♯24 なぜリブロ辺境伯を狙ったか
「……なるほど、それがあったか」
カルム王が顎に手を当て、鋭い目をしながらそう呟く。
「他国の諜報員――という可能性が出てきましたか」
メアリー王妃もそう言った。
そう、マルタが示唆したのはそういう事だ。
リブロ辺境伯領は他国と隣接した場所にある重要な土地だ。他国の侵略から国を守る門のような役割を果たしている場所でもある。
今でこそ関係は落ち着いているし、強い魔物も生息しているため、すぐに何か起こるわけではないだろう。
けれども『いつか』がないわけではない。そのきっかけがこの事件だという可能性だってあり得るのだ。
「フフ……これは面白い事になってきたな。推測だけでは裁く事はできぬが、仕掛けてみる価値はある。まぁどう転んでも国内を騒がらせる輩だ、捕らえる口実になれば良い」
カルム王は少々不穏な眼差しで低く笑った。
先ほどまでの気さくな表情から一転し、獰猛さの影が見える。
部屋の温度もひやりと少し下がったように感じられた。
ぶるりとマルタが身震いすると、メアリー王妃がため息を吐いて、
「陛下。マルタさんが驚いていると言っているでしょう?」
と注意をした。カルム王は先ほどと同様に「おっと」とおどけた調子で表情を戻す。
「さて、ではどういう手で行くか」
「……あ、そうだわ。なら昼間に、ガーデンパーティーを開いたらどうかしら?」
考え始めた一同の中、メアリー王妃がポンと両手を合わせてそう言った。
「昼間ですか?」
「ええ。世間的にはダグさんは、太陽に弱いままでしょう? 昼間にガーデンパーティーを開いてそこに招待すれば、偶然を装って仕留めるにはちょうど良いと思うの。私がワガママで開いたと言う話で通しますから」
「メアリー、メアリー。私より物騒な事を言っているよ」
「あら、やだ、うふふ」
にこにこ笑うメアリー王妃にカルム王は苦笑する。
そんな二人のやり取りに、それこそ少々物騒になっていた空気が若干柔らかくなる。
「そこにギブソン・ローレルを招待するという事ですか? それはだいぶ不自然になりそうですが……」
「ああ、そこは問題ない。その辺りはカルプフェン家経由で手を回そう」
家名を聞いてマルタは目を瞬く。カルプフェンーー先ほど再開したヨルダンの実家だ。
確かにヨルダンの家はメイナード領にあるが、それがギブソン・ローレルと何の関係があるのだろうか。
そう思って聞いてみると、
「ギブソン・ローレルは、今度はカルプフェン家に投資を持ちかけているらしい。アガーテから報告があったよ」
とカルム王が教えてくれた。思わずマルタは「えっ」と声が出た。
だってカルプフェン家は人付き合いも世渡りも、それなりに上手くやっていたはずだ。
カイと違って他人から距離を置かれているようなタイプでもない。
それがどうしてギブソン・ローレルのターゲットになったのか分からなかった。
「これは公になっていない話だけれど、カルプフェン家は他人の功績を、自分のものにした事が何度かあるのですよ。エスタンテ家も昔、被害にあっているのです」
「えっ、あの、うちですか……!? でもうちはそう立派な功績なんて立てた事は……」
「マルタさんは小さい頃に、一度、ここで天恵を使ってくれた事があるでしょう?」
困惑しながらマルタが言うと、メアリー王妃からはそう返って来た。
そう言われると、確かにあるはあるが――。
「そうなの?」
「あ、はい。確かに父に頼まれて一度だけ……ですが、そんなに役に立たなかったと、大人の人達は言っていました」
「いいえ、そんな事はなかったわ。あなたの天恵のおかげで、私は大怪我を免れたのです」
「えっ!?」
これにはマルタだけではなく、ダグとラズも驚いて目を見張った。
王族絡みのちょっとした仕事としか聞いていなかったので、まさかそんなに大事だとは思っていなかったからだ。
理解が追い付かず、マルタがダグの顔を見ておろおろしていると、
「あれは本当に申し訳ない事をした。何年か経ってから、カルプフェン家が功績を横取りした事が、他の者からの報告で分かったのだよ」
とカルム王もそう言った。
「直ぐにエスタンテ家に連絡を取り対処をすると伝えたのだが『済んだ事ですし、今更その話が出ても混乱するだけしょう。ですからお気持ちだけ受け取っておきますよ』と言われてしまってな……」
「あー、言いそうですねぇ」
想像してマルタは、たはは、と笑う。
