動き出す
僕に話し掛けて来た女の子は、名前をクロエ・アルファルドと名乗った。
黒髪と、マフラー、そして夜空の様な綺麗な瞳をしている時点で勘付いてはいたけれど、名前を聞いて確信した。この子は姐さんの妹さんだと。
にしても可愛らしい容姿をしている。
僕の元の世界でなら、トップアイドルに余裕でなれる愛嬌と小さく幼い顔立ち。鴉の濡羽色とでも言うべき艶のある黒髪に加えて、見れば分かるほど綺麗な夜空色の瞳。なにより、彼女の声は透き通るようで、聞いていて心地良いものだった。
年齢は僕と同年代。そして、フロリア姐さんの1つ下、つまり18歳だ。
どうやら姐さんと同じで、迷子になったと思っている姉を探してこの街に来たらしい。やっぱりお互いに迷子だと思い込んでいた訳だ。果たしてどっちの言い分が正しいんだか。
とりあえず、僕は姐さんの事を知っていると言って、宿に案内する事にした。今はその道中だ。
リーシェちゃんの武器も無事新調出来たようで、彼女の機嫌はかなり良くなっていた。腰に下げずに抱きかかえてにんまり笑っている所を見れば、一目瞭然だろう。
「へぇ、てことは姐さんってかなり昔からやんちゃだったんだ?」
「はい。気が付けばあっちこっちに走り回って、泥だらけになって帰って来るような……そんな人でした」
「あはは、想像が付くよ」
くすくすと笑って、姐さんの事を話すクロエちゃん。その様子と口調からして、随分と仲の良い姉妹だということが分かる。お互い探し合っている位だから、姉として、また妹として、お互いを想い合ってるんだろう。
僕も可愛い妹か優しい姉が欲しかったなぁ。妹だったらお兄ちゃんっ子で甘えられたり、姉だったら甲斐甲斐しく世話を焼かれたりしたい。寧ろ僕は両方を所望する。叶わぬ夢だけどね。
「きつねさんは姉さんとは何処で?」
「ん? ああ、この街に来る途中の林の中でぐーすか寝てたもんだから、魔獣が来たら危ないと思って一緒にこの街に連れて来たんだよ。それで、今一緒の宿に泊まってるんだ」
「……はぁ……姉さんはまた……ごめんなさい、姉さんが迷惑を掛けたみたいで」
「良いよ、おかげで連れの幼女も懐いたみたいだからね」
姐さんの話をすると、クロエちゃんは溜め息を吐きながら、申し訳なさそうに謝って来た。僕は気にしてないからと手を振ってそう言った。
ニコちゃんも懐いたようだし、依頼中ヒグルドさんと一緒にニコちゃんの世話をして貰ってるし、寧ろ感謝している位だ。
まぁそのニコちゃんとヒグルドさんは今、レイラちゃんのお金で購入した家で住み心地を確かめているんだろうけど。
「所で、クロエちゃんと姐さんってなんで旅してるの? 聞く限りじゃまだ若いんだし、冒険者でもないんでしょ? なのに旅をしてるって珍しいね」
ふと気になったので、そう聞いた。
すると、クロエちゃんはその問いに対して意表を衝かれた様な、きょとんとした表情を浮かべる。そして一瞬遅れて僕の問いを理解したのか、少し視線を迷わせた後、胸に手を当てながら少し胸を張り、息を大きく吸って、口を開く。
でも、そこから出て来たのは言葉ではなく―――
「―――私は何時になったら出逢えるの? 私は感じたい、高鳴る様な初恋に……♪」
歌だった。
透き通るようなその声音で、奏でられるその音色。まるで胸の内に染み入る様で、思わず言葉を失う程だった。僕は一瞬で聞き惚れて、足を止めてしまう。
たったのワンフレーズ、しかもアカペラで歌っただけだというのに、彼女の歌には世界一と言っても過言ではない程の感動があった。
その証拠に、新しい剣に上機嫌だったリーシェちゃんも、歌になんて興味もないであろうレイラちゃん、果ては周囲にいた人々でさえも、僕と同様に足を止めてクロエちゃんを見ていた。
しん……と沈黙がその場を包みこみ、ふと息を吐いて苦笑するクロエちゃんに全員がハッと我に返った。
僕達の歩みも、再開される。
「えへへ……まぁ私は小さい頃から歌うことが好きで、小さい村に生まれた私はいつも、村の皆の前で歌ってました。私が歌うと皆が笑顔を浮かべてくれるんです。それが嬉しくて……私は村の皆の後押しもあって、こうして旅に出て色んな人達の前で歌ってるんです」
「へぇ……でも、ほんの少しだけど分かる気がするよ。確かに、クロエちゃんの歌は心に響く物があったよ」
「ありがとうございます」
なるほどねぇ、旅をしながらストリートライブをしている訳か。歌が好きだっていうのもあるんだろうけど、その気持ちだけで故郷を出るなんて凄いね。魔獣とか危険に遭遇することだってあるだろうし、そんなに多くの人に自分の歌を伝えたかったんだね。
僕の元の世界なら、こういう行動を起こせる人が成功していくんだろうね。素直に尊敬出来るよ。
あれ? でもそれなら姐さんは? なんで姐さんは旅に付き合ってるんだろう? 如何にクロエちゃんが歌を広めたいといっても、姐さんの立場ならクロエちゃんの旅に付き合うよりも、彼女を引き止めるのが先じゃないのかな?
