気が付いて
「お? おーおー! クロエじゃん、何処行ってたんだよ全く」
「姉さんこそ、勝手にふらふらと歩いて行かないでください」
宿に着いて早々、食堂で寛いでいた姐さんとクロエちゃんが感動の再会を果たした。
姐さんはクロエちゃんの姿を見るや快活に笑い、クロエちゃんは片手で頭を抑えながら大きく溜め息を吐いた。どっちが姉か分からなくなるね、クロエちゃんの方がずっとお姉さんっぽいや。
そんな2人は僕の視線に気が付いたのか、似た様な顔で苦笑した。
やっぱり姉妹か、こういう細かい所でそっくりだ。
「良かったね、お互い探し人が見つかって」
「ああ、ありがとな、きつね」
「ありがとうございます、きつねさん」
さて、姉妹がお互いに再会出来た所で、今日はもう疲れた。馬車はまだ借りていられるし、魔族も倒して切りも良いから、もうそろそろこの街を出ようかなぁ。
今日は疲れたから宿で休むけどね。
それに、ここから多少距離はあるけれど、次はいよいよルークスハイド王国なんだし、いつまでもカスみたいな勇者の所にフィニアちゃん達を預けてはおけない。さっさと取り戻しに行かないとね。
「じゃ、とりあえず僕はもう部屋に戻るよ」
「ああ」
僕は部屋へと続く階段を上りながらそう言う。姐さんがそれに対して短く返してくれた。
どうやらリーシェちゃんも休むつもりらしく、僕の後ろから階段を上って来る。でも、レイラちゃんはクロエちゃん達のいるテーブルの横に立って動く気配はない。
少し不思議に思っていると、レイラちゃんは僕の方を見ながら言った。
「きつね君♪ ニコちゃんの家に行って来ても良い?」
ああ、そう言えばニコちゃんとヒグルドさんは購入した家に移動したんだっけ。レイラちゃんもニコちゃんを気に入ってたみたいだし、その家だってレイラちゃんのお金で買ってるんだから別に良いと思うよ。
僕は行かないけどね。
「お、ニコの所に行くのか? そういえば今日は見てないな……アタシも行って良いか?」
「姉さんを1人にするとまた何処に行くか分からないので、姉さんが行くなら私も付いて行きます」
「あー、そう……じゃ3人で行ってくると良いよ。場所分かる? レイラちゃん」
「うん大丈夫♪ 行ってくるね♪」
はいはい、行ってらっしゃい。
そう言うや否や、レイラちゃんは姐さんとクロエちゃんを連れてニコちゃんの新居へと出掛けて行った。まぁあのレイラちゃんでもクロエちゃん達を傷付けたりはしないだろう。セッションを聞く約束もあるしね。
迷子になるかどうかが不安な所だけどさ。
「良いのか? レイラを行かせて……魔族なんだぞ、レイラは……」
すると、僕の後ろにいたリーシェちゃんが、少し言い淀むような、言い辛いような、そんなニュアンスでそう言って来た。
僕はレイラちゃんと中々上手く付き合えていると思うけれど、リーシェちゃんにとっては、まだレイラちゃんは魔族であり、人間に対する脅威でしかないらしい。
言い辛そうなのは、僕がレイラちゃんを悪く思ってはいないと考えているからだろうか? 大間違いだね、僕はレイラちゃんを悪く思っていない訳じゃない。
「リーシェちゃんが不安に思うのも仕方ないよ。レイラちゃんは魔族だし、人を食べるし、能力も危険だし、危険度で言えばSランクの化け物だ。僕もあの子の暴走にはほとほと困り果ててるよ」
「……」
「正直、僕はレイラちゃんが好きじゃない。自分勝手だし、我儘だし、こっちの都合なんて考えないし、欲望に忠実で、容姿は可愛いけど残念過ぎる性格だし、何より人にとってはリーシェちゃんの思っている通りただの化け物だ。幾らあの子の攻撃を防げる耐性値を持っているとしても、怖い物は怖いしね」
リーシェちゃんは、僕の言葉を黙って聞いている。
