閑話 第3王女の心
天才が天才と呼ばれる所以は、一体何処にあるのだろうか? また、どう生まれるのだろうか?
天才――辞書で調べてしまえば、『天性の才能』だの『生まれつき備わった優れた才能』、なんて陳腐で普通な返答が返って来る。
だが、この場合私が求めている答えはそんな誰でも分かっている様なことではない。生まれつき……ならば生まれるまでの何処で才能という恩恵が贈与されるのか。才能が何処で生まれ、生まれるまでの何処で天才と呼ばれるほどに培われたのか、ソレが知りたいのだ。
神というモノが存在するとしたら、それは恐らく何もかもが好きで、何もかもがどうでも良い存在に違いない。現実を適当に掻き混ぜて、幻想に無駄な力を入れ、生物に希望という苦痛と、絶望という甘い蜜を垂らす……そんな人物に違いない。
ある意味最も人間から掛け離れた価値観で、ある意味最も人間らしい価値観の持ち主。欲望に忠実で、興味に事欠かず、何もかもが出来てしまう完璧超人。かつ、何よりも理性的で、何事にも無頓着で、何もかもが出来ない欠陥人間。それが神だ。
天才とはなんだろうか?
神から与えられた優れた才能の有無を以って天才と呼ぶのなら、人は生まれた時から優劣があるということになる。いや、実際あるのだろう……生まれた環境、性別、容姿、能力、それら全てに優劣が付く以上、生まれた時から人には優劣が付いてしまう。
ならば天才と凡人、その境界線はどこだろうか?
私は紛れも無く、今の自分のことを天才というのだろうと自負している。それを裏付ける実績もあり、それを否定される程劣ってもいないつもりだ。
だが、私は私を天才と呼んでいいものか甚だ疑問だった。私のコレは、賭博で言えばイカサマを使って勝ち続けている様なものだから。それに、私の才能が何処から来たのか、私は知っている。知っているからこそ、私は天才ではないと思うのだ。与えられた恩恵を生まれた時から自覚していただけの、ちっぽけな子供……それが私。
煌びやかな玉座に座して、私は思考する。天才と凡人の境界線に立つ、私という存在は、一体どちらの側の人間なのかを。もしくは――私はこの天才や凡人、その境界線という範疇から大きく逸脱してしまった存在なのかもしれないと。
「失礼します……きつねと名乗る冒険者が、お目通り願っています」
ふと、思考の途中でそんな声が掛かった。瞼を開き、目の前に頭を下げて膝を付いている兵士を見下ろす。
きつね、私の友人である冒険者の名前だ。ごく最近知り合ったというのに、奴は話し易い故か、かなり友人としての好意を抱いてしまっている気がする。
その理由の1つとして、奴が私を肩書きで見ないことが挙げられるだろう。
奴は私を年相応の少女として扱い、そしてけして子供として馬鹿にはしない。簡潔に言ってしまえば、1人の人間として見てくれるから良い。肩書きに恐縮されるのも、子供として馬鹿にされるのも、正直私からすれば堅苦しくて仕方がない。
そういう意味では、本当に気軽に色々な事を話す事の出来る友人というのは中々貴重な存在と言えるだろう。
私の口元が、自然と緩やかな弧を描いた。
「通せ、私の友人だ」
ああ、こうやって堂々と友人だと言えるのも……奴が初めてかもしれない。生まれてから約7年、生まれつき持ち合わせていた才能を研磨し、国を良くしていく為に動いていたからか、私には同年代の友人と呼べる人間がいない。この年の少女としては少し外れているだろうか。
だがやはり、友人を作るのは悪い気分ではない。
「――やぁ、アリシアちゃん。吉報を持って来たぜ」
「ああ、待っていたぞきつね」
私の友人、きつね。その表情を見れば、恐らくは私の懸念事項―――いや、『私』の懸念事項を解決してくれたのだろう。
