家族
「そんなの……そんなの駄目です……!」
唐突に、ルルちゃんがそう叫んだ。叫んだというには、些か声は小さく、迫力も無かったけれど、僕にはそう思えるほどルルちゃんから切実な何かを感じた。
購入してから、ずっと何か思いつめた様にしていたルルちゃん。それでも少しづつ仲良くなっていければいいなと思っていたけれど、どうやら僕の思惑は失敗したらしい。
「……それは、何が駄目なのかな?」
エイラさんから貰った服をぎゅっと握りしめて、肩を振るわせるルルちゃん。
君は何を想い、何を抱えてるんだ。僕はなるべく君を奴隷として扱いたくはないんだけど、それは君にとって良いことではないの?
すると、ルルちゃんはあの青年に暴言を吐き捨てた時なんか足下にも及ばないくらい、怒りの感情を剥き出しにした表情で僕を見上げて来た。一瞬、気圧された様に僕は一歩、足を下げてしまった。『赤い夜』に出会って、何も怖くないと思っていた僕が、ほんの12歳程の少女に気圧されてしまった。
「きつね様は……優しすぎますっ!!」
「え……」
「なんで叱らないんですか……! 奴隷は主人よりも下の、家畜みたいに虐げられる存在です……手を握って貰うことや、頭を撫でてくれるなんてこと……そんなの悪い夢です! 本当なら暴言を吐かれて、主人に触ることすら罪になる筈です……! 普通奴隷が主人よりも眠っていたら叱られないといけないんです! 食事だって本当は与えられなくてもおかしくないんです……! 服だってあのボロ布のままでもおかしくないんです!」
優しくされるのは、おかしい。
それは奴隷にとって当たり前の常識で、叶う筈の無い夢、欲望。この世に生まれた瞬間にあるべき幸せで、奴隷になった時に失ったもの。
ルルちゃんは見た目通り、まだ幼くて純粋な子供だ。それでも、そのことだけはしっかりと心に刻み込まれている。自分は優しくされてはいけない存在だと、虐げられない人生はもう送れないのだと。
なのに、僕はその常識を悉く外れる行動を取っていたってわけか。
「それだけじゃないです……! 主人に絶対服従が当然の奴隷……なのになぜ私に命令して下さらないんですか! なぜ強制してくれないんですか……! やれと言われればなんでもします……攻撃の的にだってなります、不満をぶつける相手にだってなります、経験はないですけど……夜伽の相手にだってなります……! なのに、何故きつね様は言ってくれないんですか……! 命令に背いた私を……何故許してくれるんですか……!!」
それは、精一杯の感情だった。
ルルちゃんみたいに、幼い頃から奴隷として生きてきた子は、きっと虐げられない生活が怖いんだ。ずっと虐げられる人生を約束された奴隷、二度と優しくされることはあり得ないと決まっている奴隷。
なのに、昨日から僕は手を繋いで、頭を撫でて、褒めて、優しくして、あり得ないと思っていたことを連続してやっていたわけだ。
ルルちゃんにとって、それはあり得ない。あり得ないから怖い。不安になるんだね。
虐げられないことが、怖いだなんて……なんだかとっても可哀想だ。
「……ルルちゃん」
「っ……そうですよ……こんな風に反抗的な奴隷は虐げるんです……叩いて下さい、暴言を吐き捨ててください……それが私の生きる意味です……」
叩いて欲しい、暴言を吐いて欲しい、そんな気持ちの伝わる言葉。僕の呼び掛けに、肩を震わせて、眼を逸らしながら言うルルちゃんの姿は、酷く痛々しい。
「僕は君を叩かない、暴言も吐かない、虐げない。性欲の捌け口にもしない、命令も強制しないし、君を虐げる事は何一つしない。僕が君にしてあげるのは、手を繋いだり、頭を撫でたり、褒めたり、ご飯を一緒にとったり、一緒に寝たり、君に優しくすることだけだ」
「っ……まだ分からないんですか!? 私は奴隷です!!」
「君は奴隷だ、でも僕の仲間で、家族だ」
「なっ……」
そう、君は僕の奴隷だ。でも、僕の仲間で、友達で、家族だ。それが僕の君に対する扱いで、優しくする理由。
女の子を虐げるような趣味は、僕にはないからね。
「な……んで……」
「いいかいルルちゃん、君は僕の奴隷。でも、僕に買われたからには僕の意向に従って貰う」
「……」
「君は奴隷だ。でもね、君は優しくされてもいいんだよ。君が奴隷になった経緯は聞かないし、今まで優しくしてくれた人はいなかったかもしれない。でもこれからは違う、これからは僕が君に優しくするし、君を虐げる人は僕が許さない。」
虐められていた僕に優しくしてくれたしおりちゃんのように、今度は僕がルルちゃんに優しくする。僕は虐められる痛みを知っている、でも優しくされる喜びも知っている。
だからルルちゃん、君の常識は僕が打ち壊す。君の心は僕のものだ、僕が勝手に救わせてもらう。
「君は僕の家族だ、それじゃ駄目かな?」
「な、んですか……それ……だから首輪を付けなかったんですか?」
「家族に首輪を付ける人はいないだろう」
「だから……私に優しくするんですか?」
「そうだよ」
ルルちゃんは俯いて、ふるふると身体を震わせている。怒っちゃったかな? 奴隷としてそれは容認出来ない、みたいな?
