郷愁の香る教室から。
5
斯くして壇上へ上がったのは、1人の中年の男性だった。
山賊を思わせるような粗野な容貌。
赤い、ウェーブのかかった長めの髪と鋭い眼光、そして頬の傷と眼帯。
重苦しそうな軍服をはだけさせ、筋骨隆々とした筋肉美をリネンのシャツから覗かせるその姿は、腰の黒いカトラスと合間ってまるで日向側の人間とは一線を画していた。
直前の紹介通りなら、彼がこの冒険者学校の校長ということになりそうだが……ヤンキー校のテッペンだと言われた方が、まだ納得がいきそうな気がする。
「あー、テステス。
……うん、このマイクロフォンとかいう魔導具、いまいち声が大きくなってるのかわからねぇんだよなぁ……。
まぁいいや、魔導具音痴にゃあ、自前の叫びで充分だろ」
魔導具音痴。
その言葉に、私は嫌な予感を覚え、耳を塞ごうと手を上げた──直後だった。
「よく来た馬鹿野郎共ぉぉおおおお!!!!」
キィィイイイイン──。
黒板を爪で掠るような、甲高いハウリングが場内の生徒たちの耳を貫いた。
魔力を使って声を大きくする仕組みなのだろう、それゆえに魔力を孕んだ大音響は、彼ら彼女らの鼓膜を揺らすのみならず、体内の魔力までも振るわせる。
「おぇ……きもちわる……」
目の前が、まるで渦を巻いているようだ。
吐きそうで吐かない、車酔いに似た気持ち悪さに悶えていると、レヴィアが私の頭を抱えるようにして心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫、リューちゃん?」
「ごめん……ちょっと無理かも……」
寺院で魔力量を増やす訓練をしていたのが仇になったか。
思わぬ弱点に涙目になりながら、チラリとアレジアを見る。
竜人族は身体能力だけでなく、魔力もそれなりに高いと聞く。
となると、私と同様、彼女も相当なダメージを食らっていると思ったのだが──。
「鍛え方が足りんのぅ」
「なんで無事なんだよ……」
恨めしそうに呟くが、しかし自慢げに笑みを浮かべるだけで何も答えてくれなかった。
察するに、何らかの方法で抵抗したのだろう。
生前嗜んでいた数ある創作物の中から近しいものを参照するに、おそらく鱗が魔力を弾くのか……いや、全身を覆っているわけじゃないから違うか。
なら別の方法で……たぶん、ノイズキャンセラーと同じ仕組み? それとも魔力が揺れないように固めて?
ロケットや戦闘機に乗るパイロットは、その体にかかる強大な重力に耐えるために、全身の筋肉に力を入れ、血液が下方に溜まって失神するのを防ぐ訓練をすると聞いたことがある。
おそらくその応用で何か……くそぅ、気持ち悪くて頭が回らない……。
「あー、すまん!
スイッチを切り忘れていたようだ!
何人か酔ってしまったようだな、申し訳ない。
──しかし、冒険にハプニングは付きものだ。
そうは思わないかい?」
子供のように楽しそうな声で、場内の新入生に訴える校長。
「しかし、冒険者たるもの、どのような事態に直面しようとも、常に冷静であるべきだ。
冷静さを欠けば判断が鈍り、仲間を危機に陥れ──最悪、パーティが全滅することも珍しくない。
冒険者になったばかりの若者が全滅する多くの原因はパニックだからな。
というわけで、ここで一つ、パニックから復活するコツを教えよう」
一拍ほどの間。
その無言の空白に、その場にいた全ての意識が誘い込まれていく。
「──呼吸だ。
普段の呼吸を続けること。
それが、命を守ることにつながる」
曰く、呼吸というものは精神活動に大きく影響を与えるらしい。
緊張すれば呼吸は浅く早くなるが、対してリラックスしていれば呼吸は深く遅くなる。
呼吸が深く遅くなると筋肉が弛緩し、緊張によって体が強張る状態から抜け出せるのだという。
言われて自分の呼吸に意識を向けてみれば、確かに浅く早くなっている気がした。
肩が上がって、首の辺りが詰まっている感じもする。
──それを、自らの意思で解いていく。
「深呼吸だ。
忘れるな、どんな時も深呼吸を大事にしろ」
徐々に、酔いが覚めていく感じがする。
なるほど、これはいい話を聞いた。
「うん、いい面構えになった。
──が、そんなことだけでどうにかなるほど、冒険者業は甘くはない。
今教えた呼吸の極意は、あくまで基本だ。
そして、これからお前たちが学ぶ剣術や魔法、サバイバル技術なんかも基本に過ぎない。
授業で学んだことばかりで慢心せず、それを応用し、自分のものにできるように頑張れ。
──以上だ」
校長先生は最後にニヤリと笑みを浮かべると、舞台袖へと消えていった。
基本は極意だがあくまで基本に過ぎず、必要なのは応用力、か……。
6歳児にはなかなか難しい言葉だな、なんて思いながらレヴィアを見上げると、やはり案の定理解できていないのか、考えるのをやめた顔をしていた。
