その大穴にロキあり
ロキ様に出会ったのはニ年程前。
エルフの里アルファインの結界近くで、地を揺るがす轟音が鳴り響きました。
アルファイン大森林は迷いの森と呼ばれ、生息する魔獣や魔族達も里の結界に意図せず近づくと聖大樹様の力によりいつの間にか道に迷った挙句、森の外側へと追いやられる構造となっているのです。
さては敵襲の一大事かと、アルファイン特務防護班から私を含む「月光」三名が斥候に出ました。
我々エルフの永遠にも等しい寿命の中で研鑽を積んだ武術や魔術を持ってすればたまたま迷い込んだ魔族如きなら数名で十分なはずでした。
聖大樹様の導きにより、異変の現場はすぐに突き止められました。そこには何かが空から堕ちてきた様な大穴が黒々と開いていました。
三人は大穴近くの大木の太く伸びる枝の上に居た。
アイーシャの部下の一人サラが指示を請う。
「アイーシャ様、如何なさいますか?」
「隕石の類いかと思いましたが、穴の奥から感じる禍々しいほどの魔力、看過出来ません」
それにもう一人の部下、栗色の髪を後ろで纏めたエラが答える。
「見たところ、物音もせず、堕ちた衝撃で行動不能かもしれません。いっそ、このまま埋めてしまいましょうか?」
「……そうですね、エラの土魔法で攻撃しつつ穴を埋めてしまいましょう。強者であれば何か反応があるはず、油断は禁物ですよ」
エラは左手で印を結び無詠唱で大穴の上空に先端が鋭利に尖った岩石の塊を大量に作り上げると、右手で素早く操作して大穴に向かって投げ入れた!
「うわぁ、エグい……」
エラの横でもう一人の部下サラが顔を顰めてドン引きした。
その時、穴の奥から僅かに声が聞こえた。
「い、痛い……これは……死ぬる……」
エラは驚いた(あれほどの大量の岩石(しかも鋭利な)を食らって痛い?それだけ?)
「エラ、穴を埋めるには足りない様です。もう一度やったんなさい!」アイーシャは無慈悲に指示を出す。
「やったります!」
エラはもう一度、更に大量の岩石を作り出し、穴に向かって右手を振り下ろす。
しかし、それらは穴に落ちる寸前で停止し、逆に徐々に上へと押し除けられていく。
穴から両手を掲げて徐々に男が現れた。裸に白い布切れだけを腰に褌のように巻いている。その顔も身体も血と土に塗れている。
「やったんなさい、やったります、じゃねぇ!君達なんなの?挨拶も会話も無しに埋めて無かった事にするとか野蛮過ぎるだろ!痛ってーな……」
アイーシャは剣の柄に手を掛けたまま素早く男の懐へ飛んだ。
「ガラ空き!」
アイーシャの魔力を込めた抜き胴が決まった、かに見えた。しかしすれ違い着地した彼女の刀身は無惨に折れ、そこから伝わる衝撃で手が痺れ顔を歪めざるを得なかった。
「だーかーらぁ、痛えーって言ってんだろ!これ見てみ、こっちは事故ってんのよ。はい、そっちはそっちで新たな岩を作らない!」
「あ、はい、すいません!」
エラは思わず謝って作り出した岩を引っ込めた。
「いいか?俺に害意は無いし、戦うつもりもない。目を覚ましたら空から岩が降ってきてほぼ全弾命中した通りすがりの可哀想な男だ」
男は必死にこの場を丸く収めようとしていた。
アイーシャは遠目から近づく魔物の気配に緊張を緩めずに言った。
「害意は無い?貴様が轟音と土煙りをたててアイツらを手引きしたのであろう!」
「ん?あーなんか飛んで来てるね、ガーゴイルの大群ってとこか」
「白々しい、自ら引き込んでおいて」
「んなわけあるか!……とは言え、結果的にそうなったかもしれんな……。ではこうしよう、アイツらは俺が片付けるし、あけた大穴も塞ぐ、折れた君の剣も元通りに直そう」
アイーシャは疑いの目を隠すこともなく鼻で笑って言う。
「面白い、ボロボロのその身で出来るものならやって見せろ」
「よし承った!」
迫り来るガーゴイルの大群は凡そ三百、男は頭上に持ち上げたエラの岩石を粉々に砕いた。
(あーらら、あんな事出来るの?こりゃ無理、勝てっこないわぁ……)
エラは自らの岩石が見事に砕けるのを見て悟った。
男はガーゴイルの大群が頭上に至るまで待ち呟いた。
「音速で貫け」
その瞬間であった。
粉々に砕けた岩石がわずかな風切音と共に大群なす魔物の頭部を寸分の狂いなく貫いた!
