♯21 アガーテとヨルダン
その場で話をしていても迷惑になるので、マルタ達はいったん壁際に移動した。
歩きながらマルタはひょいとアガーテの方を見上げる。
先ほども思ったが凛々しくて綺麗な女性だ。
すらりとした高めの身長と輝くような金髪、そして薔薇のような赤い瞳。同性でも見惚れるような容姿である。
先ほど彼女はアガーテ・ヴルツェルと名乗った。ヴルツェルはこの国の騎士団の副団長の家名だ。
たぶん家族なのだろうなと確認がてらダグに聞くと、
「そうそう。副団長の娘さんだよ。アガーテとはアカデミー時代のクラスメイトだったんだ」
と答えてくれた。なるほどとマルタは思って――そこで、はて、と首を傾げた。
ダグのクラスメイトならば、マルタともアカデミー在籍期間が被っている。しかしマルタの記憶では、それらしい人物を思い出せなかった。
これだけ美人な先輩なら、ちらっとでも見かけていれば印象に残っていそうなものだが、どうにも覚えがない。
おかしいなとマルタが思っていると、
「マルタ、マルタ。実はさ、アガーテはアカデミーで男装していたんだよ」
「男装?」
「そうそう。入学から卒業までずーっと、男性の制服を着ていてさ」
と、ダグが教えてくれた。マルタは目を丸くする。
それはまた面白い事をしていたものである。どうやって先生達を認めさせたんだろうなと思いつつ、同時に、それならば記憶にないのも頷ける。
ずっと男性用の制服を着用していたなら、彼女の事をよく知らないマルタは、男性だと認識してしまったのだろう。だから女性で思いだそうとして浮かばなかった。
それならばとマルタは頭の中で、アガーテにアカデミーの男性用制服を当てはめて見る。
すると、頭の中でカチッと、該当の人物が浮かび上がった。当時、髪型はショートヘアだったが、たぶんあの人だろう。
「もしかして生徒会に在籍していらっしゃいましたか?」
「そうそう、それだ。生徒会で会計をやっていた奴がアガーテだよ」
「なるほど……! 思い出せました、ありがとうございます。ファンクラブのあった人ですね」
「えっ、そうなの?」
「そうですよ。確か会員が三十人くらいいたような……」
「待って待って、そこはちょっと初耳なんだが……!?」
目を剥くアガーテに、おや、とマルタは目を瞬く。
「そのファンクラブ、友人が入っていまして。ブロマイドももっていましたよ。許可は得ていたと聞きましたが……」
「あ~~……もしかしてあれかな。何かの広報で使うからと頼まれた事が何度かあったな……。生徒会全員だったから、普通に生徒会関係だと思っていたよ」
「ファンクラブの会報とかグッズ用ですかねぇ。あ、確かヨルダンさんの妹さんも会員でしたよね」
「うん……」
「どうりで遊びに行った時にキラキラした目で見られると思った……」
「そうそう、ダグにもあったらしいですよ」
「俺、生徒会メンバーじゃないけど、あったんだ……」
ダグとアガーテは揃って困惑していた。ラズは話を聞いて笑っているあたり、知っていたのかもしれない。
そういうものがあっても意外と本人達には分からないもののようだ。
ちなみにマルタは当時からクロエちゃん一筋なので特に入ってはいない。
それにしても今の会話で少し気になる部分があった。
アガーテの『遊びに行った』という部分だ。
「ところでアガーテさんはヨルダンさんとお知り合いだったんですね」
「ああ。私の婚約者が彼でね」
「えっ」
さすがにこれには驚いて、マルタは目を大きく見開いた。
リブロ辺境伯と結婚したマルタが言えた事ではないが、立場的にヨルダンが騎士団副団長の娘と婚約出来るとは思えなかったからである。
意外だなぁと思っていると、アガーテはフフ、と笑った。
「不思議かい?」
「ええと……はい。申し訳ありません」
「いやいや、それが普通の反応だよ。実はこの婚約は、ヨルダンの母君から頼まれたんだ。彼の母君が、私の母の友人でね」
