満月の夜に
―――お姉ちゃん、私って変なのかな?
………そんな訳ない。なんて言われても、私は変だなんて思わない。
―――でも、私こんな姿だし……外に出して貰えないよ?
………それでもだよ。大丈夫、いつか私が……外の世界に連れてってあげる。
―――本当? 約束だよ?
………うん、約束。私の命を掛けてでも、必ず守るよ
――――
―――
……
いつだっただろうか、そんな会話を交わした事があった。その時の約束は、今でもしっかり覚えている……そしてアタシはその約束を守った。守った結果、アタシはあの子を泣かせてしまった。あの子は優しい子だから、アタシが約束を守る為に取った行動を余計に自分のせいだと思っているのだ。
でもアタシは、約束を守ったことを今でも後悔していない。あの子の不安は全部アタシが背負うと決めた。あの子の幸せを阻害するモノは全て、アタシが受け止めると決めた。だから、今アタシは幸せだ。あの子があの子の好きな事を出来ているのだから。このまま、元になんて戻らなくても良い……アタシは、あの子が幸せに暮らせる世界を作る為に、自分を投げ打ったのだから。
けれど、あの子はアタシに奪い取られてしまった自分の不安や不幸を、アタシから奪い返そうとしている。アタシはこの不幸を背負って居られることを誇りに思っているというのに。思わず、苦笑してしまった。
それにしても懐かしい日の夢を見た。
あの日は、アタシとあの子の人生が大きく変わった日。アタシがあの子の不幸を奪い取った日。そして何より、あのふざけた怪物に魂を売った日だ。
一応、アタシ達はアタシ達の何もかもを元に戻す方法を知っている。知っているけれど、実行は出来ない。手段が明確になっていないということもあるけれど、この方法を実行する為にはアタシ達自身の心をどうにかしないといけない。そういう方法なんだ。
だからあの子はアタシが変えた何もかもを元に戻すことが出来ないでいるし、アタシはアタシが変えた何もかもを維持し続けられている。
「ん……今日は満月か……最悪だな」
空を見上げると、そこには静かに輝く満月があった。
アタシと会った事のある奴は皆、アタシの瞳を綺麗な銀月の様だと言う。だが、アタシとしてはそんな悪意の無い褒め言葉が、最も最悪な悪言になってしまう。アタシはあの月が、嫌いだから。
―――あの月が、アタシの大切な……世界でたった1人の妹を、生まれた瞬間から不幸にしたのだから。
睨み付ける様にして、アタシは輝く満月を睨みつけた。嘲笑うかのように、満月はアタシ達を見下ろしていた。
すると、アタシの横で何かが動く音がする。視線を月から下へと移すと、そこにはアタシの世界で最も大切な妹がすやすやと眠っている。今日はかなり歩いたからな、今アタシ達がいる魔族の集落に辿り着く頃にはすっかり夜になってしまった。疲れて眠ってしまうのも仕方の無い事だ。
「……お前は、まだ探すつもりなのか……この変化を元に戻す為の相手を」
「……すぅ……すぅ……」
「……そんなことをしても、見つかる筈がないってのになぁ」
そう、この変化を元に戻す為には、アタシ達の心の問題ともう1つ。この変化を元に戻す為の特別な相手が必要だ。でも、それだって誰でも良い訳じゃない……アタシ達が選び、真にこいつだと思った相手ではなければならない。その相手選びの条件が、アタシ達の心の問題って奴だが……今のこの子には絶対に見つけることが出来ないだろう。
アタシ達の状態をあの頃と同じモノに戻すという考えで見つけられる程、その相手の条件は簡単じゃないし、そんな考えで探した所で見つけられる筈がない。
けど、アタシはコレをこの子に教えることはしない。アタシはこのままで良いんだから……このままで、ずっと生きていきたい。この子の隣で、この子の幸せを見守っていきたい。
「……大好きだぞ、クロエ」
アタシは大事な妹であるクロエの頭を撫でて、隣に寝転がり、目を閉じる。どうやら疲れていたのはアタシもだったらしい。すぐに眠気が襲って来て、アタシの意識はすーっと眠りの中へと落ちて行った。
◇ ◇ ◇
僕達が魔族の集落に到着した時、空はもう暗くなっていた。満月が美しく輝いているね。リーシェちゃんも既にフードを被っていないし、レイラちゃんはまだ僕が背負っているけれど大分回復してきている。
その証拠に、ぐったりしていたレイラちゃんが、上体を起こす程度の力を取り戻しているからね。僕の両肩に手を置いて、普通におんぶされている。しかし降りる気は無い様で、降ろそうとするとすぐに首を締める勢いで抱き付いて、離れようとしない。
なんでも、まだ気分が悪いらしい。まぁそんなことが言える元気がある以上、かなり回復していると思うのだけれど、まぁ集落に着くまでだからねと行って承諾させたので、辿りついた今はレイラちゃんも流石に、僕が降ろそうとする事に反抗したりはしなかった。
「もうちょっと乗ってたかったなぁ♡」
「流石に僕も人を1人おんぶし続けるのは腕がしんどいよ」
「女の子に重いって言っちゃダメなんだよ?」
「言ってないよね? つまり重いって自覚あぷぎゅ」
「――ダメなんだよ?」
レイラちゃんが僕の台詞を僕の顔を掴むことで遮り、なんだか有無を言わさない雰囲気と笑顔でそう言った。気分悪いという発言は何処へ行った。でもなるほど、攻撃は防ぐ防御力もじゃれあい程度なら通用するのか、顔を掴まれる行為までガッチガチにガードしてたら生活してられないもんね。
とりあえず妙な波風を立てたくないから軽く頷いておいた。レイラちゃんの白い手が僕の顔を放し、彼女の顔の横でぐっぱっと閉じたり開いたりする。返答に満足したのかにへらと笑ったレイラちゃんの表情は、いつも通りのモノに戻っていた。そんなに体重に触れられるのが嫌か、本当に変わったよねぇこの子。体重なんて気にしない子だったのに。
でもどうなんだろう? レイラちゃんって最近普通の料理以外何も食べてない気がする。具体的に言えば、人間や魔獣を食べていない気がする。僕に噛み付いていると衝動も大分収まるらしいけど、それでも何も食べていないことは事実だ。そんなんで力が出るんだろうか? そういうタイプの魔族なんだし、ちゃんと人間とかを食べないとダメなんじゃないの?
