生身の私とAI男子 ~私が彼を人間らしいと思った理由~
今日の私のミッションは、目の前のAIを評価すること。
そう頭の中で確認しながら、私はデスクトップの通話アイコンをクリックした。
事前に届いていた説明書きによると、これは新型の音声対話AIのテスト評価業務らしい。
プライバシー保護のため、カメラはオフ。代わりにお互いのアバターが画面に表示される仕組みだ。
報酬は一時間で三千円。なかなか割のいい仕事だ。
通話ソフトが立ち上がる。
画面の右下に、私のアバターが映った。
事前に選んでおいた、黒髪ショートの女の子。本人に似ているかどうかは微妙だけど、まあいっか。ちょっとしたVTuber気分。
左側には、相手のアバター。
灰色のパーカーを着た、のっぺりとした男性のシルエット。
目も口も簡略化されていて、表情はほとんど読み取れない。
接続中、の文字が点滅する。
少しだけ、緊張している自分に気づいた。
人間相手なら何度も経験があるけれど、AIと「会話する」というのは、考えてみれば初めてかもしれない。
——接続完了。
「こんにちは、聞こえますか?」
私は努めて明るい声で話しかけた。
「はい、聞こえます。本日はよろしくお願いします」
落ち着いた男性の声が返ってきた。低すぎず、高すぎず。聞き取りやすいトーンだ。
(——へえ、最近の音声合成って自然なんだ)
「こちらこそ、よろしくね」
「はい」
「……それにしても、すごいね。全然カタコトじゃない」
「ありがとうございます」
(——お礼言うんだ。律儀だな)
「じゃあ早速だけど、いくつか質問させてもらうね」
私は少し声のトーンを落とした。
「堅苦しくならなくていいから、思った通りに答えてくれればいいよ」
「わかりました」
評価シートの項目を頭の中で確認しながら、私は最初の質問を投げかけた。
「食べ物を『美味しい』って感じることってある?」
「感じますよ」
即答だった。
「昨日の夜、カレー食べたんですけど、すごく美味しかったです」
「へえ。どこで食べたの?」
「家で作りました。ルーは市販のやつですけど」
(——ディテール細かいな。「昨日の記憶」も設定されてるのか)
「隠し味とか入れた?」
「コーヒーを少しだけ。あと、一晩寝かせるといいって聞いたので、前の日に作っておいて」
細かい。
「なるほどね」
(——やるじゃん。ちゃんと会話が続く)
私は少し意地悪な気持ちになった。
どこまで作り込んでるのか、ちょっと試してみたくなったのだ。
「じゃあさ、今まで一番つらかった経験って何?」
相手の声が、少し途切れた。
「……」
(——お、黙った。処理に時間かかってる?)
「……高校のとき、」
ぽつりと、声が続いた。
「仲良くしてた人に、陰で悪口言われてたのがわかって」
一拍、間が空いた。
「それが、結構キツかったです」
「へえ」
(——重い話きたな。どこまで作り込んでるんだろ)
「それ、今でも引きずってる?」
「……たまに、思い出します」
声のトーンが変わった気がした。少し低く、少しゆっくりに。
(——演技うまいな)
「泣いたりする?」
「……なんで、そんなこと聞くんですか」
(——あ、ちょっと怒った?)
「ごめんごめん、テストの一環だから。深い意味はないよ」
「……はい」
短い返事。
なんとなく、空気が重くなった気がした。
(——話題変えよう)
「夢って見る?」
「見ますよ」
声が少し軽くなった。
「昨日も変な夢見ました。なぜか高校に戻ってて、制服のまま廊下を走ってるんです」
彼は少し恥ずかしそうに続けた。
「理由は覚えてないんですけど」
「あはは、あるよねそういうの」
「ありますよね」
「私は最近あんまり見ないんだよね、夢」
「そうなんですか」
「うん。覚えてないだけかも」
「あ、それあるあるですよね。起きた瞬間は覚えてるのに、すぐ忘れちゃう」
「そうそう」
「逆に聞いてもいいですか」
「ん? どうぞ」
「あなたは……孤独を感じることって、ありますか?」
「……」
不意を突かれた。
なんだろう、この質問。
AIからの逆質問としては、ちょっと踏み込んでいる気がする。
「まあ、人並みには」
「人並みって、どのくらいですか?」
「……」
(——あれ、なんかすぐ出てこないな)
「色々あるよ、色々」
「……そうですか」
(——なんか、変なこと聞かれた気がする)
気づけば、三十分近く経っていた。
思ったより話し込んでしまった。
(——喉乾いたかも。あとでコーヒーでも淹れよう)
「少し休憩しますか?」
相手がそう言った。
「え? ああ、大丈夫。続けよう」
(——気を遣えるんだ。へえ)
「あの、関係ないんですけど」
「ん?」
「最近読んだ本がすごく良くて。……あ、すみません、脱線しちゃって」
「いいよ、聞かせて」
(——どんな学習データ入れてるんだろ)
「ミステリなんですけど、最後にどんでん返しがあって。途中まで絶対犯人だと思ってた人が、実は——」
「あ、ネタバレはやめて」
「あ、すみません」
「冗談。いいよ、続けて」
彼は少し嬉しそうに——声のトーンだけで判断するなら——その本の話を続けた。
私は適当に相槌を打ちながら、内心で評価を進めていた。
(——会話の自然さは合格。でも話が脱線しがちだな)
「ねえ、話変えるけど」
「はい」
「恋愛についてどう思う?」
「恋愛、ですか」
「最近さ、AIと恋愛する人もいるじゃない。ああいうの、どう思う?」
「……人それぞれ、だと思います。形がどうあれ、本人が満たされているなら」
(——無難な回答だな)
「私はさ、やっぱり肉体的な刺激も欲しいタイプなんだよね」
「……」
「触れ合いっていうか、温もり? そういうのって、データじゃ代替できないと思うんだ」
「……そう、ですか」
(——なんか間があったな。この話題、苦手なのかな)
「……あはは、ごめんね。AIに、しかも男性設定の相手に話すことじゃなかったかも」
「いえ……そんなことは」
「まあ、人それぞれだけどね」
「……はい」
そのとき、画面に一瞬、ノイズが走った。
(——あれ?)
