9.これは好き? 嫌い?
周りの状況に振り回されて
あたしの気持ちに振り回されて
ごちゃごちゃした心の中
好きと嫌いの気持ちがわからないのは、
あたしだけなのかな……?
【9.これは好き? 嫌い?】
カラスが六羽。クジラが三頭。あとはネコが八匹にワニが五匹。
引っかけであろう要素もちゃんと押さえたから大丈夫。
あたしはもう一度心の中で確認してから、出口へと向かった。
「お疲れさまです、確認は終わりましたか?」
「大丈夫、問題をお願いします」
「では、展示物の中にネコは何匹いたでしょう?」
やっぱりそうくると思った。一番引っかけ要素が多かったし。
あたしは、先ほどから何度も繰り返し暗唱していた答えを言った。
「八匹」
しばしの間。
て言うか、問題にするくらいなら確認してから出してほしい。一年生だから、要領が悪いのは仕方ないと妥協する点なんだろうけど。
「あ、正解です! こちら、レースポイントになります」
「ありがとう」
丁寧にポイントを受け取って、カバンにしまう。
これで何ポイントだろう? 私が手に入れた数枚なんて、この中じゃほんの少しなんだろうけど。
「つまんなくね?」
「これが普通です。結徒先輩は暁先輩みたいに刺激的すぎるだけです」
「あいつと一緒にすんな」
さも嫌そうに言った結徒先輩に、心の中で喜んだ。
結徒先輩にはやられっぱなしだったから、一本とれてちょっと嬉しい。顔には間違っても出せないけど。
「それより、そろそろ時間ですから大ホールに戻らないと……」
ちらりと時計を見ると、終了時間まであと30分を切ったとこだった。
余裕がありすぎる気がしなくもないけど、早く行っても問題はないでしょ。ここからだと距離あるし。
「じゃ、とっとと戻るぞ」
「……あれ? 今度は腕引かないんですか?」
すたすたと一人先に歩き出した結徒先輩に、思わずそう言ってしまった。
いや、だって、今まで結徒先輩はあたしの手首をつかんで、それこそ面倒くさそうに引っ張ってたから。自分で歩けるって言っても離してくれなかったのに。
「何? 掴んで欲しかったわけ?」
にやりと、結徒先輩が嫌な笑い方をしながら振り返った。
「断じて違いますから!」
「へぃへぃ。そう言うことにしとくけど」
「違うってちゃんと言ってるじゃないですか! て言うか後向きながら歩くと転びますよ!?」
むしろ転べばいい! 一度は人にぶつかって、転んで恥かけばいい!
このドS先輩にはそれくらいしてもバチは当たらないと思う。
さらりと銀の長い髪を後ろに撫でて、ミニスカートの裾を華麗にさばいた結徒先輩は、面倒くさそうに前を向いてカメラを向けてくる女の子たちに舌打ちをしていた。
「……おい、面倒臭ぇけど裏回っていくぞ」
「面倒なら別にこのままでもよくないですか? 最短距離ですし。結徒先輩の我儘じゃないですか、それ」
「どあほ。カメラじゃねぇよ、よく見ろ」
人が多い場所は嫌いな自分のためなのかと嫌な顔したあたしだけど、不機嫌そうな顔で視線で示された。
……あぁ、妨害の方々ですか。
建物の影に隠れてるつもりみたいだけど。ギラギラとした目で見てるから、その存在感に人が避けてることにすら気付いてないっぽい。
「俺的にはお前が惨めな姿になっても、一般客に迷惑が掛かろうと、そりゃもう全っ然構わないんだけどな」
「スミマセン、喜んで裏回って行かせて頂きます」
惨めな、と全っ然に力入れて言われても困るのですが。
少なくとも、まだ結徒先輩のヤル気があるうちは守ってもらおうと、気が変わらないうちにあたしは裏手に向けて歩き出した。
裏手と言っても、学園祭中はそこそこ人がいる。準備した大道具とか、表に出しておけない材料とか色々。
裏道と言われる、一号棟から専門棟が立ち並ぶ桜と銀杏並樹の間を擦り抜けて、大広間になってる記念ホールを突っ切れば大ホールにたどり着く。
言葉にすると簡単なんだけど、それを実行するとなると……これが大変で。
「こうなること予想してたんですか結徒先輩っ!?」
「うるせぇよ、もっと俊敏に動け俊敏に!」
「んな無茶ぶりが誰にでも通用するとでも!?」
誰もが暁先輩みたいになれると思わないでほしいんだけど!?
感覚がズレてるのか分からないけど、とりあえずは頑張って足だけは動かそうと思う。
御察しの通り、現在進行形で襲われてます。何って、トマトに。
「結徒てめぇ避けんじゃねぇええっ!!」
「さっきなんてことしてくれたんだお前訴えるぞっ!?」
「彼女いない歴=年齢の俺に“変態”のレッテル貼られるのは傷付くんだからなっ!!」
「食らえっ、トマトの恨みぃいいっ!!」
そして投げ付けられる赤いトマト。
さっきより質が悪いのは、怒りからか半分握り潰されてぐちゃぐちゃになったトマトを投げられること。避けても避けきれないってコレ!
