♯15 ラズの天恵
ラズを領主にしようとしている。
そう聞いて、あまりにあり得ない内容に、マルタは首を傾げた。
「それは……したいと言って出来るものではないのでは? 手続きがいるでしょうし」
「まぁ俺が死んだら、相続権は親父に戻るからなぁ。いつ戻ってくるつもりか分からないけど」
「ですよねぇ。ずっと戻って来ない時は、国が一時的には代行を許可しそうですけれど」
暗に「抜けているのでは?」なんて事をマルタとダグが言っていると、ロベルトが小さく笑った。
あまり深刻そうではないマルタ達の様子に、ラズは目を丸くして、それから苦く笑う。
「君達は冷静だなぁ」
「一部の事は怒っていますけどねぇ」
「俺も俺も」
「そうか。……でも、これからもっと怒る事を言うよ」
ラズは一度目を閉じてから、改めてダグの方を向く。何かを決意した顔だ。
「俺の父は、代行でも良しとした。その間にどうとでもなると考えたからだ」
「浅薄ですね」
「その通りだよ、ロベルト。……だから父は――あのクソ親父は、ダグを殺そうとしたんだ。俺達を使って」
「あー、やっぱりなぁ」
ラズの告白を聞いてダグは肩をすくめた。表情は困ったように笑っている。
マルタとロベルトも、元々予想はしていたため驚きは少ない。
ただ、意外とあっさりとバラすのだなと思ったが。
何か裏があるのか、それとも本当に告白しただけか。その辺りを考えながらラズを見ると、反応の薄いマルタ達に少し困惑している様子だった。
「ダグ達の様子だと、俺の事、バレていたんだな」
「予想が立てられたのは最近だよ。マルタのおかげだ」
「マルタさんが?」
「彼女が現場に残っていた魔導銃の薬莢の事で、気づきをくれたんだ」
「人によって得られる情報が違うと、クロエちゃんの本にも書いてありましたからね!」
えへん、とマルタが胸を張って愛読書を誇ると、ダグが楽しそうに破顔した。
「俺も一巻読ませて貰ったけど、あれ、ためになるなぁ」
「でしょう!? 二巻もぜひ!」
「うん、貸して貸して」
「やったー!」
ダグが続巻も興味を持ってくれた事が嬉しくて、マルタはにこにこ笑顔になる。
共通の話題が出来るというのも嬉しいものだ――が、今はそれどころではない。
状況を思い出しマルタは「おっと」と口を手で押さえる。
「失礼しました、続きをどうぞ」
「微妙に続きが言いにくい空気に……」
「そりゃ、仕方ないだろ、ラズ兄。そもそも言いにくい話なんだ、どんな空気で話そうが一緒さ」
だから話せとダグは頷く。ラズは「……そうだな」と頷くと、話し始めた。
「まず、ダグを殺そうとしたのは、親父だった。人を使って毒殺しようとしたんだよ」
「あーやっぱり何か盛られていたのか。……だけど、しようと『した』というのは?」
「しようとして出来なかったんだ。元々その男にこの屋敷で雇われているような人間を出し抜いて、毒を盛れるような技術はなかったし」
「その男、というと……」
ダグが捕らえたと言っていた例の実行犯の事だろう。
マルタが知っている限りだと、外にはそれ程情報が出ている様子がなかったので『男』と断定する辺り、ラズが関係している事は――本人の自白もあったが―ー確定のようだ。
それに、別の個所――この屋敷の人間を出し抜いて、という部分を聞いてマルタは「そう言えば確かに」とも頷いた。
この屋敷の使用人について、マルタはまだそんなに多くは知らない。何が得意だとか、何が好きだとか、戦いの心得があるだとか、そういう話が出来るほどの信頼関係はまだ築けていない。
けれどもダグやロベルトの事は、彼らの事以上には知っているし、教えて貰った。
戦いに関して二人はとても頼もしい。
だからこそ、ラズの言葉に納得した。同時に疑問も湧いた。
そんな彼らが屋敷内部という自分達のフィールドで、不審な動きをしている人間を見過ごすだろうかと。
「薬は盛らなかった。殺せもしなかった。けれどもダグはガイコツの身体になった……」
一つ一つ、言葉に出してマルタは整理していく。
思えば結婚式の時から、小さな違和感がぽつぽつあったのだ。
あの時、頬に添えられた手は冷たくも固くもなった。重なった唇は柔らかかった。
「マルタ?」
「マルタ様、どうなさいましたか?」
ダグとロベルトが、急にぶつぶつと呟き始めたマルタに声をかけてくれる。けれどもマルタはそれに返さず、思考を続ける。
違和感は結婚式の時だけはない。日常生活でもだ。
ダグは骨の身体だけれど食事や睡眠を必要としている。
ただ、太陽の光だけには弱く、浴び続けると灰になってしまう――らしい。
「ダグ、一つ確認したいのですが、太陽の光を浴びた事はあるんですよね」
「ああ、あるよ。身体から煙が出たけど」
「痛みは?」
「え?」
「痛みはありましたか?」
「……………そう言えば、なかったな」
「あの時、それを見て太陽の光は危ないと……言われて……ラズ様に……」
顎に手を当てて考えた後、ダグとロベルトはそう答えてくれる。
なるほど、とマルタは軽く頷く。ダグとロベルトも話しながら「まさか」という顔になってラズを見た。マルタもだ。
「ラズさん。もしかしてダグは――――ガイコツになっていませんね?」
そしてそう尋ねた。
結婚して聞いたダグの身体については、ここでは誰も疑問に思っていなかった。
だからマルタもそういうものだと思っていたが、改めて考えてみると、出てきた答えはそれだったのだ。
