意志の強さ
―――なんでこんな気持ちになるのか、分からなかった。
僕は、ドランさんと戦っていて、攻撃されては防いでの繰り返しをやっていて、体力にもまだ余裕があって、リーシェちゃん達が魔王を見つけて来てくれるのを待っていた。
そして、そこへリーシェちゃんがやって来た。そう、リーシェちゃん『だけ』がやってきた。
別にリーシェちゃんに不満がある訳じゃない。リーシェちゃんが、1人だけだったことに嫌な予感を覚えた。
そして、彼女は魔王を見つけたと言った。レイラちゃんが、囮になって残ったとも言った。
最後に、僕にそこへ向かえと言った。リーシェちゃんがドランさんに斬りかかり、剣戟の音が鳴り響く。
でも、リーシェちゃんがドランさんに勝てるなんて思えなかったから、僕は数秒の間その場に立ち尽くしていた。けれど、リーシェちゃんは戦っていた。戦えていた。ドランさんの攻撃を、その持ち前の直感と先読み能力で上手く捌いていた。
持っている剣術と回避術、それを上手く使ってドランさんと互角に戦っていた。
「行け!! きつね!」
その言葉に、僕は駆け出していた。
筋肉が足を蹴り、地面へとその力を叩き付ける。周囲の風景が、風の様に後方へと流れて行く様を見ながら、僕は時計塔へと全力疾走していた。
そして、ステータス的に向上した速度はすぐに時計塔の麓まで僕の身体を運んでくれた。階段を駆け上がり、頂上まで後少し……というところで、頂上から聞こえてきたんだ。
『あァぁああぁッっっギッぁああああ!!? いたい痛いイダイ痛いぃぃぃ!!!』
レイラちゃんの悲鳴が。
驚愕と、不安で階段を上る足が、止まった。そして、頂上を見るのを少し躊躇してしまう。
でも、僕は不安か恐怖か、それとも――――……とにかく硬直した身体を無理矢理動かし、階段を上る。あと十数段だけの階段を、確実に上る。
そして、あと数段というところで、レイラちゃんの声と奴の声がまた聞こえて来た。
『お前は今更な存在なんだよ。愛されていい存在じゃない、人間と居ていい存在じゃない、だってそうだろう? お前はそれだけのことをしてきたんだ』
『ひっ……ぁ……やめて……もう、やめて……!』
『目を逸らすか? ハハハッ! それもいい、だが目を逸らしたところで、この現実は一生お前に付き纏う……それでも、お前はあの2人目と生きていきたいと言うのか?』
『ぁ………――――』
その言葉が僕の耳を叩いた時、僕は階段を全て上り切り、そして頂上へと足を踏み入れた。
そこにあったのは、右眼から夥しい量の血を噴き出し、身体を赤く染めたレイラちゃんが、力なく倒れようとしていて、魔王は手に付いた血を振り払ってレイラちゃんから離れて行く光景。
僕は、無言でレイラちゃんの後ろまで移動し、倒れる身体を支えた。
そして、見た。
―――レイラちゃんの赤い瞳が、片方潰されている。
―――レイラちゃんの顔が真っ青に青褪めている。
―――レイラちゃんの残った瞳が、死んでいる。
一瞬、死んでしまったのかと思った。それ位、レイラちゃんの瞳には生気が無く、その身体はぐったりと力なく項垂れていたから。
だらしなく開いた口はレイラちゃん自身が開いているわけじゃなく、倒れた結果自然に開いただけ。見開かれた瞳は、あまりの絶望を見た証拠。力の入っていない身体は、心が壊された現実。
レイラちゃんには、意識がある。開いた瞳はちゃんと目の前の僕が見えている。呼吸もしている。本当なら動く事も喋る事も出来る。
でも死んでいた。
僕の中で、何か蓋の様な物が吹き飛んだ気がした。
「―――ふざけたことをほざくじゃないか」
自然と、『不気味体質』が発動する。魔王がこっちを向いた。
―――分からない。
僕はレイラちゃんを抱えて、離れた場所に寝かせる。こてん、と首に力が入っていないんだろう。レイラちゃんの顔が僕の方へと向く。
―――分からない。
立ち上がり、魔王の方へと歩み寄る。そして、魔王が何か言っている。それに対して、僕はなんて返したのか分からない。覚えていない。
でも、
「死活問題だよねぇ? だから責任取って―――ちょっと死んでくれる?」
僕の口が紡いだその言葉に、ああ成程と思った。
―――分からない。
確かに今の僕は、魔王を『殺してやりたい』と思っていた。
何故、そう思ったのかは分からない。レイラちゃんが傷付けられたから? それとも勇者絡みで魔王がこっちに来たのが許せなかったから? だからなのか?