マルタの両親は野心家ではないし出世欲もない。自分に出来る事をコツコツと積み重ねて行く事が大事だと考える人間だ。
実害があり法に触れる事に関しては対処するが、そうでもなければ笑って流せるタイプである。
功績を奪われた事はもちろん実害に値するだろうけれど、家族が何か被害を被ったわけでもないので、そのままで良いと判断したのだろうなぁとマルタは思った。
(まぁアカデミー時代は面倒でしたけど)
主にヨルダンに絡まれて、だが。まぁ鬱陶しいは鬱陶しいがそれだけだ。
聞かされた今もマルタは「そうなんだ」くらいの印象しか抱かなかった。
憤慨するわけでもないマルタを見てカルム王は小さく笑って真面目な顔に戻った。
「それで、当時の真実をどこかで知ったギブソン・ローレルが、その話を広めない代わりにカルプフェン家に投資をしてくれ、と持ち掛けているそうだ」
「それをアガーテが聞いたという事ですか」
「ああ。カルプフェン家の娘から相談を受けたらしい」
「なるほど……」
話を聞いて、恐らくギブソンはカルプフェン家がヴルツェル家と縁を繋ぐ事は、想定していなかったのだろうなとマルタは思った。
完全にイレギュラーだ。けれども途中で手を引くには『脅した』という事実だけが残ってしまう。
「恐らく一度だけ、比較的真っ当な投資話を持ち掛けた後、それで終わりにする流れだろう。早く決めてくれと急かしていたそうだからね」
「それをアガーテさんが助言をして、少し待って貰っているらしいので」
「なるほど……では時間の勝負ですね。下手に長引かせると、件の話を新聞社辺りにでも流しそうです」
基本的にカルプフェン家の当時のやらかしが公表されたところで、マルタやエスタンテ家は困らない。
カルム王の話を聞く限り、国は判明した直ぐに対応してくれようとしていた。それはエスタンテ家だけではなく、把握できている他の家にもそうだろう。
(ただそうなると、アガーテさん達が迷惑を被りそうですね)
ヨルダンの婚約者とその実家だ。いくら何の関係もなくたって、人間という生き物はゴシップが大好きだ。
ある事ない事を噂されて陰口を叩かれるだろう。先ほどマルタとダグが経験したように。
思い出して、どんな相手だってそれは嫌だとマルタは思った。
「だからその前に手を打ちます。ガーデンパーティーを開いて、ダグさん達を招待するの。ダグさんは魔導列車に乗って夜会にやって来られたんだもの。同じようにしっかり着込めば平気よ――という勢いで、私がごり押しします」
とメアリー王妃が言った。
少々というよりだいぶ強引な理由だ。
しかしカルム王とメアリー王妃がダグの事を気にかけているのは、大勢の者達が知っている。
だから、
「久しぶりに会えた事で嬉しくなってしまったのだろう」
「リブロ辺境伯もそれを快諾したようだ」
という噂話をカルム王やメアリー王妃の近しい者達から流すという形になった。
こういう|想像力が書きたてられる噂話に、人は弱い。
王族絡みの一件な上に、ついに結婚したガイコツ辺境伯、なんて注目を浴びているダグだ。噂の広がりは早いだろう。
狙いはギブソン・ローレルだ。
しかし幾ら噂が流れたとしても、彼を引っ張り出すのは難しい。そもそもメアリー王妃のガーデンパーティーに呼ばれるような間柄でもないのだ。
だからそのためにカイ・リブロとカルプフェン家を利用する。
「利用と言えば聞こえは悪いが、まぁ、どちらも身から出た錆だろう」
なんてカルム王は良い笑顔で言っていた。色々と思う所があるらしい。
まぁそれはそれとして、さて、どういう風に利用するかと言うと。
まずはカイ・リブロだが、彼には息子であるラズから話が行くようにする事になった。
逃れる場所のない日差しの下で身体を晒せばダグの身体は朽ちるだろう、という情報を伝えるのである。
ダグのガイコツの身体が、ラズの天恵で見せた幻影であるという事を知っているのはほとんどいない。ここにいる人間を除けば執事のロベルトと、ダグ暗殺の実行犯として捕えているミゲルだけだ。
偶然を装って仮面の一つでも剥がせば、ダグを亡き者に出来る絶好のチャンスだ、というような事を吹き込むのである。
ただそこにもひと工夫が必要になる。
ダグの状態を知っているラズが人前でそれをするのは不自然だし、王族のいる場でそんな事をすれば領主代行の座も危うい。
だからこそ『よく知らない別の人間が必要』だと告げるのだ。
