♯26 ブティック『ラナンキュラス』
昼過ぎ。運よく都合が合って、アパレルショップの店主はやって来てくれた。
事前に内容を説明していた事もあり、店主はモーニングコートと、それに合わせるパンツやカフスも準備してくれている。貴族や裕福層が利用する店だけに、生地も服のデザインもすべてが一級品だ。
エルダはご機嫌にそれらの服をダグに合わせてみては、あれこれ楽しんだ後――マルタが見ても一番似合っているなと思った物をダグは購入した。それとは別に、マルタがこれ着て貰いたいなと思った服も一着頼んでおいたが、こちらは内緒である。堂々と外を歩ける日が来たら渡すのだ。
さて、そんな服のサイズ調整は店でやってくれる。完成したらエスタンテ家に届けて貰う事にした。
どの道ガーデンパーティーの件で王都にはまた来るのだ。その時は今回と同じようにエスタンテ家に滞在すれば良いし、ここで着替えれば良い。
マルタがそう言うとダグとラズはちょっとだけ申し訳なさそうに、エルダは「またお着換えしましょうね!」なんてにこにこ笑顔で、メディオは苦笑した。
さて、そうしてエルダに付き合ったマルタ達は翌日、魔導列車に乗ってリブロ辺境伯領へ戻って来た。
時間は二十時過ぎ。空を見上げれば星がキラキラと瞬いている。王都で見た星空とは、また一味違う輝きをしていた。
色々あって結婚して、その後も何だかんだあって、こうして星空を見上げた感想を抱くのは、そう言えばなかったなとマルタは思う。
ここは心地良いし、人々も優しいけれど、それでもやっぱり緊張していたらしい。それを自覚してマルタは小さく笑った。
「マルタ、どうしたの?」
「いえいえ。何かこう――まだまだ新鮮に感じるなと思いまして」
馴染んでいないとか、そういう意味ではないけれど。
いつかその新鮮さに慣れて、ここが実家の時と同じように「いつも通りの星空」に見えるようになる時が来るのだろう。
そう思ったら、少し不思議な気持ちがした。
慣れたいような、それでもまだまだしばらく新鮮な気持ちでいたいような。
そんな事をマルタが言えば、ダグは「そっかぁ」と楽しそうに笑う。
そうして微笑み合っていると、二人の後から列車を降りたラズが、
「マルタさんのご両親みたいになりそうな予感がするなぁ」
なんて呟いていた。
それから彼は大きく伸びをしてから、マルタ達に向かって手を差し出した。
「それじゃあ、俺が荷物を屋敷まで運んでおくから、二人でブティックへ行って来な」
「えっ、いえいえ、ラズさん。それはさすがに悪いですよ。荷物重いですし」
「リブロ辺境伯領の人間は、そんなに貧弱じゃないんだぜ、マルタさん」
「ラズ兄、それなら一緒に屋敷へ戻ってからでも」
「おいおいダグ。屋敷に戻っていたら、二十一時過ぎてしまうだろ。そんな遅くにマルタさんを連れまわす気か?」
マルタが遠慮すると、ラズはニッと白い歯を見せて笑った。
マルタは自分の荷物を見下ろす。中くらいのトランクケースが一つ、ダグも同じだ。
今回は実家に泊まったので、それほどたくさん着替え等が必要なかったからである。
けれども、マルタとダグ、それからラズのトランクが合わせて三つ。さすがに重いだろうと思っていると、ラズはひょいひょいとマルタ達の手からトランクケースを受け取ってしまう。
「はいはい、俺の方は良いから行って来なさいって」
「……分かった。ありがとう、ラズ兄。後でお酒奢るよ」
「おっ、嬉しいね。それじゃあ、また後でな、二人共」
ラズはそう言うと、そのままトランクを三つ抱えて歩いて行ってしまった。
後ろ姿を見る限り無理をしている様子もない。
ラズはあまりがっしりとした体格ではないものの、腕力はしっかりあるようだ。細マッチョ、という奴なんだろうか。
すごいなぁなんてマルタが思って見ていると、
「マルタ、とりあえず行こうか」
「はい、行きましょうか」
とダグに促され、一緒にブティックに向かって歩き出した。
夜のリブロ辺境伯領の領都ウルメはこの時間でも明るい。夜遅くまで営業をしている店が多いからだ。
王都だとお酒類を提供している店は二十四時近くまで開けているが、ここでは違う。それ以外の、例えばこれから行くブティック等も営業しているのだ。
その話をマルタはリブロ辺境伯領に嫁いで少し経ってから教えて貰ったが、実際に見たのは初めてだ。
王都でも夜の外出は滅多にしないので、これもこれで新鮮である。
わあ、と楽しくなって辺りをきょろきょろしていると、
「マルタ、楽しい?」
「はい、楽しいです! 夜のウルメの街、明かりが綺麗ですねぇ。特に、あの街灯とか建物にぶら下がっているランプとか」