何故かこんなにも……胸が熱くなる。
頭に血が上るとは、こういうことなのかな? レイラちゃんをちらっと一瞥して、死んだような表情が目に入る。
そして理解する。納得する。ああ成程ね、つまりはそういうことか。本当に、人間関係っていうのは複雑怪奇で面倒臭い。難し過ぎて現実逃避したくなるのも当然だ。
レイラちゃんのことを、僕は好きでも嫌いでも無かった。
「でも―――少なくとも仲間として大切に思ってた」
だからか。僕はこんなにも、怒っている。吊りあがった口端が、怒りとは裏腹に笑みを浮かべているのが分かる。
「ねぇ魔王さん」
「なんだ2人目?」
「レイラちゃんに何を言ったのかは知らないけど、僕と一緒に居られると思ってるのか? 的な事言ってたよね?」
それは間違いだ。
「ああ、言ったな。魔族と人間は相容れない……まして、多くの人間を殺しておいて人間に混ざるなど、至極滑稽であろう? 人間が魔族に混ざって生きようと言っているのと同じことだ」
「勝手に決めるな、僕とレイラちゃんが一緒に居るのにお前の許可なんて要らないんだよ」
「ほぅ? 面白い、魔族と共に在れると説くか」
悪いけど、あれこれ理屈を付ける必要はない。人間を殺してきたからなんだ、魔族だからなんだ、人間に混ざって生きるのが悪いって? 僕と一緒にいる事は間違ってるって?
知るかそんなもの。
「単純だよ。レイラちゃんが僕と一緒に居たくて、僕がそれを認めてる、一緒に居る理由なんてそれで十分だ」
人間と混ざるのが間違ってるとしても、僕と一緒に居る事は僕が決めることだ。口出しするなよ、魔王程度の存在の癖に。
「……ハッ! 成程なぁ、確かにそうだ……だが、レイラ・ヴァーミリオンの正体を明かせば、人間はそれを受け入れると思うか? その正体が知られれば、そいつは人間の中で居場所を無くすぞ?」
「それなら僕が認めさせるさ、人間の順応性舐めるなよ」
「ハハハハッ! やはり面白いな、2人目……どうやら、お前にはレイラ・ヴァーミリオンにしたのと同じ手は通用しないらしい……」
嗤う魔王に、僕は瘴気のナイフを生み出す。
御託は良い、さっさとぶっ殺してその耳障りな笑い声を消す。そして、レイラちゃんを治療して、ドランさんも元に戻す。
それで終わりだ。
「その力、レイラ・ヴァーミリオンと同じ力か……仕組みは知らないが面白い。お前の力、全て私の手で捩じ伏せてやろう……掛かって来い」
魔王も、その身に秘めた魔力を開放し、凄まじい威圧感を放ってくる。僕の『不気味体質』とぶつかり、火花を散らした。
そして、僕は『先見の魔眼』を発動し、魔王に向かって地面を蹴った。
魔王も、僕に向かって地面を蹴る。同時に踏み出した僕と魔王、衝突は一瞬だった。
「ああああああッ!」
「おおおおおおッ!」
先読みのイメージに合わせて魔王の拳を躱し、カウンターで放った僕の拳もまた躱された。
拳と拳がお互いの顔の横を空振りし、お互いの頭と頭が鈍い音と共にぶつかった。でも、怯む訳でもなく、まるで最初から頭突きをしようとしていたかのように、ぶつかった額と額をゴリゴリと押し付けた。
