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第26話 戦端は突然に

「なんだと……!?」


 父が絶句した。


 グレイル村。


 領地の東端にある、小さな開拓村だ。


 数百の魔物? ありえない。


 普段の群れなら数十がいいところだ。


 明らかに異常事態。


 私はハッとしてクロを見た。


 クロもまた、東の空を睨みつけ、喉の奥で低く唸り声を上げている。


 間違いない。


 あの戦熊――ベアロスが言っていた「襲撃計画」が、始まったのだ。


「アミナ! 直ちに騎士団を招集せよ! 第一部隊から第三部隊まで、すべてだ! 私も出る!」


「はっ! 直ちに!」


 アミナが影のように走り去る。


 父は母とデイルに向き直った。


「ヘルミナ、デイルを連れて屋敷の奥へ。警備兵を配置させる。決して外に出るな」


 父の低い、しかし有無を言わせぬ命令が、練兵場の空気を一瞬で凍りつかせた。  先ほどまでの和やかな祝祭の雰囲気は霧散し、そこに冷たく鋭い「戦場」の気配が満ちる。


「あなた……どうか、ご無事で」


 母、ヘルミナの顔からは血の気が引いていた。けれど、彼女は辺境伯の妻だ。取り乱して泣き叫ぶようなことはしない。  震える手でデイルを強く抱きしめ、夫の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


「パパ……?」


 状況が飲み込めないデイルが、不安そうに父を見上げる。


 父は一瞬だけ、痛ましげに眉を歪めたが、すぐに鋼の理性を被り直した。


「アミナ! 使用人たちも全員、シェルターへ避難させろ。私が戻るまで、屋敷の門は決して開けるな!」


「はっ! 畏まりました!」


 アミナが即座に応答し、踵を返した。


 その動きに迷いはない。


 彼女の中で、すでにスイッチは「日常業務」から「非常事態対応」へと切り替わっている。


「奥様、デイル様、こちらへ! 急いでください!」


「ええ……行きましょう、デイル」


「う、うん……」


 母はデイルの手を引き、屋敷の方へと走り出した。


 走りながら、母は周囲に呆然と立ち尽くしていたメイドたちにも声を掛けていく。


「あなたたちも! 仕事はいいから、今は身を守りなさい! 地下の食料庫へ!」


「は、はいっ!」


「急げ、急げ!」


 悲鳴にも似た応答と共に、メイドたちが蜘蛛の子を散らすように駆け出す。


 そんな中、母が足を止め、振り返った。


 その視線が、その場に縫い付けられたように動かない私を捉える。


「エルシア! あなたも来るのよ! 早く!」


 母の必死な叫び。


 私は拳を握りしめ、唇を噛んだ。


 行けない。


 私はそちら側へは行けない。


 六歳の子供を、そんな激戦地に連れて行く親はいない。


 だからこそ、今のこの混乱に乗じて、私を安全圏へ追いやろうとするだろう。


 でも、ダメなのよ。


 私は首を横に振った。


 数百の魔物。しかも、統率された軍隊。


 これは、ただの暴走ではない。


 背後には、恐らく私の魔法知識を悪用している誰かが、明確な殺意を持って仕掛けてきた戦争だ。


 父の剣技や、既存の戦術だけでは対処しきれない可能性が高い。


 私が行かなければ。


 私の魔法で、その理不尽な数を薙ぎ払わなければ、この領地は沈む。


「エルシア!?」


「ごめんなさい、お母様。私は行けません」


私の拒絶に、母が驚愕の表情を浮かべる。


 それを遮るように、黒い影が私の視界を横切った。


「ミャウ!」


 クロだ。


 デイルと遊んでいたはずのクロが、ふわりと宙を舞い、私の右肩にストンと着地した。


 そのアメジスト色の瞳は、鋭く東の空――黒い煙が上がり始めている方向を睨み据えている。


 やる気満々ね。


 クロの体から、熱い魔力の奔流が伝わってくる。


 その重みが、私の背中を押す。


「ローウェン様! 馬の準備が整いました!」


「第一小隊、出撃準備完了!」


「よし、行くぞ!!」


 練兵場の入り口付近が慌ただしくなる。


 武装した騎士たちが次々と馬に跨り、槍を掲げている。


 その先頭には、愛馬である黒毛の駿馬に跨った父の姿があった。


 父は一瞬だけこちらを見た気がした。


 だが、言葉はなかった。


 今は一分一秒が惜しい。


 娘と問答している時間などないのだ。


 彼は私をアミナに任せたと判断したのだろう。


 前を向き、高らかに号令をかけた。


「全軍、私に続け! グレイル村を死守せよ!!」


「「「オオオオッ!!」」」


 地響きのような鬨の声。


 蹄の音が轟き、砂煙を巻き上げて、騎士団が猛スピードで門を飛び出していく。


 その背中が、みるみるうちに小さくなっていく。


 私も動こうとした、その時だった。


 鋼鉄の万力のような力が、私の左腕を掴んだ。


「なりません、お嬢様」

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