まぁどちらにせよ、僕が主人だから譲るつもりは一切ないけどね。
「……じゃあ」
「え?」
「じゃあ……私の髪、切って下さい。伸びすぎてるので」
「え?」
「家族……なんですよね……我儘、聞いて下さい」
ルルちゃんは少し不安げな上目遣いでそう言ってきた。家族だから、我儘位言うだろう。なるほど、奴隷としての常識を捨てようとしてるのか、僕の言ったことを実践するために。
僕は髪を切るなんて経験ないけど、ルルちゃんが歩み寄ろうとしているのなら……僕も頑張ろう。
「うん、いいよ。宿に戻ったら、綺麗に切り揃えてあげる」
「……ありがとう、ございます」
そう言ったルルちゃんの表情には、少しだけ嬉々とした感情が浮かんでいるのが分かった。
少しだけ、彼女と僕達の絆が深まった気がした。
「良かったねー、きつねさん」
「うん」
「所で私がずっと空気だったんだけど、私も我儘聞いて欲しいなぁ!」
「うん、ごめん、フィニアちゃん。謝るから、忘れてたわけじゃないんだって、本当ごめん、許して、そんな怖い顔しないで」
ルルちゃんとの絆が深まったのは良いけれど、このフィニアちゃんの怒りをどう収めようか。魔力が迸ってる、不機嫌時のミアちゃんみたいな笑顔だよ。目が笑ってない。怖いって、ごめんって。
「……ふふっ」
あ、ルルちゃん笑った。
◇ ◇ ◇
フィニアちゃんの怒りをなんとか収めて、ギルドへ戻ってきた。暴走するフィニアちゃんの魔法攻撃をルルちゃん抱えて避けるのはかなり大変だった。何体か流れ弾で魔獣倒してたし。
まぁなんとかボロボロになりながらもルルちゃんの取った薬草を持ってギルドへと戻ってきたわけだ。ミアちゃんがボロボロの僕を見てぎょっとしていたけど、いつも通り薄ら笑いで受付まで来ると、彼女もいつも通り営業スマイルを浮かべてくれた。
「またやけにボロボロですね、また強い魔獣にでも遭遇したんですか?」
『赤い夜』の件もあるから笑えないな。とはいえ、僕はそれに苦笑で返した。
「ルルちゃん」
「はい」
ルルちゃんの方を向いて言うと、素直に持っていた薬草をカウンターに置いた。ルルちゃんの身長は低いから、カウンターに頭が出る程度だ。だから薬草が見えなかったのだろう、ミアちゃんは今納得したように僕達の受けた依頼の依頼書を取り出してきた。
「依頼達成ですね。一週間も期限があるのですからもう少しゆっくりやっても良かったのでは?」
「うん、まぁそうなんだけど……収穫はあったからいいかなって」
ルルちゃんの頭を撫でながらそう言う。気持ちよさそうに眼を細める彼女の表情は昨日よりも何処か愛くるしく見える。遠慮なく甘えてる感じがするからかな?
ミアちゃんにもそれが伝わったようで、微笑ましい物をみたようにクスッと笑った。美人が笑うとやっぱり絵になるね。
すると、ミアちゃんは依頼の達成処理を手早く済ませて、報酬をくれた。今回の報酬は銀貨1枚、まぁ得たものでいえば金貨3枚分のものが手に入ったからいいとしよう。
「きつね様」
「何かなミアちゃん」
「そろそろきつね様もランクアップの訓練を受けてみてはどうですか?」
ランクアップ……か。
いずれ周囲からこういう話を持ちかけられることもあるだろうとは思っていたけど、ミアちゃんが持ちかけてくるとは思わなかったぜ。
でも、僕は今の所Hランクから上に上がるつもりはない。というか、上がれる気がしない。だって腕力40だぜ? しかもこれ限界値だぜ? 無理に決まってんじゃん、奴隷だけどルルちゃんにだって負ける自信あるよ僕。だってこの子の方が腕力高いもん。しかも無自覚に急所突き覚えちゃってるし、絶対戦いたくない。
「止めとくよ、僕は弱いからね」
「……そうですか」
「あ、でも代わりにフィニアちゃん達を冒険者登録出来る?」
「え?」
今思い付いたけれど、フィニアちゃんなら確実にもっと上のランクを取れる。ルルちゃんだって素質は良いし、獣人の性能ならもっと上のランクを取れる筈だ。冒険者登録した時はお金が無かったから僕しか登録しなかったけど、今ならフィニアちゃん達も登録出来る。
ランクを上げるのは別に僕じゃなくてもいいじゃないか。フィニアちゃんとルルちゃんが組んで魔獣討伐依頼を受ければレベルも上がるし、お金も稼げる。一石二鳥じゃないか。
「いいの? きつねさん」
「言っただろうフィニアちゃん、君にはとにかく強くなってほしい。それで、僕を護ってくれ」
「……うん! 分かった!」