あまりの威力に、時計塔に罅が入る。魔王と僕の全力同士のぶつかり合い、時計塔がその威力と余波に耐えられなかったのだ。
そして、同時にバックステップ。お互いに距離を取った。
「くっ……ッハハハハハ!! 面白い! この私が押し負けるとは!」
そして、魔王は嗤う。その額からは血が滲んでいる。僕の防御力が魔王の攻撃力を上回り、魔王の方に反動でダメージが入ったのだ。
僕は無傷、初撃の一合は圧倒的防御力を持った僕が勝った。
「どうやらお前の防護の力は私を大きく上回っているらしい……だがどうする? 護るだけでは勝利は捥ぎ取れぬぞ!」
「簡単だよ、負けを認めたくなるまで全部跳ね返す。何も出来ず、無様に負かしてやるよ」
「成程、単純明快……実に私好みだ。つまり、お前の防護を貫けば私の勝ち……私のあらゆる手を全て跳ね返せば、お前の勝ち……ッハハハハ!! 良いだろう、それじゃあ始めようではないか」
―――命を削るか、護り切るかの戦いを。
魔王はそう言って、両手を広げて不敵に笑った。
◇ ◇ ◇
時計塔から凄まじい余波が、街中にビリビリと伝わって来た時、リーシェもまたドランを相手に奮闘していた。
パワーも、スピードも、身体能力では完全に劣っているリーシェ。その彼女が、ドランに対して勝っている点でいえば、2年間の訓練で培ってきた『相手の動きを読む力』。
彼女はそれをフル稼働させて、ドランの動き出し、剣の動き、それを読む。そして、先読みした通りの行動をドランが取り、それに対して全力で回避、反撃する。
―――読め、読め、もっと! もっと先を!
読み違えれば、その隙が命取りになる。そんな極限状態の中で、リーシェは多くの可能性の中から、何度も正解を掴み取っていた。
おそらく、ドランの理性が吹き飛んでいる事もあったのだろうが、それでも技術はそのままに振るってくる獣の攻撃を全て、捌いている。その現実は、1つの事実を証明付ける。
リーシェがこの一瞬の中で、成長していることを。
この一瞬、この1秒の中で、極限状態のリーシェは、ドランの技術を先読みする。盗み取る。自分の物にする。少しづつ、ドランの攻撃、速度、威力を『完全』に受け流すことが出来るようになっている。
これはステータスではない。リーシェの今までの努力と、研鑽された先見の技術の結果だ。
魔眼を受け継げず、騎士への夢も途絶え、それでも掴み取った、自分の中に残った、冒険者としての自分の道、覚悟も、決意も、全部抱えて走って来た。
魔眼が無いなら、それに変わる技術を身につけろ。
身体能力で負けていても、対抗出来る戦いをすればいい。
そして何より、今この時に成長しろ―――!
「私は! 強くなるんだッッ!!」
叫べ、決意は、誇りは、意思は、私の何より強い武器になる! 格上が相手だからなんだ、なら今成長して超えれば良い、出来るだろう?
私はきつねに、そう誓ったんだから!!
