7.好きの言葉と嫌いの言葉
あんたはあたしのことを好きという
あたしはあんたのことを嫌いと思う
文字にして表すなら、たった二文字
思いにして表すなら、文字なんかじゃ足りない
あたしにしても、あいつにしても
【7.好きの言葉と嫌いの言葉】
「……完食。つか、味濃すぎ」
空っぽになった大皿の前で、結徒先輩はあっさりと言い切った。
何回見ても、ちょっと信じられない光景だ。
たった3分で大皿の上にあった山盛りのお好み焼きが、全部消えた。メイド服姿の、結徒先輩の胃袋の中に。
「くっ、くそっ!! 結徒が来ると分かってりゃもっと対策練ったのに!」
「せっかく二倍の量にしてやったのに……!!」
「あえて味濃くして水っ腹になるよう仕組んだのに……!!」
悔しがる、お好み焼きの模擬店を出していた三年生のクラスの方々。
……さりげなく不正行為働いてたこと暴露しているんですけど。
そんな先輩方々に向かって、結徒先輩は容赦ない一言を言い放った。
「で? つか、うぜぇよ。とっととレースポイント寄越しやがれ」
「容赦ねぇなこの悪魔っ! ちくしょー!!」
「なんとでも吠えてろ。おら、ぼけっとしてねぇで次行くぞ」
「あ、はいはい」
こうして連れ回されることにも慣れたあたしは、結徒先輩に腕を引かれる前に自分で歩きだした。相変わらず、ドレス姿で動きにくいんだけどね。
始めはなんのことかさっぱり分からなかったけど、かれこれ五回はこうしたことを繰り返してれば嫌でも分かる。
あたしの代わりに、結徒先輩はレースポイントを手に入れるための試練を受けてくれているらしい。
食べ物扱う模擬店の試練は、大抵時間内にこの量を食べきれ! みたいな感じだし。
……あたし一人だと、絶対できないってこれ。
助っ人何人いても足りないよ。名物レースは人気者がやるっていうのに、なんだか納得できた。
「で? 時間は後何分だ?」
「えっと、三時までだから……あとだいたい二時間くらい、ですかね」
「よし、腹ごなしも済んだし2―Dのクレープ行くぞクレープ!」
「あれで腹ごなしとか、どんな胃袋してるんですか……」
「デザートはもちろん別腹だろーが……おい待て」
「ふぎゃっ!?」
襟首捕まれて強制的に止められたから、喉絞まって変な声出た。
いきなりなにするんだこの先輩は。
と抗議の声を上げようとした瞬間、目の前を赤い何かが横切った。
見間違いじゃなきゃ、あれは……
「トマト?」
「食べ物を粗末にするとは頂けねぇな」
結徒先輩はどこから取り出したのかは分からないけど、銀色のトレイを片手にあたしの腕を引っ張って猛然と走りだした。
トマトが飛び交う中に向かって。
「ちょっ、先輩正気ですか!?」
「んなもん気合いで避けろ」
「無茶言わないでくださいよっ!!」
結徒先輩がトレイでトマトを弾いてくれるものの、トマトは容赦なく飛んでくる。
このドレス、高いみたいだから汚せないんだけどっ! あたし弁償できる自信ないんだけどっ!
トマトを投げてくる奴らはやっぱり野球部。この十字路は狙われどころらしい。
「ちょっ、妨害工作にしては気合い入れすぎ!」
頑張って足動かして、トマトを時々ぶつけられながらもあたしは文句を言ってやりたくて仕方なかった。
毒の量いつもの三倍くらい増やしてあげてもいいくらいに! 口を開き続ける余裕ないから言わないけどっ!
「結徒、てめぇ動くんじゃねぇ! 皆川さんに当たっちまうじゃねぇか!」
「暁の報復程怖いもんはねぇんだぞっ!」
「日頃の恨み、今思い知れぇえっ!!」
「……先輩、いつもどれだけ恨み買われてるんですか」
「いっぱい」
真顔で言うな真顔で。
呆れたように言ったあたしを、結徒先輩はぐいと階段に押してくる。
一つ舌打ちしながらも、ちゃんとトマト攻撃から守ってくれるのは、ちょっとした優しさなのかもしれない。
「おい、先行け。なんなら食ってろ」
「はいっ!?」
「文句があるなら喜んで防ぐのやめっぞ」
「スミマセンありがたく先行かせて頂きます」
結徒先輩ならなんとかしてくれるだろう、と言うかこれ以上弄られるのは勘弁してほしい。
シャープくらい、か? と妙なことを呟いた結徒先輩に背を向け、あたしは階段を駆け上がった。
何があろうと後ろは振り替えるまい。
「きゃぁあああっ!! 変態痴漢っ!! やめてぇええっ!!」
背後で結徒先輩の妙に高い女声が聞こえたけど、あたしはあえて振り向かなかった。
なにがなんでも振り向くまい。
スカートの裾を軽く摘んで、一段とばしに階段を駆け上がった。黒の上質なカバンには、結徒先輩が集めてくれたレースポイントが入ってる。
それをしっかりと握り締めて、上の階にたどり着いたあたしは、足が止まってしまった。
「……」
「大丈夫、ですか?」
少し息があがったあたしに、心配そうな目線で言った。
あいつが、そこで待ち受けていた。
「皆川、さん?」
動けなくなったあたしに、あいつは一歩踏み出してきた。
思わず一歩後ずさろうとして、止めた。
後ろは階段だ。落ちたら絶対痛い。かと言って、触れられる距離にいられるのも困る。
そろりと、横にずれた。
「大丈夫。……あ、今下行かない方がいいよ。トマト攻撃されてるから」
「うん、そうみたいだね。知ってる」
「そう……」
「だって、そうなるように頼んだの、僕だし」
「はぁっ!?」
ちょっと待って。
今とんでもなく爆弾発言しなかった!? え、トマト攻撃頼んだとか何!?