アガーテの言葉に、マルタは頭の中でヨルダンの母を思い出す。
一応、マルタも彼女とは会話をした事がある。何せ一度はヨルダンとの婚約の話が出ていたのだ。それでも一、二度くらいだが、常識のある落ち着いた人という印象を受けていた。
ヨルダンと容姿は似ているが、彼のような言動をする事もなく、むしろその都度しっかり諫めていた気がする。
だから余計に、何故あの人がアガーテにヨルダンの婚約を頼むのか不思議だった。
「それで婚約を受けたのか? アガーテにしては珍しいな」
「そうなんですか?」
「うん。アガーテって、嫌な事は嫌だとはっきり言うタイプだからさ」
「あっはっは。その通りだよ、ダグ。私も最初断ったんだが……」
話しながら、ちらり、とアガーテはヨルダンを見る。
今まで静かだった彼は、途端にサッと青褪めて、慌てて止めに入った。
「ま、待ってくれアガーテ! それ以上は……」
「一応、色々調べたら、性格的な部分が問題の、あまり良くない噂がちらほら出て来て。これは性根を叩き直すのも悪くないなと思って」
けれどもアガーテは止まらない。凛々しい笑顔を浮かべて、胸に手を当ててそう言い放った。
マルタ達は三人揃ってヨルダンを見る。彼は、
「ああああ。僕のイメージが……ッ」
なんて頭を抱えていた。それを見てマルタは、どういうイメージを持たれているつもりでいるんだろうと思った。
いやしかし、婚約を受けた理由が性根を叩き直したいからとは、さすがにマルタも聞いた事がない。
ないが、ヨルダンの母が頼むくらいだ。恐らく手が付けられない位になる前に、何とかしてあげたいと思っての婚約なのだろう。
(ヨルダンさんは家族に愛されているなぁ)
マルタはヨルダンの事は好きではないが、そこだけは微笑ましく思った。
まぁ、それはともかく。
ひとまずヨルダンがどうしてこの場にいるかは理解出来た。アガーテの婚約者だから来る事が出来たのだろう。
なるほどなるほど、と軽く頷いているとヨルダンと目が合った。
「ぐ、ぐう……! 覚えていろ、マルタさん……!」
すると何故か唐突に八つ当たりをされた。
アカデミー時代もこういう事があったが、この辺りはまったく変わっていない。
まるで子犬のように威嚇して来るヨルダンを半眼になって見ていると、彼の肩にアガーテの手がポンと置かれた。
そして、
「いい加減にしないかと言っているだろう? 幾らマルタさんの事が昔から気になっていたからって、接し方が幼稚なのだよ君は」
何やらとんでもない発言が飛び出した。
ヨルダンがぎょっと目を剥く。
「んなっ!? 何を言っているんだい、アガーテ! 僕がマルタさんを好きなわけがないでしょう!」
「そのわりにいつも話題に出していたじゃないか。素直じゃないねぇ」
「ちがっ!?」
ヨルダンは大慌てになりながらマルタとダグを交互に見る。
そして真っ赤になりながら、ぶんぶん首を横に振った。
「ち、ち、違うからね! いいかい、違うからね! あ、アガーテ! ほら、そろそろあちらへ行こう! 挨拶する相手がいるだろう!」
「はいはい。では、騒がせてすまなかったね! また話そう!」
そしてまるで嵐のような勢いで去って行った。
残されたマルタ達は再びポカンとして、何も言えず、ただ見送るだけになってしまった。
衝撃が大きすぎた余韻と言うのだろうか、何とも言えない空気が三人の間に流れている。
「何か……すごかったな……。っていうかマルタの事好きだったんだ……」
「いや、あの、それは本当なら嬉しくない奴ですねぇ……。アガーテさんはそれで良かったので……?」
「あー……アガーテはそういうの、特に気にしないんだよなぁ……」
「しないんだ……」
そんなやり取りをしていると、しばらくして夜会のスタートを告げる、カルム王の声が聞こえたのだった。




