崩壊
何を言わんとしているのかは分かる。今すぐにでも私と戦え、拳を握っている姿を見ればそんな気持ちが伝わって来る。今までお預けを喰らって我慢して来たのだ、彼女の戦闘意欲は既に爆発寸前―――いや、もう溢れ返っている。地面を軽く揺らしているんじゃないかと思う程の覇気と威圧感、常人であれば向かい合っているだけで気圧され失神するのではないだろうか。
桔音は、彼女の拳が叩き潰したリッチだったモノを見て、彼女の意識にはもうリッチが入っていないのを理解する。彼女の橙の瞳には、もう桔音しか映っていないのだ。
桔音は、そんな彼女の拳を見てとりあえず『不気味体質』を発動させる。彼女は、桔音から発せられた死神の威圧感に、にんまりと笑みを作る。どうやら、桔音の威圧感から強者の気配を感じ取ったようだ。気に入った、というのが1番表現として正しいだろう。
橙の瞳と虹彩異色の瞳が交差する。拳を握る少女と、漆黒の棒をくるりと回し刃を作りあげる少年。発動したのは、『武神』。おそらく――いや、確実に『病神』では威力負けするし、『死神』では刃が当たる前にあの拳が自身を打ち抜くであろうと分かっているからだ。
初撃は、『武神』以外の攻撃を繰り出した瞬間必ず打ち負ける。
じり、と少女が足を少し前に出した。ざり、と少年は足を1歩後ろに下げた。互いに半身になって構えたが、少女と少年にはこの時点で大きな差が明確に表れている。少女には隙がなく、少年は隙だらけだということだ。隙を作って、わざとそこに攻撃を誘っているわけではない……本当の意味で少年は隙だらけだった。
故に、少女は少年への評価を1つ下げる。だが、それでもSランクになったということはそれなりに実力があるということ。隙だらけだろうが、強いと評価された実力に対して油断も侮りもない。
彼女は獅子だ。獅子は兎を仕留めるのにも全力を尽くす……彼女は桔音がどれ程の弱者であったとしても、自身の最強を揺るがす可能性があるのなら――全力で叩き潰す。
両者が同時に、地面を蹴った。
桔音は魔眼を発動させ、先見の映像に自身の身体の動きを合わせる。最早、先見の映像と少女の動きはほぼ同時――桔音はせめて動きだけでも捉えようと魔眼を発動させたのだ。そして、迫りくる拳に対してその強大な刃を合わせるように振り落とす。
魔眼を持っていなければ、視認出来なかった速度。しかし、魔眼を持っていたからこそ衝突した拳と刃。
最強の座に就いてから、少女の拳を防ぎきったものはいない。不敗、だからこそ最強なのだ。その拳が敗れた事は、未だかつてありはしない。
しかし、今この瞬間桔音はその拳に抗う。自身の最強の一撃を以て、対抗する。衝突した、衝撃と衝撃。轟音、というには生温い。最早巨大な音過ぎてその場に存在した音が消え去った。その場にいた全員の耳が余りの爆発音に、その機能を一時的に停止したのだ。
訪れる沈黙、しかし衝撃波は絶えず周囲を破壊していく。元々『武神』の一撃と少女の天井への拳で、洞窟は崩壊直前まで追い詰められていたのだ。そこへその2つが衝突することで生まれた、爆発的な衝撃波が加わり洞窟が崩壊する。
地面が壊れ、天井が崩落し、道が埋まっていく。音の無い世界で、衝撃波が全てを飲み込んでいく。リーシェやドラン達は、その衝撃波の中で身体を動かしていた。身体を叩く轟風と衝撃波の齎す痛みを堪えながら、ドランは元々背中に背負っていたルルを抱き抱える形にして走りだし、リーシェとレイラとフィニアはそれぞれ、ドランを先導するように崩壊していくまだ無事な通路を駆けていく。
そして当の本人達は―――
――ッあ゛……っ……!
――フッ……!
