♯29 きっとそれは同じだから
翌日の昼過ぎ。
ダグ達が諸々の仕込みに入っている間、マルタは自分の部屋でリブロ辺境伯の歴史についてまとめられた資料を読んでいた。
何だかんだで今回の計画でマルタに出来る事は、当日以外にほとんどない。なので自分は普段通りにしていた方が良いかなと、資料を読んで勉強をしていた。
そうしていると、ふと耳に、パタパタと廊下を駆ける音が聞こえた。だんだんとこの部屋に近づいているようだ。
おや、意外。その足音にマルタはそう思った。
リブロ辺境伯邸はのびのび自由な雰囲気ではあるが、こういう部分は執事のロベルトが目を光らせている。
廊下は必要時以外は走らない。一応、そういう決まりがあるらしい。
なので珍しいなぁとマルタが本を読む手を止めて顔を上げ、音の方へ顔を向ける。すると同時にドアが開いて、メイドのアリスが駆け込んできた。
「マルタ様! マルタ様! 大変です!」
入るなりアリスはそう言った。どうやら今は一人らしい。
いつも双子の片割れのエリカと一緒にいるイメージがあったのだが、今回はそうではないらしい。
ついでにノックがなかった事からも、事態の緊急性が感じられた。
「どうしたんですか、アリスさん」
「喧嘩なんです!」
「おや、うちのお屋敷で喧嘩とは珍しい。どなたがなさっておいでで?」
「ラズ様とエトナ様です」
「えっ」
思わずマルタは目を剥いた。
喧嘩をするにしても、まさかその兄妹が喧嘩をしているとは思わなかったからだ。
ぎょっとしてマルタは立ち上がる。
「な、何が理由で……!?」
「マルタ様、マルタ様! とにかく来てください~! ダグ様もロベルトさんもいないから、止められるのマルタ様だけなんです~!」
アリスはそう言ってマルタの腕を、抱きしめるように両手で掴む。
その二人じゃないと止められないレベルの喧嘩を、果たしてマルタが止められるかどうか。
そう考えて一瞬『無理では……?』とマルタは思ったが、とは言え、二人の喧嘩を放置するわけにもいかない。
「わ、分かりました! いえ、実際にはまだよく分かりませんが、案内してください」
「はい!」
マルタが頷くと、アリスはホッとした顔で、そのままの態勢で歩き出した。
引っ張られるようにマルタはそれについて行く。
(何か喧嘩になるような事ありましたっけ……)
部屋を出て、廊下を歩きながらマルタは考える。
しかし今一つ思い当たる事が無い。
マルタは二人の事をよく知っているわけでもないが、仲の良さそうな雰囲気しか見ていないので、喧嘩と聞いてもどうにもピンと来なかった。
まぁそれだけに、よほどの事があったのだろう――そう思って、はたとマルタは真顔になった。
(いや、待てよ。よほどの事、確かあったな……?)