レイラちゃん、君もしかしてかなり前からずっと―――空腹なんじゃないの?
「……レイラちゃん、大丈夫?」
「ん? なんの話かな♪」
「……いや、なんでもない」
空腹感に苛まれているのなら、あの酷い船酔いも納得出来る。
乗り物酔いは基本的に三半規管や脳に普段経験しない刺激や揺れが与えられることで起こる症状だ。本来、アレだけ動き回れるレイラちゃんの平衡感覚ならそもそも乗り物には強い方が自然だ……でも、人間や魔獣を食べないことで、人を喰らう性質の魔族である彼女の身体は、脳に十分なエネルギーが送られていないことになる。
栄養失調の脳ならば、乗り物酔いを起こしてもおかしくは無いだろう。生きていけるだけのエネルギーは、普段の様子を見ていれば普通の料理で取れているんだろうけれど……魔族の肉体が戦闘などを行う際に全力で動く為には、少々足りないのかもしれない。
さてさて……どうしたものかな。もしもこの推測が当たっていたら、レイラちゃんが空腹に耐え切れずに誰かを襲うのは時間の問題かもしれない。あ、この大陸には魔族しかいないんだっけ? まぁ魔族なら喰って貰っても構わないかな?
ともかく、この推測が当たっている可能性もある。レイラちゃんにはあまり無理をさせないでおこう。
「それにしても……この村、というか集落? 縄文時代みたいだなぁ……家が全部草木で作られてる……秘密基地みたいだ」
「もしかして家が集まっているだけで、村みたいに交流はないのかもしれないね」
「でも、血の匂いはあまりしません……争いが頻発している訳ではなさそうです」
「てことは……ある程度のルールはあるのかもな」
集落には、藁の様な草や枝で作られた秘密基地の様な家が幾つもあった。点々と数十件程存在している。そして隅の方には同じ様な藁の様な草と枝が纏めて置かれていた。もしかして、お好きにどうぞって奴? 勝手に家を作れってことなのかな?
そうだとすれば、大分フリーダムだな。多分魔王城とかそういうのあるだろうに、城下ではまともな家がないの? それとも此処が特別なだけなのかな?
とりあえず、藁で寝るのも興味はあったけれど、疲れたから瘴気で家を作ることにした。簡単なログハウスを作って、全員が中に入る。中は空だけど、簡単なベッドを瘴気で作って、アイリスちゃんに貰った『魔法袋』の中に入っていたベッドのマットを瘴気ベッドの上に乗せた。これでベッドの完成だ。
「とりあえずは此処で過ごそう。細かい事は明日の朝にでも考えようか」
「……なんというか、旅なのに結構快適だよな」
「快適な方が良いじゃん。ドランさんは藁で寝る?」
「いや、悪かったよ。俺もこっちがいい」
ドランさんがなんだか呆れた様な顔をしたけれど、ちょっと外で寝るかと聞いたらすぐに掌を返した。旅の醍醐味とかそういうものを大事にする人達っているけれど、勿体ないよね。楽出来るなら楽するべきなんだよ、なに旅の醍醐味とかいって命賭けてる状況で楽しんでんのさ。
それに、疲れを癒すことが出来るのなら、最大限そうするべきだ。ベッドが使えて、安全な領域を確保出来るのならそうするべきなんだよ。瘴気の家は僕の耐性値を持っていて、扉を消してしまえば隔離された空間になる。まぁ多少空気の通り道は作っておくけれど、最高の核シェルターが出来る以上使わない訳にはいかないね。
僕は学ランを脱いでベッドに寝転がる。
あ、服と言えば……レイラちゃんのあのお洒落服、ルークスハイド王国の宿に置いてきちゃったな。アイリスちゃんが回収してくれてたりしないかな。そうすれば後々回収出来るんだけど……まぁ、レイラちゃんが気付かない内に全部終わらせて回収しに行きたいなぁ。気付かれたらちょっと面倒臭いことになりそうだしね。
最悪、新しい服を見繕ってあげないといけないかもしれないね。
そんなことを考えながら、僕達は瘴気の家の中で思い思いに過ごすのだった。