金曜日風呂キャン同盟
「かんぱーい」
ガヤガヤした居酒屋の中で、俺たちもグラスを掲げた。
時期は4月。
周りも飲み会が多い時期だ。
長いテーブルに同期が15人。
仕事終わりにみんなで集まった。本当は昨日の初出勤日に行きたかったが、翌日も仕事だったため諦め、金曜日の今日になった。
俺はテーブルの真ん中あたりに座る。向かいには、同じ部署に配属された健太がいた。
「おーい、温人と健太もこっちで飲みゲーしない?」
同期一番の陽キャ、洋平が声をかけてくる。
俺たちは顔を見合わせた。見合わせるまでもなく、答えは決まっていたけど。
「悪い、俺たちはパスで」
「そっか……了解!無理にとは言わないしな」
「あっ、やりたくなったらいつでも言えよ!」
「おう」
洋平は悪いやつじゃない。
むしろ、俺たちみたいなタイプにも分け隔てなく接してくれる、いいやつだ。
「なぁ……お前、声かけたのかよ」
「ん? 何が?」
「言ってただろ。同期に高校の同級生がいるって」
健太が、テーブルの右端に座る彼女を顎で指す。
「……まだ話してない。なんか、気まずくてさ」
「喋るなら今だぞ。時間経つほど気まずくなるからな」
「だよな。……まあ、なんとかする」
そう答えながらも、正直、話すことなんてないのかもしれないと思っていた。
小林夏希。
高校の同級生で、同じ時期に生徒会をやっていた。同じ漫画が好きでよく話していたけど、学科が違ったこともあって、任期が終わってからは連絡も取っていない。
飲み会は、2時間ほどでお開きになった。
「二次会でカラオケ行く人ー?」
「行く行く!」
「私も!」
洋平の一声で、10人ほどがカラオケに流れていく。
「温人は行かないのか?」
「ああ、俺は帰るよ。健太は行くのか?」
「おう。カラオケ好きだしな!」
「そっか。じゃあな」
「お疲れー!」
みんなと別れて、俺は帰路についた。
みんなは、自分の好きなことに全力で向き合っている。
でも、俺はそれができない。
飲み会のゲームやカラオケ。大人になってこそ楽しめる遊び。
きっと、ああいう時間を心から楽しめるのが普通なんだろう。
ーーなのに、俺はうまく笑えない。
どうしてなんだろう。
もともと好きじゃなかったのか。それとも、大人になりきれていないだけなのか。
考えても分からないまま、ただ少しだけ、自分が惨めに思えた。
……あ。
前を歩く人影に気づく。
少し気まずくなって、歩くスピードを落とした。
コツ、コツ……。
やけに自分の足音が大きく聞こえる。
「……え、やば」
前の彼女が、急に立ち止まりかける。
バッグの中を探っているようだった。
このままだと追いついてしまう。
仕方なく、声をかけた。
「あの……小林さん?」
「あっ……って、温人?」
「どうしたの?」
「キーケース、どこかに落としたみたいで……」
さっきまであんなに気まずかったのに、話し始めると、不思議と自然に言葉が出てくる。
まるで、高校の頃に戻ったみたいだった。
「どうする? 居酒屋に戻る?」
「いや、大丈夫。居酒屋では出してないし、多分会社に忘れたんだと思う」
「……それより、小林さんじゃなくていいよ。昔みたいに夏希で」
「そっか。ちなみに……これからどうするんだ?」
「ビジホか満喫かな。お金はかかるけど」
「……そっか」
しばらく沈黙が続く。
暗くなった帰り道で、足音だけが響く。
気づいたときには、口が先に動いていた。
「……俺の家、来るか?」
「え?」
「いや、その……変な意味じゃなくて。お金、もったいないだろうし」
自分でも驚くくらい、唐突な提案だった。
少しの沈黙。
「……行くよ」
「え?」
「温人が変なことする人じゃないの、知ってるし」
少しだけ笑って、彼女はそう言った。
電車で最寄り駅まで行き、そこから歩いて家に向かう。
自分で言い出したことなのに、異性を家に招くなんて初めてで、正直かなり緊張していた。その証拠に道中で何を話していたのか、ほとんど覚えていない。
「お邪魔します」
「……どうぞ。たぶん、そんなに散らかってないから」
ドアを開けて部屋に入る。
ピッ、と電気をつける。
俺の部屋はワンルームだ。
右側に本棚とベッド。左側にテレビ。
ベッドを背もたれにしてテレビを見るのが、いつもの過ごし方だ。
「あ、この漫画……まだ追ってたんだ」
夏希が本棚を指さす。
『パズル』。
高校の頃、二人でよく語り合っていた漫画だ。
「まだ推しはホムラ?」
「ああ。そっちは蛇姫?」
「うん、変わってないよ」
そう言って、夏希は少し嬉しそうに笑った。
「なんかさ、周りの友達って、こういうの卒業しちゃうじゃん」
「最近は飲み会とか合コンばっかりって聞いてさ……」
少しだけ、視線を落とす。
「別にそれが悪いわけじゃないけど。なんか、自分だけ取り残されてる気がしてたんだよね」
「……分かる」
思わず、そう言っていた。
「俺も、最近ちょっと思ってた」
