さいきょー
勇者についての話で、5代目勇者についての記述を加えました。良く数えたら、凪君6代目だったんですよねー。よければどうぞ。
この事態は、魔王も、その魔王に妖精殺しを命じられたヴィルヘルムも、予想外の事態だった。予想外、本当に予想外の事態だった。
しかし、予想外の事態といっても魔王にとって悪い事態という訳ではなく、寧ろ僥倖と言える事態だった。何故なら、ヴィルヘルムと同時期に別の魔族―――魔族と言っても良いのか微妙な所ではあるけれど―――が桔音達の下へとやって来ていたからだ。その魔族とは、物理的攻撃力よりも魔法的攻撃力の強い存在であり、食屍鬼と似て人間から魔族となった魔族だ。
といってもレイラの『赤い夜』の様に強制的に魔族となった訳ではなく、人間が自分の意思で魔族になった者だ。
その種族は……『幽鬼』
とある偉大な魔法使いが、自身を食屍鬼化させた結果生まれた、魔導を極めし大魔族。これまたSランクの魔王に並ぶ魔族である。元々は人間だったこともあり、人間と魔族どちらにも連なる感情を持っている。
その大きな特徴として、身の丈ほどの杖を持っており、死人の様な姿をしているのが知られている。死体を自身の兵士として操り人形にするのだが、その実本人も凄まじい実力を持っている。かの4代目勇者にも引けを取らない底無しの魔力、人間だった頃に極めた魔導の知識、そして幽鬼になった後に極めた魔導の技術は、魔法使いの頂点とも呼べる。
だが、普段この幽鬼は暗黒大陸に住まい、人間の世界には100年に1度行くか行かないかという程の出不精だ。故に魔王も今この瞬間にあの幽鬼が桔音の周囲に干渉しているとなれば、話は随分と魔王にとって幸運と言える展開に進んでいく。
「……成程、これはきつねを我が城へと招く良い口実になるやもしれんな」
魔王は幽鬼の様子を『遠見の水鏡』で覗いた後、くつくつと不敵に笑う。この魔王は、桔音という存在を殺し、果てはその先に勇者との対面を望んでいる。ならば、桔音という少年を魔王城へと誘ってしまえば、その対決も近い。
今度は手加減もなく、時間制限も無く、ただどちらかが死ぬまで戦い抜く事が出来るだろう。ほかならぬ、魔族と魔獣の蠢くこの暗闇の大地で。
「それに……今やきつねに下手な魔族を送りこんでも、返り討ちが関の山だろうしな……クックッ……死神か、言い得て妙だな……! ならば、差し詰め私がやろうとしているのは神殺し、か? ッハハハ、面白い」
魔王は嗤う。
フィニアを殺そうとして、ヴィルヘルムは呆気なくやられた。まぁやったのは桔音ではないが、それでも桔音は新たな力を手にしてヴィルヘルムの支配下から力ずくで逃れた。その事実は、桔音に精神攻撃をして怒らせてしまうだけ、彼が強くなることを示している。
つまり桔音は、逆境を超えて強くなっていくタイプなのだ。今までも、レイラを始めとして様々な逆境を乗り越え、結果的にはその度に強くなっている。
つまり、無駄な戦力を投下してしまえばそれだけソレを乗り越え強くなってくるのだ。
ならば、桔音自身を此方に誘き寄せれば良い。逆境から遠ざけ、これ以上強くならない内に潰してしまえば良い。故に魔王は、この幽鬼を切っ掛けにして桔音を自分の下へと誘うことにした。
「頭の良いお前のことだ、いい加減気が付くだろう? きつね……お前はそっちに居て良い存在ではないことを―――」
魔王は、眼を細めてシニカルに笑った。
◇ ◇ ◇
その頃、桔音はギルドへレイスの死体を持って行っていた。一応適当に傷を付け、心臓の辺りを刺し貫き、首を刎ねておいて、死んでいてもおかしくはない状態にしてからだが。
ギルドはレイスの死体を引き摺って持ってきた桔音に、騒然となった。まさか出ていってから数時間後にレイスを殺して持ってくるとは思わなかったからだ。しかも、首を切り落とし、心臓を潰してあるという完全にぶっ殺した後の死体である。
まさしく死神。ギルド内の受付嬢の何人かがまた気を失い、冒険者達はまだ終わってはいないとばかりに殺意の籠った瞳をしている桔音に、恐怖を抱いた。
