12話
その日はやっぱりと言うか、暑い日だった。
「リコ、あんたの荷物ってこれだけ?」
そう言ってカイネさんが手にしたのは、精霊石の本だ。
わたしが『うん』と頷く、本は袋に詰め込まれた。
「カイネさん?」
「着替えは悪いけど、適当に詰めさせてもらったよ。あと、今すぐ出発準備して。ちょっとマズイ事態になったかもね」
「え?」
「ああ、リコは悪くない。神殿の方がきな臭いというか、まあ……原因はあたしなんだけど」
言いながらも作業の手は休めない。
旅用にとカイネさんから渡された服を着込んだ頃、外が微かに騒がしくなっていた。
居たか――とか、どっちだ――とか。
「少しばかり強行軍になるけど、我慢できそう?」
「ここの気候には慣れたし、我慢することにも慣れているから」
「……悪いね。あんたは必ずユキに会わせるから」
行くよと手を引かれ、部屋を出る。向かった先は、物置小屋。
薄暗く、更にジメッと湿気と熱気のこもる部屋で、カイネさんは床板を剥がした。
隠し通路――
地下の水脈路は、内陸部が砂漠化したため枯れてしまったそうだ。
この場所を知っているのは、神殿関係者か、水脈を管理していた一族のみ。
カイネさんは神殿関係者なので、知っていると言った。不本意ながら上位らしい。
入り組んだ水路を正しく進むと、港町にほど近い村の井戸に辿り着く。それまでの道のりが強行であるため、我慢することになる。
――と言われても、わたしは閉所も暗所も平気だ。
体内感覚が狂うのは、多少は覚悟しているけど。
どれくらい歩いただろうか。
右へ、左へ。時には戻っている感覚がして。
少し拓けた場所にたどり着いた。
カイネさんは荷物を降ろし、石を置いた。オレンジ色の光。そこで初めて、これが懐中電灯の役割をしていたのだと気づく。
「ああ、これ? 赤い灯火の石――赤灯石っていう精霊石の一種。魔力を込めると光る、便利な石だよ」
世界各地にあるが、特に南大陸でよく採れるそうだ。
その他にも精霊石の一種があるらしい。ただ、わたしの持つ本のような石は、極めて稀だと言う。やっぱり貴重だった。
当たり障りのない話をし、本題に入る。
急に出発することになった経緯と、探すような人たちが現れたことの二つ。
「一言で言ってしまえば、あたしが神殿での役割を放棄したからよ」
「はい?」
「あ、そっか。あたしの役目って言ってなかったわね。
あたしは神殿に仕えたくもないけど、仕えることになってしまった巫女。それも何の因果か、炎の精霊に選ばれちゃったワケ。
で、そんなあたしが旅に出るから巫女やめるって言うもんだから、神殿中大騒ぎ。あたしを飼い殺ししようと躍起になってるのよ」
「…………はあ」
緊張感もなく、あっけらかんと言うものだから、いまいち状況が掴めない。
大変だという危機感は、皆無。
「精霊の巫女ってのは、リアントゥークの『勇者召喚』に対抗できる手札なのよ。
魔王を倒すには、精霊の力も必要になる。まあ、交渉道具ね。あっちは嫌々ながらも頼むしかないから、こっちは優位に立て、対価の要求ができる」
「うーん……でも、巫女が居なくなって困るのは、加護がもらえない『勇者』でしょ?」
嫌がらせにもなる。
そう思って返した問いに、カイネさんはちょっと甘いと指を振った。
「巫女――この言葉で人を、どっちで考えている?」
「えーっと、神の子じゃない、女の人――あ」
「そーゆーこと。対価を要求し、巫女を『勇者』の従者にする。あわよくば恋仲になってもらい、自国へ引き入れるって意味で、飼い殺しなのよ」
政略結婚のようなものかな。
確かにそれでリアントゥークから『勇者』を奪えたのなら、『勇者』の恩恵や名声は、自分たちのモノになる。
多分、『勇者』が留まる場所に価値があるのだ。
けど……今回の『勇者』には通じない。
「……あの、今の『勇者』が女だって、知らないワケない……よね?」
「いや、知らないと思うよ。何せ、あたしもリコから聞くまで『男』だって思っていたからね。
ま、男でも女でも、抱き込んでしまえば同じだから。神殿連中には無関係よ」
「は、はあ……」
ダラダラと、嫌な汗が流れる。
変な方向に想像してしまったのが半分。もう半分は、結局『勇者』も人ではなく道具として見られていることに対してだ。
この世界における『人の定義』って、何なんだろう?
「さすがに、ハゲじじいの下心見え見えのスケベっぷりにキレて殴ったけど」
「原因それだよ!」
一番の。
そういえばユキの手紙に、『カイネの通り名は『紅蓮闘拳』だ』と書かれていたなと思い出す。
髪の色や、火属性だから……ではないらしい。
由来については分からない。手紙には『紅蓮闘拳』は――以下が黒く塗り潰され、『いや、なんでもない』と書かれていた。
何か、嫌なことでもあったのか。触れてはならない気がして、ユキへの返信では聞かなかった。
ディオルからは『生きてなにより』とだけだ。今思うと、これってわたしが生きていたことに対してではなく、カイネさんと知り合ったことに対してのような気がする。
……多分。
「ま、順調に行けばあと三日ほどで外に出られるから。港町まで行けば、神殿の人間は入ってこないしね」
「どうして?」
「神殿の人間は、外の風を嫌っているのよ。港は外部からの入口。他国の人間が入り込む場所。自分は精霊に仕える人間だから、汚されるとでも思っているんじゃない?」
「カイネさんは巫女なのに気にしないの?」
「あたしの場合、戦場走ってた人間だからね。巫女でも、火の魔法は戦力。国を守るためなら戦場にも出るよ。神殿の人間は保守的だけど」
「……戦争になって、戦えず困っている人のために、だね」
「そうよ」
何でもない風に言ったカイネさんだったけど、わたしにはとても誇らしげに見えた。