閑話 魔王の評価
―――魔王城、最奥。
桔音との勝負に負け、右腕を抱えながら帰って来た魔王は、その右腕を失った身体ながらも、表情だけはとても嬉しそうに凶悪な笑みを浮かべていた。
それというのも、桔音という少年と、その周囲にいる存在達に対する興味が胸の内から溢れ出ているからだ。それは、レイラが桔音に対する好意で胸一杯になっているのと同じ位に、桔音達への興味で溢れんばかりに気分が高揚しているのだ。
魔王の姿を見た魔王の側近である魔族は、驚愕に目を見開いて駆け寄る。魔王の強さは、その身をもって知っている。迸る魔力も、身体能力も、何もかもが自分より格上である魔王、その魔王が、あろうことか右腕を無様に斬りおとされて帰って来たのだ。驚愕しない訳がない。
だが、魔王は己の右腕を腕の断面にくっ付けると、魔族としての肉体と、自然治癒能力が右腕を綺麗にくっつけた。拳を握ったり開いたりして、調子を確かめると、王座に座って大きく息を吐く。
「魔王様……勇者に会われたのですか?」
「ん? ッハハハ! いやいや、勇者には会えなんだ……だが、もっと面白い人間に出会ったぞ」
「その人間と戦ったのですか? 貴方様が力を抑えていたとはいえ右腕を落とされるなど……」
魔王は側近の言葉にくつくつと喉を鳴らして嗤う。
確かに、魔王である自分の右腕を落とすなどという事は、唯の人間に出来ることではない。人間の冒険者ランクで言うのなら、最低でも力を抑えた魔王の耐性値を軽々と越えて見せる程の攻撃力を持っているということは確かだ。つまり、最低限Aランク以上の実力を持っているということ。
だが、魔王がこうして帰って来たという事は、相手の人間は殺したということだろうか。側近の魔族はそう思いながらも、魔王の凶悪な笑みに怪訝な表情を浮かべる。
「殺したのですか……?」
「ん? ハハハッ、いやいや……殺せなかった。本気でやれば殺せたかも知れないが、私の攻撃を悉く防がれてしまった。愉快愉快、本当に堅い奴だった」
「……魔王様、貴方の存在は魔族にとって重要なのです……少しはお控え下さい」
「分かっている……いやはや、中々楽しい時間を過ごさせて貰った」
魔王は側近の忠告に対して、軽快に笑いながら桔音との戦いを思い浮かべながら、ぷらぷらと手を振った。魔王とて馬鹿ではない。自分の敗北は、魔族達の敗北となるということくらい。
今回はちょっとした勝負をして退いたが、あのまま戦い続けて負けたとなれば、魔族の士気、ひいてはその戦力の根幹に関わって来ていただろう。
だが、魔王は分かったと言いながらも、まだ心は桔音との戦いに持っていかれている様だった。
そして目を閉じ口端を吊り上げながらも―――魔王は未だ冷めやらぬ興奮の中に身を任せた。
◇ ◇ ◇
あの人間―――異世界の来訪者、勇者とは違う2人目の異世界人。
"きつね"
面白い奴だった。いや、面白い存在だったと言うべきか。
飄々とした態度を貫きながらも、その身の内には死神の様な絶対的な力を秘めていた。私の攻撃を幾度となくその身に受け、全てをその身1つで防ぎ切ったあの防御力。アレを貫くには、私とて本気でやらねばならないだろう。叩いてみた感覚からすれば、きつねの防御力はおそらく本気の私がやれば貫ける。
だが、最後のあの攻撃―――私の右腕を、私に気付かれる事もなく斬り落とした、あの最後の見えざる斬撃。あれだけは今も分からない。
どうやったのか、何があったのか、きつねが何をしたのか、私の分析力を持ってしても見抜けぬ技。
