全てを終わらせよう
「クローン……?」
桔音の呟きに、小さな拳銃型の魔道具をゆっくりと下ろしたノエルそっくりな女性は、静かに首を傾げた。クローンという言葉を知らないのかもしれない、そもそも自分自身が普通の人間ではないと知っているのだろうか。桔音は考える。
しかし、周囲を見渡せば青い培養液に入れられたノエルのクローンが十数人存在している。これは変えられない事実だ。
桔音は、目の前の女性から視線を切ってすぐ傍の機材へと近づいた。見れば、キーボードに似たコンソール、データを明確に資料化したプリントの数々、科学の産物と言えるそれらを見て、桔音は目を見開いて驚く。こんな物が、このファンタジーの世界にある筈が無いと考えていたからだ。
そして、確実にこの施設の作成には異世界人が関わっていると確信する。それも、生物研究に深く関わっている人物だ。でなければ、これほどのクローン技術を成功させられる筈が無い。恐ろしい程の、狂気と悪意の研究。
この場所を作ったのは何者なのか―――ソレは分からないにしろ、その目的がけして人道的ではないのは確かだろう。元々狂っていて、異世界に来たからこんな所業をしたのか。それとも、何か狂う原因があって、それによって生まれた目的を達成するためにこんな所業をしたのか。
分からないことだらけだが、なんにせよこの場所に異世界人が関わっているということは、この場所には元の世界に帰る為の手掛かりがあるかもしれない。桔音はそう思った。
「……でもまぁ、良い感じに狂ってるね」
「……帰れ、此処に何の用だ」
「……」
桔音が振り向きながら、魔道具を下ろしたノエルそっくりなクローンを見て声を掛けると、クローンは警戒心を剥き出しにしながら桔音を睨み付けつつそう返した。
しかし、桔音はそのクローンに軽い同情を覚えた。何故なら、瞳に宿った警戒心の中に、怯えを押し隠していたのが見えたからだ。にも拘らず……彼女は魔道具をまた構えて桔音達に帰れと、そう言う。
正直、桔音は彼女に対して人間を相手とした感情を抱いてはいなかった。クローンは、クローンだ。人間と同じ様に扱う人間も居るのだろうけれど、人間と同じように生きていると思う人間も居るのだろうけれど、しかし桔音はそうではなかった。
クローンを人間とは認めなかった。ソレは恐らく、その素となった存在を知っているからかもしれないが……それでも桔音は彼女達を人間だと認めない。素になった人間が死んで幽霊となっているのに、クローンはしっかり生きているなど、不公平にも程があると思ったからだ。
「君達の本人を知っている」
「ッ……な、にを……私達の母は、200年以上も昔に死んでいる……人間のお前が知っている筈がない……!」
「どうかな? 200年以上も昔に死んでいるなんて、どうして言い切れる? 君だって、見た目通りの年齢じゃないだろう? 僕もそうかもしれないじゃないか」
桔音は、この場で彼女がなにをしているのかを知ることにした。此処で何があったのか、此処に何があったのか、此処は何をしていたのか、そしてノエルは何があって死んだのか。ソレを知らなければ、先には進めない。
飄々と彼女の言葉を受け流して、話を進める。最終的にはこの場で大暴れしても良いのだから、この場においてクローンである非力な彼女に、主導権を握る力はない。
「……っ……何が目的だ」
「此処で何があったのか、君達の『母』たる素体はどのような経緯でどう死んだのか……全てを話して貰いたい……そうすれば、僕は黙って此処から去るよ。床に開けた穴もしっかり直して、此処で見た物も忘れてもう上の屋敷にも近づかない」
桔音の言葉に、クローンの彼女は目を閉じた。
唇を噛んで、一生懸命何かを考え、悩んでいる様だった。
そして、どれほど長くそうしていただろうか……十数分程、彼女は一生懸命に考えていた。ずっと、ずっと、何かを考えていた。