「カイ叔父さんの交友関係から考えると、ギブソン・ローレル以外に頼める人間がいないんだよな」
「人徳も人脈もないからな」
自分の父親の事だが、すでに見限っているラズはハァ、とため息を吐いた。
ある意味でカイという人間の扱い方は分かりやすい。けれども言葉にすると何とも言えない物があるだろうなとマルタは思った。
「君達にして貰う準備はそのくらいだ。次はカルプフェン家だが……これは単純に困って貰うしかないな」
「と仰いますと?」
「カルプフェン家が功績を横取りした者達を招待する。カルプフェン家にはその情報も与えておく」
「あー……つまり、針の筵的な?」
「そうだ。一応、誰か知り合いと共に参加しても良いと許可を出しておくが、カルプフェン家と交友関係のある家には断るように根回しをする」
「そうすれば唯一根回しをしていない知り合いの貴族――ギブソン・ローレルを連れて来るでしょう」
うふふ、とメアリー王妃は微笑んだ。彼女も彼女で、ちょっと笑顔が怖い。色々と思う所があるようだ。
マルタは二人の事をそんなには知らないが、不正をした人達に緩い対応をするほど、甘い人達ではなさそうである。
それにしても、交友関係すべてに根回しをというのは可能なのだろうか。
「カルプフェン家の交友関係は、把握されているのですか?」
「ええ。私達にも調査を仕事としている者達がいるし、ヴルツェル家や信頼できる他の者達に協力をして貰っているから」
マルタが聞けばメアリー王妃はそう答えてくれた。
ヴルツェル――つまりヨルダンの婚約者のアガーテの家だ。
王家にプラスして騎士団の副団長の家や、カルム王とメアリー王妃が信頼している者達が協力してくれているなら安心である。
大がかり過ぎる気もするが、他国の諜報員の可能性も浮上して来たし、何よりギブソン・ローレルは兼ねてより問題視されていた貴族だ。カルム王やメアリー王妃はこの機会に一気に叩くつもりなのだろう。
自分達だけが計画するならば不安だが、王族も交えてのそれならば、上手く行きそうな気がする。
「でもね、ギブソン・ローレルが他国の諜報員の可能性が出なくても、あなた達の力にはなりたいと思っていたのよ」
「ああ、その通りだ。ダグはもちろんだが、マルタさん。あの時君はメアリーを助けてくれたのに、それをエスタンテ家の功績にしてやれなかった。だから困っている事があったら、必ず、力になりたいと思っていたのだ」
「ええ。諸々の調整はこちらでするわ。だから……マルタさん、私に、あの時の恩返しをさせてくれないかしら」
カルム王とメアリー王妃は真っ直ぐにマルタを見つめて来る。
功績とか、恩返しとか、そんな事をして貰おうとはマルタは思っていなかった。
けれどもその気持ちは有難いし、何より、マルタの事を知って、そして覚えていてくれた事が何よりも嬉しかった。
「ダグ、どうしましょう」
「どうしたの?」
「嬉しい」
「そっか」
小さい声でダグにそう言うと、彼は微笑んでくれた。
それからマルタはカルム王とメアリー王妃の方へ、改めて向き直り。
「陛下、王妃様……。ありがとうございます、よろしくお願いいたします!」
そしてマルタとダグ、それからラズも揃って頭を下げると、カルム王とメアリー王妃はホッとしたように微笑む。
色々な事実が見えて来たが、とにかくそれを明らかにするのはこれからだ。よし、とマルタは気合を入れる。
そうしていると、
「やはりダグと君の結婚を打診して良かったよ」
と、カルム王は小さく笑ってそう言った。
「そう言えば俺はマルタと結婚出来て良かったですが、どうしてそうされたのですか?」
「何、簡単な事だよ。エスタンテ家がとても家族思いだからさ」
ダグの疑問にカルム王はそう答えてくれた。
「毒にも薬にもならぬ、などと心無い言葉を言う者もいるが、エスタンテの者達は真面目だ。そして彼らは根っからの善人だ。それにマルタさんは相手を見たままで判断しないと、アカデミーの教師や彼女の友人達が話してくれた」
それは初耳だ。調査は、ダグとの結婚を打診された時点でされただろうが、皆が黙っていたところを見ると、しっかり口止めもされていたようである。
友人達やアカデミーの教師からもそういう評価をいただいていたのかと思うと、マルタは少しこそばゆくなった。
カルム王はそんなマルタと、そしてダグを見て、
「合うだろうな、と思ったのさ」
なんて言って、お茶目にウィンクをしたのだった。