音の無い世界の中で、明確な勝敗の形を示していた。
打ち負けたのは桔音。
最大威力で振り落とした『武神』の一撃は、彼女の拳の前に打ち負けたのだ。衝撃波同士の衝突は、より大きな衝撃波に小さい衝撃波が飲み込まれた。そして余剰分の威力に桔音が吹き飛ばされたのだ。跳ねる様に地面を勢いよく転がり、桔音は崩壊していく洞窟の壁を破壊してその姿を土塊の中に消す。
逆に最強の少女は打ち勝ったことでグッと拳を握ってガッツポーズをすると、満足気にフィニア達の通って行った道を、もう塞がっていたが拳で吹き飛ばして駆けて行った。たった一撃の勝負……だがそのたった一撃で勝敗は喫した。たった一撃で十分だった。
結果は歴然……桔音が負け、少女が勝った。
ただそれだけの話だ。そしてだんだんと音が戻ってきた世界の中で、洞窟は完全に崩壊したのだった。
◇
洞窟の外。無事に脱出したフィニア達は、桔音の姿がないことと橙色の少女が出て来た事で、桔音が敗北したことを理解する。そして洞窟が完全に崩壊したこと、桔音が出て来ていないことを鑑みて、フィニア達はすぐに塞がった洞窟を掘り返し始める。
レイラの瘴気が地面の隙間を縫って桔音を探すが、元々桔音と最強ちゃんが戦った場所はこの洞窟の中でもかなり深く広い所だった。見つかる可能性は低い。
しかし、フィニア達は魔法もスキルも肉体も使って地面を掘り返す。桔音のことだから、死んではいないだろうが……いや、最強の拳を受けたのだから最悪気を失っているかもしれない。その上で大怪我をしていたら、『初心渡り』を発動する前に出血多量で死ぬかもしれない。如何に耐性値が高く、自己回復力が高いと言っても気絶している場合、発揮出来る能力値は大きく減少する。
それでも高い耐性値を誇るだろうが、確実に無事とは限らない。
「きつねさん……!」
フィニアが光魔法の魔弾で土を削っていくが、やはりまだ見つからない。レイラもいつもの緩んだ表情を浮かべてはいるけれど、その頬を冷や汗が伝っている。ドランやリーシェは肉体労働、手で掘っている。ルルはその嗅覚で桔音を探すが、土の匂いに掻き消されているのかあまり芳しくはない様だ。
最強ちゃんはそんなフィニア達を見ながら、欠伸をする。そして、自分のせいでこうなっているのだからと、少しは責任を感じているのか、ドラン達を手伝いだす。ずざざざざざッ! と凄まじい勢いで掘り進められていく塞がった洞窟、だが桔音は出て来ない。
このままではダメージ云々の前に窒息死してしまう。フィニア達には、大きな焦燥感が生まれていた。
◇ ◇ ◇
その頃だ。一方桔音はというと、実は窒息していなかった。どころか、生き埋めにもなっていないし意識も失っていない。まぁダメージは深かったのだが、傷自体はもう『初心渡り』で消え去っている。
何故彼が無事だったのか、それは彼がぶっ飛ばされた先に別の空間があったことに他ならない。そこはぁの衝撃波の中でも空間を保っており、それ故に桔音は潰されることも無かったのだ。
狭くはあるが、落ちついた空間で倒れたまま、桔音は大きく溜め息を吐いていた。天井は相変わらずの洞窟で、周囲にも特に何も無いが、それでもこの空間だけ崩壊を免れるなどあり得ない。桔音は上体を起こしす。
すると、そこへ声が掛かった。
「……まさか此処へ入って来るとは思わなかったぞ」
「……リッチ」
「ああそうだ。先に言っておくが、先程死んだのは我の影武者である」
まぁそうだろう、と桔音は思った。彼は頭が良い、わざわざ負ける勝負だと分かっている相手に、見逃して貰うためとはいえその身を晒すなどあり得ない。十中八九影武者であることは、桔音も大方予想通りである。
