魔族化の化学変化
僕とリーシェちゃんの戦いに、決着は付いた。
僕の勝ちで、リーシェちゃんの負け。でも、まだ終わりじゃない。僕は、このままリーシェちゃんを殺した奴の思い通りにこの戦いを終わらせるつもりはない。何が起こるか分からない、けれどリーシェちゃんが死んでいる以上、この可能性に賭けてみるのも悪くはない。
僕がリーシェちゃんに最後の一撃を振り下ろす直前、レイラちゃんが現れた。恐らく、リーシェちゃんが居なくなったからこっちに来たんだろう。ルルちゃんが居ない所を見ると、あの分かれ道で二手に分かれたのか、それともルルちゃんは宿に置いて来たのか、だけど……そんなことはどうでもいい。
よく来てくれた、レイラちゃん。
おかげで、僕はリーシェちゃんを殺した奴にちょっとした意趣返しが出来るかもしれない。殺されたのなら、取り戻そう。死んだ者は生き返らない、今でも僕はそう言うだろう。死んだ者は生き返らないし、蘇生することだって不可能だ。
今僕は、瘴気の刃でリーシェちゃんのお腹を貫いている。リーシェちゃんは何処か満足そうな表情をして、そのまま僕による止めの一撃を待っていた。
でも悪いねリーシェちゃん、僕はこのまま君を死体に戻すつもりはないんだよ。今ほど、僕はあのミニエラでレイラちゃんに出会えたことを感謝した日はない。
「リーシェちゃん―――強い意志を持って耐えてね」
「なに……ッ!?」
そう言って、僕は突き刺した瘴気の刃から瘴気を流し込んだ。
「―――『接触感染』」
接触感染、僕はまだレイラちゃんみたく空気感染による『発症』は使えないからね。瘴気の刃で突き刺し、そこから注射の様にウイルスを流し込む。そうすることで、『赤い夜』へと変貌させる事が出来る訳だ。
今回、僕はそれを利用する。人類を魔族へと、動物を魔獣へと変貌させてしまうこのウイルス。
ならば、これを魔族に使用したらどうなるのか?
食屍鬼を赤い夜へと変貌させるなど、意味が分からないし、無意味極まりないだろう。でも、もしもアンデッドに自我があったら? 肉体が一時的でも生きているとしたら? ウイルスは細胞を埋め尽くし、魔族として新たに生まれ変わると言えないだろうか?
人間だったレイラちゃんが死んで、魔族として生まれ変わった様に、アンデッドだったリーシェちゃんが、そのまま別の魔族として生まれ変わる可能性が―――あってもおかしくないだろう。
「これ、は……!?」
「これから君は『赤い夜』という病に侵される……意志を強く持って生き残れ」
問題は、リーシェちゃんの人格が消え失せてしまう可能性。しかし、レイラちゃんは人間としての感情を手に入れる事が出来た……ならば、リーシェちゃんも人間としての人格を持ったままでいることも出来る筈。
「ぐっ……ぅぁぁぁぁあああ゛あ゛!!!」
瘴気を生み出し、瞳が赤くなっていく彼女を見ながら、僕は眉をひそめる。後はリーシェちゃん次第だ。高質のアンデッドとして一時的に肉体が生き返っているリーシェちゃんだからこそ出来る荒技だ。
「頑張れ……リーシェちゃん」
僕はリーシェちゃんが病に打ち勝つことを信じて、無意識に歯を食い縛った。
◇ ◇ ◇
気が遠くなる、視界が赤い、身体中がじわじわと何かに浸食される感覚がする。きつねは言った、『赤い夜』を感染させたと。この症状は、そのせいなんだろう。
アンデッドとしての肉体を手に入れた私は、いつの間にかこの広い空間に立っていた。意識を取り戻した瞬間に理解した。自分が人間でなくなったことと、死んでしまったこと。そして、本能か無意識の部分に刻み込まれた命令があることを。
私の下へとやってきたきつねを見た瞬間、私は美味しそうだと思った。人間を食べたいという衝動が、私の中にあることに驚きを隠せなかったが……仕方ないかと思った。これがレイラの見ていた光景なのだろうと思った。
そして、きつねを殺せと私の中に刻み込まれた命令が叫び続け、私の身体はそれに逆らえずにきつねを攻撃する。自我がある分、私は全力できつねを殺そうとする肉体に歯噛みする。もう私は死んだ、死んで尚仲間を攻撃しようというのか。死んで尚、仲間を傷つけようというのか。
