僕は認めたくなかった
洞窟は奥へと進むに連れてその重圧を増していき、そして現れるアンデッドの質も上がっていく様になっていた。桔音も進行速度が遅くなるのを感じ、アンデッド1体に要する時間も増えていくのを理解している。桔音の方には瘴気で変換出来るタイプのアンデッドが出て来ないのだ。相手はどうにも、桔音の戦い方や手札をしっかり把握しているようだ。
その上で、桔音に対し最も有効なタイプのアンデッドを投入している。瘴気に変換出来ない以上、桔音は直接戦うしかないし、フィニアの援護を受けるとしても光魔法で1度に倒せる数は限られている。魔法を発動する合間合間に、やはり桔音は武器を振るわなければならないのだ。
使っているのは『病神』。振ることで瘴気の刃を飛ばす事が出来るので、直接斬ると同時に攻撃し続けることが出来るのだ。
だが、アンデッドを斬り飛ばし、飛ぶ刃で斬り裂き、それでも尚数の差は圧倒的。手数が回らず、戦闘技術の拙い桔音は無駄の多い動きをして体力を大きく削られていく。蠢くアンデッド達が桔音の武器の間合いに殺到し、段々と中距離攻撃武器である『病神』の薙刀が機能しなくなってくる。
やがて噛み付いてくるアンデッドも居るが、今の所は桔音の耐性値のおかげで無傷。フィニアが光魔法で桔音に掴みかかって来るアンデッドを倒してなんとか均衡を保っている所だ。
「くっ……!」
Sランクになったとはいえ、それでも桔音の力が凄まじいだけであることは変わらず。今でも桔音は能力値やスキル任せの戦闘技術しかもっていない。大きな力も、使いこなせなければ意味がないのだ。
この世界に来てからまだ2ヵ月と少し―――数多くの危険の連続を潜り抜け、経験だけで言えばSランクの冒険者とも張り合えるだけの修羅場を潜り抜けているのだろうが、そのせいで桔音は自身を鍛える余裕がなかった。なにせ、この世界に来て3日目でレイラと遭遇し死に掛けているのだからよっぽどだろう。
今までは1対1が多かったのでなんとかなったが、桔音は此処に来てはっきりと理解する。自分は1対多数の戦いが弱点なのだと。そしてソレが魔王に知られれば――あの魔王の事だ、弱点を衝いてくる可能性は高い。この次から魔族が大量投入されるかもしれないし、魔獣の大群が桔音のいる国を襲うかもしれない。
此処に来て、桔音は自分の弱点を露見させてしまったのだ。
「これは……駄目か―――ならっ……!」
だがそれはそれとして、今はこの状況を何とかしなければならない。桔音は、最早間合いに入られまくる以上薙刀は意味がないと考え、『死神の手』を地面に突き刺し手放した。
そして生み出すのは、瘴気のナイフ。超近接武器だ。小回りが利き、手首を返すだけでも相手を斬り裂くことが出来る。
近くに居るアンデッドを斬り裂き、大きく身体を回転させてナイフを振り回した。すると、多少アンデッド達を自分から離す事が出来た。薙刀や大鎌は使いこなせれば強い武器となるのだが、桔音はやはり素人……薙刀で斬るという事に慣れていないし、大鎌に至っては玄人でも使いこなすのにかなりの時間を要する。
それならば、振り回すだけでも十分武器になるナイフの方が素人の桔音には合っていた。手当たり次第にアンデッドの首を斬り飛ばして行く。骨があるので首を斬り飛ばすには技術がいるのだが、生憎と瘴気のナイフの切れ味は恐ろしく鋭い……既に腐った死体の骨程度、その鋭い切れ味で十分斬り裂ける。
「『光の弾丸』―――多重展開!」
そこへフィニアが盛り返した桔音の援護で、散弾の様に光魔法の弾丸を撃ち放った。それはアンデッドに命中し、そしてアンデッドを元の死体へと戻す。光魔法が弱い理由は分からないが、それでも最も効果がある以上フィニアの魔法はこの場に置いて最大の武器だ。
「はぁ……はぁ……!」
息を切らし、それでも桔音はアンデッドを攻撃する。首を落とせば動かなくなるアンデッド達を、次々と倒して行く。大部分はフィニアが光魔法で蹴散らしたので、桔音が倒したのは全体の3割程なのだが、それでも数十体はいたような気がしている。
そして、最後の1体の首を斬り飛ばしたと同時、桔音は洞窟の天井を仰ぎ見る様にその場に座り込んだ。荒い呼吸で、必死に酸素を吸いこんでいる。頬を伝う汗が、彼の疲労感を現していた。