あの時、きつねは恐らく……私の心臓を貫く事も出来ただろう。まぁ、心臓を貫かれた所で魔王足る私は死ぬことはないが、それなりに大ダメージを受ける事は確実だっただろう。
だがそうしなかった。きつねという男は、最初から私を殺すつもりはなかったのだ。しかし、それは奴が特別優しかったという訳ではない。
奴は私の逆だ……奴には魔王に対する興味が一切無い。
だから右腕で収めた。殺す、排除する、といった考え自体持っていないのだ。大方、殺すのが面倒になった、魔王が去るなら余計な労力使うのも勿体ない、といった考えだったのだろう。
奴は最後、魔王に対して手を抜いたのだ。
だからこそ面白い。奴は私に興味が無いのだろうが、私は寧ろそんなきつねに対して興味が湧いた。今や、私の中では勇者よりもきつねの方が興味深い。
どうすれば奴は絶望する? どうすれば奴は壊れる? どうすれば奴は墜ちる―――それを考えるだけで身震いしてしまう程だ。
ああ、楽しい。奴程、私を昂らせる存在も稀だろう。
かつて存在した歴代の勇者達、彼らは確かに強かった。だが、それは勇者としての力を得て、恵まれた環境、恵まれた仲間、恵まれた才能、まさしく天に愛された様な奴らだった。
だがきつねは違う。恵まれない環境、恵まれない才能、恵まれない仲間、その中で命に縋る想いで掴み取ったのが今の強さなのだろう。
強者に喰らいつき続け、あくまで弱者としての意識を失わないままに強者を喰らう側に立った人間、というべきか。
だからこそ、奴は死神と称するに相応しい。強者の覇気は無い、しかし死神の様な死を連想させる恐怖感を煽る底知れない未知なる威圧感があるのだ。
なにより、この魔王である私が数秒とはいえ確実に恐れたのだから。その死の気配は、きつねという男を唯の人間から何処か異質な存在に、外してしまっている。
『魔王程度』
奴は私をそう評価した。人類の敵、この世の災厄を前に『程度』だと吐き捨てた。興味もなければ、恐怖もない。そうなると、奴の敵とはどれほどの何なのかが気になる所だな。案外、道端の猫と言われても信じられるのが、奴の面白いところでもある。
更に言えば、レイラ・ヴァーミリオンを変えた所も面白い。
かつて、『赤い夜』と呼ばれた魔族は……私も戦った事のある強力な魔族だった。人間達は知らないが、アレの本体は病そのもの。肉体を持たず、その瘴気の感染力と致死性の病によって生物を殺す魔族だった。
魔法も使わず、肉体も使わず、意志疎通も出来ない病そのもの。私にとっても、凄まじく凶悪で、最強の魔族と言えるほど強い存在であった。
しかし、百数十年前程からだ。『赤い夜』の齎す病の感染力と、病の致死性が時と共に弱まって行った。それは、長い年月病に襲撃され続けた人間達の身体には、その病に対する耐性が出来てしまった事の表れだった。
『赤い夜』は、全盛期程の脅威では無くなってしまったのだ。
だからこそ、奴は自身の凶悪性を取り戻す為にある方法を取る事にした。
―――病を振りまくのではなく、自分自身が狂暴な病として人間に取り罹るという、手段を。
それから『赤い夜』は、肉体を持つ魔族となった。しかし、初めての試みは半分成功、半分失敗となる。
その狂暴性を取り戻す事に成功した『赤い夜』だが、感染した人間の中に『赤い夜』の自我が残らなかった。いや、自分自身を感染させることで自我を失ってしまったのだ。
そうして出来上がったのが、欲望のままに人間や魔獣を襲い喰らう獣。
『赤い夜』という最強最悪の病の魔族は、中途半端な魔獣とも呼べる獣のなれの果てとなってしまったのだ。私が強者だと思っていた存在は、地に堕ち、消えてしまった。