あと、そんなに怖い顔で追われると夢にまで出てきそうだからやめて下さい。そんなだから彼女できないんだよ、とか言えたらいいけど。
「ったく、面倒くせぇな」
「野郎のくせにメイド服着てんじゃねーよっ」
「はっ、なんだよ?俺に惚れても奉仕活動はしねぇぞ」
嘲笑しながら駆け抜ける結徒先輩、余裕だな。
確かに、可愛いんだけどね。口さえ開かなければ。
「あぶね」
べしゃっ!!
「ふぉっ!?」
「トロトロしてんなど阿呆が」
頭の後ろにトレイを回されたかと思うと、トマトが潰れる音ガした。
あ、危なかった! さすがに悲惨な状態で人前に立ちたくないし。
べしっと、そのままトレイで叩かれなければいい人なんだけどね。
……ドSだから確実に無理だろうけど。
「その服にでっけえ染み作ってみろ? 遠慮なく水に突き落としてやる」
「なんでっ!? 意味が分からないんですがっ!?」
「やるなら徹底的にやる」
徹底的にの意味が違うんじゃないかなこれ。本末転倒じゃん。
底が低いとは言え仮にもヒール。履き慣れない靴で走るのは相当しんどい。
「結徒先輩、マヂ無理! 足的にキツい!」
「あぁ? 何弱音吐いてやがる、遠慮なくトマトまみれにさせっぞ。おら、右!」
「わっ!?」
ぐいとひっぱられた。
一拍遅れてあたしがさっきまで走っていた場所をトマトが通過していく。
あぁもう! なんであたしがこんな痛い思いして走らなくちゃいけないわけ!?
もう我慢できない!
あたしは結徒先輩に引っ張られていた手を振りほどいて、くるりと後ろを向いた。トマトを持って突進してくる野郎共の真っ正面で仁王立ちして、お腹の底から叫んでやった!
「いい加減にして! そんなんだから彼女どころか女の子に嫌われるんでしょっ!?」
「なっ!?」
「責任転嫁もいい迷惑!! 最低! 明日からも変態ストーカーって呼ばれ続けてれば!?」
「おい、おま……」
「追い掛けて来てトマト投げて……。頼まれたからって常識ってものがないの!?」
「ちょ、そこまでに」
「はっきり言うけど、気持ち悪い!!」
溜まっていた鬱憤を吐き出して、ちょっとスッキリした。
いつものあたしなら、明日からの平穏無事な日常を守るために言わないけどね。しつこいしウザいし疲れたしで、言っちゃった。
結徒先輩が途中何か言ってたけど、総無視した。
「容赦ねぇな怖ぇやつ。あいつらしばらく立ち直れねぇぞ」
「立ち直らなくていいです。疲れたし、靴擦れ痛いし、もう嫌んなる」
「おい、こんなとこでへばってんじゃねぇよ。まだラスボスが残ってんだろーが」
あー…、そう言えばそうだった。一番の強敵が残ってるんだ。あたしが、大嫌いなあいつ。
靴擦れで痛む足を引き摺って、あたしは歩き出した。
後ろで精神的ダメージを受けて立ち直れそうにない、地面で泣き伏せっているトマト攻撃部隊は放っておこうと思う。
大ホールに着く前に、あたしの靴擦れの簡単な応急措置をするために、手前の記念ホールで少し座って休んだ。
あたしが言いだしたんじゃなくて、結徒先輩が。
「うわ、擦り剥けてる」
「完全に伝線してんな、くるぶしの方」
結徒先輩があたしの足を軽くひねったりして、靴擦れの具合を確認している。
恥ずかしいとかはしたないとか、あと15分で終了時間だと思うとそんなこと考えつきもしなかった。大ホールまですぐって分かってても、気が気じゃない。
「血が出てねぇだけマシだろうけど、擦れて地味に痛てぇだろ?」
「地味じゃなくて、本気で痛いですよ。……やっぱ、もう少しキツめに言っとけばよかった」
「安心しろ、それは俺の得意分野だ。後できっちりやってやる」
ただの独り言をそんな物騒な言葉で返してほしくはなかったのですが。と言うか、あたしと結徒先輩とじゃニュアンスが違うんじゃないの?
擦り切れて穴が開いたくるぶしの辺りに、応急措置だからと絆創膏を貼ってくれた。ストッキングにくっつかないようにしてくる辺り、器用だよなぁなんて。
本当に、外見だけはやっぱり美少女だと思う。嫉妬なんかできるレベルじゃないし、……男だけど。
「何見てんだよ?」
「いや、美人だなぁと。口さえ開かなければ」
「お前もな。余計なことばっか言って肝心なこと言わねぇ口は捨てとけ」
「それ、どういうことですか」
自然と声が低くなったあたしに、結徒先輩は見下しながらそのままの意味、と言ってくる。
口撃には妙な自信があったから、カチンときた。
「暁とかさっきのあいつらみたいな奴にはズケズケ言えんのに、信紀やあいつには本当のこと言わねぇんだよ?」
「あ、たしは……」
「あいつの名前、聞こうともしなかったよな? 自分に甘くて可哀想な人間振って、我が身可愛さに逃げてたわけだし」
まぁ、あいつはちょっと異常だったけどな。
そう呟いた結徒先輩の言葉は、どれも正論で、本当のことで、胸が痛かった。
言葉をぶつけられることって、こんなにも辛かったっけ?
