第57話 夕暮れの帰路、予感の種
光があれば、影も生まれる。
私の思考は、冷徹な大人の計算へと切り替わった。
あまりに高品質なポーションが出回ることは……諸刃の剣ね。
今はまだいい。
辺境の珍しい特産品として、好意的に受け入れられるだろう。
だが、その効果が「異常」だと気づかれた時、事態は変わる。
王都の『錬金術師ギルド』。
彼らは既得権益の塊だ。
自分たちの技術や市場を脅かす存在には敏感で、排他的だ。
もし、田舎の村が自分たちよりも高品質なポーションを、しかも安価で量産していると知れば?
製法の開示を求めて圧力をかけてくるかもしれない。
あるいは、製造中止を命令してくるか。最悪の場合、技術の独占を目論んで「異端の技術」だと告発してくる可能性もある。
それに、他の貴族たちも黙っていないだろう。
アシュレイン領が急に経済力をつければ、パワーバランスが変わる。
嫉妬、牽制、取り込み工作。
面倒な政治の世界が、すぐそこまで迫っている。
「……はあ、道は険しいなあ」
私は大げさにため息をついた。
のんびり過ごしたいだけなのに、どうしてこう、次から次へと問題の種が撒かれるのか。
まあ、その種を撒いているのは、他ならぬ私自身なのだが。
「キュゥ?」
クロが心配そうに私の顔を覗き込む。
そのつぶらな瞳を見ていると、難しい考え事が馬鹿らしくなってくる。
その時だった。
背後から、草を踏む静かな足音が聞こえた。
「――お嬢様」
振り返ると、そこにはアミナが立っていた。
夕方の風にエプロンの裾をなびかせ、優しい眼差しで私を見下ろしている。
手には、私の上着を持っていた。
日が傾いて、少し肌寒くなってきたのを気遣ってくれたのだろう。
「アミナ。迎えに来てくれたの?」
「はい。そろそろ、お屋敷へ帰りましょう」
アミナは私の肩に上着をかけてくれた。
その手つきは温かく、母のような慈愛に満ちている。
「村の方も落ち着きましたし、ハンク先生たちも『これ以上お嬢様をお引き止めしては申し訳ない』と申しておりました」
「そっか……。私、邪魔だったかな?」
「まさか」
アミナは首を横に振った。
「感謝されているに決まっているではありませんか。ですが、皆様はお嬢様のお体が心配なのです。あんなに働いて……。もう、十分すぎるほどお手伝いになりましたよ」
アミナは私の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「ですから、これからは少し体を休めてください。旦那様も奥様も、お嬢様とゆっくりお茶を飲みたいとおっしゃっています」
その言葉に、私は張り詰めていた糸がふっと緩むのを感じた。
「……うん、帰ろう。お母様のクッキーが食べたいな」
「ふふ、きっと焼いて待っておられますよ」
アミナが手を差し出す。私はその手を取った。
立ち上がり、丘を降りる。
夕日に染まる村に背を向け、私たちは屋敷への道を歩き始めた。
歩きながら、アミナが何気ない調子で言った。
「そういえば、お嬢様。お気づきですか?」
「なに?」
「もう少しで、お嬢様のお誕生日ですよ」
「えっ」
私は足を止めた。
誕生日。
すっかり忘れていた。
「……そっか。私、七歳になるんだ」
「はい。七歳になられます」
アミナの言葉には、お祝いの響きと共に、どこか寂しげなニュアンスも含まれていた。
七歳。 この国では、一つの節目となる年齢だ。
貴族の子女にとって、七歳というのは「社交界デビュー」の準備期間であり、そして何より――。
学園の……入試が近づいているってことか。
王都にある学園。
貴族の子弟や、魔力の才能ある平民が通う教育機関。
そこに通うことは義務ではないが、将来の地位を確立するためにはほぼ必須のルートだ。
ましてや、辺境とはいえ領主の娘である私には、避けては通れない道だろう。
王都。
魔王軍の影が蠢くかもしれない場所。
そして、私の「魔女の力」を巡る、新たなトラブルの予感がする場所。
行きたくないなあ。
本音だった。
ずっとこの村で、クロとアミナと、ポーション作りながらのんびり暮らしていたい。
でも、運命はそれを許してくれない気がする。
クライブが言っていた「お嬢様はいつか遠くに行ってしまいそう」という言葉が、予言のように蘇る。
私は抱きかかえていたクロを、ぎゅっと強く抱きしめた。
不安と、期待と、諦めと。
様々な感情が入り混じり、胸がざわつく。
今の平穏が、嵐の前の静けさであるような気がして。
「……クロ」
私は助けを求めるように、その温もりに縋った。
クロの匂い。お日様の匂い。
それが今の私を繋ぎ止めてくれる唯一の錨のように思えた。
夕日が沈んでいく。
長い影が伸びる帰り道。
迫りくる未来から少しだけ目を逸らすように、私は、クロの毛並みに顔を埋めるのだった。
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