レイラちゃんを良く思っていないと言われても、なら何故一緒に居るのかと言いたくなるだろうし、攻撃を防げる防御力があるなら倒すことだって出来るのではないかと言いたいんだろう。
でもね。
「それでも、僕はレイラちゃんが嫌いって訳じゃないんだよ。好きじゃないだけで、嫌いじゃない。あの子だって、探せばきっと良い所があるよ。それに、少なくとも僕と一緒に居る間は、レイラちゃんも周囲の人を無差別に襲ったりしないでしょ?」
「……だが、私はレイラを本当の意味で仲間だとは思えない。あいつは危険すぎる」
「それで良いと思うよ? 僕だって全面的に彼女を信じている訳じゃないしね」
僕はそう言って階段を上る。
レイラちゃんを危険視する人間が傍にいるというだけで、助かる人がきっといる。だから、同じパーティだからといって仲間だと思う必要はないんだ。
リーシェちゃんは、レイラちゃんの敵であれば良い。きっとそれが1番、正しいんだと思うから。
まぁ、レイラちゃんを全面的に否定する訳じゃないけどね。あの子も案外可愛い所あるし、最近では僕に恋愛感情を抱いたことで、大分発情以外の笑顔を浮かべるようになった。
丸くなったというか、柔らかくなったって感じかな。まぁこの先どうなるかは分からないけどね。
「どちらにせよ、レイラちゃんを殺せる気はしないなぁ……」
階段を上り、自分の部屋に入る直前。僕は、そう呟いた。
それは実力的な意味か、それとも―――僕が殺したくないと思っているのか……どっちの意味で言ったのか、僕自身良く分からなかった。
◇ ◇ ◇
「……姉さん……また目を離した隙に……!」
「あはっ♪ 随分と方向音痴なんだね♪ 貴女のお姉ちゃんは♡」
その頃、レイラ達はニコの新居へ向かう途中で、フロリアとはぐれてしまっていた。目を離した隙にふらっと何処かへ行ってしまったのだ。この時点で、迷子になっていたのはフロリアの方だという事が分かったのだった。
残されたレイラとクロエは、とりあえずフロリアのことを探すことにした。ニコの新居は逃げないのだからと、レイラもフロリアを探すクロエの隣をなんとなく歩いている。
レイラは別にフロリアを探している訳ではないが、歩くのは嫌いではないし、ついでだから良いかと思っているのだ。クロエの歌を聞いた時点で、レイラの中ではクロエもそこそこ興味の惹かれる存在になっているらしい。
「あはは……恥ずかしい限りですよ」
「うふふうふふふ♪ 私もちょっと前まで方向音痴だったから分かるよ♪」
レイラはまだ魔族として覚醒していなかった頃、方向音痴だった。桔音を探して森の中をぐるぐる回っていた位だ。その方向音痴っぷりは凄まじかった。
今でこそ瘴気の空間把握もあってその方向音痴は治っているが、過去に方向音痴だった事で、レイラはフロリアの方向音痴を多少理解出来た。
「きつね君を探して森の中を1週間くらい迷ってたなぁ♡」
思い出すように、ニコニコと笑顔を浮かべながらそう言うレイラの横顔に、クロエはクスッと笑みを漏らす。フロリアもそうだが、この姉妹は中々察しが良い様だ。
クロエは、そのレイラの横顔が―――正確に言うのなら、桔音の事を話しているレイラの横顔が、とても楽しそうで、嬉しそうで、なにより可愛らしく見えた。
おそらく、それはレイラの容姿が整っているからではないだろう。きっと、レイラが太っていて、顔の造形も悪くて、おおよそ異性に好かれそうになかったとしても、そう思えた筈だ。
何故なら、その表情は本当に愛しい人を想う顔だったから。恋する少女の、とても可愛い表情だった。
「……好きなんですね、きつねさんのこと」
「うん? うふふっ♪ そうだよ、私はきつね君が大好き♡ 美味しいし、面白いし、可愛いし……格好良いもん♪」
いいなぁ、とクロエは思った。
