♯22 いわゆるカウンター的なつもりだった
王族主催の夜会は、マルタが参加した事があるものよりずっと華やかだった。
楽団の演奏が始まると、その音色に合わせて空中を、光で出来た五線譜がキラキラと舞い始める。
<幻覚系>の天恵の一種だ。出所は指揮者――彼女の持つ指揮棒がその光を動かしている。
指揮と天恵を同時にこなすあたり、相当、腕の良い指揮者なのだろう。
マルタはそれを見上げて、ふわぁ、と感嘆の声を漏らした。
実はマルタが王族主催の夜会に参加するのは今回が初めてだった。
ご存じの通りエスタンテ家は真面目な事が取り柄の、貴族の中では真ん中くらいの家柄だ。
特に大きな功績を立てる事もなく、コツコツと仕事をしているから、基本的には目立たない。
それでも見ている人は見ているようで、真面目な仕事ぶりを評価され、招待状自体はたまに届いていたのだ。
けれども幾ら招待状が届いても、その時マルタは夜会に参加出来る年齢ではなかった。
だから両親や兄姉は参加して、マルタは家でお留守番だったのだ。
とは言え、別に羨ましいと思った事は一度もない。むしろ一人家に残った事で、これ幸いにと遅くまで本を読んでいたくらいだ。
そして帰宅した両親から叱られるまでがセットだが――まぁそんな感じである。
こんなに綺麗だったんだなぁと思いながら楽団を眺めていると、
「それじゃあマルタ。先に陛下へご挨拶に伺おうか」
そうダグが言った。
そうである。想像以上に綺麗で思わず見惚れてしまっていたが、今回の夜会の主な目的はそこだ。
なのでマルタも頷いた。
「そうですね。ラズさん、ちょっと行ってきます。失礼がないように妖精王に祈っておいていただけるとありがたいです」
「オーケー。でも祈ったところで、それは解決しないからなぁ」
「ラズ兄ってわりとドライだよね」
「祈りで気持ちは救えるけど、現実は救えないからな」
ラズはウィンクをしてそう言った。
子供の頃からずっと苦労をしているラズの言葉は、マルタの耳になかなか重く響いて来る。
ただ彼の表情は、先日よりずいぶん明るくなっていた。色々あったし、解決出来ていない物事も多いが、それだけは良かったとマルタは思う。
「じゃあ、頑張れ。何かあったらすぐに駆け付けるからさ」
「ああ、頼むな~」
「お願いします」
軽く手を挙げて見送るラズに、マルタとダグはそう返すと、カルム王の元へと向かう。王の隣には彼の奥方のメアリー王妃の姿もあった。
近づいて行くと、マルタ達と同じく王に挨拶するために人々が集まり、列ができ始めている。
ちょっと待ちそうだなと思いながら、マルタとダグはそこに並んだ。数人先にアガーテとヨルダンの背中も見える。
せっかくなのでと人々を観察していると、賑やかな声に混ざってひそひそと、マルタ達に向けた陰口のようなものが聞こえて来た。
「あれが噂の……」
「本当にガイコツだ、恐ろしい……」
「次の辺境伯は養子でも取るつもりなのかしらね……」
すべてを聞き取る事は出来ないが、大体はそんな声だった。ついでに好奇の眼差しも向けられている。
マルタだって気付いたのだ、気配の察知に慣れたダグなら、もっと前から聞こえているだろう。
しかし彼が気にした様子はない。
(……たぶん、この対応が正しいんだろうなぁ)
馬鹿にしたい奴には言わせておけば良い。
陰口を言い慣れた人間は、下手に噛み付けば余計にこちらを攻撃してくるものだ。
分かってくれる相手だけ分かってくれれば良い。
そうマルタの父メディオは言っていた。
メディオはエルダと婚約したての当時、色々とやっかみや嫉妬を受けたそうだ。
陰口はもちろん、陰湿な嫌がらせもされた事があったらしい。
けれども父はやり返したりはしなかった。法に触れた事柄に関してのみ淡々と対処していたらしい。
そうしている内に、そういう相手は反省して謝罪を受したり、勝手に諦めて行ったりしたそうだ。
だからたぶん、マルタもそうした方が良いのだ。
だけれど。
(それはそれで面白くないんですよねぇ)
見た目がガイコツだろうが何だろうが、ダグはダグだ。
マルタは別にダグがガイコツ姿だから同情して結婚したわけではない。
もちろん最初から好意を持っていたとかそういうのでもないし、完全にお互いの都合が良かったからそうなった政略結婚だ。
けれどもダグはマルタに紳士的に歩み寄ってくれた。マルタも歩み寄ろうと思った。仲良くやれたら良いなと思った。
そうして交流していく内に、ダグの事がだんだん好きになっていたのだ。
その好きな人が陰口を叩かれて、それを黙って聞いているのは、正直だいぶ嫌だった。
なので。
「ダグ、ダグ。ちょっと良いですか?」
「何だい、マルタ」
「お耳を拝借」
「耳?」
マルタがそんな事を言い出すと、ダグはきょとんとした顔になる。
空洞の目を丸くして、僅かに首を傾げたが、とりあえずと言った様子で左耳側をマルタに近づけてくれた。
よし、とマルタは気合を入れる。
そして少し背伸びをしてダグの耳――ではなく、その横の彼の頬に、ちゅ、とキスをした。
とたんにダグはピシリと固まる。ややあって、骨の白い顔がちょっと赤くなった。
「マ、マルタ? 突然どうしたの、嬉しいけど」
「虫除けにはこれが一番だと、クロエちゃんの本に書いてありましたので」
「何かそれは逆のような気もするなぁ」
マルタの言葉はダグは訝しんだように言う。
厳密には虫除けというよりは、陰口に対してのカウンターである。
案の定、ひそひそ話していた声は一斉に静かになった。マルタの行動に呆気に取られているようだ。
まぁ、王族への挨拶の列に並んでいる最中にする事でもない気はする。
けれどもマルタは満足だった。
マルタが機嫌良さそうにしていると、ダグはちらりと周りに視線を走らせたあと「なるほど」と小さく呟く。
「マルタ、マルタ」
「何ですか、ダグ」
「お返し」
そう言うと今度はダグがマルタの右頬に、ちゅ、とキスをした。
その感触にマルタもピシリと固まる。その直後に、顔がボンッと赤くなった。
「ぐう、ばいがえし……」
「いや~等倍じゃない?」
そんなやり取りをしていると、先ほどまでの視線や声とは違ったものが向けられ始めた。
「あらあらあら、若いって良いわねぇ」
「うふふ、そうね。かわいらしいわ」
「学生時代は恋より鍛錬のダグ君が、変わるものだねぇ」
主に年配の参加者達が、マルタ達の事を微笑ましそうに眺めている。
陰口に腹が立ってした事ではあるが、これはこれで何だか恥ずかしくなってきた。
マルタは赤い顔で俯いて、ダグも照れながら指で頬をかきながら、二人は並んで順番を待つ。
何とも言えない居心地の中、カルム王と対面出来たのは、それからもう少し経ってからの事だった。




