十文字
「私が殺る!」
ノアがアイーシャを背中に乗せたまま急降下していく。眼下には圧縮袋から抜け出たウィガンが走り出していくのが見えた。向かう先にはゴーズがあちこちに開けた穴。
レイスはそれを見て、巨大ゴーレムの長に指示する。
「ジョージィ、穴を塞げ!」
巨大ゴーレムの長ジョージィは穴までの距離を測り、数歩進んで、巨大な身体を倒れ込ませながら叫んだ。
「散開!」
ノアの背中で立ち上がったアイーシャが首から頭へと猛然と走り出す。日本出張用の美しいドレスを靡かせながら、アイーシャは、ノアの頭から踏み切る。
「真・抜刀雷撃」
左腰の鞘に手をやり、居合の構えを見せながら空中で回転しながら狙いを定める。
「斬!」
アイーシャが稲妻を纏う刀身を抜き、ウィガンの首根に向けて薙ぎ払う。
その瞬間、ロキがアイーシャに叫ぶ。
「アイちゃん、十文字!」
横へ薙いだ勢いを殺さず、上段から真っ直ぐに振り下ろす十文字斬り。
ロキとアイーシャはロキ邸のトレーニングルームで特訓した新技である。
⸻回想⸻
ロキ邸、トレーニングルーム。
「ふっ、ふっ、ふっ」
ロキがスピンバイクを漕ぎながら、アイーシャの居合斬りの稽古を眺めている。
「斬!」
アイーシャは構えを戻し、精神を集中し、居合を繰り返す。
「斬!」
「アイちゃんさぁ、居合って初撃を避けられたらどうすんの?」
「居合は一撃必殺です。二撃目は基本考えられてません」
「ふ〜ん、でも実戦では避けられることもあるわけじゃない?」
「私は避けられたことなんてありません。全て一撃で屠ってます。魔王の一派も全て」
ロキはスピンバイクから降りてアイーシャの前に立った。
「はぁ……何ですか?」
アイーシャは挑戦的なロキの態度が気に入らない様子でため息をついた。
「全力でほれ、斬ってみ?」
「模造刀とはいえ、当たったら痛いですよ?」
「いいよ、集中して殺すつもりで来な、エルフ最強の魔剣士」
アイーシャは腰を深く沈めて左腰の鞘に左手をかける。右手はぶらりと垂らしている。
空調の音だけが僅かに聞こえる。2人の間だけ、空気が止まったように見えたその瞬間、
「斬!」
目にも止まらぬ速さで右手が刀を抜いて刀身をロキの胴体に送る。
手応えを感じたアイーシャ、そのままロキの身体を薙ぎ払うが、突然感触が消えた。ロキの身体がまるで幻影のように歪んだかと思うと、刀身はするりと通り抜けてしまった。
アイーシャは残心を解いて、模造刀を鞘に納めると地団駄を踏みながら顔を真っ赤にして怒った。
「ロキ様、キモい! ズルい!」
「いや、こういう敵もいるかもよって話。実戦なんて化け物だらけなんだから。だから一撃必殺は理想として、二撃目の練習もしようよ、ね、アイちゃん」
「ふんっ、一応、居合十文字斬りって、薙いでから振り上げて袈裟斬りにする技がありますけど……」
「いいじゃん、それ!」
⸻⸻
アイーシャの刀身がウィガンの首根に届く間際、ウィガンは50cmまで縮めた身体を更に小さく縮小させた。
刀身はウィガンの頭上を掠めるに終わった。しかし、アイーシャはそのまま刀を上段に構え、ウィガンに間を与えず袈裟斬りにした。
ウィガンはここで、絶対に死なないという執念を見せた。身体を縮めながら更に身を屈め、穴に向かって頭から滑り込んだのである。
アイーシャの切っ先はウィガンの背中に届いたが、僅かに傷を与えるにとどまった。飛び降りた勢いのまま転がるアイーシャ。
瓦礫の転がる地面を、土煙りを上げながら滑り込むウィガンと、散開しながら穴を塞ぐ巨大ゴーレムがほぼ同時であった。
土煙りが晴れ、ミニゴーレム達で塞がれた穴の上にウィガンの姿は無かった。
「ロキ様!」
アイーシャがロキを振り返る。
「惜しかったね、アイちゃん。でも追わなくていいよ。どこに逃げたかはわかっている」