電話越しに道案内しろだって?
マナーモードになっているスマホがベッドの上で振動を繰り返す。テレビでサブスクリプション契約をしている配信サービスのオリジナルドラマを見ていた男は鬱陶しそうにスマホを手に取った。
そして、そこに表示された名前を見て、目つきの悪い男はすぐにリモコンを手に取って番組を止める。彼は何をするでもなくその場に立ち上がった。
「——もしもし、和馬くん?」
「なんだ、お前かよ」
和馬、と呼ばれた男は電話先の人間に向かって落胆したフリをした。「ええ」と戸惑う声が荒い音質で聞こえる。
「なんだよ颯太。今何時だと思ってんの」
「でも起きてたじゃん」
時計が指す時刻は一時五分。カーテンも既に閉め切っている時間帯だ。男——松木和馬は見慣れた部屋をなんとはなしに見回した。
電話の相手は横島颯太。中学三年生の時に同じクラスになり、それから大学二年の現在まで関係が続いている。気が合ったからとか、趣味が同じだったからとかではなく、ただ出席番号が近くて知り合っただけだ。
「和馬くん、今何してた?」
「なんもしてねえよ。暇だよ」
「寝る時間なのに『暇』って、なんか変」
颯太はくすくす笑う。和馬は、目を閉じて口に手を当てる妙に女々しい彼の笑い方を想像した。
和馬は友人関係に乏しい。二十年という歳月の中、まともに「友人」と言える関係に至れたのはこの横島颯太と、幼稚園の頃の顔も覚えていないような人間、あとは元陸上部の数人の騒がしい奴らである。その「友人」の中でも颯太は異質な存在で、ホモソーシャルの中で育った陸上部のメンバーとは違い、少しとろくて、いつも落ち着いた悠々閑々とした人間である。端的に言えば、和馬とは似ても似つかない性格の男だ。
「いや、俺のことよりお前だよお前。終電逃したから泊めろとかいう話じゃねえよな?」
「違うよ。そしたらネカフェに泊まってるし」
その返答が少し気に食わなくて、和馬はぶっきらぼうな相槌をうった。部屋を歩き、床に転がっていた空のペットボトルをゴミ箱に投げ入れる。
「じゃあ何だよ。嫌がらせ?」
「ええ、和馬くん、僕がそんなことする人だと思ってるの」
「馬鹿、言ってみただけだわ」
和馬は三日前、共に遠くの寿司屋で食事をした時の颯太の姿を思い出す。あの時も、颯太は飽きもせず和馬の一言一言に反応していた。
「で、本当は?」
「あはは、ここまで来たら当てて欲しくなってきちゃった」
「切るぞ」
やめてやめて、と焦った様子で颯太は声を大きくする。その声に和馬は機嫌を良くして、散乱したゴミを片付け始めた。
「ごめんね、言うよ。今、僕外にいるんだよね」
「外ってどこだよ」
「それがわかんなくて」
返答の意味が分からず、和馬はレシートを拾う手を止めた。
「どゆこと?」
「僕、さっきまで先輩の家にいたんだよね」
「お前、仲良い先輩なんていたのかよ」
「そこは重要じゃないよ」
颯太は威圧感のない声で和馬に怒る。
「それで、行きは車で送ってくれたんだけど、先輩寝ちゃって。でもこんな時間にまた出してもらうわけにもいかないなと思って自分で帰ることにしたのね」
「おう。で?」
「迷っちゃった」
和馬は何かの聞き間違えかと疑った。耳からスマホを一旦遠ざけ、頭の中で出来事を整理する。
「は?」
「歩けば駅なんて分かるかなと思ったんだけど、全然わかんなくて。住宅街の迷宮に入っちゃった」
「……本当に馬鹿だろ」
颯太は電話越しに悲しそうな声を漏らした。あまりの計画性のなさと、和馬に電話をかけてきた謎の行動に頭を抱える。前から抜けているやつだとは思っていたが、またこんなことをやらかすとは。
「おい颯太、なんで俺にかけてきた?」
「だって、自分で勝手に帰ったのに『迷いました』って先輩に言うのすごく迷惑じゃん」
「俺には迷惑じゃねえのかよ」
気の置けない関係の友人の遠慮のなさを感じて、和馬はつま先をばたばたと浮かせた。そんなことを、颯太は知る由もない。
「で。でなんだけど、よかったらナビゲートしてくれないかなって」
「はあ? スマホあんだろ。調べろよ」
「僕のスマホ今月ギガ切れちゃって。電話以外使えないの」
「ガチの嫌がらせじゃねえか」
