのだって、フィニアの思う高熱のイメージからそうなっただけなのだ。
正確には、高熱で物体を燃やす性質を持った魔力の塊ということになる。
「なんだそれは……先程とはまるで違うじゃないか」
だが、ヤールにとっては自分以上に炎を再現してみせた事が驚愕だった。
「―――炎が、どうやって燃えるか知ってる?」
「な、に……?」
「貴方はどうやら炎がどうやって燃えるか分かってるみたいだけど……残念、それ多分間違ってるよ」
フィニアはそう言って青白い焔をぎゅっと凝縮させ、小さな弾丸に押し固めた。小さな指が銃の形を取り、その指先が銃口の様にヤールへと指差される。ボボボ、と燃え盛る青白い弾丸が装填された。後は、発射するだけ。周囲に熱を振り撒く炎の弾丸は、凝縮されたことで凄まじいエネルギーを内包している。
ヤールは自分の研究結果を否定されて流石に頭にきたのか、その魔力を練り上げバチバチと音を立てる雷の矢を十数本生み出した。その散っていく雷は地面を焦がし、明らかに雷としての性質を持っていた。しかし、フィニアはそれも違うのだろうなぁと考える。
「ばーん」
「貫け、『雷光の矢』!」
フィニアが間の抜けた音と共に放った炎の弾丸と、ヤールの放った雷の矢が、衝突することはなかった。何故なら、フィニアが撃ったと同時にその弾丸はヤールの頬を掠めて後方の壁を突破していったからだ。しかも、その余波で雷の矢は霧散し消し飛んだ。
ヤールは頬に走る熱に表情を歪めたが、後ろを振り返り、その熱の痛みを忘れたかのように愕然とする。
普通の弾丸が突破した場合とは壁の状態が大きく違っていたからだ。本来ならどんなに速い弾丸でも穴が開くのだが、フィニアの放った炎の弾丸に関しては違う……壁に穴を開けたその上で、壁を大幅に溶かしたのだ。マグマの様に真っ赤に染まった壁が、じゅうじゅうと煙を上げて溶かしていっている。
巨大恒星の大気の熱程とは言わないが、太陽以上の高熱を持った弾丸は、着弾部分を蒸発させ、その周りの壁を溶かしたのだ。
それは、ヤールにも分かる現象だ。目の前で起こっているのだから当然理解出来る。
「な……」
「超大雑把に言えば、炎は可燃性の気体が燃焼して生まれる現象。そして魔法を使った炎でいうのなら、魔力がその気体で、方向性を与える術者が燃焼させる切っ掛けだね。でも、この魔法による炎は自然の炎と違って、温度を上げるのがそう難しくない。術者が使用魔力を増やし、そこにそういう方向性を与えてあげれば良いだけの話……材料が違うから自然の炎とはちょっと違う現象になるし、高熱といっても限界はあるけどね」
「なんだと……!」
「まぁ基本的にはこんな所だけど、炎には他にも色々あるよ? 燃焼の維持とか、発火の条件とか。でも、ごめんね! 難しくて理解出来ないかな?」
少しだけ意趣返しとばかりに講義をしたフィニアは、てへぺろーっと皮肉たっぷりに笑って小馬鹿にする。ヤールの思っていた原理とは違っていた様で、ヤールは歯を食い縛ってギリギリとフィニアを睨み付けた。
彼はそもそも原子論を知らない。科学で解明したモノを、魔法面から解明しようとするなど、本当に頭が良くなくてはいけないし、それ相応の科学的な歴史を知らなくてはいけない。まず不可能だろう。
だから、フィニアの言っている事はほぼ理解出来ていない。彼が見出した炎の現象の理屈は、魔素が一定以上の熱によって発火し燃えているというモノだったからだ。
唯一この世界の者が知っている元素ともいえるのが魔素故に、そう思っても仕方の無いことだろう。それに、見当違いとも言えず、中々的を射た理論ではある。天才というのは、間違いないだろう。
しかし研究者として、何も分かっていないと馬鹿にしていた者から、しかも研究対象から馬鹿にされるという事が許せなかったのだろう。
それはとんでもない傲慢で、驕りでしかないが……それでもヤールのプライドを大きく傷付けた様だ。
「ふー……良いだろう、その羽を毟り取って……その身体の隅から隅まで調べ尽くしてやろう」
だが、流石はSランク。その怒りを理性で抑え込み、冷静さを取り戻す。
そして怒り任せではなく、丁寧に魔力を練り上げて魔法を発動させる。フィニアは少しだけその強大な魔力に藪蛇だったかな? と感じながらも、負ける気は無いと同じ様に魔法を発動させた。これから行われるのは、魔王を除いた魔族の中でもトップレベルの魔法使いと、思想種であり魔法現象を科学的に正しく理解している、これまたトップレベルの魔法使いの織り成す魔法のぶつけあい。
「『空から妖精の贈り物』―――!!」
「叩き潰せ! 『大地の鉄槌』―――!!」
轟音と共に、炎の隕石と大地の大槌が衝突した。