魔族との戦い
「とりあえず、決定打は持ってる訳だし……僕の一撃を入れられる隙を作ろうぜ」
「そう、だな……お前のあの一撃を入れられれば、多少希望が見えてくるかもしれないな」
桔音とドランはとりあえず、そういう方針で行く事にした。
バルドゥルは今、野性の獣そのものであり、野性の獣にはない強みを手に入れ、野性の獣にある弱点を失くしたような存在になっている。
その直感は自分に迫る危機を須らく察知し、向上した身体能力はその危機を完全に回避させる。
更に言えば、向上した身体能力から放たれる一撃一撃が凄まじい威力を誇る。おそらく、1回でも喰らえばかなりのダメージになるだろう。
1度だけ、懐に入り込んで攻撃した桔音であったが、絶対に躱せないような零距離、かつタイミングであったのにも拘らず、バルドゥルはそれを躱してみせた。
反射神経も常人のソレを大きく凌駕している。今のバルドゥルに攻撃を当てるのは、難しいだろう。
「だがどうする? アレは一筋縄じゃいかねぇぞ……」
「……動きを拘束出来ればいいんだけどねぇ……瘴気で拘束するって言っても、あの速度じゃ『生み出して』、『拘束する』の2工程の間に逃げられる。『生み出しておいて』、『拘束する』、でも駄目だね……拘束しようとした時点で勘付かれる」
桔音はまず、瘴気で拘束出来ないかを考えた。
だが、何度試しても成功するイメージが湧かない。瘴気の力を手に入れたのは本当にごく最近なのだ、瘴気を生み出してから操作するという事自体がまだまだ遅いのだ。
そしてそれは、レイラも同じ。魔族として覚醒して、瘴気の力を手に入れた彼女もまた、桔音同様その力の全容を掴み切れていないし、操作だってまだまだ未熟。物質形成一つ取っても、ナイフ1本作るのに2、3秒は掛かっているのだから。
故に桔音は、瘴気での拘束を諦めた。
ではどうするのか?
「だから……野性の獣と化した彼だからこその弱点を突こう」
「……どういうことだ?」
野性の獣と化した魔族、バルドゥル。
その弱点とは、理性ある魔族であった時には出来て、野性の獣として理性を失い、闘争の獣と化した彼には出来なくなったこと。
「……今の彼は自分に迫る攻撃の予兆……ていうの? をその反射神経で感じ取ってる訳だけど」
「あ、ああ」
「野性の獣だから全ての予兆に反応しちゃうわけだよ」
「っ! そうか……つまり……!」
「そう、彼は騙し技に反応出来ない。嘘の攻撃に気を取られたコンマ数秒、それを積み重ねて行けば……きっと隙が出来る!」
全ての攻撃を瞬間的に感じ取り、かつ反射的に回避しようとする『野性』。
だからこそ作れる隙がある。彼の反射神経は今、理性で抑えられない。反応すべきモノとそうでないモノの取捨選択が出来ないのだ。
故に、フェイントでの嘘の攻撃を混ぜることで、嫌でも反応してしまう反射神経を利用する。フェイントして、またフェイントして、積み重ねたフェイントの数だけ出来上がる隙を、最後に桔音の一撃で刺す。
「……とりあえずドランさんを始め、リーシェちゃんやレイラちゃんも、とにかく攻撃し続けて欲しい。但し、攻撃はギリギリまで当てるつもりで、でもギリギリで攻撃を中断するんだ」
「ま、それしか手は無いんだ……やれること全部やってくか」
「うん―――分か、ったよっ♪」
「了、解だ!」
桔音の言葉に、ドランと、作戦会議中バルドゥルを足止めしていたレイラとリーシェが頷いた。
そして、作戦会議も終わった所で、桔音とドランも戦闘に動きだす。バルドゥルはぴくり、と桔音とドランを一瞥する。敵が4人に増えたことで、ある程度警戒心が向上したようだ。
特に警戒しているのが、桔音。『不気味体質』によって放たれる桔音の気配は、やはり不気味であり、野性の獣の本能が桔音に恐怖しているのだから。
しかも、全力で叩き込んだ攻撃を受けてまだ動けるのだから、尚更だ。
「じゃ―――行こうか!」
そう言って、桔音は薄ら笑いを浮かべてその身から瘴気を大量に生み出す。そして、自分の周囲に瘴気のナイフを何本も生み出した。宙に浮かぶナイフ、その数は無数とでもいうべき量で、一目では把握出来そうにない。
味方であるリーシェやドラン、果ては同じ力を持つレイラですら驚愕している。
「はぁっ!」
だが、それを全部投射することは、今の桔音には出来ない。
ならばどうするか? 1本1本手に取って投げればいい。
「ッルァァアア!!」
「まだまだぁ!」
そして次々と放たれるそのナイフに対して、バルドゥルはその反射神経と動体視力で弾く、躱すと捌いて行く。弾かれたナイフや、外れたナイフは地面に突き刺さる。その刃は、バルドゥルの身体を一切傷付けられないのだ。
大量に迫り来るナイフ全てに反応してしまうバルドゥルは、自分に当たらないナイフにまで反応してしまう。
だが、そこへ別方向から攻撃が来ればどうなるだろうか?
