憧れと喧騒
死神、なんて大層な名前を付けられたあの冒険者……きつねだっただろうか? 見た目は随分と弱っちいと思えば、その気配は尋常ではない位におぞましい。死神という名前が大層な二つ名では無く、これ以上なく奴を表現出来ていると思う。
あの黒と赤の虹彩異色が余計に異質感を出していて、特に赤い瞳の方は良く見ると獣の様に軽い縦線が見える。狂気を含んだ瞳と言えば分かるかもしれないが、まるで悪魔の瞳だ。まぁそうなると一緒にいたレイラ・ヴァーミリオンも同じような瞳をしているんだけどな。彼女の事は噂で聞いていたけれど、確か黒髪じゃなかっただろうか? しかし今はふんわりとした白髪……でも、彼女の赤い瞳にはきつね程の狂気は感じない。寧ろ、丸分かりなくらいきつねが好きなんだという気持ちが全開で、正直凄く魅力的な女に見える位だ。その部分に関しちゃ、きつねに対して羨ましいとすら思える。
でも、多分皆が感づいている。あのレイラ・ヴァーミリオンは少し異質だと、普通の人間とは違うと。が、それ以上にきつねが普通の人間には見えないんだ。呼ばれている名の通り、死神だぞと言われても驚かないだろう。まぁ、驚かないだけで恐怖心は抱いてしまうんだけどな。
俺のきつねに対するイメージは、いきなり現れて、そしていきなりSランクまで駆け上った死神の様な冒険者だ。人間と認めるのは余り納得がいかないが、天才という奴なのかもしれない。
いや、天才なんて生温い表現が奴に当て嵌まる訳がない。此処は正しく、突然変異種とでも言おうか。もしかしたら奴は、魔族と人間のハーフなのかもしれない。存在しているなんて話は聞いたことがないけれど、魔族も知能を持っている以上人並みの喜怒哀楽を持っている。恋愛感情だってあって然るべきだろう。それならば、人間に対してソレを抱いたっておかしくはない。
魔族と人間のハーフ……もしも存在したならば、奴がそうならば、奴は人間の味方か? それとも、魔族の味方か?
まぁどちらにせよ、きつねは以前魔族を討伐したという話もあるし、魔族の味方という訳ではないんだろう。ハーフという話も俺の推測というか、妄想でしかないしな。
けれど、今はそんなことも気になるくらい奴に対して危険性を感じるのだ。Sランク犯罪者、レイス・ネスの登場によって、何故かは知らないがあのきつねが怒った。奴は死神の逆鱗に触れたのだ……その怒りは、ギルド内にいた屈強な冒険者達が全員腰を抜かしてしまう程の殺意となった。
何を隠そう、俺もそうだ。俺は失神してしまったんだ、きつねのあの……死神の殺意に触れて。
「あは、あは、あはははは」
「……ああぁぁあ……! あの方こそ、我が神……!」
現在ギルド内では、俺の様に目覚めた者も居れば、未だ目を覚まさない者もいる。気を失っていなかった奴らもまだ動けはしないようだ。
そんな中で、きつねの殺意に触れておかしくなった奴らもいる。恐怖心で延々と笑い続けている奴や、きつねの殺意に対して神の様に信仰し始めた者なんかだ。まぁ、あの殺意には一種の魅力を感じてしまうのも仕方がない。
大多数には恐ろしいと思われるのだろうが、あの威圧感に惹かれる者もいるらしい。
特に、
「はぁぁあ……あの殺意の籠った瞳で見下されたい……! きつね……いや、ご主人様……!」
被虐趣味のマゾ女には、効果抜群だったらしい。まぁ、こんな奴はギルド内にも1人しかいないけどな。なんでこんな奴がCランクなんだ。世の中って変な奴程才能を与えられている様な気がする。
とはいえ、今はきつねだ。正直アレを敵に回したくはない……それならまだ魔族を相手にしている方がマシだ。
「あれ? これは……どうしたんだ? グスタ。何があった?」
