第54話 六歳児、マニュアルを作る
『アシュレイン式ポーション』の完成は、診療所に革命をもたらした。
ハンク医師が実験台となってその効果を実証した後、重症の患者数名に投与されたその液体は、劇的な回復を見せたのだ。
化膿していた傷が塞がり、熱にうなされていた子供が安らかな寝息を立て始める。 まさに奇跡の光景だった。
だが、問題はここからだった。
「……足りない」
私は腕組みをして、空になったビーカーを見つめて唸った。
私が作ったポーションは、あっという間に底をついてしまったのだ。
患者はまだ大勢いる。
それに、これからも復興作業で怪我をする人は出るかもしれない。
私が毎日診療所に通って、つきっきりでポーションを作り続ける?
いや、それは無理だ。私はあくまで六歳児。
体力にも限界がある。
必要なのは、私がいなくても高品質なポーションを作れるシステム……つまり『量産体制』の確立よ。
私はチラリとハンク医師を見た。
彼は今、私が残したメモを見ながら、必死に再現を試みている。
だが、長年染み付いた常識が邪魔をして、どうしても手つきがぎこちない。
それに、これから手伝いに来る村の若者たちの中には、難しい文字が読めない人もいるだろう。
専門用語を並べ立てたマニュアルなど、紙くず同然だ。
誰にでもわかって、絶対に失敗しない、直感的なマニュアルが必要ね。
私はアミナに頼んで、真っ白な紙と、私の「お絵かきセット」を持ってきてもらった。
色とりどりのクレヨン。
これこそが、今回のアシュレイン領復興の切り札となる、最強のアイテムだ。
「お嬢様、お絵かきですか?」
アミナが微笑ましそうに覗き込んでくる。
「うん! お薬の作り方、忘れないように書いておくの!」
私は元気よく答え、紫色のクレヨンを握りしめた。
ターゲット層は、文字の読めない子供から、頭の固い老人まで。
コンセプトは『楽しく、仲良く、お薬作り』
私は画用紙に向かい、前世の記憶にある複雑怪奇な錬金術式を、極限まで単純化したイラストへと変換していく。
タイトルは――『薬草さんとお水のダンス』。
表紙には、手足が生えてニコニコ笑っているヒールグラス(薬草)と、水滴の精霊が手を繋いでいる絵を描いた。
画力は……まあ、六歳児相応だ。
あえて下手に描く必要もないくらい、自然と「味のある」絵になった。
これを「ヘタウマ」と呼んでほしい。
1ページ目。
鍋が描かれている。その下には、真っ赤な炎のマークに大きな「×」。
そして、ひらがなでこう書いた。
『やくそうさんは、あついおふろが だいきらい! ぬるーいおみずで、やさしくしてね』
2ページ目。
ナイフを持った女の子が、薬草を刻んでいる絵。
『ギューってしたら、いたがっちゃうよ。トントンって、やさしくきってね』
組織を潰さずに切断することで、クリアな抽出液を得ることができる。
3ページ目。
鍋の中をかき混ぜるシーン。
『グルグル、グルグル。みぎに3かい、ひだりに1かい。ダンスをするように、まぜまぜしてね』
これこそが肝だ。
本来なら「魔力撹拌」が必要な工程だが、一般人には魔力など扱えない。
だが、この「右三回、左一回」というリズムで撹拌することで、水流に特定の波動が生まれ、魔力を持たない者でも簡易的な「成分の均一化」と「不純物の分離」が可能になるのだ。
私は一心不乱にクレヨンを動かした。
手はクレヨンの粉で汚れ、鼻の頭にも色がついてしまったかもしれない。
でも、止まらない。
知識を形にする楽しさ。
そして、これが多くの人を救うという確信が、ペンを走らせる。
「……できた!」
全5ページの超大作。
私はそれを束ねると、満足げに鼻息を荒くした。
「ハンク先生! これ見て!」
私は完成したばかりの「絵本」を、休憩中だったハンク医師に突きつけた。
「ん? これは……お嬢様が描かれたのですか?」
ハンク医師は目を細め、その拙い表紙を見て頬を緩めた。
完全に「子供の可愛いお絵かき」を見る目だ。
しかし、ページをめくるにつれて、彼の表情が変わっていった。
1ページ目を見て、ふむ、と頷く。
2ページ目を見て、眉を上げる。
3ページ目の『ダンスの法則』を見た瞬間、彼はハッと息を呑み、自分の手元でエア・撹拌をしてみせた。
「……なるほど。ただ漫然と混ぜるのではなく、水流を制御するのか。このリズムなら、沈殿物が浮かび上がらず、上澄みだけが……」
ブツブツと独り言を呟き始める。
そして最後まで読み終えた時、ハンク医師の額には冷や汗が浮かんでいた。
彼は震える手で絵本を閉じ、私を見た。
「……お嬢様。これは、ただの絵本ではありませんな」
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