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第4話 太陽の匂いと、優しい花言葉

「……この日差し、最後に浴びたのはいつ頃だったかな」

 

 私はデイルの小さな手に引かれ、屋敷の中庭へと足を踏み出していた。

 

 外に出た瞬間、まばゆい光の粒子が視界いっぱいに広がる。

 

 頬を撫でる風は柔らかく、土と草の混じり合った生命の匂いが鼻孔をくすぐった。

 

 私は芝生の上に、大の字になって寝転がった。

 

 ひんやりとした草の感触が、背中を通して伝わってくる。

 

 かつての私は、遮光カーテンで閉ざされた研究室に篭り、魔導ランプの青白い光の下で羊皮紙と向き合うだけの日々を送っていた。

 

 ビタミン生成のために魔法薬を服用し、生活リズムは魔力周期に合わせて昼夜逆転。

 

 あれは、健康という観点から見れば最悪の生活だったろう。


 不老不死の肉体があったからこそ耐えられたが、今のこの貧弱なエルシアの体なら、三日で倒れているに違いない。

 

「おねえちゃん、きてー! こっち!」


 私が青空を流れる雲を目で追っていると、少し離れた花壇の方からデイルの弾んだ声が聞こえた。

 

 デイルはしゃがみ込んで、色とりどりの花を覗き込んでいる。

 

 どうやら、エルシアの母が丹精込めて育てている庭園のようだ。

 

「今行くね」

 

 私はゆっくりと体を起こし、スカートについた草を払ってから、弟の元へと歩み寄った。

 

 そこには、春の陽気を閉じ込めたような美しい光景が広がっていた。

 

 幾何学模様に整備された花壇には、計算された配色で様々な花が咲き乱れている。


 手入れが行き届いており、枯れた葉一枚落ちていない。


 相当な愛情を注がれている証拠だ。

 

「きれいだー!」

 

「これは……すごい」

 私は職業病のような目で、目の前の植物たちを観察した。

 

 鮮やかな青色の小さな花弁。地面を這うように広がるその姿。

 

 ネモフィラか。

 

 千年の知識が、脳内の植物図鑑を高速でめくる。

 

 この草は観賞用として有名だが、実は微弱ながら浄化作用を持ち、乾燥させた根は解熱剤の代用にもなる。


 魔女としては薬草としての効能ばかり気にしていたが、こうして改めて見ると、空の色を映したような青は吸い込まれそうなほど美しい。

 

「おねえちゃん、これ、なんておはな?」

 

 デイルが、花を指差す。

 

 太陽に向かって大きく開いた、オレンジや黄色の明るい花だ。

 

「これは『ガザニア』だね。花言葉は『きらびやか』、そして……あなたを誇りに思う、かな」

 

 エルシアの記憶によれば、この花壇を作ったのは母様だ。

 

 魔力が少なくて落ち込んでいた娘のために、少しでも元気が出るようにと、明るく前向きな意味を持つ花を選んで植えていたのかもしれない。

 

 そう考えると、この庭の景色がより一層、鮮やかに見えてくる。

 

 その時だった。

 

 背後の小道から、ザッ、ザッ、と優雅な足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「エルシアに、デイル? あら、私の花を見ていたの?」

 

 振り返ると、そこには太陽の化身のような女性が立っていた。

 

 エルシアの母、ヘルミナ・ラーザン・アシュレイン。

 

 腰まで届く波打つような金色の長髪に、宝石のような琥珀色の瞳。


 光を浴びて輝くその姿は、先ほどの女神よりもよほど神々しく見える。

 

 彼女はふわりとドレスの裾を揺らして、私たちの前に屈むと、愛おしそうに二人の頭を撫でた。

 

「お花、きれいだったよ!」

 

「ふふ、ありがとうデイル。お母さん、頑張って手入れした甲斐があったわ」

 

 母は鈴のような声で笑うと、私の顔を覗き込んだ。


 その瞳には、隠しきれない安堵の色が浮かんでいる。

 

「二人とも、そろそろお昼の時間よ。今日はシェフに頼んで、特製のクリームシチューを作ってもらったの。皆で食べましょう?」

 

「わーい! しちゅー! たべる!」

 

 デイルは、嬉しそうに屋敷の方へと駆け出していった。


 子供の元気さは見ていて気持ちがいい。

 

 シチュー……か。

 

 その単語を聞いて、私は苦いような、懐かしいような記憶を呼び起こされた。

 

 前世の私は、壊滅的に料理が下手だった。

 

 材料の分量は「適量」という名の目分量。


 加熱時間は、だいたい火が通るまで。

 

 さらに悪いことに、マンドラゴラの粉末やサラマンダーの尻尾を、隠し味に入れてしまう癖があった。

 

 その結果、出来上がるのはいつも、毒々しい紫色をしてボコボコと泡立つ、地獄の窯のようなスープだった。

 

『先生のシチュー、美味しいです』

 

 それでも、あの弟子は笑って食べた。

 

 スプーンですくうと糸を引くような怪しい液体を口に運び、「見た目はアレですけど、味は最高ですよ」と言ってくれたのだ。

 

 あいつ、味覚が壊れていたのか、それとも気を使っていたのか……。

 

 今となっては、確かめる術もない。

 

 ただ、あの時「美味しい」と言われて胸が温かくなった感覚だけは、嘘ではなかったはずだ。

 

 料理の湯気の向こうにあった笑顔。

 

 あれがすべて演技だったのなら、あいつは大魔導師よりも役者になるべきだったろう。

 

 しみじみと過去の感傷に浸りながら、デイルの小さな背中を見送っていると、ふいに温かい手が私の頬に触れた。

 

「……エルシア?」

 

 ハッとして顔を上げると、母が心配そうに眉を下げて私を見ていた。

 

「少し顔色が悪いわよ……。これ以上、無理はしないで」

 

 その声色は、真剣そのものだった。

 

 彼女は知っているのだ。


 私が魔力のコンプレックスから、隠れて無茶な特訓をしていたことを。


 そして、そのせいで倒れかけたことを。

 

 責めるような言葉は一切ない。


 ただ、娘の身を案じる母の愛情だけがそこにあった。

 

 前世では、誰かに体調を気遣われることなんてなかった。

 

『魔女様なら大丈夫でしょう』


『あなたに風邪なんてひく機能があるのですか?』

 

 周囲の人間にとって、私は不老不死の超越者であり、守るべき対象ではなかったからだ。

 

 けれど、今は違う。

 

 私はただの、六歳の女の子だ。

 

「……うん、ごめんなさい。もう無理はしないよ、お母様」

 

 私は自然と笑みを浮かべていた。

 

 作り笑いではない。


 心の底から湧き上がる安心感が、表情筋を緩ませる。

 

「それならいいの。さあ、行きましょう。美味しいものを食べて精をつけないとね!」

 

 母は花が咲いたように微笑むと、私の手を優しく包み込んだ。

 

 その手は、デイルの手とはまた違う、大人の、守ってくれる人の温かさがあった。

 

 引かれるままに歩き出す。

 

 右手に残るデイルの感触、左手に感じる母の温もり。

 

 私は母の背中を見上げながら、小さく息を吐いた。

 

 日差しの温かさも、花の美しさも、そして家族の優しさも。

 

 二度目の人生では、これらを取りこぼさないように生きていこう。

 

 食堂からは、食欲をそそる甘い香りが漂ってきている。

 

 今度のシチューは、紫色ではない、真っ白で優しい味がするはずだ。

 

 私は母の手をぎゅっと握り返し、一歩、また一歩と、幸せな食卓へと歩を進めるのだった。

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