リッチは生きていた。そして戦うつもりはない、となれば桔音も無理に戦うつもりはない。この辺でアンデッドを作らないでくれるのなら、桔音も余所へ移った彼に干渉するほどしつこくはない。
「ま、いいや……洞窟から出たいんだけど、出来る?」
「ああ、お安い御用だ。転移魔法を使えばその程度、容易い」
そう言ったリッチの手から魔力が練られ、転移の魔法陣がぼんやりと生み出される。そこへ入れば外へ出れると、リッチはその白骨の顎でくいっと魔法陣を指し示す。
桔音は疲れたのか、もう何も言わずにその転移陣の方へと歩いて行き、そして魔法陣へと踏み込んだ。そして転移する瞬間リッチの方へと視線を向ける。
その視線に気づいたリッチは、桔音にカラカラと笑って言った。
「先の話については本当だ……ただ、アレは全てデメリットの話……称号にはちゃんとメリットもあるのだ。あまり悲観はしない方が良いぞ」
「……そっか、ありがたく受け取っておくよ」
「ではな、願わくばもう2度と遭いたくはない」
「それじゃ、精々運命に惑わされないことだね―――ばいばい」
瞬間、ふっと桔音の姿が消えた。転移が完了したのだ。
残されたのは、リッチただ1人。カラカラと、乾いた音と共にリッチは笑う。桔音に見逃して貰ったからではない、いやそれもあるのだろうが……彼にとって自身の命が尽きた所で大した問題ではないのだ。自分が死んだ場合の対策を練ってはいたのだから。元々アンデッドを作り出す事が出来るのだ、死んだ後の事などどうにでも出来る。
そもそも彼は、『幽鬼』なのだから。1度死んだ彼が、今更2度目の死をどうにも出来ない筈も無い。
ならば何故彼が笑っているのか? それは桔音を転移させたからだ。ちょっとした意趣返しに、仲間達の下へではなくルークスハイド王国内へと転移させてやった。移動の手間が省けただろうが、塞がった洞窟を掘っている仲間達の姿を見れば、後々彼が無事な姿を見せた時、心配させたことで色々と叩かれることは目に見えている。
ここでアンデッドを増やすどころか、大幅に減らされてしまった。その意趣返しとして、それ位はしてもいいだろうと仕返しをしたのだ。人間の精神を併せ持つ彼だからこその、人間らしい意趣返しであった。
◇ ◇ ◇
―――なんだこの状況は?
桔音は、転移した後まず最初にそう思った。転移してきたのは、ルークスハイド王国の中……あのリッチが転移先を変えたのだろうと考えたが――その前に桔音を兵士達が取り囲んだのだ。どういうことだと問う前に桔音は拘束された。兵士達であることと、アリシア達なら話が出来るだろうと考えて、敢えて抵抗しなかったのだが……桔音はその後の話に付いていけなかった。
城に放り込まれ、まるで罪人の様にアリシアの前に突き出された桔音。両手を後ろで拘束され、地面にどしゃっとうつ伏せに倒れた。『死神の手』も没収されている。
そしてなにより分からないのは、アリシアが自分を本当に冷たい瞳で睨み付けていることだ。
自分が何かをしたのだろうかと思いながらも、何も思い当たらない。故に桔音はアリシアの言葉を待った。重苦しい空気の中で、しばしの間沈黙の時間が続く。
『きつねちゃん……』
唯一、転移で共に付いて来たノエルだけが、桔音の傍に居た。
すると、ついにアリシアがその口を開く。重々しく、王たる風格を放ちながら、これは嘘ではないという覇気を乗せて、言葉を紡ぐ。表情は何処までも冷徹、最早アリシアと桔音の間には友情の欠片すらも残っていないかのような、そんな冷たい瞳。
「―――Sランク冒険者、きつね……お前を人類の敵として、追放する」
そしてアリシアの放ったその言葉は、桔音の思考を……停止させた。
第十一章、終了です!
次回から第十二章 人類全てが僕の敵編に入ります。