「るるぉぉぉぉおおおおおずぁあああああ!!」
「はあああああああああ!!!!」
咆哮を上げて、衝突する。
迫りくる横薙ぎの剣を、しゃがんで躱す。返す刃で振り下ろされる刃を、剣で受け流して逸らす。続くように迫る拳を、回転して前に出ることで躱す。
そして、リーシェはその剣でドランの腹を浅くだが、斬った。
「ギッ……!?」
「はぁ……はぁ……まずは、1本だ……!」
短い悲鳴を上げたドランに、斬り抜けて距離を取ったリーシェは息切れしながらも、そう言った。
成長している。今、リーシェは強くなっている。その確信があった。今までは躱すことで精一杯であったのに、今攻撃を入れる事が出来た。これは、確実に強くなっている証拠だ。
事実は、何よりの自信に繋がる。
「悪いなドランさん……私はきつねと違って手加減が出来ない、そんな余裕もない……だから、1度は共に戦った仲間として……全力でぶつからせて貰う、最後に一手……ご指南頂こう」
「グッ……ろ、す……ごろす……あぁぁぁぁかあああああああ!!!!」
「はぁぁああああああ!!!」
リーシェは、負けるつもりはない。だが、殺さずに済むとも思っていない。
この場を収めるに、自分に出来るのはドランを殺すこと。気絶させる余裕はない。桔音と違って、時間稼ぎ出来る防御力もなければ、手加減する余裕もないのだから。
そして、ドランの叫び声とも言える咆哮と、リーシェの威勢の良い大声がぶつかり、お互いがお互いに向かって駆け出す。
これで、終わらせる。これで、殺す。
―――リーシェは初めて、人を殺す覚悟を決めた。
剣を振るい、ぶつかる。鍔迫り合いが火花を散らし、ギャリギャリと音を立てた。
威力で押し負けるリーシェは、ドランの剣の威力を受け流し、前に出る。だが、ドランも負けてはいない。拳を握り、リーシェに向かって振るう。
「ッ……ぁああ!!」
だが、リーシェもそれを読んでいる。拳を躱して、剣を突き出すように構えた。
あとは、この剣先がドランの胸を貫くだけ―――だが、
「―――ガッ!?」
「ぅぅるるぁああああああ!!」
ドランは、自身の剣を投げ捨てリーシェの剣を掴んだのだ。
そして、不意を衝かれたことで、隙が出来たリーシェの少し下がった頭を、ドランはその丸太の様な足で蹴った。
リーシェの手が剣を放し、蹴りの威力に転がる様に地面を削って吹き飛んだ。ぷつっと鼻血が出て、直撃に脳が揺れた。視界が一瞬真っ白になって、意識が飛び掛けた。
「……ッ……っあ……!!」
ふらふらと、リーシェは身体を起こす。
そして反省する。後1歩まで踏み込んでも、まだ1歩が終わった訳ではない。戦いの中で、油断をした瞬間命を落とす。今も、打撃ではなく斬撃だった場合、リーシェの方が死んでいたかもしれない。
そして、リーシェはこの油断で逆に形勢が逆転されてしまった。剣を失い、ふらつくほどのダメージを負い、そしてドランは身体能力的にも負傷的にも、まだ余裕がある。更に言えば、捨てた剣はリーシェから奪った剣で代用出来る。
先読みしようと、武器はない。唯でさえ腕の長さでリーチの差があるというのに、剣があるのとないのじゃもっと違う。
「……でも、諦めるという選択は……私の中にはないぞ……!」
でも諦めない。
剣が無いからなんだ、身体能力で負けているからなんだ、それも含めて強くなれば良い。逆境を乗り越えてこそ、強くなれる。
「私は……きつねに言ったんだよ、レイラの所に行けと……つまり、此処は任せろと……」
「ッガがァるるぁああああ!!」
「私の意志は、この程度じゃ揺らがない!!」
離れた距離を、たったの1歩で埋めてくる速度、振るわれる剣は、リーシェの物故に軽いからか、先程よりもずっと速い。
でも、見えた。
強い意志と集中力で、極限の状況下、リーシェはドランの剣をその眼で捉える事が出来た。
そして、そこからは無意識だった。
「―――――ッッァ!!!!」
それは叫び声か、それとも咆哮か、悲鳴か、リーシェには分からない。
でも、言葉にならない大声をあげて、ドランの剣に向かって手を伸ばしたのは覚えている。
「っ!?」
「ッッ!?」
そして、気が付けばリーシェの手には自身の剣が握られており、そして目の前に迫っていた筈のドランは彼女の背後にいた。
何が起こったのか、当人同士でも分からない。
ただ、両者は共通して驚愕し、困惑しているのは確かだった。
リーシェちゃんが主人公っぽいのは、気のせいじゃない筈。