桔音が死体を持っていった先に居た受付嬢が、青い顔をする。周囲の受付嬢も冒険者も、彼女には憐憫の視線を向けていた。
「これ、レイスの死体―――依頼達成で良いよね?」
「ぁ……は、い……! そ、れでは、報酬金は……」
「僕の口座に入れておいてくれる?」
「ひゃいっ!」
びくんと身体を振るわせて返事をした受付嬢に、桔音はくるりと踵を返した。怯えられている事が分かっているからだ。桔音とて、無暗矢鱈に女性を怯えさせたい訳ではない。レイスの死体を預け、報酬を貰ったらギルドを去るつもりだったのだ。
その証拠に、フィニア達はギルドの外に待たせている。人数は、それだけで他人に威圧感を与えてしまうモノなのだ。故に、桔音は1人でギルドに入ったという訳である。無論、それ故に『死神の手』はルルに預けているので、今は持っていない。
ギルドを闊歩する桔音、その向かう先にはギルドの入り口がある。誰もが、早く去ってくれと思っていた。喧騒犇めくギルドが、桔音という少年1人の存在だけで静かになる。空気が沈む。恐怖に支配された時程、人間は口を開く事が出来ないのだ。
『きつねちゃん、見事に嫌われちゃってるねー』
歩く桔音に、ノエルが話し掛ける。契約上、彼女だけは置いて来れなかったのだ。まぁ、誰にも見れないのならそれで良いだろうと桔音は判断した。
(まぁ……結構脅しちゃったからね、仕方ないよ)
『自業自得って奴だねー……ふひひひっ♪』
ノエルと桔音は、周囲の怯えを受けながら、そんな会話を交わす。頭に血が上っていたとはいえ、『死神』と『不気味体質』まで使って脅すのはやり過ぎたかと少し反省している桔音。
そしてそのままギルドを出ようとしたその瞬間だった……ギルドに、桔音の存在が抑えつけていた喧騒が戻る。そう、一瞬で桔音の存在に対抗出来るだけの覇気を持った者が現れたということだ。
桔音の目の前、ギルドの入り口に立つその存在は―――
「……さい、きょー」
桔音よりも頭1つ分程背の低い、少女だった。眠たげな瞳なのに、見上げられただけで桔音は全身を叩かれた様な痺れる痛みを感じた。
少女の眠そうな瞳と、桔音の薄ら笑いがぶつかる。少女は、武器らしい武器を何も持っていなかったけれど、桔音は首筋に刃を添えられた気分だった。故に、桔音は無意識下でその手に瘴気のナイフを作りあげた。手に『死神の手』を持っていない今、桔音の武器は瘴気で生み出すしかない。
しかし、桔音が武器を手にしても少女は眠そうな瞳で見上げるのみだ。
だが、その眠そうな瞳とは裏腹に、少女の唇がすぅっと弧を描き、やがて安らかに眠る前に幼子が母親に見せる安心した表情の様な、朗らかな笑顔を見せた。
そして、桔音に向かってその小さな手を伸ばしてくる。そこに殺意はなく、戦意も無く、ただ手を伸ばしてくる。だから桔音はその手に何の警戒も抱かなかった。
だから、気付いた時―――自分は吹っ飛んでいたことが理解出来なかった。
「ッ……ぐっ……!?」
『きつねちゃん!?』
吹っ飛びながら、桔音は見た。少女が、その小さな拳を振り抜いた姿を。桔音のステータスで、見えなかった。桔音のステータスで、防げなかった。桔音のステータスで、無傷でなかった。
目視出来ず、耐性で護り切れず、そして『痛覚無効』で受け切れなかった。唇が切れて、血の味がする。その上で、頬に鈍い痛みが走る。その事実は、桔音に驚愕と格の違いを思い知らせた。能力値も、戦闘能力も、格上だと知らせる一撃だった。
死神を屠る―――少女の一閃
少女は笑っていた。とても朗らかに、柔らかく笑っていた。
桔音がギルドの壁を破壊して、外を転がる。しかし、咄嗟に瘴気を生み出してその勢いを止めることで、桔音はギルドからそう離れていない場所で停止した。
意識がぐらつく中で、桔音は立ち上がってギルド内へと戻ってきた。少女の視線は、桔音に向かっている。橙色の、熱い瞳が桔音を見ていた。
「まさか……アレは……!」
「……嘘だろ……なんで此処に……」
「暗黒大陸制覇しに行ったって……嘘だったのか……」
「……『死神』をぶっ飛ばしたぞ」