歩きながらマルタは指さす。
その先には幾つもの星が重なった街灯や、開いた本の形をしたランプがキラキラと輝いていた。
硝子細工だろうか。そう思って見ていると、
「あれはリブロ硝子だね。魔水晶から、うちの職人が作った奴なんだよ」
とダグが教えてくれた。
(魔水晶……)
その単語に、マルタは先日、グリフォンから出て来たというアレを思い出した。
マルタの天恵が働いたあの魔水晶。そう言えば、あの後は特に、マルタの天恵は何も察知をしなかった。
ラズを明確に味方に出来たのが大きいのだろう。周辺で何も起きていないのは良い事だが――何も起きないのは起きないで少し心配にもなる。
(私の天恵は広範囲は無理ですからねぇ)
もっと強く、もっと広く。
確かにそういう天恵持ちも稀には存在する。
しかしそのレベルまで来ると、この国の研究機関にお世話になる事になってしまうので、それはそれで遠慮したいなぁともマルタは思う。
別に自由がないわけではないし、非人道的な実験や研究をされるわけではないけれど、そうなってしまったら趣味に没頭する時間が減ってしまうじゃないか。
国や人々の役に立てるならマルタも吝かではないけれど、それはそれ、これはこれだ。マルタにとって『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』の存在はとても大きいのである。
ちなみにダグとの結婚が決まった時も、趣味の時間はだいぶ減るだろうなぁとは思っていた。
けれども実際に来てみれば、リブロ辺境伯夫人に必要な勉強の時間はもちろんあるけれど、趣味の時間もちゃんと取れる、とても心と身体に優しいスケジュールなのである。
ダグと過ごす時間も好きだし、リブロ辺境伯邸の使用人達も優しいし、ここ以上に素晴らしい嫁ぎ先なんてマルタにあっただろうか。
(いや、ない。ぜったいにない)
マルタは断言できる。本当に自分は運が良い。
ありがたいなぁと思いながら歩いていると、ブティックに到着した。
お洒落な看板には『ラナンキュラス』という名前が綴られている。
ダグがドアを開けてくれて中へ入ると、店内に飾られている花からふわりと甘い香りがした。
「あらあらまぁまぁ、ダグじゃない! やっと来たのね、もう、チキンなんだから!」
中へ入ると店の人間が直ぐに出迎えてくれた。
うっとりするほどの美人だが――背丈が高く、肩幅が広く、そして声も低い。
あれ、とマルタが思っていると、ダグは半眼になった。
「おいダリオ、誰がチキンだ、誰が」
「だって『これだ!』って決めてからそこそこ経つじゃないの。何をモタモタしているんだって思っていたのよ」
「こういうのは順序ってもんがあるでしょうよ」
「チキン」
「一言で切り捨てられた……」
見ていると、二人は何とも気安いやり取りをしている。
するとダグがハァ、とため息を吐いた後、マルタの方へ顔を向けた。
「マルタ、ごめん。この失礼な男は、俺の幼馴染のダリオ・ヴォレだよ。ここの店主なんだ」
「初めまして、マルタ様。全然失礼じゃないあたしはダリオ・ヴォレと申します。お会い出来て光栄です」
どうやら男性だったらしい。ダリオは胸に手を当て、にこにこ笑って丁寧に挨拶をしてくれた。
「マルタ・リブロです。よろしくお願いします。良かったら、口調もダグとお話する時と同じで構いませんよ」
「あら、そう? ありがとう、そうさせて貰うわっ」
「お前な……ちょっとは悩めよ」
「あたしが普通の口調で話すと個性が消えるのよ」
「どういう理由だよ」
二人のやり取りを聞いて、マルタは思わず噴き出した。
身内のラズ相手でもダグはもう少し落ち着いていたから、このダリオという男はよほど仲が良いらしい。
これもこれで新鮮、とマルタがほっこり見つめているとダグはハッとした顔になって、少し照れたように指で顔をかいた。
「……それで、ダリオ。例のドレスを頼みたいんだけど」
「ええ、任せて! マルタちゃん、こちらよ」
「マルタちゃん……」
ダリオの言葉にダグは少々もの言いたげだったが、素知らぬ顔で彼は店の奥へ歩いて行く。
それについて行くと、店の奥――恐らく予約品を置いておくスペースに、美しい青色のドレスがあった。
それを見て、わあっ、とマルタは手を合わせた。
色合いがクロエちゃんの瞳と同じ色――マルタの大好きな色がメインで使われているドレスだったからだ。
品があり、派手過ぎず、それでいて可愛らしい。手触りも良いドレスに施された刺繍もとても美しい。
これ素敵。マルタは素直にそう思った。
そして、
(絶対お高い奴だ……!)