「―――ッ!?」
「あっは☆」
背後から迫るレイラの気配に気付き、バルドゥルはバッと振り向いた。
拳が迫って来るのを瞬間的に理解し、それに対応しようと手を伸ばした―――所で、レイラが急に方向転換して攻撃を中断する。
そこへ、桔音のナイフが風を切る音と共に迫る。その音に反応したバルドゥルは、また視線を桔音の方へと向けるが、そのナイフは全く見当違いの方向へと飛んでいた。
「ッ!?」
「はぁああ!!」
「ッガァァァ!!」
ソレに気付いて一瞬身体を硬直させたバルドゥル、しかし攻撃はまだ続く。
硬直したバルドゥルの真上から、リーシェが飛び掛かっていた。剣を振りかぶり、今にも振り下ろそうとしている。
空中に居ることで、これはキャンセル出来ないだろうと判断したバルドゥルは、今度こそとリーシェに反撃すべく地面を蹴って、飛び上がる。
「きつね!」
「分かってるよ!」
だが、バルドゥルとリーシェが衝突する直前、リーシェとバルドゥルの間に瘴気の足場が作られる。リーシェはそれを蹴って空中で方向転換、攻撃をキャンセルした。
「ルァッ!?」
「格好の的だな、化け物!」
取り残されたのは、空中に浮いたバルドゥル。今度はバルドゥルが格好の的になってしまった。
そこへ、ドランが飛び上がって斬り掛かる。出来てしまった隙は、確実に衝く。Bランクの冒険者として、ドランは正確な判断をしていた。
だが、バルドゥルはドランの想像を超えて来た。斬りかかって来たドランの剣を手刀で逸らし、ドランの巨体を足場に地面へと跳んだのだ。ピンチを逆に利用して、体勢を立て直してきた。
ドランは内心、しまったと思った。やってしまったと、折角の隙を潰してしまったと、そう思った。実際、バルドゥルは空中から地面へと戻り、体勢を立て直してしまったのだから。
「すまんッ! きつね!」
「大丈夫だよっ」
ドランは空中から地面を見下ろし、桔音に視線を送って謝る。
だが、桔音はその謝罪に対してそう言って、地面に戻ったバルドゥルに迫っていた。
「えいっ!」
「ッルァァァ!」
振るわれる桔音の拳、バルドゥルはソレに対して頭を下げることで躱し、逆に桔音の懐に入る。そして、そのがら空きになった胴体に拳を放ち―――
―――そこで気が付いた。
「掛かったね♪」
目の前に居た桔音が、そう言った。
「ッッッ!?」
放ってしまった拳は、目の前の桔音に直撃し―――その身体を通り抜けた。
桔音の身体が真っ黒な瘴気になって、霧散していく。そしてその先に居たのは、本物の桔音。
「やっぱり――――瘴気って便利だ」
薄ら笑いを浮かべながら、伸びきった拳を手の甲で逸らす桔音。
バルドゥルはあるべき身体を叩けなかったことで、前のめりに体勢が崩れてしまっている。地面に足が付いているが、ここで地面を蹴ったとしても前にしか跳べない。それはむしろ、桔音の拳の威力を上げることになるだろう。
『城塞殺し』の条件は整った―――!