付け加えるとエトナに黙っている事が。
まさかあれじゃあないだろうなと思いながら、マルタが歩いて行くと、
「兄さんの馬鹿ーッ! 本当に馬鹿ーッ!」
なんてエトナの怒りの声が響いてきた。ラズに宛がわれた客室から聞こえてくるようだ。
「ああ、これやっぱり……」
ラズとエトナが喧嘩をしていて。声の雰囲気から察するに怒っているのはエトナで。
そうなればもう、マルタが想像した通りの理由のセンが強い。
つまり――ラズとエトナの恋人が起こした一件で、こうなっているという事だ。
ラズ達の一件については、まだエトナには話していない。
情報が洩れるのを防ぐためと、体調がまだ完全に戻っていない彼女にそんな事を伝えたら、より具合が悪くなってしまうかもしれないと危惧したからだ。
恐らくそれが裏目に出たのだとマルタは察する。
「いやエトナ、これには深い事情が……」
「あったって許されるものじゃないでしょう! ラズ兄さんもミゲルも、何て事をしたんですかぁっ!」
ラズの部屋に近づくと、開けっ放しになっていたドアから、そんなやり取りが聞こえて来る。
意を決して中へ入ると、顔を真っ赤にして怒るエトナと、困り顔のラズ、あわあわとしているエリカの姿が目に映る。
「エリカ! エリカ! 来てくれたわ!」
「アリス! アリス! 助かったわ!」
まずはアリスが自分の片割れに声を掛けると、エリカの表情がパッと明るくなった。
そしてぱたぱたとマルタ達の方へ駆け寄って来る。
「ええと、事情は何となく察しましたが、一体どうしてこういう事に?」
「エトナ様のお身体の調子が良くなって、何かお手伝いがしたいって言って下さったんです。でも、そんな事をしていただくわけにはいかなくて」
「ロベルトさんに怒られちゃうものね、アリス!」
「ええ、怒られちゃうもの、エリカ! でも断り切れなかったんです。なら、厨房で味見くらいなら良いかなって! そうしたら」
「そうしたら?」
「ラズ様に頼まれた、ミゲルさんへの差し入れが、そこにあったんですよ」
「あー……」
ハハハ、とマルタは思わず乾いた笑いが出た。
何となくその後が読めたが、マルタは「そして?」と続きを話してくれるよう促す。
「ラズ様の妹だから問題ないだろうって思ったらしくて、牢屋で捕まえている奴への差し入れなんですよって、そこでうっかり言っちゃったらしくて!」
「それでエトナ様、おかしいなって思って、ご自分で調べたそうで、その結果が今の状態です!」
「ああ~、とても優秀!」
そう言ってマルタは頭を抱えた。
そこでうっかり洩らしてしまったとしても、ラズとミゲルに関する情報はしっかり伏せていた。
何なら捕まえている人間の情報だって、ほとんど外へは出していないと聞いている。
それでもその中で、伏せきれなかった僅かな情報をかき集めて事実に辿り着けるとは、エトナはかなり優秀な部類に入るのではないかとマルタは思った。
思ったが、出来ればそれは今、発揮して欲しくない奴でもあったが。
マルタは「うーーーーん」と長めに唸った後、とりあえず二人を止める事にした。
しかしただ声をかけても、ヒートアップしているエトナの耳には届きにくいだろう。
なのでマルタは、アリスに手を放して貰ってから、自分の両手を大きく開き、
パァン、
と打ち鳴らした。
良い音が喧嘩の声すら貫いて、部屋中に響く。
「えっ!? え、あ……マルタさん……!?」
その音に、エトナが反射的にこちらを振り向いた。
そしてマルタを見ると目を大きく開く。ラズもだ。
「はい、マルタです。お二人共、声が外まで漏れていますので、落ち着いて落ち着いて」
ね、と微笑むとエトナは「すみません……」としゅるしゅる肩を落とした。
何とか多少は落ち着いて貰えたらしい。
ほっとしながら、
「とりあえず、一息入れて、お話しましょうか」
と提案した。
◇ ◇ ◇
マルタとダグ、ラズの三人はそれからダイニングルームに移動した。
アリスとエリカに淹れて貰ったお茶を飲みながら、マルタが喧嘩について話を聞けば、おおよそは想像していた通りの状態だった。
ラズとミゲルがが起こした一件――まぁ主犯はカイではあるが――を知ったエトナが怒りのままにラズの元へ突撃したらしい。
その時の鬼気迫る表情と言ったら、双子のメイド曰く「リブロ辺境伯家の血を感じました!」との事だ。
マルタが見たのは片鱗だが、本気で怒らせるとリブロ家の血筋は相当怖いらしい。なるべくそういう事態にならないように気を付けよう、なんて思いながらマルタはミルクティーを一口飲んだ。