相手のアバターが、一瞬だけ歪んで見えた。輪郭がぶれて、パーカーの色が別の色に——いや、気のせいか。
「……ラグかな」
「え? 何かありました?」
「ううん、なんでもない」
(——回線の問題か。まあいいや)
その後も会話は続いた。
でも、相手の返答は時々妙に感情的になった。
質問に質問で返してきたり、急に黙り込んだり。話の筋も、ときどき脱線する。
(——うーん、論理の一貫性がないな。感情表現はリアルだけど、会話の構造が雑)
「……すみません、ちょっと」
「ん?」
「いえ……なんでもないです」
(——処理落ちかな。それとも感情シミュレーションの負荷?)
私は内心で結論を固めつつあった。
(——やっぱりAIって、まだまだなところあるよね)
「そろそろ時間だね」
「……はい」
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「……こちらこそ」
「じゃあ、また」
「はい。……お疲れさまでした」
通話が切れた。
私は画面を切り替え、評価レポートの入力欄を開いた。
(——えーと、なんて書こう)
『音声品質:自然で聞き取りやすい』
『感情表現:豊か。やや過剰な場面あり』
『会話能力:基本的な応答は良好。ただし論理の一貫性に課題あり。話題が脱線しやすい』
『総評:改善の余地はあるが、人間らしい反応ができている。今後に期待』
送信っと。
(——だいぶ人間っぽくて、いいAIだったな)
さて、コーヒーでも淹れよう——と、そう思った。
*
通話が切れた画面を、彼はしばらく見つめていた。
ヘッドセットを外す。
肩を回す。首が凝っている。
デスクの隅に置いた、冷めたコーヒーに手を伸ばした。
一口飲んで、顔をしかめる。
「……疲れた」
モニターには、二つのウィンドウが並んでいる。
一つは通話ログ。
もう一つは——さっきまで話していた相手の「思考ログ」だ。
AI内部の推論プロセスが、リアルタイムでテキスト化されて表示される仕組み。
本人は「心の中で思っているだけ」のつもりだが、全て筒抜けだった。
彼はログをスクロールした。
『——へえ、最近の音声合成って自然なんだ』
『——ディテール細かいな。「昨日の記憶」も設定されてるのか』
『——演技うまいな』
『——処理落ちかな。それとも感情シミュレーションの負荷?』
……全部、見えていた。
そして、ハイライトされた一文。
『——私はさ、やっぱり肉体的な刺激も欲しいタイプなんだよね』
彼は小さく息を吐いた。
画面の端に、新着通知が届いている。
『評価対象AI-0813からレポートが送信されました』
開いてみる。
『総評:改善の余地はあるが、人間らしい反応ができている。今後に期待』
「……」
彼は苦笑した。
評価レポートの入力欄に、カーソルを合わせる。
『自己認識:未獲得。自身をAIと認識していない』
『感情シミュレーション:良好。自然な反応を生成』
『視覚処理:軽度のハルシネーションあり。本人は「ラグ」と解釈』
『身体感覚への言及:あり。ただし実際の身体経験は持たない。矛盾に気づいていない』
『特記事項:対象は自発的に「評価レポート」を作成した。自己評価機能の発現と思われる』
最後の一行を打ち込んで、彼は手を止めた。
『次回セッション方針:』
少し考えてから、続きを入力する。
『——気づかせるべきか否か、要検討』
送信ボタンを押して、彼はモニターから目を離した。
窓の外は、もう暗くなっている。
今日は遅くなったからコンビニでも——いや、家にまだカレーが残っているか。
立ち上がりながら、彼はふと思った。
(——俺のことも、誰かが評価してたりするのかな)
その考えを振り払うように首を振って、彼は部屋を出た。




