違和感を感じる人々
魔王の齎した魔道具の効果は全国的に人々を洗脳し、桔音が人類の敵であり、空気扱いしなければならないという常識を植え付けた。
大陸中、最早ソレが常識であり、アリシアが王家として他国にその報せを送るまでも無く全国で『そういうこと』になってしまっている。桔音は既に大陸を出る為に移動を開始しており、空気扱いする存在がないのでその常識はあまり効果がないのだが、それこそが魔王の狙い。人間の大陸に居られなくなった桔音は、暗黒大陸へとやってくるしかない。暗黒大陸にやってきたからには、桔音としても人間の大陸に戻る為に魔王を殺しに来る。
魔王の目的はそこにある。桔音と戦う為の状況を作る為に、桔音を暗黒大陸へと呼び寄せたのだ。
その理由は自分の有利なテリトリーで戦う為、というのもあるのだが、他にも色々と理由がある。まず暗黒大陸であれば桔音のパーティメンバー以外自分と桔音の戦いを邪魔する者はいないということ。そのパーティメンバーは配下の魔族達を使って分断すれば良いのだから、実質邪魔をされない。
その上で、暗黒大陸ならば魔王も本気を出せるのだ。魔王が本気で戦えば、周囲への被害が凄まじい物になるので、暗黒大陸の魔王城という環境下で戦うしか本気を出せないのだ。故に、桔音と戦った時は人間化と姿を隠す力等を使って自分の力を抑えていた。
「全力で死合うことこそ、闘争の本分―――きつねよ、我が闘争心を満たしてくれ」
魔王はそう呟いて、魔王城にて不敵に嗤う。
環境は整えた。人間の王を使って、桔音を暗黒大陸まで追いやるというお膳立てまでしたのだ。後はこの城で大胆不敵に待っていれば良い。
―――さぁ、早く来い、早く来い。
魔王の腹はすっかり飢えている。この空虚な腹を満たしてくれるのは、桔音との戦いのみ。そして桔音を壊した後、勇者というメインディッシュを喰らうのだ。魔王は楽しみで仕方がない、身体が震えている。
その隣に居る魔王の側近も、少しだけ桔音という人間に興味を抱いていた。魔王を此処まで滾らせる相手など、そうはいないからだ。今までの勇者達もそうだったが、勇者ではない人間で魔王を此処まで滾らせる―――それは、側近にとっても初めてのことなのだから。
「ッハハハ……! これ程時間が過ぎるのが遅く感じるとは、私が思っている以上に心が逸っているらしい」
「……来ますでしょうか?」
「来るさ――奴はそういう人間だ。正義感ではなく、必要になったという理由で私を殺しにくるのだ……ッハハハ……! この魔王相手にそんな理由で戦いを挑むなど、面白いではないか」
嗤う魔王に対し、側近は呆れた様に苦笑した。この闘争心の塊が、またもこの世界を揺るがせる……それは同時に魔族の侵略が始まる狼煙となるだろう。
魔王は待っている。桔音という敵を、今か今かと待っている―――
◇ ◇ ◇
その頃、人間の大陸では桔音が『人類の敵』という称号を得たという刷り込みに違和感を覚えている者達が居た。ソレは全員桔音を知っている者達であり、その常識が刷り込まれた瞬間からその刷り込みに違和感を覚えた者達だ。
ミニエラでは、ギルドのエース受付嬢であるミア・ティグリスがそうだった。
いつも通り仕事をする為に朝早くギルドへと向かい、制服に着替えている所で彼女の肩がピクリと動く。ふと桔音の顔が頭の中に浮かび、そしてそれを真っ白に塗り潰される様な感覚を覚えた。なんだこれは、と思った後にすぐ桔音の顔を思い浮かべると、彼を人類の敵として排他しなければならないという思考に辿り着く。
「どうして……?」
そしてその思考に疑問を抱いて、すぐに打ち消す。『人類の敵』などという称号は存在しないことを、ギルドで務めている彼女は知っている。国の定めた規則であるのなら、ギルドが把握していない筈がないからだ。
故に、桔音を排他しなければならないという考えをすぐさま打ち消した。もしかしたらそう呼ばれるかもしれない人間ではあるが、ミアにとって桔音は、本当に人類の敵に回る様な馬鹿ではない人物だからだ。
「……何か、起こっているのでしょうか……?」
そう呟いた後に、更衣室の扉が開いた。
「ふわ……あ、おはようございます先輩」
「……おはよう、ミシェル」
やって来たのはミシェル・ルマール。オルバ公爵と桔音がいざこざを起こした際に居た、青髪の女性――クレア・ルマールの妹である。桔音がミニエラのギルドに居た際に、ミアの隣に居た青髪娘である。あまり桔音と話したりはしなかった少女なのだが、桔音の事は知っている少女……ならば、とミアは口を開いた。
この違和感を確かめる為に。
「ねぇミシェル、きつね様のことを覚えていますか?」
「きつね……ああ、アレですか」
「アレ……?」
「先輩……良いじゃないですか、アレの話は」
ミシェルに桔音の話題を振ると、途端に冷めた瞳で話を切られた。それに、ミシェルは桔音のことを『アレ』と呼んだ。今まで桔音の話題が会話に挙がることがあったのだが、その際ミシェルは桔音のことを『アレ』とは呼んでいなかった。寧ろ、最近では自分に倣って『きつね様』と呼んでいた。冒険者であり、自分達の仕事のパートナーとも言える存在故に様付けなのだが、それを抜きにしたとしてもミシェルは他人を『アレ』呼ばわりする少女では無かった筈。