そこで、俺のパーティのリーダーがギルドへやってきた。こいつとは1ヵ月ちょい前に会ってパーティを組んだんだが……一応かなり信頼している相手だ。まぁまだこいつの実力はDランクに上がったばかりで、まだまだ成長している若手ではあるが、それでも俺が付いていこうと思える位の意志がある。
仲間を大事にしているし、そして何より謙虚だ。誰に対しても同じ様に優しく出来る奴だ。きつねとは対極かもしれないな。
「ああ……お前も知ってるだろ? きつねがやってきたんだ……なんだか殺気立っててな、全員奴の殺気に呑まれて、腰を抜かしちまったんだ」
「え……あの人が!?」
「あの人? ああ……お前、きつねに憧れてんだっけ?」
そうだった、こいつもきつねに憧れている奴の1人だったな。というか、こいつに関してはきつねがまだHランクでそれほど名も馳せていなかった頃から憧れていた気がする。
「そういえば、お前ってなんできつねに憧れてんだっけ?」
「え? んー……以前ちょっと喝を入れられてな……あの人は俺にとって、すっげぇデッカイ人なんだ……いつか、あの人の隣で一緒に戦うことが出来たらって思ってるんだ……ヘヘ、まだまだ遠いけどな」
そう言って笑う我らがリーダーは、本当に憧れの人について語っていた。デッカイ、なぁ……まぁある意味奴は大きいよな、強さというか、気配というか……そうだな、存在がデカイ。こいつ程愚直な奴にそう思わせるなんて、最初の方から何かしらの魅力を持っていたってことなんだろうか? Hランクでも侮れない奴だな。
でも悪いなリーダー、俺は奴と一緒に戦うの、凄い遠慮したいところなんですけど。隣に奴がいるだけで、卒倒しちゃいそうだ。
思わず溜め息が出た。呆れる、というよりはまぁ仕方ないなという感じだな。こいつはいつもこういう奴なんだ。憧れに向かって真っすぐで、努力を怠らない。天才という訳ではないけれど、努力が出来るというのは最高の才能だろう。
と、そう思っていたら先程まで抱いていたきつねに対する恐怖心が消えていた。いやまぁ消えた訳じゃないが、大分気分は楽になった。身体も動く。
「まぁ、それはさておき……宿が取れたんだ。今はミントが宿で待機してるんだけど……良い依頼は見つかったか?」
「……いや、今日は休もうぜ。俺も今日はちょっと動けそうにない」
「……そうか、じゃ行こう。この国に来たばっかで碌に何があるのかも分かってないし、今日は観光と行こう」
俺は此処に依頼を受けに来てたんだが、緊急依頼が張り出されてて、きつねの威圧感に失神させられたんだ。そんな状態で、依頼が受けられる筈も無い。
我らがリーダーは、そんな俺の言葉に何も聞かずそうかと言ってくれた。調子が悪いなら無理をしない、若いのになんでか熟練冒険者の様な慎重さを持った奴だ。ま、それもこいつの武器なんだろうけどな。
こいつは、命の重さを知っている。だから実力では無く、意志が強い。全く、この先が楽しみだ。お前は俺らをどこまで連れていってくれるんだ? なぁ―――
「じゃ、行くか」
「ああ」
―――ジャック・イトナ
俺達の、リーダーさんよ。
◇ ◇ ◇
その頃、桔音はドラン達と共にレイスを捜索していた。国中に出来る範囲で瘴気を拡散させ、武器を振り回している様な奴や、動きがおかしい奴を探している。国全域に広げられる訳ではないけれど、随分と広々と拡散させることが出来る今となっては、捜索活動もかなり円滑に行うことが出来る。
レイス・ネスは殺人鬼だ。それも、無差別殺人を行い、今では狂気に呑まれたイカれた男。変な動きをすれば直ぐに瘴気に引っ掛かる筈だ。
とはいえ、血塗れの男ならばルルの鼻にも引っ掛かるし、レイラも瘴気を広げている。更にフィニアは空中から見下ろして探すことも出来るのだ。今の桔音達のパーティは、こと索敵能力に関してずば抜けた能力を持っている。