相変わらず、颯太は目を覆いたくなるくらいのポンコツだ。勉強や細かい気遣いは得意なのにどうしてこうなってしまったんだ、と和馬は路頭に迷っているであろう颯太を哀れに思った。
「暇なんでしょ? ねえ、おねがーい」
「それが人様に物頼む態度かよ」
「お願いします」
和馬はため息をついて、自身のノートパソコンを起動する。テレビの画面はすっかり暗くなっていた。
「とりま町の名前言え」
「わかんない。全然わかんない」
「電柱の広告とかあるだろ。ちょっとは周り見ろ」
スマホからは音質の悪い足音が聞こえる。颯太のスマホの容量がないせいでビデオ通話をすることもできず、和馬はもどかしい思いをした。
「あったよ、歯医者の広告。坂中だって」
「は? 坂中?」
「うん。なんか駄目だった?」
和馬は画面の隅をクリックし、「ニュース」を開く。そして検索欄に「坂中 連続殺人」と入力した。
「どうしたの?」
「え、お前、坂中で何もピンと来ない?」
「うん」
こいつはニュースも見ないのか、と和馬は頭を掻いた。今日会ったという先輩も教えてくれなかったようで、少し彼のことが心配になる。
「ねえ、なんかあった?」
「……いや、何もねえよ。暗いから気をつけろってだけ」
「え、和馬くん、なんか優しいね」
余計だわ、と和馬はわざと苛立ったような声を出して颯太を困らせた。真夜中に一人でいるのに、物騒なニュースの話題を出されても困るだろうという彼なりの不足した気遣いである。
「じゃあ周りの特徴言え。今からストリートビューで坂中飛び回るから」
「うん、頑張ってね」
「馬鹿、切ってもいいんだぞ」
颯太は今見える建物の特徴をゆっくりと述べていった。青い屋根の3階建ての家、小さな不動産屋、結婚して引退したサッカー選手が住んでいそうな家——最後の説明は聞く価値がないものとして右から左に聞き流した。
それから十分くらいして、ようやく和馬はそれらしい場所を見つけた。画面と睨めっこをしていたので、軽く目の横をマッサージする。
「あったぞ。多分お前の場所」
「え、やったー! どう、見える?」
「この馬鹿、お前がリアルタイムで写ってるわけねえだろ」
和馬は昼の住宅街の画像を見ながら、そこにいる颯太の姿を想像した。きっと、カメラに向かってぶんぶん長い腕を振っているに違いない。
「待ってろ、駅までの道確認するから」
「ありがとう! やっぱ、持つべきものは友だね」
「俺みたいな友達がいてよかったな、本当に」
颯太は素直に肯定した。思わず口元がにやけて、一人暮らしにもかかわらず和馬は部屋の周りを確認した。もちろん、和馬のことを見ている人間なんていない。
「ほら、分かったぞ。まず不動産屋の方向け」
「向いた」
「そこから左に進め」
再び足音が聞こえる。それから颯太が「別れ道に来た」「二手に分かれてる」と言う度に和馬は正しい道をナビゲートしてやった。なんだかドローンを操作している気分になって、こういう二人操作のゲームがあったら面白そうだな、と和馬は考える。
「やばいわ、ここ複雑すぎんだろ。いくつ道曲んないといけないんだこれ」
「すごい入り組んでるよね。だから、迷っても仕方ないっていうか」
「うるせえ」
颯太の軽口を雑に返しながら、和馬はニュースの内容を思い出す。最近、坂中では黒い袋に入れられた若い男性の死体が三つ見つかっているのだ。殺害方法はバラバラで、犯人は分かっておらず、警察は調査を進めている、とのことらしい。
颯太は被害者の特徴に当てはまるので、和馬の部屋にはじめっとした緊張感が立ち込めていた。
「あ」
「どうした?」
「前に人いる。そうだ、あの人に道聞こうかな」
和馬は颯太の勝手な提案に待ったをかけた。こんな深夜に出歩いている人間に声をかけるなんてかなりの勇気がないとできない行為だ。しかし、颯太は和馬の気持ちなどいざ知らずずんずんと進んでいった。
「おい、馬鹿颯太、待てって」
「でも、このまま行ったら普通にすれ違うし。あ、近くなってきたから一回通話やめるね」
「馬鹿、いや、もう……」
どれだけ颯太を罵る言葉をかけても彼には聞こえていない様で、ノイズだけが和馬の耳に届いた。和馬はただ、相手が深夜散歩をしているだけの一般人なことを祈った。