そして、何かを決めたのだろう……彼女は目をゆっくりと開いた。
「……1つだけ、聞きたい。お前は、人を殺せるか?」
「必要とあれば、何十、何百、何千人であっても、殺してみせるさ」
「…………分かった、話そう。だから、代わりに頼みがある」
彼女は培養カプセルの1つに近づくと、その中で眠っているノエルのクローンを見つめながら言う。それは、悲痛な叫びだった。ぽつり、と彼女は桔音に言う。
「全てを聞いた後……お前の手で私達を――――この場所ごと壊し尽して欲しい」
◇ ◇ ◇
―――およそ200年以上も昔の話。ノエルのクローンが知り得る限りで、その時何があったのかが明かされていく。
……この施設はその昔、名前の無い施設だった。地下5階から隠された地下6階までの空間を作りあげたのは、たった1人の人間。もう既に死んでいるのかそれさえも分からない人物であるが、この施設はその人物によって創り上げられたのだ。
目的は分からない。何故作られたのかはクローンにも分からなかったようだ。
但し、この施設の創設者であるその人物は、屋敷に集まる孤児の悉くを攫った。ゴーレムは当時からの遺物だったらしい。恐らくは、ゴーレムを使って孤児を集めていたのだと思われる。
その孤児の内の1人が―――ノエルだった。
オリジナルのノエルは、他の孤児と同じ様に集められ、地下6階にある収容部屋に監禁されていた。クローンが知っているのは、その孤児達の内の1人が密かに集めた廃紙に、日記の様に綴られた事だけである。
その日記の用紙全てを集めて、紐で纏めた物を取り出しながら、彼女はそれを読んだ。
◇1日目◇
何日なのかはわからないから、これをかいた日を1日目とする。
私たちは、1人のおとこのひとにさらわれて、今とじこめられている。彼は、私たちに言う……「君たちの中に、そしつがあるかをたしかめさせてもらう」と。
意味は分からなかったけれど、私はおとこのひとにひどい事をされた。いたくて、いたくて、死にたいと言う子がいっぱいいた。私も、しにたかった。
ちゅうしゃとかいう針を何回も打たれて、水の入った丸いきかいにほうりこまれた。おぼれてしまうと思ったけれど、死ぬまえに水から上がらされて、せき込んでいるとまたほうりこまれた。何回も何回も、それをやられた。
そしてさいごに、かかとの上あたりを切られた。私たちはみんな、もう二度と歩けなくなってしまった。
◇2日目◇
今日は、新しい子がいっぱい入ってきたけど、たくさんの子が死んでしまった。でんりゅうとかいうモノをながされて、くろ焦げになって死んだ子がいっぱい出た。わたしは、まりょくたいせい? とかいうものが高いから、凄くいたかったけれど生き延びることができたと言われた。
そしつってなんなんだろう? またあのちゅうしゃを打たれた。少し前からずっと、あたまがいたい。
◇3日目◇
今日もまた、何人かの子が死んでしまった。私を含めても、生きているのはもう8人だけ……ヤーちゃんも、ジャンくんも、シミちゃんも、もう皆の眼は今までの様に生きていない。絶望の中で、みんな目が死んじゃっている。
多分わたしも、もう生きる希望はないのかもしれない。私の脚はもう両方ともなくなってしまった……歩けないどころか、もう私は私の脚を見ることも出来ない。もう、頭ががんがんと痛む。割れてしまいそうだ。
もういやだ、帰りたい……あの頃に戻りたい。
◇4日目◇
また、死んでしまった。残っているのは、私と……チーちゃんとミーちゃんだけ……おとこの人は言った、きみたちにはそしつがあるって。そして、私はもう両脚と右腕を無くしてしまった。耳も聞こえなくなってしまった。誰か助けて……わたしたちが、なにをしたっていうの……? 死にたくないよ、誰か助けて……私たちを助けて……!
