♯5 自分の安売りはダメですよ
ダグに案内されたのは、リブロ辺境伯邸の地下にある、倉庫のような部屋だった。
階段を降りて行った先の、やけに頑丈な扉を開けて中へ入ると、マルタは思わず「うっ」と顔を顰めた。
(あちこちに天恵が働く……)
この天恵は、実害のある中で、危険度の度合いによって嫌な気配は強くなるが、倉庫の中から感じるのは微弱なものがほとんどだ。
恐らく『微弱になった』と言う方が正しいだろう。時間が経って危険度が薄れたのだとマルタは思う。
今のところは先ほどロベルトが見せてくれた魔水晶が、一番嫌な気配が強い。
そんなマルタを見てダグは腕を組んだ。
「その反応を見ると、やっぱりそうか~」
「あの、ここにあるものは?」
「ああ。ここしばらくの間、うちで起きた色々で、気になったものを保管していてさ」
そう言いながら、ダグは近くの箱を開け、中から羽根を取り出した。
大きい黒色の羽根だ。
「これはツタガラスの羽根」
「ツタガラスと言うと、深い森に生息している、カラスの姿に擬態する植物の魔物ですよね?」
「そうそう」
本で読んだ知識を思い出しながらマルタが聞けば、ダグは頷いてくれた。
「これが線路の近くに出た」
「!」
マルタはぎょっと目を剥く。
先ほど言ったが、ツタガラスは森の奥深くに生息している魔物だ。
姿こそカラスのそれを取っているが、その実態は植物。地面に根を張る魔物だ。
空を飛ぶ――ような事もするが根があるため、そこまで高くも遠くも移動できない。
擬態した姿に近寄って来た獲物を根で絡めとり、地面に引きずり込んで養分にする――それがツタガラスの生態だ。
ダグが取り出したツタガラスの羽根は『羽根』と名がついているものの、実際は葉である。その証拠に、近くで見れば乾燥してカサカサとしていた。乱暴に触ればパラパラと壊れてしまうだろう。
まぁ、それはそれとして。
深い森にいるはずのツタガラスが、何故、線路なんて人里の近くに来ているのか。
「ツタガラスは移動が出来ないはずですよね」
「そうそう。稀に動く事もあるけど、大体は、地亀や地竜あたりの移動に巻き込まれてって事が多いからなぁ」
「……もしかして他にもこういう事が?」
「あるよ。この辺りに保管してあるのは、大体がそういう魔物の素材の一部なんだ」
それに、とダグは続ける。
「線路付近には魔物除けが設置されている。魔物が近寄って来づらくなっているから、頻繁に起こるのは異常なんだ」
「異常……。……ちなみにこれらが出た時間帯は?」
「夜だよ」
マルタが聞けば、ダグはそう答えてくれた。
ふむふむ、とマルタは顎に手を当てる。
確かに夜は凶暴な魔物が活動する時間だ。けれども――――。
「グリフォンの活動時間は、基本は昼間……ですよね?」
「おっ、よく知っているな~」
「クロエちゃんで読みまして。ちなみにツタガラスの情報もそこです」
「マジか。すげぇ気になって来た。夜に一冊貸して貰って良い?」
「もちろんですとも!」
なんて、少々話題は逸れたが。
グリフォンのところへ話を戻すが、やはり活動時間は昼間で正しかったようだ。
クロエちゃんが間違っていなかった事にマルタは安堵しつつ、新たに浮かんだ不安を口にする。
「……それは完全に狙ってきていませんか? その、ダグを」
「そーなのよねぇ。どうも、それっぽくてさぁ」
困ったもんだよ、とダグは肩をすくめた。
「行動が異常な魔物が出てくるのは全部が夜。だからうちの領民への被害は出ていない」
「ダグが倒しているからですね」
「うん。ま、俺だけじゃないけどな。付き合ってくれる奴らもいるしさ。……だけど、犯人が特定し辛くてなぁ」
「と言いますと?」
「魔物を連れて来るってのは、なかなか危険な作業だし、目立つだろ? 痕跡も多少はある、けれど、犯人までどうしても繋がらない」
「それは……」
厄介な話だとマルタは思った。
ダグの言った通り、普通ならば目につきやすい事なのだ。
ダグを狙っていると仮定すると、この街――領都から、そう遠くに放っては意味がない。
街から近いという事は、必然的にバレやすい。にも関わらず判明していないとなると、相手はだいぶ慎重か、協力者が多数いるか、もしくは厄介な天恵持ちかの何れかだろう。
「こう、重い物を運んだような、車輪の跡とかは」
「ないんだよな~」
「わあ……お化けみたいに出て来る……」
「そうなんだよ。俺もその技使いたい、お化けみたいな見た目してんのに出来ないし」
「あら、見た目はガイコツでも中身は人間でしょう、ダグは。そりゃ出来ませんよ」
「え?」
茶化すように言ったダグにマルタがそう返すと、彼からは目を丸くされてしまった。
何かおかしい事をいっただろうかとマルタは首を傾げる。
「…………中身」
「だって中身、人間でしょう」
「…………」
改めて言うと、ダグはポカンとされてしまった。
どうしてそういう反応になるか分からない。
(あれ、もしかして何かこう、失礼な事を言ったのでは……!?)