魔物は自分の生命が一瞬で失われた事に気付かずに二、三度羽ばたいた後落下した。
男は散らばりながら落ちるそれを大穴に纏めて放り込み、貫いた岩石で埋めたのだった。
「こんなもんで良いかね?他の魔物に掘り返させない様に大きな岩でも乗せとくかい?」
アイーシャは呆気に取られていた事を気づかれぬ様に冷静を装う。
「あ、いや、そのままで良い。本来この辺りまで魔物の類が寄りつく事はない」
「なるほど聖樹の加護に守られてるのね……あーそうそう、君の剣も新たな刀身にしといたよ。前より丈夫だし、俺の魔力も少し込めておいた。良く斬れるから俺に斬りかかっちゃ駄目だよ」
アイーシャは、ダラリと下げた左手の剣が重みを増している事に今更ながら気がついた。それは折られる前の銀色に輝く刀身では無く、黒光りしながら僅かに紫の魔気を纏っていた。
「これの何処が元通りか!こんな……こんな……」
「あー、まぁ気に入らなきゃさっきのなまくらに戻しても良いのだが」
「こんな……禍々しくも恐ろしい、どんな魔物も真っ二つに出来そうな剣にしおって……あの、あ、ありがとう」
顔を顰めながら素直に礼を言うアイーシャを好ましく思い男は満面の笑みを浮かべ自己紹介した。
「俺の名はロキ。後は……正直なところ目を覚ます前の記憶が全く無いんだ。恐らく記憶を消されている。俺の魂に誓って本当だ」
「そうか……まぁ不可抗力でここに堕ちたなら致し方ない事。早々にここを立ち去り、二度と戻ろうとは考えないことだ」
「冷たいなぁ、そろそろ日が暮れるし、食事の出来る宿まで案内願いたいんだけど。あと出来れば風呂にも入りたい」
「見て分からぬか?我らはエルフの民、里は男子禁制だ」
「へぇ、エルフの里って男子禁制なんだ、知らなかったのか記憶が飛んでるのかわからんが、初耳だよ。じゃあさ、名前だけでも教えてくれない?俺も自己紹介したんだし」
それを聞いて、エラとサラは思った。
(ふん、エルフが人間の男に簡単に名を告げる訳あるまい。我らは秘された伝説上の存在、今や殆どの者が姿を見たことも無い幻の様なもの……)
「ア、あの……アイーシャ……」
(言っちゃった、アイーシャ様ー!)
「ん?ちょっと聞こえなかったんだけど、アアノ?」
「アイーシャだ!」
(大きい声でハキハキと言っちゃった!)
「アイーシャね、名前を教えてくれてありがとね。記憶を無くしてから初めての知り合いだ。君ら二人もね」
「わ、わたしはエラ……あっちにいるのが」
「サラ……です」
「お前ら、そんな簡単に名を告げるな!」
(良く言うわぁ、アイーシャ様……)
「アイーシャ、エラ、サラ、改めて迷惑かけたね、すまない。もう会えないかもしれないが、名前は覚えておくよ」
そう言って立ち去ろうとしたロキにアイーシャが声をかけた。
「あの、里へは入れないが、結界の外に見張りの小屋があります。風呂というわけにはいきませんが、近くに水場もあるので汚れを落とせるかと……」