2話
肺炎の一歩手前だったらしい。
捨てられた場所で途方に暮れ、雨に打たれたのだから自業自得だ。
見知らぬ部屋で気づいたわたしに、医者とは思えない無精ヒゲのおっさんが告げた。
……不思議なのは、助けてくれる人など居ないこの世界で、誰がわたしを助けたのか――という点だ。
神様が情けをかけてくれた……にしては、少しサービスが良すぎるような。
「――気づいたようだが、調子はどうだ?」
いきなりドアが開けられたと思ったら、金色きらきらが水差しを抱えて入って来た。
そして、体調を気にかける言葉を投げかけられる。
「大丈夫か?」
久々に聞いた言葉だ。
何年ぶりだろう?
「お、おい!」
あまりにも久しぶりで、あまりにも嬉しくて、わたしは泣いた。
「…………大丈夫、です。心配されるの……すごく、久しぶりで……さっきまで、不安だったから」
「王族の胸くそ悪い態度のことだな。すまなかった。オレがもう少し早く出られれば良かったのだが」
「……意味が分からないんですけど」
「ん? ああ、そうか。では、順を追って説明しよう。質問はその都度、受け付ける」
と言った金色きらきらに、最初の質問を投げかける。
「えっと……アナタは誰ですか?」
目を見開いて、次にはフイた。
肝心の自己紹介を忘れていたと、きらきらは名乗る。
「ユキ、だ。ユキ・クロスロード。一応、『光魔剣士』という通り名があるが……そう呼ばれるのは好きじゃない。
それじゃあ、オレからも一つ尋ねる。キミの名は?」
尋ねられ、どうしようかと迷う。
本名を名乗っても、多分大丈夫だろう。だけど、姉との繋がりがあると知られた時が、怖かったりする。
その時は、運がなかったことで諦めるしかない。
独りは慣れっこだ。
「……七瀬、里子」
「ナナセ? 召喚された勇者もナナセと言っていたが」
「似てないけど、あっちは双子の姉です」
「なるほど。納得した。どうやらオレの勘は正しかったようだ」
「え?」
「いや、気にするな。オレ自身の問題だ」
だから気にするなと二回も言われてしまえば、気になりつつも頷くしかない。
金色きらきらことユキさんは咳払いをし、姿勢を正して本題に入った。
何でも、世界は今、魔王の危機に晒されているとかで。かつてリアントゥーク王国は『勇者召喚』を行い、魔王の脅威を退けた伝説を持っているそうだ。
条件が揃った日、あの場所に集まった面子は、勇者に縁のある血筋か、勇者に同行できる力量を持った名のある人物か、神の啓示とやらを受けた人間のどれかとのこと。
ユキは二番目と三番目の理由を持ってしまったがために、あの場に居合わせたと言った。
勇者の資質を持っているのは、やはり姉だ。わたしはと言うと、承諾した姉が立ち去った後、散々罵られたらしい。その辺の記憶がないのは、記憶しないようにと心が無意識に閉ざされたのだと思う。わたしの自己防衛本能とでも言っておこう。
無反応なのをいいことに、神官たちはわたしを馬車に押し込み、人里離れた場所に捨てた――これがわたしの身に起こった一連の流れだった。ユキさんは隙を見て場を去り、わたしを追いかけたそうだ。
「はい、質問です。過去に『勇者召喚』を行い、魔王を退けた。じゃあ、その後の勇者はどうなりました?」
「……聞かれるだろうと思った。史実によると、その後も勇者は世界に留まり、魔王封印まで戦い続けたとある。いや、とど混ざるを得ないと言うべきか。
実はあの場に居合わせた者の中に、勇者に縁のある血筋の知り合いが居る。そいつが持つ史実には、歴代の勇者は皆、帰還していないとある。
つまりは、魔王を倒せず帰還できなかったか、帰還させる方法がなかったかの理由が考えられる」
それを聞いて、わたしは『やっぱりそうなんだ』と思った。
大抵は、召喚して終わり。たとえ失敗した召喚でも、還すことはできないのだろう。
わたしがこの世界に居る理由――
もしも不要なら、元の世界に追い返せばいいだけなのに、それがない。ユキさんの言っていた推測、後者が正解のようだ。
「…………わたし、これからどうすればいいのでしょう? 言葉は通じているようだけど、きっと字は読めないし……何より、戦えない」
「そんなの当たり前だ」
「あ……そう、ですよね」
はっきり告げられた言葉が、重く圧し掛かる。
俯いたわたしに、ユキさんが慌てて言葉を付け足した。
「当たり前と言うのは、人間、いきなり戦える訳がないという意味だ。努力を積み重ねることで、初めて一匹の魔物を倒すことができる。オレも例外じゃない。キミも努力すれば、戦える」
努力で報われるなら…………――いや、それ以上思うのはやめておこう。
ユキさんの言い分は多分、本当に努力を積み重ねてきたから言えたのだろう。
何か一つ、わたしも報われたい。そう願うことは、ワガママなのかな?
「――もし、キミに旅立つ意思があるのなら……この〝本〟を持って、身支度を整えて欲しい。
嫌なら留まり、平穏に暮らすも好し。この村はリアントゥーク国内ではない。ある程度の安全は保障できる」
差し出された本は、空色のハードカバー。ユキさんの瞳の色。
本とは言うけど、カバーの材質が水晶のような気がする。
持ってみると、見た目よりも軽かった。
「この本……開かない?」
「今はまだ開かない。いや、開けないと言うのが正しいな。
――精霊石で作られたその本は白紙の状態だ。キミはこの本と『契約』することで開かれ、呪文を刻んでいく。習得した証を刻むことにより、努力が証明される。
何を学び、習得し、刻むかは契約者の意思次第。だからもし、キミに旅立つ意思があるのなら、オレと共に歩もう――」
胸に、小さな棘が刺さったような痛みを感じた。
辛いのではない。後ろめたいのではない。
――こんなわたしでいいの?
差し伸べられた暖かさに、胸が痛いのだ。
「………………わたし、何にもできない異界人です」
「知っている」
「……わたし、途中で挫けそうになることもあります」
「人は皆、同じ挫折を味わう。気にするな」
「足、引っ張ってもいいのですか?」
「いいんだ。オレはキミの味方だ。この手は、何度だって差し伸べてやる」
言って、手を差し伸べてくる。
優しく、微笑んで。
「オレの勇者はキミだ――」
※予定よりも早く1話分書きあがったので更新です。
登場人物については追々。