ならば話さなくてはなるまい。きつねには、それを聞く権利がある。私の代わりに、彼はあの屋敷の一件を解決してくれたのだから。
そう、私が何故あの屋敷に関してこれ程固執していたのか。どうにかしようと動いていたのか。その理由と、『天才』という存在の意味を。
「まずはそうだな……場所を移そう」
私が私を始める時が、来たのかもしれない。
◇
―――やってきたのは、私の私室だ。
きつねと私の2人きりで、私達は向かい合うように座っていた。
相変わらずの簡素な部屋だが、これでも少しは変わった所がある。ベッドにぬいぐるみが幾つか並んでいるのだ。自分で作ったのだが、中々の作品になったと思っている。少しは少女らしい色を足せたと思う。
さて、それはさておききつねの話だ。彼はあの屋敷にあった事の顛末を話してくれた。幽霊と呼ばれる存在、屋敷の地下施設と、その実験内容、そこで出会ったクローンと呼ばれる存在との会話、そして……施設を全て消却したこと。成程、と合点がいく。
死者や廃人となった人間が出たのは、あの霧のせいだったのか。考えてみれば、あの場所だけに生じる霧など疑って然るべきものだったな。霧による妨害や、屋敷に対して思考が集中していた部分があったとはいえ、あの屋敷の地下に研究施設が作られているだなんて思いもしなかった。
「――……で、あの屋敷は今崩壊寸前だね。ギリギリ建ってられるって感じかな?」
「……分かった―――ありがとう、きつね。やっと肩の荷が下りたよ」
「それはどうも」
しかし―――孤児達が犠牲になっていた。他の事実はもとより、その事実だけは私の胸にぐさりと突き刺さるものがある。
孤児とはいえ、ルークスハイドに暮らす民の1人であることには変わりはないのだ。みすみす見知らぬ狂人に利用され、屈辱を受けていたというのは、気分の良い話ではない。
そう、私としても、『私』としても、だ。
「きつね……お前に、聞いてほしい話がある」
「ん?」
「私の、いや……この国の成り立ちにも関わる話だ」
そう、私の成り立ち。私の根源。私の才能の在り処。私という存在が、どういう存在なのかを、きつねに知って貰おう。生まれた時から知っていた、私の真実を。
「……いいよ聞こう」
「ありがとう……」
私の表情を見てか、きつねは私に向き直り真剣な表情を作った。薄ら笑いを秘めて、私の言葉を待っている。少しだけ、話しやすくなった。あるいは、気を使ってくれたのかもしれないが。
何から話そうか……でもそうだな、やっぱり最初にコレを言っておかないといけないだろう。
「私は、ルークスハイド王国初代女王―――アリス・ルークスハイドの生まれ変わりなんだよ」
少し眉を潜めたきつねに、私はそう告げた。
◇ ◇ ◇
―――アリス・ルークスハイドは、全ての復讐を終え、子供達が立派に育ったのを見届けた後静かに息を引き取った。誰にもその復讐心を悟らせず、国の国民全員に愛された女王として死んでいった。女神と呼ばれた女王にして、復讐に身を投じた憐れな女の人生は、終わった筈だった。
しかし、彼女の物語はそこでは終わらなかった。
彼女が死した後、ルークスハイド王国という国が成立し、およそ300年程の歳月が流れた。彼女の血は受け継がれ、ルークスハイド王国は建国時よりも大きな国として発展を遂げ、その名を幅広く轟かせていた。
そしてある日、1人の王女が生まれた。多くの国民達の祝福の中、多大な愛情を受けて生まれた。髪はうっすらとだが、金糸の様な鮮やかな金髪、瞳はエメラルドグリーン……初代女王アリス・ルークスハイドと同じ色ということで、余計に祝福された。
だが、生まれた赤ん坊は、そのエメラルドグリーンの瞳を丸くして驚愕していた。表情はあまり動かなかったが、内心では動揺を隠せなかった。
(何故……私は生きているの? 此処は……?)