「終わりだッ!!」
桔音の拳が、バルドゥルの顔面を捉えた。
「―――ッッッッガァァァアアア!!?」
バキメキゴキ、と何かが砕ける様な音が響き、バルドゥルの身体が後方へと吹き飛んだ。ゴロゴロと転がり、地面を抉りながら、赤い血を撒き散らして止まる。
桔音の圧倒的なカウンターの威力と、極限まで下がったバルドゥルの耐性値が引き起こした相乗効果が、結果に出ていた。
更に言えば、あまりの威力に周囲にビリビリと衝撃が伝わり、見ていたレイラ達の肌を強風が通り抜けた。
桔音は勝利を確信する。
そして、駆けよって来るリーシェやレイラ、空中から着地して苦笑しながら剣を納めるドランに視線を向けて、ピースサインを向けた。
「きつね君! 今の何? すっごいよ!」
「必殺技。レイラちゃんもありがとね、分身」
「うふふうふふふ♪ もっと褒めて褒めて♪」
桔音の攻撃の威力に、レイラは目を輝かせて近づいてくる。鼻と鼻がくっつく位に近づいていることで、桔音の身体にぐいぐい自分の身体を押しつけていた。胸や太ももなど、柔らかい感触が桔音に伝わっているが、桔音は至っていつも通りに返答する。
とはいえ、彼も思春期の男の子である。その柔らかな感触に、内心堪能していた。
そして、桔音はレイラのサポートに感謝する。
先程、瘴気で作られた桔音の分身は、レイラが作ったものだったのだ。桔音の場合、分身を動かしながら自分も動く、などという芸当は出来ない。2つの事を同時に思考しなくてはならないのだから、今の桔音には出来る筈もない。
だからこそ、その役目をレイラにやって貰ったのだ。レイラの瘴気操作の技術は、オリジナルだけあって桔音よりも上。故に、バルドゥルを欺く事が出来た。
「ドランさんの攻撃が外れた時はどうなるかと思ったぞ」
「あはは、でもリーシェちゃんも咄嗟に良くやるよ。空中で足場を作るなんて……僕が出来なかったらどうするの?」
「出来るさ、きつねを信じているからな」
「そう言われると嫌な気はしないけどね」
リーシェはぷいっとそっぽを向きながら、ちょっとカッコイイ事を言う。自分でも少し照れ臭かったのか、頬が若干赤い。
照れ臭いなら言わなければいいのに、と思いながらも、桔音は苦笑した。ぐりぐりと頭を擦りつけてくるレイラの頭を撫でながら、視線をドランに移す。
すると、ドランは吹き飛んだバルドゥルを見下ろしていた。完全に死んだかどうかを確認しているのだろう。
桔音の拳の威力を疑う訳ではないだろうが、油断は禁物ということだろう。桔音は、ドランのそんな姿を見て、また1つ学んだ。
だが、
「―――ッ!?」
桔音は目を見開いた。
「ぐぁッ……!?」
ドランの目の前で倒れていたバルドゥルが、跳ね起きる様に立ち上がり、その手刀でドランの右肩を貫いたのだ。
唐突なことに驚愕しながらも、ドランは地面を蹴って後退した。ずるり、とバルドゥルの手がドランの肩から抜け、その傷口から血が溢れた。肩をやられたことで、片腕が使えなくなったが、ドランは無事な方の腕で剣を抜いた。
「―――ッハァ……ハァッ……! ッハハハ……やるじゃね……ぇか……!」
バルドゥルは、顔の半分をぐちゃぐちゃにした状態で、笑っていた。片腕はあらぬ方向へと折れまがっており、足はがくがくと震えている。
しかし、致命的なダメージという訳ではないらしい。
「……殴られる直前、『狂暴化』を解いて耐性値を元に戻したのか……」
桔音は、それを見て冷静にそう理解した。
耐性を取り戻したからこそ、致命傷をギリギリ避けることが出来た。そして、その自己治癒能力で身体を治癒しているのだ。
圧倒的に威力の方が高かったとはいえ、所詮は素人の拳。威力はかなり外へと逃げていたのだろう。
これでもしも桔音が、徒手空拳の技術をしっかり会得していたのなら、バルドゥルは殴られた時点で死んでいただろう。
「……でも、幾ら自己治癒能力が高くなったといっても……それだけのダメージなんだ、傷は治っても痛みや身体の芯に通ったダメージは抜け切らないでしょ? 僕と違って、『痛覚無効』のスキルを持ってる訳じゃないんだし」
「ッチィ……悔しいが……その通り、だ……!」
「で、どうする? まだやるかい?」
だが、それでも勝負は決まっている。
高い耐性値は、怪我を治すことは出来ても、その痛みやダメージまではなくせない。治せるのは傷や怪我であって、疲労や痛みではないのだ。摩耗した神経や疲労、殴られたことで揺さぶられた脳や、それによって起こった脳震盪まで治せるわけではない。
それこそ、『痛覚無効』といったスキルを持っていない限りは、身体が動けないと悲鳴を上げているのに動くなど不可能だ。
「クソッ……殺せ……」
「命乞いとかしないんだね」
「馬鹿が……そんなことしたら、心の底から負けちまうだろうが……俺はな、戦うのが好きだ……命を賭けて……命の削り合いをする感覚が、たまんねぇんだよ……だから強さを求めて戦ってきたんだ……! ここで命乞いなんてみっともねぇ真似してみろ……ゲハァ……ッ!?」
桔音の言葉に、バルドゥルは桔音を睨み付けながら答える。吐血しながらも、瞳だけはまだ負けていないという意思を浮かべていた。
「―――俺は……今までの俺に、恥ねぇ生き方を貫くだけだ……!」
バルドゥルの戦いに対する意識は、殺し殺される覚悟を持った上での固いモノだった。
「……そう、じゃ遠慮なく」
桔音はレイラとリーシェの間を通り抜けて、バルドゥルの目の前までやって来る。ふらふらで、もう立っているのも限界の様だった。血がぼたぼたと地面を赤く染め上げ、歯を食い縛って立っていた。
「じゃあね、バルドゥル。今まで会った中で、君が1番誇り高かったよ」
桔音は瘴気のナイフを振り上げて、そう言った。
「…………そうかい」
バルドゥルは、ふと笑ってそう言い、振り下ろされた黒いナイフによって、その命を落とした。
決着です。