♯7 意外と浮かれていたらしい?
マルタは辺境伯夫人として、まだまだ未熟だ。
一般的な貴族の教育は受けているものの、そういう肩書のある立場に相応しいそれではない。
それを補うために、リブロ辺境伯家の執事ロベルトに色々教わる事になった。
本来であれば執事だけではなく、辺境伯夫人であったダグの母親からも、教えを乞うべきだろう。
しかしマルタはそれが出来ない。
別に仲が悪いからとか、認められていないからとか、そういう事情ではない。
単純にダグの母親がここにいないのだ。
これにはダグの父親――つまり前辺境伯が関係している。
ダグの父親は、ちょっと、というか、かなり戦いが好きなタイプだった。
そしてある日、唐突に、
「俺はもっと強い奴と戦いたい。後の事はダグに任せる」
と書置き一つ残し、旅に出て行ったそうだ。何とも自由な人である。
驚いた事に、その時にはダグに爵位を譲る手続きまで済ませていた。
それを手紙で知った母親が、
「あの野郎……ぶっ飛ばして連れて帰って来るわ……!」
と怒りの形相で追いかけて行ったらしい。
それはダグがガイコツになる前の話だった。
そういった事情で、いつ戻るか分からない二人の仕事を引き受けたダグは、ほぼ仕方なく辺境伯にならざるを得なかった、というわけだ。
そしてマルタはそんな義両親とは、ダグに出会ってから一度も会った事が無い。
◇ ◇ ◇
「マルタ様、マルタ様。今日のおやつは何だと思います? アリスはベリータルトを推してきました!」
「マルタ様、マルタ様。エリカはベリーパイに一票いれてきました!」
その日の昼食後。
マルタがロベルトから仕事を教わっていると、ひょっこりと顔を覗かせた双子のメイド達が、そんなにぎやかな報告をしてくれた。
ベリータルトにベリーパイ。どちらもマルタは好きだ。朝食のベリーのジャムもとても美味しかった。
「うーん、悩ましいですねぇ。ロベルトさんはどうですか?」
「私はチーズケーキに一票を投じてきました。上にベリージャムの乗った」
「あ~、それも良い!」
メインではなく、主役をそっと添えるベリーも良い。
どれが選ばれるか想像するだけでワクワクする。
頭の中で三つのお菓子を思い浮かべていると執事は「ではお二人は、仕事を再開してくださいね」と告げる。
メイド達はにこにこ笑顔で「はーい!」と戻って行った。
「マルタ様、朝もですが、お騒がせして申し訳ございません」
「いえいえ。私、こういうの好きなので嬉しいですよ」
ロベルトの言葉にマルタは笑顔でそう返した。
特に気を遣って答えたわけでもなくマルタの本音だ。
マルタの実家であるエスタンテ家も、使用人達との距離が近く、適度に緩やかだ。
けれどリブロ辺境伯邸の使用人達はそれ以上である。賑やかで、親しみがあって、明るい。
貴族によっては眉を顰められるかもしれないが、マルタにとっては好ましいものだった。
息が詰まらない。肩ひじを張る必要がない。
それはもちろん品のない行動を取って良いという話ではないが、ここでは適度に自然体で過ごせる。
そういうのがマルタには有難かった。
「伸び伸びと働ける職場って事ですよね。とても良い事だと思いますよ。辛くて、怖くて、でも仕方ないから働いているのって、お金のためでもきっと辛いですし」
「おや、マルタ様はどこかで働いた事がおありですか?」
「……なんて、以前に読んだ本に書いてあって。受け売りなんですよ」
ロベルトの言葉にマルタはそう答えた。
その本というのは『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』なのだが。
あの物語は可愛らしいタイトルにも関わらず、意外と現実の問題が取り上げられているのだ。
そんな事をマルタが言えば、ロベルトは「なるほど……」と興味深そうに軽く頷いた。
「現実と本のお話は違いますけれど、そうだったらいいな~って思っていたので。だからここはとても素敵だと思いますよ」
「……ふふ。マルタ様はダグ様と少し似てらっしゃいますねぇ」
「ダグと?」
「ダグ様もどうすれば私達が働きやすいかを、よく考えてくださっているのですよ。もちろん私達だけではなく、リブロ辺境伯領の領民達の事も」
ロベルトは誇らしそうな表情でそう言った。
それを見てマルタは、ダグは本当に好かれているんだなぁとしみじみ思った。
まだ付き合いの浅いマルタから見ても、ダグは気さくで優しい人だ。
けれどもただ優しいだけでは、人からはこうも好かれない。行動もちゃんと伴っているのだろう。
「そんなダグ様が、フフ……」
「どうしました?」
「いえ、浮かれていらっしゃるな、と思ったので」
ロベルトは楽しそうにそう話す。
そうなのだろうか。長い付き合いの彼が言うならそうなのだろうが、マルタには分からなかった。
何か嬉しい事とか、楽しい事でもあったのだろうか。そう思いながら首を少し傾げていると、
「マルタ様とお話するのが、とても楽しそうなのですよ」
なんて言われてマルタは目を丸くした。
「わ、私とですか? あんまりこう、楽しい話題提供は出来ていないのですが……」
「そんな事はありませんよ。先ほども、お部屋に戻るダグ様をお見かけしましたが、ずいぶんご機嫌でしたし」
そう聞いて、さらにマルタは深く首を傾げた。
部屋に戻る前と言うと、倉庫の辺りでした会話くらいだろうか。
確かにダグからはお礼を言われたが、内容はそんなに楽しいものではなかった気がする。
結構、好き勝手な事を言ったし。
(……だけど、嫌じゃないと思って貰えたのは、良かったな)
マルタはそんな風にも思った。
ホッとしたり、少し嬉しかったりでマルタがフフ、と微笑んでいると、
「ダグ様の奥様が、マルタ様で良かったです」
とロベルトは言った。えっ、と思って見上げれば、彼は優しい眼差しをこちらに向けている。
「その評価をいただくのは、ちょっと早いと思いますよ」
「いいえ、そんな事はありませんよ。……ダグ様があのお姿になった後、心無い言葉を投げかける方もいました。ダグ様は気にしてはいないご様子でしたが……我々は、私は、とても悔しかったのです」
ですから、とロベルトは胸に手を当て、
「ダグ様が嬉しそうなのが、私もとても嬉しいのです。ありがとうございます、マルタ様。どうか、これからもダグ様をよろしくお願い致します」
深く、頭を下げた。
マルタは目を見開いて、思わず立ち上がる。
「こちらこそ! こちらこそ、まだまだ全然、足りませんが……頑張りますので、よろしくお願い致します」
そして同じように頭を下げた。
少ししてお互いに顔を上げる。少し困った顔で笑うロベルトと目が合った。
「マルタ様、執事に頭を下げてはなりませんよ」
「あう、癖で」
「癖?」
「人に何かを頼む時、踏ん反り返っているのは好きじゃないんですよねぇ」
マルタは実家でも、そこはたまに注意されているが、なかなか治せない。
たは、とマルタが笑っていると、ロベルトはくすくす笑った後、
「実はダグ様も同じなんですよ」
「ダグも?」
「はい。……マルタ様はやっぱり、ダグ様と少し似ていますね」
なんて、言ってくれたのだった。