赤ん坊、アリシア・ルークスハイドと名付けられた彼女の精神は……初代女王、アリス・ルークスハイドだったからだ。自分は、もう死んだ筈……そう思っていたのに、眼が覚めれば多くの人々の笑顔に包まれながら生きている。
しかし、かつて天才と呼ばれた彼女の状況把握能力は高かった。自身の手から、身体が赤ん坊であることを理解し、そして周囲の言葉を拾って此処がルークスハイド王国であることを理解し、自分を抱き抱えている国王が『アリシア』という名前を呼んだことで、自分の名前がアリシアであることを理解した。
つまり、彼女はもう一度生まれて来てしまったということだ。前世の記憶を保持したまま、アリシア・ルークスハイドとして。
(どうして……出来ることなら私は、あのまま消えてしまいたかった……!)
だが、それを彼女は喜ばなかった。あれだけの罪を犯したというのに、神はまだ生きろというのか。そう思った。その気持ちが明確に出たのだろう……赤ん坊の身体は、大粒の涙を流しながらわんわんと泣いた。彼女が悲しいと感じれば、肉体は簡単に涙を溢してしまう。
そう、彼女が生前……流したくとも流せなかった涙を、いとも簡単に。そのことを実感して、不覚にもアリシア……アリスは思ってしまった。
(……これが、生きている感覚……!)
生きている。悲しくとも、涙を流そうとも、それは全て生きている証。アリスには、ソレがどうしようもなく嬉しかった。『アリス』として生きていた時、自分は生きている実感など感じられなかったのだから。涙も流せず、復讐に身を窶して、とてつもなく重い罪を背負って、死んだように生きていたあの頃に比べれば、今こうして泣いている瞬間の……なんと生を感じることだろうか!
彼女は、もう一度与えられた人生を生きていくことを決めた。今度は本当に生を謳歌して、精一杯命の鼓動を感じながら……生き抜いていこうと、そう決めた。
だからこそ、そこからの彼女の行動は凄まじかった。
前世からの才能はしっかり受け継がれているらしく、歩くという経験を知っている彼女にとって二足歩行など身体が成長すれば直ぐに行うことが出来た。そしてあらゆる歴史書を読むと同時に、言葉を話せるようになりつつ今のルークスハイド王国の情勢を知った。また、口調もちょっと荘厳さのあるものに変えてみた。
政治に関わる様になり、ルークスハイド王国を大きく変えていった。財政も、物資も、軍事も、あらゆる面で良い方向へ進めていった。
故に言われるようになる。天才、神童、アリス・ルークスハイドの生まれ変わり、様々な言葉を使った羨望の言葉を。
そして、次期女王の座がアリシアのものだとされるのに、そう時間は掛からなかった。
丁度その時期だ、アリシアが自分の住んでいた屋敷が残っている事を知ったのは。無論、あの不気味な噂のことも。
アリシアは、自分の残した物が今までのルークスハイド王国において多くの人々を不幸に巻きこんだと知って、こればかりは自分がどうにかしなければならないモノだとして調査をするようになった。
(アレは、私の残してしまった罪……これからのルークスハイド王国には必要のないもの……!)