「なるほど、事情は分かりました。そうなると、黙っていた私も同罪ですね」
「マルタ様は何も悪くありませんわ。完全に巻き込まれただけですもの」
マルタが言えば、エトナは首を振ってそう言う。
まぁ確かにリブロ辺境伯家に絡んだ事情については、マルタはほぼほぼ部外者だ。
結婚したから関りがあるだけで、そうでなければ何一つ関係がないお話である。
けれども、マルタはダグと結婚したのだ。彼の奥さんが自分なのである。
「最初はそうでも、今の私はダグの奥さんですから。関係はあるんですよねぇ。だから、黙っていて申し訳ありませんでした」
「…………いいえ。いいえ、私は」
マルタが謝罪をすると、エトナはしょんぼりと肩を落とす。
それから少し間を開けて「違うんです」と零した。
「黙っていた事を、怒っているんじゃないんです。私のためにミゲルは罪を犯そうとして、ラズ兄さんが全部を一人で何とかしようとした事に、怒ったんです」
「そうですねぇ。それはダグも言っていましたよ」
「ダグ兄さんが?」
「はい。ラズさんに信用されていなかった事がショックだったって」
エトナの怒りの理由を理解して、マルタは軽く頷きながらラズの方へ目を向ける。
彼は苦しそうに顔を歪めていた。
「信用されない事が悲しい。二度目でしたね、ラズさん」
「……ああ。俺は、とんだ馬鹿野郎だ」
「はい。まぁ、それで。――それはエトナさんもですね」
「え?」
それからマルタは今度はエトナの方を向く。
エトナは目を瞬いて首を傾げた。
「ミゲルさんとの事、聞きました。内緒にしていた事も」
「それは……」
「言えなかったんだろうなぁというのは、私にも分かります。貴族ってそういうところが面倒ですもんね」
今でこそ多少緩くはなってきているものの、基本的に貴族は家格や血筋を大事にしている。
その理由は色々あるが一番は『誇り』だ。祖先から受け継いできた功績が、そこには詰まっている。それを途絶えさせなかった事に対しても意義を見出す。
マルタも貴族だが、その辺りはそこまで重要視はしない。人は人、家は家。そういう考えを両親から受け継いでいるからだ。
だけれども、だからと言って、その『誇り』を馬鹿にするような気持ちは無い。
まぁ、そんな状況であるので、友人関係はともかく、いずれ結婚を考えるかもしれない相手との付き合いに関しては、今も向けられる目はなかなか厳しい。
だからエトナは周囲に自分の恋人の事を言えなかったのだろう。
その気持ちはマルタも理解できた。黙っている後ろめたさはもちろんあっただろうが、そうでなければ引き離されてしまうと恐れたのだ。
だけれども、それはある意味で、ラズ達のした事と同じなのだ。
「でもね、エトナさん。それでも、だんだん世の中は変化しています。貴族だからとか、平民だからとかじゃなくて、その人がどういう人間か、そしてお互いをどう想っているかが大事な世の中になってきています」
これは想像ではなく、実際にマルタはカルム王からそう言われた。
王はエスタンテ家だけではなく、マルタがどういう人間かを評価してくれたのだ。
今はまだ難しい。けれども王がその考えを受け入れているのならば、この先、そうなっていく可能性は大きい。
いつか貴族と平民の結婚が、特別おかしいと思われなくなる世の中が来る。もっと言えば貴族とか、そういう身分がただの役職になるような世の中になる事だって大いにあるのだ。
だから。
「ミゲルさんは真っ当に働いていたのでしょう? ならラズさんは、あなたとミゲルさんの事を反対したりはしないと思いますよ」
ね、とマルタがラズを見れば、彼は少し虚を突かれた顔になった。
それから指で頬をかいた後「心情的には、一度はしたいけれど」とシスコンらしい事を呟いて、
「身辺調査はする。その上でエトナとミゲルがお互いを大事に想っているのなら……俺は反対しないよ」
と言った。エトナの目が大きく見開かれる。
ふふ、とマルタは微笑んだ。
「ですからね、エトナさん。あなたはちゃんと、お兄さんを頼ってみたら良いと思いますよ。そういう信頼は、お互いにあるでしょう?」
「…………」
マルタがそう言えば、エトナの瞳からぽろっと涙が一粒落ちた。
それは少しずつ増えて、ぽたぽたと、両目からどんどん零れ落ちる。
「はい」
嗚咽を堪えたように、エトナの顔がくしゃりと泣き笑いの表情を浮かべ、
「はい……!」
二度目は大きな声でそう言って、エトナは頷いた。