しばらくして、スマホから小さな音がするようになった。どうやら話し声のようだが、和馬はその内容を把握できない。かろうじて颯太の声は聞こえるが、相手の声が小さいのか、もう一人の方は何も聞こえなかった。
「……あ、和馬くん?」
「おお、無事かよ」
「無事ってなによ。何もなかったよ」
颯太はただくすくす笑っている。もう事件のことを教えた方がいいかもしれない、と和馬は自分の気遣いを無かったことにしようか迷った。
「教えてくれたよ。もう和馬くんの道案内いらないかも。ありがとね、ここまで教えてくれて」
「え、いや、ちょっと待って」
切ろうとした颯太をなんとか止めて、電話を続行させる。すでに通話時間は30分になろうとしていた。
「どうしたの?」
「……いや、何かあったら困るし、駅に着くまで電話してやろうかと思って」
「えー、今日の和馬くん、やっぱり優しいね」
じゃあお願いしようかな、と颯太は笑う。和馬は不審者だか何だかの対策で「電話をする」というのが有効という話を聞いたことがあったので、一応彼と話を続けることにした。
「ねえ、まだそっちってストリートビューで僕のこと見てる?」
「お前のことは見えてねえって言ってんだろ。もう閉じたよ」
「あー、じゃあもうここに和馬くんいないんだ」
は、と和馬は「理解不能」の声を漏らした。
「何言ってんの?」
「隣に和馬くんがいるって想定で歩いてた。じゃあね、イマジナリー和馬くん」
「ふざけてんじゃねえよ。俺はずっと家だわ」
いつも通りのふざけた、それでいてどこか愛嬌のある颯太の言い回しに和馬は微笑んだ。特別面白いわけではないがなんとなく楽しくなって、颯太の肩を小突いてやりたい気分になった。
「お前、スマホの容量ぐらいちゃんと管理しろよな。今いる場所がマジで全然知らない海外とかだったらどうするつもりだったんだよ。いつでも俺がお前のことナビゲートできるわけでもないしさあ——」
「ねえ、ちょっと待って」
少し低い颯太の声に、和馬は口を動かすのを止めた。滅多に聞くことのない、彼の真剣な声色である。
「どうした」
「なんか、さっきの人がついてきてるかも」
「さっきの」
聞くまでもなく、颯太が先ほど道を聞いた人間だ。男か女かも分からないが、とにかくそれが颯太の後をつけているらしい。
「勘違いじゃなくて?」
「いる。絶対いる」
「……おい、駅はまだだぞ」
ノイズがだんだん小刻みになっていくのを感じる。颯太が早歩きになっているのだろう。ふう、と彼の少し乱れた呼吸が聞こえた。
和馬の心臓はいきなり大きく鳴り始めた。さっきすれ違ったばかりの人間が、後を引き返して颯太をつけている。そんなの異常じゃないわけがない。
「走れ」
「え?」
「走れって馬鹿」
電話越し特有の、耳が痛くなるような風の音がした。和馬はここからでは手出しすることができない。ただ、向こうの音声を聞くしかないのだ。
「和馬くん、やばいかも、走ってきてる」
「話さなくていい、とにかく駅に走れ」
もうほとんど意味のある音が聞こえない。颯太の息遣いと、乱れるノイズだけだ。もし颯太の立場に和馬がいたなら余裕で振り切れるだろうが、颯太は運動がそこまで得意じゃない。すぐ息切れする、元陸上部のコミュニティで言うところのヒョロガリだ。
走っていないのに、和馬の心臓もどくどくと早く鼓動する。どうにか間に合え、と電話越しに祈った。
「あ」
その時、短い音がして、いっぱいのノイズが和馬の耳をつんざいた。がらがらと崩れるような、転がるような音がする。
まさか、こいつ転んだのか。
最悪の事態に、和馬は思わず颯太の名前を叫んでいた。ああ、こんなところでドジにならなくていいのに。和馬は立ち上がり、コートに手をかけた。
「——大丈夫ですか!」
遠くから、焦った男の声がした。息が切れていて、何度も心配の言葉をかけている。状況と態度がアンバランスで、和馬の頭に疑問符が浮かんだ。
「え、はい、すみません……」
「良かった、怪我はなさそうですね」
丁寧な口調に、和馬は置いてけぼりになる。さっきまで緊迫した状況だったはずなのに、なんだか急にブレーキがかかったようだ。
それからしばらく二人の話し声がして、数分経ってから颯太の声が近くまで届いた。何やら気まずそうに笑っている。
