♯1 ガイコツ姿の旦那様
ダグ・リブロがガイコツになった。
そんな奇妙な話を聞いたのは、マルタの学生時代が終わる頃だった。
実際にその姿を見て、それが与太話ではなかった事を知ったのは、それからだいぶ後の事だ。
ガイコツに『なった』という言葉通り、元々は彼もガイコツだったわけではない。
しっかり人間の姿をしていたのをマルタは覚えている。
ダグはマルタが在籍していた王立アカデミーの、二つ上の先輩だった。
その頃の彼はちょっとした有名人だった。
リブロ辺境伯の息子で、次期リブロ辺境伯。
槍の腕に優れていて、座学の成績もそこそこ優秀。容姿も整っていて、結構モテていたような気がする。
『妖精の祝福の日』という、好きな人にオランジェットを贈る日に、大量のプレゼントの包みを持って途方に暮れていたっけとマルタは思い出す。
ダグの周囲にはいつも大勢の人がいた。
容姿や外面が良いだけでは人は離れて行く。ダグにはそれがなかったのだ。
きっと見た目だけではなく、中身も良い人なのだろう。
それが当時のマルタがダグへ抱いていた印象だった。
そんなマルタとダグが結婚したのは、完全に、政略的なそれだ。お互いの都合が合致したとも言える。
マルタはとある趣味のせいで、お見合い相手からは馬鹿にされ、そのせいでそういう対象の男性にあまり良い感情を持てず、なかなか婚約が出来なかった。
ダグはガイコツという姿のせいで怖がられ、しかも子供も望めないため、そもそもお見合い相手すら見つからなかった。
さて、どうしたものかな、と両家が思っていたところへ、この国の王様から「こういう相手がいるんだけど会ってみない?」とお話があったのが、結婚のきっかけだった。
◇ ◇ ◇
(辺境伯と結婚なんて、人生、何が起こるか分からないですねぇ……)
結婚式を終えた深夜過ぎ、マルタはリブロ辺境伯邸の自室でぼんやりとそんな事を思った。
一般的な貴族であれば今夜は初夜――という事になるのだが、マルタの旦那様はガイコツである。そういうアレコレはない。
マルタもそういった事には特に興味がないので、それは別に良いのだ。
それよりも、もっと大事な事がある。
――そう、夫婦の在り方だ。
夫婦としてどう接して行くのが最善かなぁと、マルタは悩んでいた。
友達みたいな感じ?
仲睦まじく?
それともビジネス的な関係?
ベッドに座りながらマルタは腕を組む。
(いや、普通に愛情とかそういうのが芽生えれば一番だけれど……今の状態って結構特殊なんですよねぇ)
ギスギスしたいわけでもないが、そもそもマルタはダグの事をよく知らない。
何と言っても、結婚前に数回、会話した程度の関係なのだ。しかも会話内容は結婚の取り決め的なあれこれだ。
まったくもって仲良くなろうよ的な会話ではなかった。
――とは言え、まぁ、結構急に決まった結婚なので、そちらが優先になるのは仕方ないけれど。
そんな事を考えていると、コンコン、と控えめに部屋のドアがノックされた。
「マルタさん、ちょっと良いかい?」
そう呼び掛けてきた声は、結婚したばかりのダグだ。
おや、と思ってマルタは「どうぞ」と返す。
すると静かにドアを開けて、ガイコツが顔を覗かせた。
「どうしました?」
「ああ、いや、ちょっと、改めて挨拶をと思って」
そう言いながらダグは中へ入って来る。
やっぱり何度見てもガイコツである。立派な骨格だなぁなんて思いながらマルタが立ち上がろうとするとダグから「そのままでいいよ」と言われた。
それならそうしようと、マルタはそのままダグを見る。ダグはマルタの前まで来ると、膝をついて視線を合わせてくれた。
「改めて、ダグ・リブロです。今日からよろしく、奥さん」
「マルタ・エスタンテ改めて、マルタ・リブロです。よろしくお願いします、旦那様」
同じように返したが、何だか変なやり取りである。思わずマルタが笑うとダグも笑った。
ガイコツの顔だが、どういう仕組みか、その状態で顔の骨が動いて表情が出来る。