正直なところ、アンデッドとはいえその肉体は人なのだ。瘴気で変換出来ればそうはならないのだが、やはり何の罪も無い人間の肉体を自分の手で延々斬り裂くという作業というのは、中々精神的にもキツイモノがあったようだ。桔音とて、人を殺すのが好きだという訳ではないのだから。
まぁ、桔音自身が死んでも良いんじゃね? と思った相手には容赦なく殺しに掛かるのだが。
「大丈夫? きつねさん」
「はぁ……はぁ……うん、怪我はないけど……ドッと疲れた」
「まぁ大分倒してきたもんねー、最強ちゃんがやったのを除いても……もう200体位倒したんじゃないかなぁ」
「気が遠くなる数だよ」
休憩がてら、桔音とフィニアがそんな話をする。
『私も少しは手伝えればいいんだけどねー』
すると、ノエルがそう言って入って来る。この言葉通り、今回の戦闘に置いてノエルは一切活躍していない。あの天使すらも拘束してみせたあの『金縛り』の力だが……アンデッドには全く効いていないのだ。何せ、今回のアンデッド達は死体であり、その肉体には魂が存在していないのだ。故に、魂を縛って身体を拘束する『金縛り』は、アンデッドに全く通用しないのだ。
一応、肉体が少なからず生きているアンデッドやレイスの様な質の高いアンデッドであれば別なのだが、今の桔音の元には瘴気変換封じの死体アンデッドしか来ないから意味はない。
桔音もノエルの拘束が通用すればまだやりようはあったと思うのだが、出来ない事は仕方がない。更に言えば、ノエルの物を宙に浮かせる力や青い焔も通用しない。まず宙に浮かせるものがないし、青い焔を放っても死体である彼らは、燃えていて尚襲い掛かって来るのだ。
そうなると、桔音にも炎が燃え移る。耐性値のおかげで身体は傷付かないけれど、服は普通に燃え落ちるのでノエルは青い焔を放てなかった。
つまり、今回アンデッドに対してノエルは無力だということだ。まぁ、アンデッド達もノエルに危害を加えられないので関係無いのだが。
「ふー……それじゃ進もうか、大分息も整ったし」
「うん!」
『ふひひひっ……♪』
桔音達は進みだす。瘴気の空間把握では、この先には大きく広がった空間を感知している……そして、そこにはぽつんと1人だけ、恐らくは魔族か、レイスの様なアンデッドが居る。動かず、ただそこに立っているだけの存在。先程までのアンデッド達の様に、ゆらゆらと動きまわっていない所を見ると……魔族のアンデッドかもしれないし、レイスの様な質の高いアンデッドかもしれない。
それならば瘴気の変換が出来るのだろうが、桔音はそれをしなかった。今まで散々瘴気変換を封じる様に死体のアンデッドばかりを送りこんできていたというのに、今更瘴気変換出来るアンデッドを送り込んでくることがおかしいと思ったからだ。
もしかしたら、瘴気として取り込んだ瞬間に……何か毒の様な効果を発揮するのかもしれないと考えると、ヘタに瘴気変換が出来ない。
「……なーんか胸がざわつくなぁ」
桔音はそう呟き、重い足取りで先へと進んだ。
◇ ◇ ◇
―――走っていた。ルークスハイド王国の街並みの中、家々の屋根の上を飛び移る様に、2つの影が走っていた。その速度は凄まじく、人々はふと視界にその影が入っても、そちらを見た時にはもうその影達は消えている。見間違いかと思ってしまう訳だ。
片方は、白い髪をたなびかせた赤い瞳の魔族。
片方は、明るい茶髪を揺らし、緑色の瞳の獣人。
レイラとルルである。彼女達はあの後、桔音の頼み通りに宿へと帰った。リーシェの遺体がベッドに寝かされているのを確認し、部屋で待機していたのだ。そう、桔音の注文通りにお留守番をしていた。
レイラとルルは、元々それほど会話を交わした事はない。お互い、関わり合いにならずとも特に問題はなかったからだ。だが、今回同じ部屋で2人きりという状況でお互い無干渉でいるのは、なんとなく居心地が悪かったので、多少話をしていたのだが……その結果、家族として桔音を慕っているルルと、恋愛的に桔音を慕っているレイラは、そこそこ相性が良かったらしくすぐに打ち解けることが出来た。