「……それでは、フィニア様と……ルル、様ですか? の冒険者登録を行いますね」
「うん、よろしく」
少しづつ、強くなってる。レベルだって上がってる。もう少ししたら、時期を見て元の世界へ帰る方法を探そう。それで、しおりちゃんとの約束を果たすんだ。
でも、その時になったら……フィニアちゃんやルルちゃんは、どうすればいいんだろう―――
◇ ◇ ◇
登録を終えて、僕とルルちゃんは宿に戻ってきた。フィニアちゃんは登録が終わった後、都合よく開かれていた訓練に参加してくるそうだ。まぁフィニアちゃんの実力なら余裕でFランクを取って来るだろう。ルルちゃんはまだレベル1で、戦闘経験も未熟なのでとりあえずは登録だけということになった。
「さて、ルルちゃん」
「はい」
「君は冒険者になったわけで、これから魔獣とも戦って欲しい」
「……はい」
「家族とか言った手前言い辛いけど、最初は僕やフィニアちゃんが付いているから大丈夫、怪我一つさせないことを約束するよ」
ルルちゃんは……というか普通の人は魔獣を恐れる。戦う術を持っていないからやり合えば死ぬことが分かっているからだ。
でも、僕と一緒にいるっていうことは何かと戦うことになるってことだ。やっぱりそれなりに戦える力が必要だと思う。
「分かりました」
「うん、そこで……君にはこれをあげる」
「小剣、ですか?」
「うん、武器屋の人曰く女の人でも扱えるらしいから、多分ルルちゃんでも扱えるよ」
僕より腕力あるし。
「で、でも……これはきつね様の武器じゃ……」
「僕は正直扱える気がしないし、攻撃力でいうならルルちゃんが持ってた方が良い」
「……それじゃあ、いただきます」
「うん。あ、そうだ髪切らないとね! ちょっとそれ貸してくれる?」
「あ、はい」
約束を思い出して、小剣を貸して貰う。椅子に座って貰って、ルルちゃんの後ろに立った。座ると地面に付く位長い髪の毛、ボサボサだけど触れてみればまださらさらとした感触があって心地良い。
小剣を立てて、肩甲骨の辺りで切り揃えて行く。散髪の経験はないから、丁寧に、慎重に切っていった。そして、前髪など細かい所まで全部切り終えた時、ルルちゃんは見違えるように可愛くなった。
ボサボサだった髪はある程度整って、獣人の回復力から活力が少し戻った身体と合わされば、純粋清楚といった雰囲気のある少女になっていた。また、購入した時は活力の無かった瞳も大分生気を取り戻しており、綺麗な服も相まって奴隷とは思えないほどだ。
「うんうん、こんなもんかな。はい、ありがとう」
ルルちゃんに小剣を返し、切り落とした髪の毛を纏めてゴミ箱に捨てる。すると、ゴミ箱の中にある物を見つけた。奴隷商から譲り受けた、『隷属の首輪』だ。あの後、宿に帰って来た時に捨てたんだったか。
「それは……」
「あ、うん『隷属の首輪』だね。大丈夫、付けたりしないから」
「……いえ、付けてください」
「え?」
え、何? ルルちゃんそんな趣味があったの? と思ったけど違うみたい。真剣なまなざしをしている。ふざける雰囲気じゃなかった。
「……どうして、かな?」
「きつね様は家族だと言ってくれました……それは嬉しいです、でも……私はあくまで奴隷です。それを忘れてはいけません……だから、もしも私を家族だと言ってくれるのなら……その首輪を付けてください」
「……奴隷としてじゃなく、家族の証としてこの首輪を付けて欲しいってこと?」
「……きつね様が嫌なら別に構いません……でも、私はそうしてほしいです」
奴隷、という立場はやはりそう簡単に捨てられる様な鎖ではないってことか。家族だと言い張っても、奴隷は奴隷、ステータスの称号にもあるように、その事実は変わらない。
ならば、奴隷という立場を忘れないことで、家族になろうということか。その為の首輪、その為の約束。ルルちゃんが僕と家族になるための首輪。
「……なら、その我儘を聞いてあげる」
この首輪は付けるだけで主従の契約が結ばれる。でも、主人が命令として言葉にしない限り『命令』にはならない。それに、こんな首輪程度で崩れるような関係が、家族といえるわけがないよね。
僕はルルちゃんに首輪を付けてあげた。そして、改めて命令を下す。
「ルルちゃん、君は僕の家族だ。嫌だと思ったら僕の命令を聞かなくても良い。出来ないことは教えるし、出来ないことをさせるつもりも無い。これは命令だよ」
「―――はい、きつね様」
こうして主人と奴隷は家族になった。