「付き合わされる俺らはいい迷惑なんだからな? 善意でやってるわけじゃねぇんだぜ?」
「……すみません」
「謝るくらいならなんで言わねぇんだよ? 嫌いだ言えばいい問題じゃねぇのは分かってんだろ。そうしたのはてめぇなんだから」
どうして言い返せないんだろう。嫌味ばかり出るはずの口は滑りがいいはずなのに。
それが、あたしの唯一の武器なのに。
上手く口にできないもどかしさは、まるで丸腰で遠野結徒と言う幻獣に挑むような状況で。
「あたしは……」
「なんだよ?」
「あたしは、誰かに強く想われるような、そんな人間じゃ、ない……」
「だから?」
だから、誰にも好きになってもらえるはずがない。
こんな口を開けば憎まれ口しか出てこなくて、人に迷惑掛けてばっかなあたしは、誰かに好意を寄せてもらえるような、可愛い子なんかじゃない。
どうすればいいのか、もう分からない……!
「だから……あたしは……」
ぎゅっとスカートの裾を握り締めたあたしに、結徒先輩はきっと呆れたに違いない。余計なことに付き合わされて、挙げ句の果てにこんな面倒くさい女だったんだから。
小さく、ため息をつかれた。
「悪ぃ、ちょっといじめすぎた」
「……え」
「あんまりにも煮え切らねぇからついな。サド心が疼いた」
サド心って、ちょっと待って。
何それ、あたしが悩んで凹んで落ち込んでるのを見て楽しんでたってこと!?
「酷くないですか!? どれだけ悪趣味なの!?」
「ま、九割以上は本音だけどな」
「……スミマセン」
それ言われると、本当に言い返す言葉が見つからない。
思わず下を向いたあたしに視線を合わせて、結徒先輩は心なしか真面目な顔して口を開いた。
「簡潔に答えろ。お前、あいつがしつこくて嫌いなんだよな?」
「大嫌いです」
「じゃ、何でお前は信紀にあんなこと言ったんだ?」
「ちょ、今それぶり返しますか!?」
「簡潔にって言っただろーが。おら、十文字以内で答えろ」
「んな無茶な!?」
いや、そんなのあたし自身分からないって言うか。
それ言ったらどうしてあの時先輩に助けを求めたんだとか、思い出さなくてもいいことばっか思い出されるから……!!
ほら、目蓋を覆ったひんやりとした大きな手とか、頬を包んできた感触とか、安心させてくれる言葉とか、
妙にドキドキした、先輩の体温、とか。
「うわあああぁあっ!! なしっ! 今の考えなかったことにして! 何これあたしじゃない!」
「何1人で騒いでやがる」
「忘れてください今すぐに。あたしの思考と一緒に遥か彼方へ忘れてくださいお願いだから!」
必死で頼むあたしに、少し面食らった様子の結徒先輩。
いや結徒先輩はどうでもいいって言うか、問題はそこじゃない。
何この乙女思考。あたしらしくないっていうか、こんなこと考えるなんて、あたしじゃない!!自分で言うのも変だけど、らしくない。
とは言え顔が赤くなるのは隠せないし、頭の中はごちゃごちゃで混乱してるし……!
「……ま、この様子なら平気だろーな」
「いやいやいや! 全然平気じゃないですよっ!?」
「んなこと見りゃ分かる。こっちの話だしな」
「はい?」
なんのこと?
なんか、結徒先輩は何か隠してるような態度と言うか、言葉の端々にそう思わせる節がある気がする。
気にすんじゃねぇよ、と額を叩かれて、ぐいと腕を引かれて立ち上がらされた。
うん、大丈夫。痛いけど、我慢できないほどじゃない。
「……あ、やべぇ」
「何がですか?」
結徒先輩は、苦虫を噛んだような顔で時計を指差した。
14時56分。
あれ? 確か終了時間って15時じゃ……
「おい、シャレにならねぇからマヂで走れ!」
「言われなくてもそうしますよ! なんでこんなギリギリになるまで気付かなかったんですか!?」
「はぁ!? てめぇもだろっ!? 俺にだけ責任押しつけんじゃねぇ!」
「って、言っている間にも後3分ですからね!」
慌しく、あたしと結徒先輩は記念ホールを駆け抜けて、最後の舞台である大ホールへと向かった。
この後どうするかなんて決めてないけど、でも、なんとか決着はつけないと。
それが、あたしが今やるべきことなんだから。
そうなんです。未だにあいつの名前はでてません。
いや、もう出さなくてもいいかなって思ったり思わなかったり。
だって考えるの面倒くsゲフンゲフン……!
補足として。
結徒の別の話で(公開はブログでしたけれども)彼の想い人は闘病生活中なのです。
想いを伝えなかったばかりに、気まずくて会いに行けないって言うそんな状況だったりする結徒さ…くんでした。