***
入学式が終わると、担任の先生に従って教室へ向かうことになった。
人混みの中からでは、あの小柄な金髪の少女のような先生の姿は簡単に見失ってしまってもおかしくはなかったが、右目を隠す眼帯と顔の傷跡から望める冒険者としての玄人の纏うオーラは仰々しく目立っていた。
(あの人がうちの先生か)
種族としては、おそらくハーフグリント族だろう。
低い身長と金色の髪、それから長く尖った耳ともみあげの特徴的な三つ編みは、ハーフグリント族の特徴である。
たしかフィレンツェ先生の話によれば、人魔大戦時代からの移民だという話だ。
ハーフグリントは体が小柄で身軽、器用ですばしっこく、ゲーム的にいえば器用さと素早さに全振りしたみたいな種族だから、冒険者として世界各地に散らばっているのかもしれない。
ちなみに、私がハーフグリント族を見かけるのは今日が初めてだ。
「3人とも同じクラスでよかったね!」
先生が無気力そうに掲げる『1年7組』と書かれたプラカードを追いかけながら、レヴィアが口を開く。
「そうだねー、私とレヴィアは同じクラスって知ってたけど、アレジアも7組だったのは奇跡だよね」
「まったくじゃな」
冒険者学校のクラスは、全部で12組まであるらしい。
1クラス30人前後のように見えることから、概算、一学年だけでも360人ほどいることになる。
そこからたまたま偶然席が隣2つ空いていたという理由から仲良くなった子が、これまた偶然同じクラスというのは、果たしてどれほどの確率になるのだろうか。
先生について教室の扉を潜ると、日本の小学校と大差ない景色が広がっていた。
外観ばかり気を取られて、洋画に出てくるような階段教室を想像していただけに少し残念である。
慣れ親しんだ手触りの黒板や折れたチョーク、黒板消し。
その両隣に作られた掲示板には、時間割らしきものが掲示されている。
(魔法教育とサバイバル基礎がほぼ毎日入ってる……。
流石冒険者学校だなぁ……)
なつかしい雰囲気に、感慨深いものを覚える。
ここに掃除当番とかのルーレットとかクラス全体への連絡とかが貼られるようになるんだよねぇ。
そして教室の後ろにはランドセルを入れるロッカーがあって……教室の隅には掃除用具入れがある、と。
同じだ。
体感20年近い過去の郷愁に浸りながら、ちょうど黒板に描かれていた座席表に視線を送った。
「こっちが黒板だから、私の席は……ここか」
先生の指示に従って、合格通知の時に配られていた出席番号を元に、自分の席に移動する。
2人とは少し席が離れてしまったが、まぁ仕方あるまい。
私は真ん中あたりに割り当てられた席に腰を下ろすと、斜め前方に見えるアレジアと、席を1つ開けた向こうに腰を下ろすレヴィアに手を振った。
「ンじゃ、全員席についたナ」
柔らかい鼻声を部屋全体に行き渡らせながら、担任が教壇に立つ。
その横には、いつの間にかロマンスグレーのおじさまが恭しく立っていた。
(全然気配がなかった。
いつからいたんだろう?)
気配とかそんなものを感じられるようなレベルではないが、それにしても存在感がなさすぎて恐ろしい。
きっと、相当な手練れなのだろう。
「オレの名前はフランチェスカダ!
これからテメェらの担任としテ、主に座学を教える事になっているンだが……正直ダルいンで、大半はこのマルコが教えることになると思う! ヨロシク!」
グッ、とサムズアップして、堂々とサボタージュを宣言するフランチェスカ先生に、教室中が困惑に包まれた。
隣に侍っているマルコさんも、呆れた様子でハンカチで汗を拭いながらヤレヤレと肩をすくめていたし、たぶん、よくあることなのだろう。
「えー、マルコです。
お嬢……フランチェスカ先生はご覧の通りの方なので、どうか悪しからず」
「いや悪しかるでしょ!」
すかさず、レヴィアがツッコミを入れる。
「ちょ、レヴィア!?」
思わず止めねばなるまいと席を立つが、しかし彼女の勢いは止まらない。
「先生なのに先生しないなんておかしいと思います!
ゼーキンの無駄遣いだと思います!」
「ほぅ、貴様、教官であるオレに意見するカ?」
ニヤ、と怖い笑みを浮かべるフランチェスカ先生。
しかしレヴィアは止まらない。
「キョーカン? が何か知らないけど、関係ないよ!」
「面白い! マルコ、こいつに座布団をくれてやレ」
「持ち合わせがありません、お嬢様」
「なんだヨ、用意しとけヨ使えねぇナ」
む、無茶振りがすぎるぞこの先生……。
この先大丈夫なのか、このクラス……。
唐突に始まる謎の掛け合いに、もはやどんな表情を浮かべればいいのか分からずオロオロしてしまう。
……とりあえず、レヴィアが先生と喧嘩しなさそうで良かった……のかな?