「ごめん、和馬くん」
「おい、大丈夫か!?」
「うん、全然大丈夫。ちょっと痛いけど……」
それで、と颯太は和馬の顔色を伺うような声で続ける。
「なんか、僕、鍵落としてたみたいで……」
「……は?」
「それで、急いで届けてくれたみたい」
和馬の体から力という力が一気に抜けて、まるでギャグ漫画かのように床に転げ落ちた。さっきまで激しく鼓動していた心臓は何だったのか、とスマホを強い力で握りしめた。
「この、馬鹿野郎!!」
「わっ! ご、ごめんって」
「鍵なんて落としたら気付くだろ! 普通音が鳴って分かるだろ! 大馬鹿!」
颯太は本気で悲しそうな声を漏らした。無事だったことは何よりだが、それでも心配の気持ちを返して欲しかった。これだけ颯太に振り回されたのは初めてである。
「ごめんなさい、ちゃんと気をつけます、反省します……」
「そういう不注意でいつも困り事が増えんだよ! マジで、勘弁してくれって……」
「ごめんね、和馬くん」
和馬はベッドに寝転がった。颯太への怒りもあったが、これで当分人と話す話題には困らないな、と思う気持ちもあった。こんな馬鹿げたオチの実話は中々ない。
「はあ……今どこなの、お前」
「もうすぐ駅。よかった、タクシー乗り場がある駅で」
「ったく、いなかったら俺がアプリでタクシー呼んでやるから、お前そこで待ってろよ」
颯太から絶え間ない感謝の声が届く。散々な思いをしたが、不思議と悪い気はしなかった。
「本当によかった、こんな夜中に和馬くんが起きててくれてて」
「マジでお前、サブスクに感謝しろよ」
「うん、ありがとね、いろいろ」
和馬はすっかりドラマをどこで止めたか忘れている。そんなのがどうでもよくなるくらい、この1時間は大変だった。ようやく落ち着きを取り戻して、そういえば、と和馬はあることを思い出す。
「あ、そういえば、お前、仲良い先輩とか今まで一度も話に出したことなかっただろ。どういう繋がりなんだよ、それ」
「いや、最近知り合ったばっか」
その返答に、和馬は違和感を覚えた。最近知り合ったばかりの人間の家に、しかも深夜向かうだろうか、と疑問に思う。
「知り合ったばっかで家? それこそありえなくね? お前、そんなすぐ人と打ち解けるやつじゃないだろ」
「なんかね、モデルになってほしいって」
「……は? モデル?」
馴染みのない言葉に、和馬はなんだか胸騒ぎがした。
「美術専攻の人で、最近は僕みたいな男子大学生を題材にした作品を作ってるんだって。それで、卒業制作に必要だからって理由で、僕協力することになったの」
「待て。こんな夜中に?」
「なんか、時間の都合が合わないとかで」
確かに、颯太は顔は整っている方だが、モデルとして映えるかと言われたらそうではない。面識のない人間が飛びつくほどの魅力を持っているとは思えなかった。
その時、和馬の中でピースが埋まっていく音がした。
最近は普通の大学生を題材にしている。時間の都合が合わないから深夜に集合。移動は先輩の車。颯太は先輩に黙って帰ることにした。だから先輩は颯太が家から離れたことを知らない。——被害者は全員、若い男性。
「……颯太」
「なに?」
「その先輩と関わらない方がいい。てか関わるな」
いきなりトーンの下がった和馬の声を不審に思ったのか、颯太もつられて声を低くした。
「どうして」
「分かんねえ、分かんねえけど、なんか、それヤバい気がする。颯太、もうタクシー呼ぶから」
「——あっ、先輩!?」
和馬の喉が攣った。
ざざ、と風の音がして、颯太の嬉しそうな声が遠くで響く。
「僕、先輩が寝ちゃったからまた後日にしようと思って」
「おい、馬鹿、俺の話聞け」
「あっ、今からですか? はい、全然大丈夫ですよ」
「馬鹿野郎、やめろ、聞いてんのか、なあ」
だんだんと、颯太の声が聞こえなくなる。
「あっ、これ友達です。さっきまで電話してて。切った方がいいですか? はい、分かりました」
和馬は息を吸い込んだ。被害者は若い男性。三人。坂中で見つかっている。
「またね、和馬くん。今度お礼させて!」
「おい馬鹿、やめろって、颯太!」
ピロン、と通話終了の文字が映し出された。