いずれは打倒しようと思っていた。だが、ああなってしまっては最早私の敵ではない。放っておく以外に、私が『赤い夜』に出来る対応はなかった。
しかし、しかしだ。あの男、きつねは……かつての『赤い夜』を復活させたと言って良い。
レイラ・ヴァーミリオンは、かつての『赤い夜』の脅威を体現した存在となったのだ。きつねという存在のおかげで。
その証拠にあの漆黒の瘴気……奴らはあの様な使い方をしていたが―――見間違う筈もない、アレはかつて病を振りまいていた『赤い夜』そのもの。しかも、更に強力な病となっていたようだった。
もしもレイラ・ヴァーミリオンがあの瘴気を、病の感染に使ったとすれば……この私でさえもその病の脅威から逃れることは出来ないだろう。アレは、魔族にも感染する史上最悪の病の兵器なのだから。
それを復活させたのがきつね。何処までも面白い。
―――勇者とは違う2人目の異世界の来訪者
―――魔王に対して興味も恐怖も示さない態度
―――死神の気配を持つ弱者
―――魔王の腕を一瞬で斬り落とす未知の力
―――そして墜ちた『赤い夜』を……復活させた存在
「ッハハハ! ……面白過ぎるだろう、こんな存在を放っておける筈もない」
私は笑う、嗤う。魔王であることが、これほど喜ばしいことが過去にあっただろうか? 奴を、きつねを、必ず殺そう。それも精神的にも、肉体的にも、完全な勝利の下に、奴の命を我が手中へ収めよう。
あの堅さを貫こう、あの飄々とした態度を屈服させよう、必ず奴の全てを潰した上で打倒し殺す。
勇者と戦うのは、その後でも遅くは無い。唯の異世界人にすら勝てない私では……勇者として呼ばれた異世界人に勝てる筈もないだろうしな。
◇ ◇ ◇
なんだか身震いする様な悪寒を感じたけど……魔王が僕に目を付けでもしたのかな? まぁ、とりあえず逃げるけどね。
あの後、ドランさんは喫茶店を出てギルドへと向かった。元々ギルドへ行くつもりだったのだろうとは思っていたらしいけど、どうやら僕と行動を共にすることを他の冒険者達に報告しにいくらしい。
元々パーティに誘われていた手前、僕みたいなHランク冒険者のパーティに入ることを良しとはしないだろうということで、色々と説明というなの説得を試みる様だ。
まぁどうでもいいけどね。
「うん……それじゃそろそろ、ルークスハイド王国へ行きますか」
でも、ドランさんが仲間になったことと、魔王を撃退したこと、切りが良いと言えば切りが良いし、そろそろこの街を出発しようかな。というか、行く先々で別々の脅威がやってくるとか、ちょっと止めて欲しいよね。
前回はニコちゃん達の件で色々あったし、ちょっと目を付けられるのにも慣れて来たよ。レイラちゃんを始めとして、最近では使徒ちゃん、殺人鬼のレイス、そして魔王、ヤバい奴らお揃いじゃん。死ぬことはなさそうだけど、魔王に関してはまだ実力を隠してそうだし、使徒ちゃんに関してはあの稲妻の武器を耐性値だけで防げるかは分からないし、レイスはぶっちゃけあの性格が相手するの面倒臭い。
「はぁ……ルークスハイド王国では目を付けられるにしても、比較的まともなのにして欲しいなぁ……」
まぁ、行ってみれば分かるだろう。ルークスハイド王国は中々まともで理知的な政治を執ってるらしし、勇者気取り程強引かつ愚かでも無いだろう。
うん、それじゃあレイラちゃん達にもこの街を出る話をしてから……出発するとしよう。ニコちゃん達やクロエちゃん達にもその辺話しておかないとね。
赤い夜の思わぬ過去が登場しましたね。まぁ、予想通り魔王様に目を付けられました桔音君です。
序盤に言いましたが、どうでしょうか? レイラちゃん可愛くなった?