ダグの見た目はガイコツだ。けれども、彼の身体はガイコツというよりは、人間の生存本能や肉体的な諸々をそのまま維持している。食事は出来るし、睡眠も出来る。太陽の光の辺りも、ラズの話でそう理解したというならば怪しい。
そうマルタが話すと、ラズはフッと穏やかな表情になった。
「正解だ。本当に、よく気が付いたね」
「いやぁ。でもこれたぶん、私が外から来た人間だからだと思いますよ。天恵が効くまでの時間が足りなかったんじゃないかな~って。……天恵ですよね?」
「ああ、その通りだ」
たはは、と笑ってマルタが聞くと、ラズはもう一度頷いた。
話している間、ダグとロベルトは混乱した様子だったが天恵の話題が出た事で、大体を理解したようだ。
「悪い、整理させてくれ。天恵だって?」
「<幻覚>系の天恵持ちはいると思いますけれど。ただ、一人で可能な内容とは思えないので、最低でも二人はいるかなと」
天恵というものは便利だが、何でも出来るわけではない。効果はわりと限定的なのだ。
例えばマルタの天恵は<幸運>にカテゴライズされるものだが、あくまで自分の周囲に実害のある悪い物に対してのみ反応する。それも、そんなに広い範囲を感知はしない。リブロ辺境伯邸だって全体の把握は無理だ。
天恵の種類にもよるが、大体はそんな程度である。
だからダグの状況を考えると、一人では不可能だとマルタは判断した。するとラズは感心したように目を丸くする。
「マルタさんは探偵でも出来るんじゃないか?」
「クロエちゃん……ええと、本を読むのは好きですから。想像するのは、それなりによくしているんですよ」
何だか褒められすぎてマルタは少し照れくさくなって、指で頬をかく。
そう話していると、ようやくロベルトが復活した。
「もしや片方は捕らえている者ですか?」
「ああ、そうだ。少しずつ残っている違和感を感じさせないように、精神に作用する<幻覚>系の天恵を使っている。それで、そのもう一人は俺だよ」
「ラズ兄が? だけどラズ兄は天恵持ちじゃなかっただろう?」
「後天的な奴だよ。んー……ちょっと無理してさ」
「無理?」
「魔導銃の事で」
ラズは後頭部をかきながら、言い辛そうに笑う。
「魔導銃? ……もしかして二度目の?」
「ああ。オキツさんに迷惑かけてしまったから、何とか返さないとって必死で働いて……たまに素材が高く売れる魔獣討伐したりして……えーと……」
「ラズ様。それだけでは天恵を得るなんて出来ませんが……」
「…………たまに小さい魔水晶が取れて。売るのも考えたんだけど、あれを飲むと身体のキレが良くなるから、より強い魔獣を倒した方が金になるなって……それで気付いたら持っていたって言うか……ハハ……」
そしてラズはとても言い辛そうにそう答えた。
マルタ達はポカンと口を開けた。ラズの言葉はつまり、魔水晶を飲み込んで、身体能力を強化して魔獣を倒していた、という事だ。
それで天恵を得たと言う彼の言葉が正しいなら、一度や二度の話ではない。かなりの回数、同じ事を繰り返していたはずだ。
確かに後天的に天恵を得たという話は、まったくのゼロではない。ゼロではないが、それはあくまで特殊なケースなのだ。
さすがに魔水晶を飲み過ぎて天恵を得るに至ったなんて、身体への負担も考えてあり得ない。
あり得ないのだが――その特殊なケースが目の前にいると、何とも言えない気持ちになるものだ。
「ま、まぁ、それはひとまず置いておいて……ラズさんは何の天恵が?」
「<幻覚>系の、見た目や五感に作用するタイプの天恵だ」
牢屋で捕らえられている方が精神に、ラズの方が五感に作用する。
そうなると、やはり――ダグはガイコツになっていないとマルタは確信した。
マルタが言おうとした時、先にダグが口を開いた。心情の複雑さが顔に出ている、珍しい表情をしていた。
「俺は……ガイコツじゃなかったのか」
「ああ。それは俺の天恵で見せている幻だ。……謝って済む話ではないのは分かっている。だけど他に親父を騙せる方法が無かった。――すまなかった」
ラズは深く頭を下げる。これは本当にどう反応して良いか分からないんじゃないかとマルタは思った。
ガイコツではなかったのは喜ばしい事だが、今までそれに気付かなかったというのもショックなのだろう。黙ってしまったダグを、ロベルトは心配そうに見ている。
何を考えているかは分からない。けれども何か声をかけたい。そう思ってマルタが一歩ダグに近づいた時、
「…………マルタが」
と、彼の口から自分の名前が出た。マルタが目を瞬く。
「マルタが、俺を中身は人間だと言ってくれた。……言ってくれたんだ」
話しながら、ダグは片手で目の辺りを抑える。その手は微かに震えて見えた。
「それが俺はとても……嬉しくて。嬉しくて、たまらなくて」
「ダグ……」
そっと、マルタは彼の背中に手を添える。ぽんぽん、と軽く跳ねさせた。
「…………マルタ、俺、中身、人間だったよ。まだちゃんと人間だった」
「そりゃそうですよ。ダグは最初から、中身は人間です」
「うん」
ダグはそれだけ言うと、黙ってしまった。
頼りになるいつもの雰囲気とは違って、まるでマルタに縋るような様子に、彼も心の中に不安を持っていたのだなと理解した。
そうしていると、ダグはマルタに手を伸ばして来た。そのままぎゅう、と腕の中に閉じ込められた。力は少し強い。
突然抱きしめられて、マルタは少し慌てつつ、ダグを見上げた。
白い骨の顔がくしゃりと歪んでいる。
あ、とマルタは口を開けた時、
「マルタが、いてくれて良かった」
彼は震える声でそう言ったのだった。