考えて、マルタが辿り着いたのはそこだった。
どうしよう、仲良くなろうとした矢先に、これはまずいのではないだろうか。
あわあわとマルタは慌てて、
「しっ失言でしたかね!?」
と聞くと、ダグは噴き出すように笑う。
楽しくて仕方がないというような笑い声だ。
「ハハハ、いやいや、失言じゃないよ。まったく! むしろ、俺の方が失言だったよ」
「えっ、ダ、ダグの方がですか?」
「そうそう。ごめん、自虐だったわ。俺としたら何て事はないんだけどさ、見た目で気遣われる事が多かったから。空気を和ませようとして、ネタで使っていた」
「…………」
ダグの話を聞いてマルタは目を瞬いた。
同時に、少し、理解した。
彼が今までどんな言葉を向けられていたのかを。
「それはダメです」
「?」
「和ませるためでも、自分を安く売ってはダメです。姿がどうとか、そんなものは二の次です」
マルタは彼の空洞の目を見つめ、そうはっきり言う。
人は基本的には見た目で判断する生き物だ。
中身を見ている人間は確かにいるけれど、それでも、多くは、見た目から得た情報を思考に取り入れる。
ダグはガイコツ姿だ。彼がどういう事情でこうなったかは、マルタは知らない。
けれどもダグはガイコツ姿でなかったら、もっと、立派な女性と結婚していたのだという事はよく分かっていた。
ガイコツ姿じゃなかったら、マルタに声なんてかからなかっただろう。
学生時代だってそうだ。二つ年上のダグとは接点もないし、彼の周囲にいた人達の雰囲気とマルタはまるで違う。
マルタは平凡だ。悪い事はしないけれど、貴族女性としてはごくごく平凡なのだ。
頭の良さも普通だし、何かすごい功績を立てているわけでもない。どちらかと言えばインドア派で、ダグは恐らくその逆だ。
マルタが誇れる事と言えば、没頭できるくらい好きな物に熱意を持てるだけ。
ダグを支えて共に歩くパートナーは、本来であればマルタではない。
もっとちゃんと、しっかりとした人間であるべきだったのだろう。
その間に愛情とか、そういのがあればまだ良かったが、マルタとダグにはまだそういうものはない。
誰も言葉にはしないけれど、きっと、そうだったはずだ。
だから自分で自分を貶めるようなダグの発言を、マルタは聞き逃せなかった。
「申し訳ない事に、あなたの努力と研鑽を私はまだ、そんなに知りません。けれども、それを知っている人はきっと多くいます」
話ながらマルタは、ツタガラスの羽根を持つ手とは逆の彼の手を、自分の両手で取る。持ち上げて、そっと握る。
「あなたが気遣われたくない事を気遣う人のために、あなたが自分を貶める必要はないです」
「――――」
マルタがそう言うと、ダグは驚いたように固まった。
それから彼は少しだけ視線を彷徨わせて、
「…………そっか」
と呟く。
「そうですとも。……ちょっと偉そうに言っちゃいましたけど、ダグが気を遣わなくても良いんですよ」
「そっかぁ」
彼はもう一度、今度はしみじみとそう言うと、ツタガラスの羽根を箱に戻す。
そして空いた手をマルタの手に添えた。
「ありがとう、マルタ。……何か、嬉しいよ、そう言って貰えて」
「お礼を言われるような事じゃないですねぇ」
「俺としてはお礼を言いたい事だったよ」
そしてダグはフッと微笑んだ。
「俺は良い奥さんを貰ったなぁ」
「私の方が良い旦那様をいただいたと思いますけどねぇ。お互い様――になるには私の方がだいぶ足りていないので、頑張りますけれども!」
「いや~、それを言うなら俺の方が、全然、足りていないよ」
そのままダグはマルタの手を見下ろして。
「ありがとうマルタ。……ありがとうな」
そして、ぎゅ、と少しだけ強く添えた手を握って、そう言った。