飲み会の光景が頭に浮かぶ。
「みんな楽しそうでさ。でも、うまく馴染めない自分がいて……」
言葉を探しながら、続ける。
「それが、ちょっとだけ情けなくてさ」
少しの沈黙。
「でもさ」
夏希が顔を上げる。
「温人がまだそれ好きでいてくれて、ちょっと安心した」
「……俺もだよ」
自然と、笑っていた。
それから、気づけば一時間以上話し込んでいた。
『パズル』の話。昔読んでいた漫画の話。今ハマっている作品の話。
「あはは、全然変わってないね、私たち」
「ほんとにな」
「あ……もうこんな時間か」
時計の表示は、24時をとっくに回っていた。
さっきまで普通に話していたのに、急に現実に引き戻された気がする。
「風呂……どうする?」
言ってから、少しだけ後悔した。
一気に生活感が入り込んで、妙に意識してしまう。
「一応、湯は張れるけど」
なるべく平静を装って付け足す。
「んー……」
夏希は少し考えるように視線を泳がせる。
その仕草を、なんとなく目で追ってしまう自分がいた。
「今日はいいや」
軽く首を振る。
「……ああ、それは全然」
ほっとしたような、少し後悔するような変な感覚になる。
「なに?」
くすっと笑う。
「なんか気にしてる顔してる」
「いや、別に……」
思わず目を逸らす。
「もしかして、変に意識しちゃった?」
少しだけからかうような声。
「してないって」
即答したけど、自分でも説得力がないと思う。
「ふふ、大丈夫だよ。」
少し柔らかい声になる。
「気にしないって。……それに、さっきも言ったみたいに、温人が下心で動くような人じゃないって知ってるし」
言いかけて、少し間を置く。
「……あと私ね、金曜日って、お風呂入らなくてもいいと思うんだよね」
「え?」
「だって、次の日休みじゃん?どうせ寝てる間に汗かくし、だったら朝ゆっくり入った方がよくない?」
「……確かに」
思わず納得してしまう。
「でしょ?」
少し得意げに笑う。
「だから今日はーーお風呂キャンセル」
その言い方が妙に可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「それよりさ」
夏希が本棚からDVDを取り出す。
「これ、一緒に見ない?」
『パズル』の劇場版だった。
「いいね。見よう」
それから俺たちは、夜通し映画を見た。
部屋にあったジュースとお菓子を広げて、ただ、だらだらと同じ時間を過ごす。
特別なことは何もないのに、妙に心地よかった。
そしてーー
いつの間にか、眠っていた。
まぶた越しに、光を感じる。
カーテンの隙間から差し込む朝日。
ぼんやりと意識が浮かび上がる。
……なんでこんな明るいんだっけ。
体を少し動かそうとしてーー
違和感に気づく。
何かが、肩に触れている。
やわらかくて、温かい。
「……?」
ゆっくりと視線を下げる。
すぐ近くに、夏希の顔があった。
ーー!!
一気に目が覚める。
距離が、近い。
近すぎる。
彼女は俺の肩に頭を預けたまま、静かに眠っていた。
規則正しい寝息が、かすかに聞こえる。
どうする。
起こすか。いや、でもーー
少しだけ動いた拍子に、髪が肩に触れる。
くすぐったい感覚と一緒に、変に意識が持っていかれる。
その瞬間、
彼女のまぶたが、ゆっくりと動いた。
「……ん」
小さく声が漏れる。
まずい、と思った時にはもう遅くて。
ゆっくりと目が開く。
数秒。
視線が、合う。
「……あ」
お互い一気に距離を取る。
「あ、ごめん!」
頬を少し赤くして、そっぽを向く。
「おはよう」
少しだけ、ぎこちない声。
「……おはよう」
心臓の音が、やけにうるさかった。
時計を見ると、10時を過ぎていた。
「風呂、入るか?」
「ありがと。じゃあ借りるね」
交代で風呂に入る。
スーツのままではしんどいだろうと思い、夏希にはスウェットを貸した。
時間も時間だったので、近くの喫茶店に向かい、ブランチを取ることにした。
「なんかさ」
歩きながら、夏希が言う。
「こういうの、いいかも」
「こういうの?」
「うん。無理しないでいられる感じ」
少し考えてから、俺も頷いた。
「……分かる。安心する」
「ね」
少しだけ間があってから、彼女が言う。
「もしよかったらさ。これ、またやらない?」
「いいね」
即答だった。
「じゃあ決まり」
嬉しそうに笑う。
「これで私たち、同盟だね」
「同盟?」
「うん。せっかく見つけたんだし、名前つけたくて」
「まあ……いいけど」
少し考える素振りを見せてから、彼女は言った。
「金曜日風呂キャン同盟……どう?」
「そのまんまだな」
「それがいいの。変に気取らなくてさ」
そう言って笑う彼女を見て、思う。
無理して大人になる必要なんて、たぶんどこにもないんだろう。
少なくともーーこの時間だけは。
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