レイスが見つかるのも時間の問題だということだ。
「今日中に見つけようか」
「ああ、今日中にカタを付ける……リーシェの遺体をあのままにしておくのは、ちょっと可哀想だしな」
そう会話する桔音とドラン。この2ヵ月の間に随分と濃い非日常を送ってきた桔音だからこそ、レイス程度と考えているのかもしれない。
すると、そこへフィニアが会話に入って来た。
「ねぇきつねさん、ちょっと気になってるんだけど……レイスって凶悪犯罪者なんだよね? でも、そう簡単に脱獄出来るものなのかな?」
その内容は、レイスが脱獄したという事についての疑問。この世界の騎士団が管理しているであろう牢獄だが、フィニアはそこからレイスが脱獄出来たということ自体が気になっているらしい。Sランク犯罪者とはいえ、ただ牢に入れているだけだというのは、余りにも不用心……なにかしらの力を制限する手段が取られている筈。
ならば、何故レイスだけが牢獄から脱出する事が出来たのか? 騎士団が弱いという訳ではないけれど、レイスとて数の差には流石に勝てない筈だ。騎士の本部のど真ん中にある牢獄から脱出した瞬間、大量の騎士達が襲い掛かって来る筈……なのに、脱獄出来たというのはおかしい、フィニアはそう言いたいのだ。
そして、緊急依頼でレイスの情報を知り、頭に血が上っていたのか、桔音は今その事実に気が付いた様だった。確かに、と腕を組んで考える。
「ドランさん、騎士団の牢獄って簡単に脱出出来るものなの?」
どこで、この世界においてはパーティ内で最も常識を心得ているドランに聞く。すると、ドランも同じ様に腕を組んで思案顔を浮かべ、桔音の問いに答える。
「……いや、そう簡単じゃねぇ筈だ。騎士に捕らえられた犯罪者は、ルルが付けてる『隷属の首輪』と同系統の拘束具が付けられる。例外はない筈だ……確か『赤子の腕輪』だったか? これは能力値を一般人程度まで制限し、スキルも使えなくする魔法具なんだ。かなり頑丈だと聞いているし、外す為には特別な手続きをしないといけないからな……そんな状態で脱獄出来る程、簡単な場所じゃない」
「……過去脱獄した犯罪者はいた?」
「一応、俺が知っている中では3件程あったぞ。でも、そのどれもが他の仲間による手引きと協力あっての脱獄だ……今回のレイスは、そういう意味じゃ異質……完全に1人での脱獄なんて、初めてだと思うぞ」
ドランの言葉に、桔音は眉を潜める。一般人並に能力値を落とされた状態で戦えば、騎士相手に勝つ事は出来ない。桔音程ではないが、多少なりとも鍛えられた耐性値を超える攻撃が出来ないからだ。剣があったとしても、騎士達に傷を付けられる筈がない。
となると、やはりレイスの脱獄には何かがある。それこそ、過去3件の脱獄と同じように何かしらの協力があったと見るべきだろう。
桔音は、その事実に血が上っていた頭を冷やし、冷静な思考を取り戻す。
「……下手したら、また魔王関連か何かでレイスに手を貸した奴がいるかもしれない……あまり油断しない方がいいかもね」
桔音がそう言うと、ドラン達も異論はない様で神妙な表情でこくりと頷いた。
が、その時―――桔音達の下まで聞こえてくる、悲鳴が届いた。
「!」
「きつね、今のは……」
「うん……多分そうだ、暴れている奴が居る。瘴気にも引っ掛かってるね」
「きつね様、血の匂いです……恐らくは……」
「そうだね……人が傷付けられてる……急ごう」
桔音が走り出し、ドラン達もそれに続く。聞こえてくる騒ぎと、逃げてくる人に逆らうように走り、桔音達は急ぐ―――レイスが居る、とりあえず今は奴を止めなければならない。
桔音に付き纏う、危険は多い。