「姐さんは? 姐さんはなんでクロエちゃんの旅に付き合ってるの?」
「ああ……姉さんも私と同じ様なものですよ。姉さんは私が歌っているのを見て、真似しようとしたことがあったんです。でも性が合わなかったみたいで、代わりに楽器を奏でるようになりました。それから私の歌に合わせて演奏するようになったんです」
「……つまり、クロエちゃんが歌うのに合わせて、姐さんは演奏するってこと?」
「はい! 姉さんの演奏は凄いんです。だから私も姉さんと一緒に歌うと、凄く楽しいんです!」
笑顔でそう言うクロエちゃん。
なるほどね、それは一度聞いてみたいものだ。僕は音楽に特筆して興味がある訳ではないけれど、クロエちゃんの歌を聞いた限り、ちゃんと演奏ありで全部聞いてみたいと思うのは仕方のないことだろう。
白髪の演奏者と、黒髪のボーカル……楽器がどのようなものであれ、恋愛を歌ったってことはポップミュージックか。
「ぜひ聞いてみたいものだね」
「ふふっ……姉さんがお世話になったことですし、お礼に今度演奏しますよ」
「本当? たまには人助けもしてみるもんだね」
良い子だねクロエちゃん。人を慮る事が出来て、話しやすい上に可愛いし。
「私も聞きたいなぁ♪」
「え、と……レイラさん、でしたね。ええ、構いませんよ」
「うふふうふふふ♪ さっきの歌、凄く良かったよ! 今から楽しみ♡」
そこへレイラちゃんとリーシェちゃんが話に入って来る。僕とクロエちゃんの約束を聞いて、自分も聞きたいと思ったんだろう。
レイラちゃんが僕を通じないで他人に興味を持つのなんて、珍しいね。それだけクロエちゃんの歌が凄かったってことなんだろう。
「私も良いか? そして私はトリシェだ、最近ではリーシェと呼ばれ慣れて本名を忘れることがあるがトリシェだ。でも今更だからリーシェと呼んでくれ」
「リーシェさんですね、勿論良いですよ」
くすくすとお淑やかに笑いながら、クロエちゃんはリーシェちゃんにもそう言う。いつの間にかリーシェちゃんは、抱きかかえていた剣を腰に提げている。剣より歌に魅了されちゃったってことだろう。
そんな2人に、思わず苦笑が漏れる。
「あ、ほら宿に着いたよ」
こんな会話をしている内に、僕達は宿へと辿り着いた。
◇ ◇ ◇
「―――何? 送りこんだ部下が死したのか? ふっ……今代の勇者も名ばかりではないということか……」
「はい……如何しましょう?」
一方その頃、暗黒大陸に聳え立つ魔王城の奥では、魔王とその右腕である魔族が会話していた。
その内容は、勇者の下へ送り込んだ配下の魔族が死んだということ。いや、正確に言うのなら、勇者によって殺されたということ。
魔王はその報告に、不敵に笑った。
その内心では、今代の勇者が勇者に違わぬ実力を付けているという事実への感心と、それくらいはやって貰わなければ面白くないという喜びがあった。
「どれ、今代の勇者はどんな奴だ?」
「はい、どうぞ」
「うむ……」
魔王の言葉に、右腕の魔族は1枚の鏡を差し出した。
何の変哲もない様な鏡だが、それを受け取った魔王は、己の魔力をその鏡の流し込む。すると、鏡面がまるで水面の様に揺らぎ、映っていた魔王の顔が消えて、全く別のものが映った。
そこには、1人の少年が映っていた。右目と左目で色が違い、不敵な薄ら笑いを浮かべている。黒い服とズボンを着用し、異様な雰囲気を放っている。
「……こいつが今代の勇者か……確かに他の有象無象とは異なる奇怪な気配を放っているな……面白い」
「……」
「よし、ちょっとこの勇者にちょっかいを出して来る」
すると、魔王はその少年に何かを感じたのか、そんなことを言い出した。くつくつと含み笑いを浮かべながら、楽しそうに瞳を輝かせている。
だが、それに対して右腕の魔族は溜め息を吐きながら指摘する。
「魔王様……仮にも相手は勇者です。どのような力を持っているか分かりません」
「何を言う、何れにせよ近い将来戦うことになるのだ、弱い内に叩いておいた方が良いだろう? それに、今の内に勇者の力を知っておけば対策も立てやすいだろう」
「……それで魔王様がやられたらどうするんですか?」
「その時は、私も其れまでの存在だというだけだ……召喚されて間もない勇者に負けることがあるのなら、結局負けるのは時間の問題だ……その時は魔族の負けだ」
そんな懸念に意味はないと、魔王は一蹴する。ここで負ける様なら、遅かれ早かれ結果は変わらないのだ。
といっても、魔王には負ける気など一切無い。寧ろ、この時点で勇者に負けるなど、ありえない。魔王にとって最強は自分であり、最大の正義が自分なのだ。勇者だけではなく、人間という種族に負ける気など毛頭ない。
「貴様らは安心して私に付いて来い。私は言ったことは覆さない、必ずこの世界を引っ繰り返す……こんな所で負けるなど、神が許そうと私が許さない」
「―――はい、そうでしたね。出過ぎた真似でした」
魔王の言葉に、右腕の魔族はふと笑みを浮かべて頭を下げた。
―――そして、魔王がとうとう動きだす。