周囲の喧騒が、少女がただの少女では無い事を知らせてくる。桔音も、そのことは直ぐに理解した。ステータスを見るまでも無い、彼女はSランクの実力を持っている。ギルドへやってきたという事は、Sランク冒険者なのだろう。それも、桔音よりも格上ときている。
「きつね様!?」
「きつねさん!?」
そこへ、外で待機していたルルとフィニアが入ってきた。その後ろから、レイラとドランも入って来る。だが、桔音にそれを気にしている余裕はなかった。桔音の視線も、少女へと向いている。
「……いったぁ……なんて凶悪な拳だよ」
呟く様に、少女に語りかけた。すると、少女は身体の向きを桔音の方へと向けて、眠そうな瞳で見上げてくる。やはりその視線には威圧感と強者の覇気がありありと感じられ、そして桔音を殴ったその小さな拳を開き、両手をぺちんと合わせた。
瞳よりは大分薄いものの、橙色の髪が揺れる。見た目の印象からは、体温高そうだなぁと思う桔音。子供らしく、子供らしい。
すると、彼女はその小さな口を開く。桔音の言葉に答える様に、そして何より自分を誇る様に、たった一言で答えた。
「―――さい、きょー……だから」
彼女の名前は、この場に置いて誰も知らない。知らないけれど、無名であるけれど、彼女は有名だった。名前が無いのに、有名とはおかしな話だ。
桔音は、彼女が武器も防具も何も持っていないのを見て、冒険者としては不思議に思った。桔音も人の事は言えないけれど、少女は普通の子供が着ているような、普通の服を着ていたのだ。
しかし、彼女は誰にも負けない。負けたことなど1回だってありはしない。全ての強敵に勝ち、全ての逆境をその小さな拳で打ち砕いてきた、最強無敵の冒険者。
Sランク冒険者序列第1位―――『無双』
他人に一切名前を名乗らない故に、『無双』を始めとして『最強』『常勝無敗』『橙の拳』など、様々な呼ばれ方をしているけれど、分かっているのはたった1つ。彼女が最強の冒険者であること。彼女が冒険者の頂点であること。
「お前……弱い――けど、強い? ……変なの」
「少なくとも君よりは弱いかな―――きつねって呼んでね」
桔音は薄ら笑いを浮かべ、少女は眠そうな瞳で見上げる。桔音が握手の為に手を差し出すと、橙の少女は桔音の顔と差し出された手を交互に見て、ゆっくりとその小さな手で桔音の手を握った。きゅ、と握られた手に、桔音は本当に小さな手だと感想を抱く。
「……よろしくね」
「うん、よろしく……んで」
「!」
橙の少女によろしくと言われ、桔音もよろしくと返す。
しかし、その後握手の手は解かれなかった。
何故なら――
「僕の故郷にこんな言葉がある―――"やられたら、やり返す"」
――桔音が橙の少女を柔道の様に投げ飛ばしたからだ。手首を捻り、くるりとその小さな身体を地面へと倒そうとする。序列第1位の少女に、桔音は同じく殺意も戦意も無く、悪意もその不気味さの中に隠してやり返したのだ。
しかし少女は最強無敵の拳を誇る、冒険者の頂点――投げ飛ばされた所で、体勢を立て直し見事に着地して見せた。だが、そこで終わりではない……桔音と少女は既に動き出していた。動き出しは、桔音の方が早かっただろうか。
少女は拳を振るい、桔音は瘴気のナイフを振るっていた。
動き出しが早かったのは桔音だったが、少女の速度はそれに軽々と追い付き、そして追い越して行く。2人の動きが停止したのは一瞬の後だ。
桔音のナイフは少女の眉間に添えられ、少女の拳は桔音の顔面の横を振り抜いていた。桔音は分かっている……少女は桔音の顔面をわざと打たなかったのだと。その気になれば、桔音がナイフを少女の眉間に突き立てる前に桔音の顔面をその拳で抉っていた。
最強無敵は伊達ではない。桔音が如何に不意を衝こうと――圧倒的実力で捩子伏せる。
「……最強、か。確かにそうみたいだ」
「……いえい、さいきょー」
桔音の言葉に、少女はもう一方の手でピースを作りそう言った。
多分しばらくこの子名前出ません。という訳で、無敵ちゃんと呼んでやって下さい。
現在、ステラちゃんとリーシェちゃんの挿絵を作成中でござる!楽しみにお待ち下さいませ!