クロエは、今まで恋愛感情を抱いたことはない。格好良い男性や、面白い男性、自分に告白してきた男性、色々な男性を見てきたが、彼女が恋愛感情を抱く様な相手はこれまで現れなかった。
だから、クロエは憧れている。『初恋』という感情に。
自分もいつか、高鳴る鼓動を感じてみたい。切なくなる想いを抱いてみたい。ちょっとの嫉妬心を隠してみたい。ちょっとした行動に頬を赤くしたい。
そしていつか……まだ見ぬ恋の相手と―――一緒になれたら……そう思っている。
故に、レイラを羨ましいと思うのだ。
「レイラさんときつねさんって恋人同士なんですか?」
だから、そう聞いた。
当然、そういう関係なんだろうと思っての問いだった。
だが、
「……恋、人?」
レイラの反応は、クロエの予想とは反して、茫然とした様な表情を浮かべるばかり。
何かおかしなことを言っただろうかと、クロエはちょっと焦った。レイラは首を傾げて、心の底から分からないという表情と声色で、クロエに聞き返した。
「ねぇ、『恋人』ってなぁに?」
その問いに、クロエは驚愕する。『恋人』という言葉自体を知らないというのだから、それも当然だろう。
だが、幼少の頃から半魔族として欲望のままに生きて来た上に、最近まで子供の作り方も知らなかったのだ。そんな言葉を知る筈がないし、自分の桔音への感情を恋愛感情だと気づいてもいないのだから、恋人と言われてもピンとこないのだ。
「え……と、レイラさんはきつねさんに恋をしているんですよね?」
「恋……恋? 恋ってなぁに?」
「……例えば、きつねさんの事を思うだけで嬉しくなったり、胸がドキドキしたり、顔が熱くなったりませんか?」
恋も知らないクロエは、想像だけでそう言う。実際に、恋人同士だった人の話を聞いた事もある。その時の話を元に、レイラに恋について説明する。
そんなクロエの説明に、レイラは思い当たる節があったのだろう。こくりと頷いた。
「うん……あるよ」
「きつねさんが他の人と話してるのを見ると、胸が苦しくなったり」
「ある……もやもやするの。でも、きつね君とくっついていれば消えるから、そうしてる」
レイラは、クロエの言葉を真面目に聞いていた。
直感で思ったのだ。今まで、桔音の事で浮かんでいた胸のもやもやの正体を、クロエは知っているのかもしれないと。レイラは知りたかった、自分の気持ちがどういうものなのかを。
クロエは、レイラに言う。
「きっと、レイラさんはきつねさんに『恋』をしてるんです。ずっと一緒にいたいとか、壊れる位抱き締めて欲しいとか、好きだって言って欲しいだとか……自分の身体が壊れちゃう位に好きだって思える……それが、個人が特別な誰かにだけ向ける、特別な感情……『恋』、だと思います」
「きつね君が……私の特別?」
「はい。私には、レイラさんがきつねさんに恋をしている様に見えましたよ?」
レイラは、クロエの言葉を胸の内で何度も繰り返し考える。
―――恋、きつね君に、恋している。
そして、想像してしまった。桔音が、自分に向かって大好きだと言ってくれる光景を。
―――世界中でただ1人、私だけが、きつね君の特別に……。
―――壊れる位に抱き締めて、私だけを見てくれる。
『好きだよ、レイラちゃん』
桔音が、優しい笑顔でそう言ってくれる想像をして、レイラの顔が真っ赤に染まった。困った様にあわあわと口を開けて、眉がハの字になる。高鳴る鼓動が抑えられない。
「まただ……ドキドキして……胸がきゅっとなる……知らない、私こんなの知らない……!」
この感情は、使徒と戦った時に感じたあの感情。レイラには理解出来ない、未知の感情。心臓が破裂しそうな程鼓動し、身体が内側から熱くなる。両手を頬に当てて、今にも泣きそうな表情でレイラは黙ってしまった。
「うぅ…………これが、恋? 恋って……何? 分かんないよ……」
そう呟くレイラに、クロエは羨ましそうに苦笑した。