とも思った。
先日マルタが夜会で来たドレスよりも、明らかに良い生地が使われている。
わなわなと震えながらマルタはダグを見上げる。
「だ、だ、ダグ、まさかこれは……」
「うん。前に見かけて、マルタに似合うだろうなって。どう?」
「大好きな色ですし素敵です! ……じゃなかった、これお高い奴では!?」
「あらやだこの子素直でかわいい」
ダリオが手を口にあてて微笑ましい眼差しを向けて来る。
「そうねぇ。リブロ辺境伯領で獲れた素材で一番良い奴を使っているから、確かにお高いわねぇ」
「ですよね! ……あ、あのう、ダグ、さすがにこれはお値段が……」
「マルタ、マルタ。俺、一応、リブロ辺境伯だし、個人的にしっかり稼いでいる方だよ。魔物退治とかでさ」
「えっ? あ、はい……?」
「だからお金の方は気にしないで。お義父さんだってお義母さんへプレゼントをしていたって言っただろ?」
「それは……はい」
「だからってわけじゃないけど。……俺がマルタに贈りたいから、着て欲しいから、迷惑じゃないなら贈らせてほしい」
そう言って、ダグは真っ直ぐにマルタを見つめた。
マルタの頬にだんだん熱が集まって来る。
「……あの、えっと。迷惑じゃなくて、その……嬉しい……です」
「良かった」
真っ赤になったマルタがそう言うと、ダグがニッと笑った。彼も彼で少し照れているようで、顔が赤い。
「あらあらあら! ダグもそんな顔が出来るようになったのねぇ」
それを見ていたダリオが心底驚いた声でしみじみと呟いた。
「うふふ。マルタちゃんがダグのお嫁さんに来てくれて良かったわ。こいつ、本当にそういう方面、興味なさそうだったから」
「そうなんですか?」
「そうそう! ダグって結構モテたんだけど、ダグが好きになれた子っていなかったのよねぇ」
だから、とダリオはそこでいったん言葉を区切る。
「ダグの事をよろしくね。浮気でもしたら、あたしがぶっ飛ばしてあげるから!」
そして、そう言ってウィンクをした。それを聞いたダグは心外だと言わんばかりに腕を組む。
「しません。俺はマルタだけを好きなので。マルタ以外に興味はありません」
「あうぐう……!」
言葉の破壊力が強すぎて、マルタは唸った。今なら顔で目玉焼きでも焼けそうである。
今日が自分の命日になるかもしれない。一瞬、そんな可能性が頭によぎる。
しかし――だがしかし、ここで負けていてはいけない気がする。
そうも思ったのでマルタは、
「だ、大丈夫です! 私もダグだけが大好きなので、変な輩が現れてもガッチリ離しません!」
「あうぐう……!」
と宣言すると、今度はダグが真っ赤な顔でそう唸った。
そんな二人にダリオはポカンとなった後、
「思った以上にラブラブでびっくりよ。良い物見せてもらったわ!」
なんて、楽しそうにしばらく笑っていた。