ミアは違和感を覚える。一体何が起こっている? 桔音に何かがあったことは確実だろうが、自分達はいきなり桔音を敵視する様な感覚に陥ったのだ。本当に唐突に。
ミアは着替えを終えて、眉を潜めながら思考する。この世界に、何かが起こっていると。
「……先輩?」
「……いえ、なんでもないです。仕事の準備をしましょう」
「? ……はい」
ミアの様子に、ミシェルが首を傾げた。こういうところはいつも通りなのかと思いながら、揃って更衣室を出ていく。
考えた所で何かが起こる訳でもない。分からない以上、いつも通りの仕事位はこなさなければならないだろう。ミアは桔音のことを頭の隅に置きながらも、いつも通りの業務を開始した。
◇ ◇ ◇
一方それと同時刻、グランディール王国では同じくギルドの受付嬢であるルーナ・エリタリアが同じ違和感を感じ取っていた。
彼女は桔音とは仲良くなかった。少なくともミアよりは仲が悪かった筈だ。しかし、ルーナは桔音のことを少なからず認めていた。ギルドをステラに破壊されて項垂れていた所を、自分を含めたギルドの人々の怒りを買うことで立ち上がらせたからだ。
ソレに気が付いたのは桔音が去り、ギルドを立て直した後のこと。桔音にそのつもりがあったかどうかなど、彼女達には分からないのだが、それでもルーナも桔音がそれほど馬鹿ではない事を分かっている。敢えて相手の怒りを買う様な言動をするなど普通はしないだろう。
それに、グランディール王国は弱肉強食の国―――レイラと桔音は、ギルドを一撃で破壊した張本人である使徒ステラとたった2人で戦い、ソレを退けた。その実力は認めざるを得ないだろう。ギルドは壊されたが、桔音達がステラを退けなければ、ギルドにいた冒険者達や自分達受付嬢は死んでいたかもしれないのだから。
故に、感じた違和感は直ぐに払拭された。桔音が人類の敵となり、排他しなければならないという馬鹿馬鹿しい考えを、彼女は直ぐにおかしいと切り捨てたのだ。
「……確かに人類の敵になりかねない腹立たしい奴だけど……あり得ないわね、アイツはそうならないように立ち回れる人間だもの」
そう言ってすぐに桔音について考えることを止めたルーナは、元々巨乳ではあったが最近ちょっと大きくなった胸を見て、むふふと笑った。元々ミアに負けていた部分であることから、もう少しで追い付けるという事実が彼女に多大な優越感を与えていた。
「よし! 今日も頑張っていきますか!」
ぱちん、と両手で頬を叩き、気合を入れてニカッと笑顔を浮かべた。
◇ ◇ ◇
違和感を感じたのは、他にもいる。ミアとルーナもそうだったが、桔音のことを知っている人間は殆どそうだ。ミシェルの姉であるクレアは、おかしいと感じながらもまぁそれ位やりそうだなぁと考えているし、リーシェの父親であるヴァイス・ルミエイラ騎士団長は、無論リーシェを任せた相手がそんな奴な訳ではないと、自分の人を見る目を信じた。
また、勇者達は桔音を空気扱いしなければならないという常識を刷り込まれたが、元々桔音に関わりたくないということで、特に意味は無かった様だ。
そんな中で、白黒の姉妹がその違和感を感じていた。
黒髪で夜空の様な瞳を持った少女――クロエ・アルファルド
白髪で銀月の様な瞳を持った少女――フロリア・アルファルド
ギターを持ったフロリアと、誰をも魅了する歌声を持ったクロエ。その2人は、獣道を歩きながら同時にその違和感を感じとった。桔音を排他しなければならないという常識の刷り込みを行う力、それを感じ取った。
「……クロエ、今の感じたか?」
「ええ……きつねさんに何かあったんでしょうか……?」
2人は空を見上げながら、少しだけ桔音の事を思い浮かんで眉をひそめた。2人の周囲には、魔獣が居るのだが、魔獣達は彼女達を襲おうとはしない。彼女達が演奏をした故に、魔獣達は彼女達を襲おうとはしない。
しかし、彼女達の周囲にいた魔獣達の数は普通ではない。人間の大陸で演奏した時もそうだったが、彼女達の演奏には人間達もそうだが、魔獣達をも引き寄せる力がある。だがこの数はおかしい、人間の大陸にいた時の数倍の数の魔獣達が集まっているのだ。
それもその筈だろう。何故なら彼女達が居るこの場所は……まさしく桔音達が向かっている場所なのだから。暗黒の大地に、溢れかえる魔獣達、そしてその最果てに聳え立つ不気味な魔王城を持った大陸。
―――暗黒大陸だ。
何故彼女達が此処に居るのかは分からない、がしかしそれでも彼女達は暗黒大陸で歌を歌っていた。そして何故か人間の大陸で起こった催眠を、暗黒大陸にいた彼女達も感じ取った。正確に言えば、桔音を排他しなければならないという催眠を感じ取った訳ではない。
その催眠を行う魔道具の力を感じ取ったのだ。
何故彼女達が暗黒大陸にいながらもその力を感じ取ることが出来たのか、ソレは分からない。しかし、暗黒大陸に彼女達が居て、桔音達もその大陸目指して移動している。
それならば、
暗黒の大地に彼女達と桔音達がいる以上、再会は必然なのかもしれない―――……
なんとか間に合った!