混乱したあたしを余所に、あいつはふっと笑った。
「だって、そうでもしないと僕のこと避けるでしょ?」
「いやちょっと待って! だからと言ってトマト投げるとかないでしょっ!?」
「ボールよりは痛くなかったでしょ? 好きな子の顔に傷なんか残したくないし……」
だからと言って、仮にも好意を寄せる相手に物投げる普通!?
唖然としてあたしはそいつを見つめた。
そいつに対する印象、て言うかまわりの評価は、大人しくて健気で草食系の弟っぽい子。
嫌でも聞かされたこの印象に、あたしは我が目を疑った。
これの、どこが大人しくて健気で草食系だって言うの……!?
「避けられるのは、やっぱり迷惑だったから?」
驚きすぎて反応ですら返せないあたしに、そいつは尚も続けた。
「何度も言うけど、僕はあなたが好きだよ。その姿だって、他の誰よりも可愛いと思ってる」
「まっ、待って。あたしは、そんな」
「上辺だけで言ってるんじゃないんだけど、伝わってるかな?」
こんなときばっか、上手く言葉が出てこないのが悔しい。
どんなに緊張してたって、どんな相手にだって、滑らかに言葉を切り替えせるのに、何で……?
一歩、踏み出される。あたしは、壁に沿って距離をとる。
「知ってるよ、僕は。皆川さんが大人しいだけの女の子じゃないってこと。自分の意見をはっきり言う子だって」
「……」
「本当は、こんなに早く伝えるつもりじゃなかったんだけど、悔しかったんだ。早くしないと、皆川さんがあの人のものになっちゃうような気がして」
「あの、人?」
「笹川 信紀先輩。先輩と話してるときが一番、楽しそうで、嬉しそうじゃないか。先輩の前でだけ、あんな顔してるの?」
違うの? と問われて、あたしはどう返せばいいのか分からなかった。
先輩と、言葉の応酬しているときは、どんなに捻くれた言葉だって楽しいと思える。それは、否定しない。
でもこいつの言い方は、
まるであたしが先輩に恋しているかのような……。
「まさかそんなっ、あたしがそんなはずないっ!」
「他の人に、そんな顔してる皆川さんは見たくない」
驚愕の思いで叫んだあたしは、距離をとることを忘れていた。
一気に近付かれて、気付いたときには両側に手をつかれて閉じ込められていた。
どうしよう、逃げられない……。
「僕、諦めも悪ければ独占欲も強いみたいなんだ。だからね、
いっそ、僕のものにしていいかな」
目の前にいるこいつが、何を言っているのか分からなかった。
目の前にいるのに、どんな顔しているのかも分からなかった。
がくがくと足が震える。一体こいつは何を言っているんだろう?
怖い。怖い、怖い!
こいつの傍にいちゃいけない、って頭が警鐘を鳴らしているのに身体が動かない。口撃しようにも、喉に空気が詰まったようで言葉が出てこない。
「皆川さんに嫌われるのはいやだよ。でも、他の人のものになるのはもっと嫌だ」
「……い…」
引きつるようにして出てきた声は、言葉としての意味を成さなかった。何て言いたいのかは分からない。
でも、言わなくちゃと思った。
震えは止まらないし、目の前にいるこいつは分からないし怖いし、身体は動かないしで、正直泣きそう。
それでも目に力をこめて、涙は流したくなかった。
こんな奴の前で、泣きたくなかった。
「……か、」
「何?」
ぐっと全身に力を込めて、あたしは言葉を叫びだした。
「あんたなんか、大っ嫌いだ!!!」
声は擦れて、叫んだって言っても大声なんか出せなかった。
それでも言葉には出来たはず、とあたしはそいつを睨み付けた。
それでも、そいつは笑っていた。
「うん、それでも君が手に入るなら、それでいい」
嫌だった。
そう思われるような人間じゃないあたしは。あんたなんかに、そう思われたくはない。
嫌だった、嫌だった!
