♯12 ラズとエトナ
三日後の夜、マルタはダグと一緒に彼の従兄達の屋敷を訪れていた。
丁寧に手入れがされた庭には、季節の花が咲き誇っている。月明りに照らされた花は、昼間とはまた違う印象があって美しい。
それを見つつ、香りを感じつつ。マルタ達は屋敷のドアベルを鳴らす。
少し待っているとドアが開いて、中からロベルトと同じくらいの歳の、ふくよかなメイドが顔を出した。
背はマルタより低い。彼女はダグとマルタの姿を確認すると、にこにこと笑顔になった。
「あらあら、まぁまぁ! いらっしゃいませ、ダグ様、マルタ様! お待ちしておりました!」
「こんばんは、エリーザ。急にすまないね。これ、お土産。あとで皆で食べて」
「まぁ、ありがとうございます! ふふふ、坊っちゃんもお嬢様も、楽しみにしてらっしゃったのですよ。ささ、どうぞ中へ」
エリーザと呼ばれたメイドに迎え入れられ、マルタ達は中へ入る。
入ってすぐに、あちこちに品よく飾られた花が目に入った。ああ、明るくて良いな。そんな風にマルタは思った。
照明の明るさだけではない、明るい空気が屋敷の中に満ちている。
雰囲気だけでも居心地が良い。そう感じながらエリーザの後をついて歩く。
そうして案内されたのはサロンだった。
「坊っちゃん、お嬢様。ダグ様とマルタ様がいらっしゃいましたよ」
エリーザがそう声をかけてくれた後、マルタ達は部屋に入る。
そこでは二人の男女が待っていた。
黒色の髪に赤い瞳をした二人。彼らがラズとエトナだろう。
二人はマルタ達の姿を見ると、にこりと笑顔になった。
「いらっしゃい、ダグ、マルタさん」
「こんばんは、ダグ兄さん、マルタさん! お会い出来て嬉しいです!」
「こんばんは、ラズ兄、エトナ」
「お邪魔します。私も会えて嬉しいです」
握手を交わしながら挨拶をした後、四人はそれぞれ席に着く。
マルタの向かい側はちょうどエトナだ。見ているとエトナと目が合って、彼女はにこっと微笑んでくれた。
可愛いなぁとマルタがほっこりしていると、ふと、彼女の目の下にクマが出来ているのが見えた。
化粧で隠している様子だったが、色が濃いためか薄っすらと見える。
もしかしたら無理をして起きていてくれたのかもしれない。
ゆっくり話したかったが、時間を見て早めにお暇した方が良さそうだとマルタが思いながら見ていると、エリーザが紅茶を淹れてくれた。
「結婚式以来だな、ダグ。どうだ、ちゃんと仲良くやっているかい?」
「もちろん! ……もちろん?」
ラズの言葉にダグは頷いて、ややあって、少し疑問形で繰り返しマルタを見る。
たは、とマルタは思わず噴き出した。
「そう不安そうな顔をしなくても」
「いや~、俺は仲良くしたいし、そのつもりで接していたんだけど、もしかして違っていたらどうしようかなって」
「方法的な?」
「的な」
こくり、とダグは頷く。
確かに仲良くなろうとして、見当違いの事をしてしまう――なんて事は、まぁマルタにもある。
マルタの愛読書『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』でも、そういう悩み事を持った登場人物はいた。
あの物語の中では色々とすれ違いを起こして大変そうだったけれど、ダグがどうかと言えばそんな事はまったくない。
彼は紳士的で、気さくで、マルタの事をちゃんと見てくれている。だから違ってなどいないと、マルタは首を横に振る。
「うーん、でもその場合、私の方にもっと不安がありますね……」
「そう? マルタに不安を感じる要素なんて、どこにもなかったけど」
「いや、ほら、私は男性とお付き合いをした事がなくてですね」
「あ、俺も俺も。今まで女の子とお付き合いした事はないよ」
「えっダグがですか!?」
「何で驚くの。俺はマルタにどういう目で見られていたんだ」
そんなやり取りをしていると、ラズとエトナが噴出した。
ハッとして二人揃って彼らの方を見ると、小刻みに震えながら笑っている。
「うん、仲良さそうで何よりだ」
「そうね、兄さん。ふふふ」