本当に、悔しい。無念だ。強くなりたいという誓いも、想いも、たった一振りの刃で斬り裂かれた。殺された。
苦しい。胸がギリギリと締め付けられ、思考が食人衝動に駆られていく。だが、きつねが見ている……耐えろ、耐えろ。魔族に殺され、誓いを壊され、人生を断たれ、その上で自分にまで負けるのは嫌だ。
強くなりたいという意志は、私だけのモノだ。生きたいという意志は、私だけのモノだ。きつね達の仲間は私だ。けして『赤い夜』じゃない。
顔が熱い、心臓の音を全身で感じる。視界の端に、黒い瘴気が見えた。抑え込め、抑え込め! 私は瘴気を強引に自分の中へと戻す。『赤い夜』を自分の中で抑え込み、自分という席を譲らない。赤い視界はおそらく、私の瞳がレイラと同じ赤くなっていることをしめしている。
故に、私はそれに対抗するべく『先見の魔眼』を発動させた。視界がいつもの色に戻ったが、気を抜くと赤く染まりそうだ。
身体ががくがくと震え、歯を食いしばる。唸り声が聞こえる……多分これは私の声だろう。ガリガリと精神が削られる感覚があるが、私もまた『赤い夜』に対抗し続ける。負けるわけにはいかないのだ。
なによりきつねが、私に頑張れと言ってくれているのだから。
―――殺せ、殺セ殺セコロセ殺せ……!
迸る殺人衝動を抑え込む。誰がお前なんかに負けるか……殺人衝動なんて、真正面から叩き潰してやる。
―――喰らえ、喰え、喰え、喰らって、喰らえ……!
湧き上がる食人衝動を踏み潰す。私はまだ人間だ、魔族の様に人を喰らうなどあり得ない。私は強くなりたい、自分に負けないだけの強さが欲しい。今更、そんなことにかまけている暇はない。
「頑張れ、リーシェちゃん」
きつねの声が聞こえた。前を見れば、きつねが見ている……私を信じている眼で、じっと見ている。
強い奴だ。最初に出会った頃は、お前がこんなにも大きな存在になるとは思ってなかったよ。私に新しい道を示してくれたお前が、また私に生きる道を示してくれた。本当に僅かな可能性、小さな門ではあるけれど……お前が信じてくれるのなら、私はその可能性を掴み取って見せる。
「―――ッッぁああああああああ!!!」
叫びとも、咆哮とも言える声を上げ、私は気合を入れる。すると、浸食による痛みが収まっていき、赤い視界がスーッと引いて行く。
これならば、勝てる。
バキバキと何かが砕ける音がする。多分、私の身体が『赤い夜』に対して拒絶反応を示しているんだろうけれど、それでいい……私は自分に勝って、まだまだ強くなる。
そして―――私は私の身体が、私のモノになる感覚を……掴んだ。
◇ ◇ ◇
叫び声をあげたリーシェと、それに対峙する桔音。
空間は静まり返り、リーシェも動きを止めていた。瘴気はもう出ておらず、リーシェの瞳はもう赤ではなくいつもの翠色へと戻っていた。
そして、リーシェが大きく息を吐いたことで、空間に音が戻ってくる。リーシェはすっと前のめりにしていた上体を起こし、桔音にふと笑みを向ける。
「……どうやら上手くいったみたいだね?」
「ああ……多分な」
桔音は、正直リーシェの変化に戸惑っていた。ステータスを見れば、リーシェがアンデッドではなくなってしまったことが分かる。つまり、彼女は完全な形ではないが、人間としてではないが、一応生き返ったのと同じ現象を引き起こしたと言える。
ただ、リーシェにはちょっと見た目的に派手な変化が起こっていた。なんと、瘴気の様に黒い羽が生えていたのだ。リーシェが聞いたバキバキという音は、羽が生えた時の音だったのだろう。
そして、瞳は翠色のままということで恐らくはまだ魔眼が残っているのだろうが、その瞳孔が縦線になっている。レイラと同じで、魔族の瞳になっている。
「……ん? 羽? 嘘ッ!?」
そこでリーシェが羽に気が付く。驚きの声が上がるが、まぁ仕方ないだろうと桔音は思う。
桔音は考える。死体であった彼女は、アンデッドとして人の肉体を喰らうという性質を手に入れていた。その上で『赤い夜』というウイルスを投入され、恐らくはアンデッドという肉体であったことも相まってそれに打ち勝ったのだろう。