思わずぎゅっと目をつぶって、思い出したのはあの声と言葉。
『本当に困った時は、迷わず頼れよ』
先輩。
お願いだから、こんなときこそ助けてください……。
どうして先輩なのか、そんなことを考えるよりも、あたしはただそう願う他なかった。
「そこまでにしとけよ、なっ!」
「っ!?」
ぱんっと、何かが弾かれるような音がした。ふわりと、風が通った気がして、あたしはそっと目を開けた。
声から暁先輩だってのは分かってたけど、何をしたのかはよく分からない。
ただ、あいつが腕を押さえて後ずさっているのを見て、助かったとかちょっとほっとした。
「な、にするんですか!?」
「あれ!? 俺はちゃんと忠告はしたはずだぜ? 容赦しねぇぞって」
「だからと言ってこれは」
「トマトを粗末にする奴に言われたかねぇよ」
「!?」
あいつとあたしの間に暁先輩。
階段からトマト噛りながら現われたのは結徒先輩。
……どうして二人がここにいるの?
そんなことをぼんやり思ったあたしは、今きっと相当間抜けな顔してるんじゃないかな。
「どうして、いつもいつも僕の邪魔をするんですか? 個人的なことにまで干渉してくるのは、至極迷惑です」
「まぁ、色々妨害してるのは事実だけどな。仕方ねぇだろ、俺らは番犬だ」
「わん」
番犬って……、て言うか結徒先輩ちゃんと日本語を話してください。
目の前に立ちふさがった金髪と銀髪の先輩たちの影で、あたしはそっと息をついた。
「それに、妨害ならあんたもだいぶしてんだろ? トマトにしろカボチャにしろリンゴにしろ……もったいねぇ」
「レースの一貫ですよ、妨害工作は他の方だってやってるじゃないですか。僕だけじゃない」
「食べ物粗末にする奴は俺が許さねぇ」
「まぁ待てって落ち着けいと、どうどう!」
暁先輩が口では宥めているけど、本気で止めるつもりはないみたい。
あいつの胸ぐらを掴んだ結徒先輩は、暁先輩の声に耳も貸さないで、軽々と持ち上げて放り投げた。
不様に倒れるそいつに、同情なんかできない。
尚も無理矢理立ち上がらせようと手を伸ばした、結徒先輩のことも止められない。止めるつもりなんかない。
あたしはお綺麗な人間じゃないから、一度怖いとか思った相手を庇おうとも思えなかった。
「やめとけ、いと。時間の無駄だ」
「止めんな。割れたカボチャの恨み、傷んだリンゴの悲しみ、潰れたトマトを育てた農家の方の苦労を俺はこいつに晴らさなくちゃならねぇんだ」
「やけに切実だけどな、落ち着け。俺らは、番犬だ。やられたらやり返す、いつもとは違う」
「……ちっ」
いかにも残念そうな結徒先輩を宥めた暁先輩は、ぽん、とあたしの頭を優しく叩いた。
「大丈夫か? 動けるか?」
「……大丈夫、です」
「よし、ならいとと先行ってろ。目指すは優勝だからなっ」
にっ、と笑った暁先輩に、無理矢理苦笑を浮かべ返した。
結徒先輩に腕を引かれて歩きだしたあたしは、あいつの方を振り向くことはなかった。
暁先輩が、後を引き受けてくれるんだろう。情けないあたしの代わりに。
だからと言って、レースに集中できる気もしなかった。
どこか茫然としながら足を動かす以外にどうすればいいのか、あたしには分からない。
「……おい」
「……何、ですか」
「言葉にするのが難しいような顔してっぞ」
「元からです。放っといてくださいよ、デリカシーないですね」
「うるせぇ。さっきまで泣きそうな顔してた奴に言われたかねぇよ」
「だからデリカシーないって言うんですよ。そこは見てみぬふりくらいしてください」
怖くて、身体が動かなくて、声もでなくて、泣くもんかと堪えていたあたしの情けない姿を見られていたらしい。
今は乾いた目元をごしごしと擦った。
「ん……?」
ふ、と。思ったことがある。思った、って言うか、考えた?
あたし、なんであの時先輩に助けを求めたんだろ……?
暁先輩や、結徒先輩の方がよっぽど頼りになるのは確かなのに。
そもそも、先輩は今日推薦入試で学校には来ていないのに。
「……あれ?」
「何百面相してやがる、余裕できたんならクレープどか食いさせっぞ」
「や、それは結徒先輩がやってください。生クリームで汚したくないので」
深く考える前に、結徒先輩に言葉を切り返す。
まぁ、いっか。と、とりあえず後回しにしたあたしは、これ以上結徒先輩に何か言われる前に、その後を追い掛けた。
タグに執着をつけたのはこいつのせいです。
ヤンデレ? ヤンデレなの?
と思いつつ、きっちりガードしてもらいました。
こんなのが寄ってきたらちょっと引きますよね。
え? 王道好きですから、基本的に王道ですよ。
大体流れとかは予想できると思います。王道! 王道!