私にはもう、痛みすら感じられないのよ。
◇
日記は、4日目で途切れている。
だが、恐らくその1日毎の間には長い時間が空いているのだろうと、クローンは言う。少なくとも、2週間以上の間が1日毎に空いているらしい。
その間に、何が行われていたのかは分からないが、実験道具からして肉体改造の実験が行われていた様だ。見た目から、DNAの中身まで、全てを改造させられていたらしい。無駄な部分は削ぎ落とし、無駄な感覚は全て消去して、『素質』と呼ばれる才能を使い尽くす為に、孤児たちに実験を施し続けたのだそうだ。
そして、最後までその実験を生き残ったのがこの日記を書いていた人物と、クローンのオリジナルであるノエル。
彼女達は4日目の日記以降の実験に掛けられたのだ。そして、日記の主は死んだ。実験に肉体が、命が、魂が耐えられなくなって、死んだのだ。言葉を借りるのなら、より素質があったのは、ノエルともう1人であったということになるのだろう。
ノエルはその後、多くの実験を経た後死んだ。この分だと、もう1人の方も死んだのだろう。何が目的だったのかは知らないが、ノエルのDNAから現在に残るクローンを生み出した以上、もう一方の子は死に、ノエルの身体になにかしらの素質があったと考えるのが妥当だ。
クローンが言うには、最初のクローンが目覚めた時には既に創始者も居らず、完全に施設は放置されていたらしい。そして、クローンは機材の使い方を見つけた資料から学び、1人、また1人とクローンを開放しながら今まで生きて来たらしい。
何をしていた訳ではない。
彼女達はこの地下6階から出られず、死を待つのみだった故に、せめて寂しさを埋める為に常に2人程のクローンで死を待っていたとのことだ。桔音と出会ったクローンは、先に死んでしまったクローンの代わりのクローンを解放する為に、機材を弄っていた様だ。
クローンが知っているのは、これで全てだ。
「……つまり、この施設の創始者の目的は分からないけれど、孤児達の中で唯一あらゆる実験を生き延び『素質』があるとされた君たちの母は、クローンの素体として利用された......そして、目的がどういうものにしても、利用され尽くした彼女は死んでしまったってことか……」
「おそらくは、そういうことだと思う……私たちの母は、何もかも失い、そして死んだ。実験の末、人間に殺されたのだ」
「成程ねぇ……」
これが、ノエルの死因。この施設を作った創始者の施した凶悪な実験の数々は、桔音にも想像出来ないけれど、彼女はそうした実験の末に殺された。日記の主の書いた通りなら、四肢をもぎ取られたこともあっただろう。感覚も失っただろう。涙も流れない身体にされたのかもしれない。心も破壊されたのかもしれない。髪の毛の1本に至るまで、DNAの隅々まで……全て創始者の目的の為に使い尽くされたのだ。
その結果、彼女は死んだ後に幽霊となった。
何故幽霊となったのかは分からないが、おそらくノエルは死ぬ間際に思ったのかもしれない。死ぬのは嫌だ、と……流れぬ涙を流したのかもしれない。全ての記憶を失い、傷を負った肉体を抜け出して、唯一残された魂だけの身体になっても、彼女は生きようとしたのかもしれない。
生きようとする強い意志が、死を免れない身体との矛盾を解決する為に、幽霊という結果を作り出したのかもしれない。荒唐無稽だが、あり得ない話ではない。
「……それで、どうして君は僕に此処を壊して欲しいと?」
その話を聞いて、桔音は問う。それならば、何故此処を壊せと言うのかと。
「……私達もいい加減、この施設には疲れてしまった。私達の母が苦しみ、そして死んでしまったこの場所を残しておくのは……私達自身が許せない。元々死を待つだけの身……良い機会だ、いっそ此処で終わらせてほしい」
「ふーん……」
彼女達は、クローンという名前は知らないけれど、クローンであるという自覚はある。そして、自分達の素となってしまった少女が、あらゆる実験で苦しみながら死んでいき、その結果生まれた存在が自分達であることも。
だからこそ、彼女達は死ぬつもりだったのだ。終わらせたかったのだ、自分達を。しかし、自分で命を断つことも、クローンに殺して貰うことも出来なかった。彼女達にとっては、お互いが家族であったからだ。
そこで、現れた桔音達に終わらせて貰うことにしたのだ。此処まで来れないのならソレはそれで良かった……家族の命が護られるのだから。しかしここまで来られたのなら、いい加減踏ん切りもつくというものだ。
「―――分かった、良いよ」
そしてその話を聞いた桔音は、そう言ってソレを……承諾した。
「僕も僕の目的がある。知りたい事は知れたし、ここらで全部すっきりさせようじゃないか」