目の部分の空洞も、奥に光のようなものがあり、表情や感情によって変化する。
実に不思議なものである。それに表情の変化が分かるのは意思疎通の上で大事だから、マルタにとってもありがたかった。
「今日、疲れただろ? ごめんなー、夜に結婚式なんて。俺、昼間は外に出られないからさー」
ダグはそう謝ってくれた。
外に出られないと言ったが、見た目のせいではなく体質――というか骨質のようなものとマルタは聞いている。
ガイコツ姿の今の彼は太陽の光に弱い。浴びすぎると灰になって消滅してしまうらしい。
他所の国にいる吸血鬼みたいとマルタは思ったが、彼は吸血鬼ではなく、見た目からすればスケルトンだ。
まぁ、そんな事はともかく。
そう言った事情で、結婚式は夜に執り行われたのである。
「アハ、いえいえ。昼間にたくさん寝たのでね、全然大丈夫ですよ。私、夜は逆に元気になるタイプですし」
「元気になるの?」
「誰にも邪魔さずに趣味を満喫できるのは、やはり夜ですので」
力強く答えれば、ダグは目を瞬いたあと「そっかぁ」と笑った。
「ちなみにどんな趣味なのか聞いても?」
「あ、はい。読書です。これです、これ。私の愛読書『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』です!」
「なんて?」
さっと枕元に置いていた本を見せながら言うと、思わずと言った様子でダグから聞き返されてしまった。
なのでマルタは大きく頷いてもう一度言う。
「『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』です!」
『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』とは背中に翼の生えた猫クロエが、人間の姿に変身したりしながら悪い連中をこらしめる、と言う作品だ。
マルタはこの本が大好きだ。お世辞にも上手く渡れるとは言えない人間関係等で辛い時や苦しい時、この本を読むと元気になれた。
現在、十六巻まで刊行されている。嫁いでくる時に、マルタは全巻持ってきた。ついでにまだ鞄の中にしまってあるが、グッズもである。近い内のこの部屋に、良い感じで飾る予定だ。
ダグは少し驚いていた様子だったが、マルタが差し出した本を見て「ほうほう」と呟いた後、
「とりあえず、後で一冊、借りても良い?」
なんて言ってくれた。
マルタは目を丸くした。
今まで、この趣味の事を言えば、引かれるか馬鹿にされるかどちらかだったのに、違う反応だったからである。
この旦那様、良い人なのかも。
マルタはそう思いながら――例え社交辞令であっても、興味を持ってくれた事が嬉しくて「ぜひ!」と笑った。
「旦那様の趣味は何ですか?」
「狩った魔物の解体かなぁ。たまにレアな素材が採れて楽しいし、良い感じに解体すると美味しいんだよ」
「ほうほう。……今度見に行っても?」
「お、大丈夫? 女の子、あんまりそういうの好きじゃないでしょ?」
「どうでしょう。でも旦那様が興味を持ってくださったので、私も同じものを返したいと思いまして」
「おう、律儀ィ」
ハハハ、とダグは声を上げて笑った。
それから嬉しそうに笑うと「じゃあ今度の夜にな!」なんて頷いた。
「俺の奥さんは面白そうな人でありがたいなぁ」
「私の旦那様も面白そうな人で良かったです」
「そっかぁ。……あ、旦那様じゃなくて、ダグでいいよ、ダグで。敬語もいいよ、夫婦だし」
「敬語は癖なので、おいおいという事で……。あ、では、私の事もマルタと」
「はーい」
夫婦の会話――というと少し違うが。
やり取りがとても気楽である。何か、良いなぁ、これ。
そう思っていると、ダグが右手を差し出した。
「お互いに仲良くやれると嬉しいよ、マルタ」
「私も、お互いに楽しくやれたら嬉しいです、ダグ」
冷たくて、硬くて、つるつるしている彼の手をしっかり握ってマルタは笑う。
これがマルタが旦那様と本当の意味で交わした最初の会話だった。