結果、死体、食人衝動、瘴気、拒絶、様々相まって魔族への変貌がある種の化学反応を起こしたのだと予測する。
桔音が見たステータスは、こうだ。
◇ステータス◇
名前:トリシェ・ルミエイラ
種族:吸血鬼 女 Lv1
筋力:672390
体力:890900
耐性:56890
敏捷:717830
魔力:2450000
【称号】
『冒険者』
『吸血鬼(NEW!)』
『魔眼保有者』
【スキル】
『剣術Lv6』
『先見の魔眼Lv4(↑4UP)』
『身体強化Lv6(↑2UP)』
『俊足』
『直感Lv6(↑2UP)』
『見切りLv6(↑1UP)』
『回避術Lv4』
『危機感知Lv4(↑1UP)』
『不屈』
『魅了Lv3(NEW!)』
『吸血Lv3(NEW!)』
『魔力操作Lv3(NEW!)』
【固有スキル】
『先見の魔眼』
『夜の王(NEW!)』
◇
そう、彼女の種族はアンデッドではなくなったけれど、吸血鬼になってしまっていたのだ。恐らくは、こんな化学反応が起こった。
『赤い夜』とアンデッドの食人衝動-人間の肉体と意志=吸血衝動
アンデッドの魔力+魔族の生命力=超人的回復能力
『赤い夜』+アンデッドの肉体-人間の意志=吸血鬼化
つまり、強い食人衝動は人間の要素だけでは打ち消せず、結果吸血衝動が残った。アンデッドになって増大した魔力と、魔族化によって強化された生命力が合わさり、超人的回復能力を得た。そしてアンデッドの肉体で『赤い夜』に罹かったものの、人間の意志で『赤い夜』による精神汚染に打ち勝ったので、既に死んでいることである種の不死性を得ているアンデッドと食人衝動によって力を増す『赤い夜』が合わさり、吸血鬼という形に収まったのだ。
結論を言えば、食人衝動が弱まり『吸血衝動』に、増大した魔力と魔族の生命力、アンデッドの不死性で『超回復能力』を、そして抵抗したものの魔族化は免れず、『赤い夜』『アンデッド』『人間』の部分部分を寄せ集めて固めた結果、『吸血鬼』となったのだろう。
「…………その羽、動くの?」
「……ああ、思った通りに動く」
「……飛べるの?」
「……いや、多分このサイズじゃ飛べないだろう」
桔音の問いに、リーシェが答える。どうやら生えた羽は飛べないようだ。恐らくこの羽は身体に溶け込んだ瘴気が行き場を失い、吸血鬼化ということで羽となって顕現したのだろう。ただ、動くは動くものの、空の飛び方を知らないリーシェではやはり飛べないのだろう。
「……リーシェちゃん、君今吸血鬼になってるけど大丈夫?」
「え、吸血鬼? ……そういえばさっきからきつねの血に視線が行くな……」
桔音は思う。レイラちゃんに加えてリーシェちゃんも身体を求める様になったのかと。正直、レイラちゃんに噛み付かせて、リーシェちゃんに吸わせて、というのは流石に嫌だ。しかも吸血鬼だから吸血されたら吸血鬼になりそうで嫌だ。というか、今のリーシェちゃん日光の下に出して大丈夫なのかな? 灰になったりしない? アンデッドも光苦手だったし、その辺受け継がれてんじゃないの?
移動面倒臭そうなんだけど……リーシェちゃん大丈夫なのかな?
「きつねさーん」
「あ、フィニアちゃん」
「リーシェちゃん大丈夫? もう終わった?」
「うん、なんかリーシェちゃん吸血鬼になっちゃったけどまぁいいかなって」
「いいのか? あれ、吸血鬼になるって良い事だったっけ?」
桔音の言葉に、リーシェは戸惑いながらそう言う。その会話は、いつも通りの会話だ。リーシェが人間として生きていた頃と同じ、桔音の常識外れの言動にリーシェが頭を抱える、今までどおりの光景。桔音もリーシェもフィニアも、その光景が内心嬉しかった。
何はともあれ、リーシェは死んで尚吸血鬼として復活した。ステータスも大幅に上昇し、人間だった頃にはなかった弱点も色々と増えたが、吸血鬼として凄まじい能力を手に入れたのだった。
なんか色々な化学変化起きて吸血鬼になりました。
リーシェちゃん人外化……あれ、人間ドランさんだけ?