くすくすと楽しそうに笑う二人。
ダグとマルタはお互いの顔を見た後、照れくさい気持ちで破顔した。
「でもね、マルタさん。ダグ兄さんが誰かとお付き合いをした事がないのは本当ですよ」
「そうそう。ダグは好かれるわりには、そういう相手が出来なかったよな」
「いや~、何か特別好きとか、そういう気持ちにはならなくて」
ダグは後頭部に手を当てた。
それから少しだけ視線を彷徨わせてからマルタの方を見て、
「でもマルタとは仲良くなりたい」
と言った。
マルタはその言葉を理解するのに少し時間がかかったあと、じわじわと頬が熱くなるのを感じた。
「えっ、えっと、えと……私もダグと仲良くなりたい、です」
真っ直ぐ向けられた視線にそれだけ言うのがやっとで、マルタは下を向いた。
ダグの方から「良かった」と、安堵するように小さく呟く声が聞こえる。ちらり、とダグの方を盗み見れば、白い骨に赤色がさしているのが見えた。
「おお~、いちゃいちゃしてるな~。いいねぇ、初々しいねぇ~」
そんなマルタ達を見て、ラズは楽しそうにそう笑う。
「マルタさんはダグがガイコツ姿でも気にしないんだな」
「立派な骨格をしていて格好良いなぁとは思いますよ」
「マルタに褒められた……」
「ダグ兄さん、嬉しそう」
ラズの言葉にごくごく普通にマルタが返す。ダグは嬉しそうに、それを見てエトナが微笑ましそうな顔をしているのが見えた。
まぁ、最初に見た時に驚かなかったわけでもない。
けれども別に怖くもないし、出会った時からダグは優しかった。
だからダグに悪い感情なんてマルタは抱かなかったのだ。
「見た目がガイコツでも、ダグはしっかりとした人間です。私がダグと結婚できたのは、運が良かっただけですけれど。旦那様がダグで良かったです」
「……そっか」
マルタがはっきりと答えれば、ラズは眩しそうな目でマルタを見る。
その瞳には僅かに後悔の色が混ざっているように思えた。
ラズはマルタをじっと見た後、ダグへ顔を向ける。
「ダグ、本当に良い嫁さん貰ったなぁ」
「ああ、そうだろ?」
ラズの言葉にダグが胸を張って答えた。それがマルタの胸にじぃん染み渡る。
にへへ、なんてしまりのない顔で笑っていると、ふと、エトナの表情が少し強張っているのが見えた。何だか具合が悪そうにも見える。
心配になってマルタは声をかけた。
「あの、エトナさん。顔色があまり良くないですが、大丈夫ですか?」
「あ、す、すみません……ちょっと、薬が、切れてきて……」
苦し気に肩で息をしながら答えるエトナの背を、隣に座ったラズがさする。
「エリーザ、薬を頼む」
「はい、直ぐに!」
ラズに頼まれたエリーザは、走ってサロンを出て行く。
「今日は調子が良いと思って、いたんですけれど……」
「ごめん、無理をさせた。式の日も具合が悪かったもんな」
「私が、ダグ兄さんとマルタさんに、会いたかったんです。だから、ごめんじゃ、ないんです」
エトナはそう言って首をゆるゆると横に振った。
優しい良い子なんだ、とマルタは胸がきゅっとなった。
そして、ハラハラと様子を見守っていると、エリーザが薬を持って戻って来る。
「お待たせしました、お嬢様!」
反射的にマルタはエリーザの方を向く。その時彼女の手に握られた薬の袋が目に入った。
その瞬間、ピリ、とマルタの天恵が反応する。濃縮されたような嫌な気配に強い吐き気を感じ、マルタは思わず口を押えた。
「マルタ?」
マルタの反応に気付いたのはダグだけだ。えずきかけたマルタはそれに答えられない。
マルタはダグの方へ顔を向けると首を横に振る。出ない言葉の代わり「いけない」とジェスチャーで知らせる。ダグは頷いた。
「その薬をエトナに飲ませるのは待ってくれ」
「ダグ、悪いが緊急なんだ。ふざけている場合じゃない」
「そうじゃない。――マルタ、大丈夫か?」
「…………はい」
マルタは何とかそう答えると立ち上がり、そして。
「薬ではなく、医者を。恐らくその薬では、エトナさんは治りません」
と告げると、ラズ達はぎょっと目を剥いた。