奴隷であるルルだが、レイラは桔音がそうしているようにルルと楽しく会話出来ていたし、ルルも人間の気持ちを覚醒させたレイラに対して、好印象を持った。
打ち解けてしまえばそこからは簡単で、2人は桔音達を待っている間雑談で盛り上がっていたのだ。主にお互いの種族に付いての話は中々盛り上がったようだ。
しかし、そんな時だ……2人は不意に気が付いた。
―――リーシェの遺体がいつの間にか……消えていることに。
誰も入って来てはいなかったし、なんの気配もなかった。にも拘らず、2人に気付かれずリーシェの遺体が消えたのだ。
無論、遺体が勝手に動く筈がない。そう、アンデッドでもない限りは……それに、リーシェが例えアンデッドになっていたとしても、物音も立てずに消えるなどおかしい。
2人が異変に気が付き、動き出したのは同時。宿を出て、即座に桔音達の下へと向かうことにしたのだ。リーシェの遺体が無くなった以上、宿に留まる理由はないし、リーシェの遺体が消えたということは桔音達に何か齎すのではないかと思ったからだ。
故に、2人は今急いでいる。屋根から屋根を飛び移り、国の外へと最短距離で移動する。桔音の居場所は、ルルの嗅覚で彼らの残り香を追う。レイラも瘴気の空間把握が使えるので、上手く行けばすぐに追い付けるだろう。
「リーシェ様……!」
ルルの歯噛みするような呟きは、風の音に紛れてレイラにも聞こえなかった。
◇ ◇ ◇
―――心の底から……嘘だと思った。
それと同じ位、ふざけるなと思った。
なんでそうなる。なんでこうなる。なんで、なんで、なんで……こんな展開が訪れる。
僕は目の前の光景に、心の底から怒りを覚えた。心の底から悲しみを覚えた。心の底から殺意を抱いた。もしかしたら、と考えてはいた。そういう可能性もあるんじゃないかと、思ってはいた。
でも本当にあるなんて思いたくはなかったし、認めたくはなかった。だから、僕はレイラちゃん達を残してきたんだ。その可能性を、少しでも潰したかったから。
でも、それでもその可能性は僕の目の前に現れた。僕達の心を掻き乱そうとする悪意を感じる。当然の様に、当たり前の様に、敵はこの手札をなんの躊躇いも無く切った。こんなことが出来るのか、相手は……なるほど、余程僕の怒りを買うのが好みらしい。リーシェちゃんを殺しただけでは、満足出来ないようだ。
「……ッ……!」
隣で、フィニアちゃんが表情を歪めたのが分かった。
『……ふーん……』
隣で、ノエルちゃんが少し不快そうな表情を浮かべたのが分かった。
「……」
僕も、多分いつもの薄ら笑いは浮かべていないと思う。恐らくは無表情か、それに近い表情をしていることだろう。この光景に対し、僕は怒りの形相や悲しみの感情を表情に出す事は出来ず、なんともいえない……半ば同情や憐憫のような気持ちで見つめていた。
無論、この光景を作り出した張本人が居れば、怒りや殺意を全面に押し出す事が出来ただろうけれど……残念ながら此処に僕の敵はいない。
此処に居るのは僕達を除いてただ1人。
「悪いな……きつね」
今までのアンデッドとは違い、身体は僕の『初心渡り』で無傷のまま。
紅い髪と翠色の瞳を持ち、どこかで見た事のある赤錆色で血塗れの剣を持った少女のみ。
彼女は何とも言えない微妙な表情を浮かべ、自分の中に溢れる気持ちに整理が付いていない様だった。なんと言って良いのか分からないというような、何を言うべきなのか分からないというような、そんな複雑な表情。
握られた剣は、僕達に切っ先を向いて……そして少し悩んだ末に彼女は、半ば諦めた様な自嘲の笑みを浮かべた。
「……私は、もうお前の仲間ではいられないらしい」
ステータスを覗いて、はっきりと確信する。彼女は、アンデッドだ……レイスと同じ、自我を持っているタイプの、アンデッドだ。つまり死体。生き返った訳ではないけれど……生きている時と同じ様に動き、自我を持っているだけの―――死体だ。
そう、彼女は……死んだ筈の僕達の大事な仲間―――リーシェちゃんだった。
そしてソレが意味することは……僕達は今から、仲間と戦わなくてはならないということだ―――……
彼女は喰屍鬼と化して桔音の敵となった……