だが、如何に天才と呼ばれたアリシアも、あの屋敷の正体が全く掴めなかった。霧に包まれた不気味な屋敷、少なすぎる情報、そして調査の結果出してしまった犠牲者、彼女には何も出来なかった。
自分の残した異物の後始末すら出来ないなど、つくづく罪深い。自分を責めて、どうすればいいのかと頭を抱えた。この人生において出来た2人の姉も、それとなく情報を集めてはくれたものの、どうにも解決に導くだけのあと1歩が足りなかった。
そこに現れたのが、桔音だ。
偶然にも、彼はあの屋敷の問題を解決するつもりだった。アリシアは思う、もしかしたらこの少年が……あの異物を消し去る為のあと1歩なのかもしれないと。
アリシアは、桔音と友人という関係になった。無論、普通に人間として好感を持てたからという理由の方が大きいが、もしかしたら……という考えもあったことは否定できないだろう。
彼はアリシアを1人の人間として扱った。それはつまり、アリシアとしても、アリスとしても、同じく1人の人間の中身を見てくれたということだ。
アリシアにとっては、本当に久しぶりに自分を素直に出せる会話だった。不謹慎かもしれないけれど、それが嬉しいと思ってしまう。桔音という少年に、素直に惹かれたと言っても良いだろう。
そして今、その桔音がアリシアの抱えていた悩みを解決してくれた。届かなかった後1歩を、埋めてくれた。だから今のアリシアは、アリスとして……とても晴れやかな気分だった。これで自分の残した不幸の異物が、未来ある子供達の笑顔を奪う事はないことが、嬉しかった。
故に話したのだ。自分の感謝の意も込めて、桔音という少年に自分の秘密を。ソレが出来て、初めて対等な友人というものだ。
「私は、お前に嫌われても仕方がないと思う。半ば自分の罪滅ぼしにきつねを利用したのだから」
「……」
「だが……知っておいてほしかった。私はお前と友人であることを損得勘定を除いても嬉しいと思っていること……それに、心の底から感謝していることも……」
全てを語って、アリシアは桔音に頭を下げた。
「―――ありがとう」
全てはこのたった5文字の言葉に込めて。これで友人関係が切れてしまったとしても、覚悟は出来ている。
「うん、良く分かんないけど顔上げなよ。幼女に頭下げさせてたら僕悪者みたいじゃん」
すると、桔音はアリシアのそんな覚悟を拍子抜けさせるような口調でそう言った。
「は……?」
「え? 僕は別にアリシアちゃん……あー、アリスちゃんだっけ? の為にあの屋敷に行った訳じゃないし、お礼を言われる筋合いはないよ。僕は僕の目的の為に屋敷に行って、その結果アリスちゃんの悩みが解決しちゃっただけの話だ」
「で、でも……私はお前を利用した……」
「利用? いやいや、そんなの常識でしょ。人間、誰でも人の力を借りて生きてる。究極的に言えば、人の人生は何かを利用し利用される日常で構成されてるんだ……今更それで謝られた所で、疲れるだけだよ」
桔音は、アリシアの悩みをそう言って一蹴した。そんな悩みは、便秘や抜け毛の悩みに比べれば毛ほどの意味も無いと。
アリシアは、ぽかんと大きく口を開けて唖然としていた。桔音は彼女の間抜けな表情に、若干クスッと笑ってしまった。笑いを堪えて震える肩を隠そうともせず、桔音は続けた。
「つまり……僕とアリスちゃんはこれからも友達のままで、お互い悩みが消えて良かったねで良いんだよ。分かった?」
桔音はアリシアの頭をぐりぐりと撫でながら、薄ら笑いを浮かべてそう言った。アリシアはその言葉に、ハッと表情を元に戻す。
そして、桔音が文句ある? とばかりに首を傾げたのを見て……自然と笑みを浮かべた。
「ふふふっ……分かったよ」
その笑顔は、アリシアとしてのものか、アリスとしてのものか……恐らくは後者だろう。アリシアが見せる、アリスとしての最後の笑顔。そして、これから先はアリシアの笑顔となる。
「よろしい、素直なのは良い事だよアリスちゃん」
「アリスじゃない、今の私はもうアリシア・ルークスハイド……アリス・ルークスハイドはやっと今、死ぬことが出来たんだよ」
「……成程、それじゃアリシアちゃん。君も案外子供やってるじゃないか」
アリス・ルークスハイドは今、死んだ。全ての罪を背負って、死んでいった。此処に残ったのは、アリス・ルークスハイドではなく、アリシア・ルークスハイドという1人の少女のみ。
桔音はそれを聞いて、笑いながら少しからかうようにそう言った。
すると、アリシアは立ち上がり、桔音を上目遣いの視線で見上げながら子供らしく笑って返す。
「ふふふっ……私は7歳だからいいのっ!」
固い口調を演じることなく、素直な言葉で、アリシア・ルークスハイドはそう言った。
桔音とアリシアは、ようやく本当の友人となることが出来たのだった。